2015年10月18日 20時44分

サハリン(樺太)鉄道旅(16)鉄道歴史博物館の展示室。

本シリーズ(12)でUPしたD51の丁度裏手に当たる位置に鉄道歴史博物館の展示室がありました。

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車両展示場で出会った館長さんが案内してくれたのですが、そうでなければ行きつけなかったかも?そんな場所でありかつ建物であり、しかも展示室はこの2階にあります。

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中には樺太~サハリンの鉄道の歴史を語る写真や鉄道用具が所狭しと並べられており、あらかじめ「樺太」の鉄道の歴史を少しで良いので学んでいくとロシア語の案内の内容が分からなくてもある程度は理解できます。

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用具の類も何となく用途が分かります。

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館内の写真は個別に紹介はしませんがまあ雰囲気ということでご容赦を。

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なおこれらの展示については館長さんからずーっと説明を聞きながら周っており、元鉄道員だから詳しいのではなく、本当に鉄道愛に満ち溢れた方だと感じました。

さて私達はロシア語の説明が分かったのでしょうか?実のところさっぱり。でも歴史の話をしている時に年号は手で数字を示したりして、それと写真等を紐付ければそこは何となく通じるものがあります。またこちらが日本語でこれは何?とか聞くとそれはそれで返事があり、その内容も何となく分かったりして、いやっ正しいかどうかは別にして気持ちが大切だと!言い切ることが日露友好なのです。

以心伝心。

2015年10月17日 20時41分

サハリン(樺太)鉄道旅(15)鉄道歴史博物館/ナローの雄。

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サハリン北部のノグリキ~オハの間に2006年まで全長で233キロのナロー(750ミリゲージ)の鉄道がありました。

※オハ─ノグリキ狭軌鉄道線(Узкоколейная железная дорога Оха—ноглики)をロシア語のHPを検索し、翻訳ソフトで表示された内容を参照しています。

ここに展示されているナローの車両はそこで活躍してもので、ナローゆえのその大きさからかとてもそんな長距離を走っていたとは思えません。

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博物館の車両展示場の入り口にいて私達を出迎えてくれたナローの蒸気機関車と記念写真。

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日本のものでないことはわかりますが、それはさておき私が気になったのは連結器です。

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リンク式といえば確かにその部類に入るのかもしれませんが、真ん中にバッファー(?)があって両サイドで車両を繋ぐタイプは初めて見ました。

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ところで蒸気機関車の後ろにはシールド工法でのトンネル掘削で使われる巨大なコンクリートの壁面。ロシアのブロードサイズのトンネル工事の際に実際に使っていたものを移設したそうです。2つの大きさのギャップが面白かったです。

2015年10月16日 20時19分

サハリン(樺太)鉄道旅(14)鉄道歴史博物館/除雪車。

雪国という場所柄でしょうか除雪車が多数展示されています。

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ロータリー式除雪車。完璧とも言える保存状況。これは日本の国鉄タイプで日本統治時代の生き残りでしょうか?

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一方、ジョルダン車(広幅除雪車)ですが、小樽鉄道博物館にいるジョルダン車より一回りほど大きく感じ、ロシアのブロードゲージ(1520ミリ)用の車両の台車を履き替えて使っていていたのではと思えるほどの迫力あり。(本当にそうかも知れませんが確かめていません)

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いい面構えをしています。

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一方、線路の上の部分はまるでササラ電車風。竹製ならぬ鉄製ブラシが力強い。

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ウイングのアームもまるでボディービルダーの筋肉ムキムキの腕の如し。

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クレーン車も一味違います。この他にも工事、保線用車両がいろいろいて日本の同様の博物館とは趣が異なります。しかも一両ごとに特色があり私は萌えまくり。

時間がいくらあっても足りない~などとこの時点で思っていましたが、まだまだこれは序の口でした。

2015年10月15日 20時17分

サハリン(樺太)鉄道旅(13)鉄道歴史博物館の館長さんとの奇跡の出会い。

ガイドブックにも載っているサハリン鉄道歴史博物館(Музей истории Сахалинской Железной Дороги)。

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午前11時半過ぎですが開いている気配がない。

しょうがないので外から中を撮影していました。

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そうこうしていた11時45分頃、そこに鍵を持った男性と団体の方達が到着。

鍵を開けた男性はロシア語で私達に呼びかけ、何はともあれ手招きされたので、一緒に中に入ることにしました。その男性はあとで分かったのですが実はこの博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長。

ここで出会ったのも奇跡ですが、館長さんとは更なる思いもかけぬ展開が待っていましたがその話はまた後日。

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さて展示物の中から何点か私の気になった車両を紹介。

まずはキハ58495。

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昭和39年の新潟鉄工所の銘板とJR東日本の銘板が眩しい。

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1993年にサハリンに渡り2000年まで活躍したそうですが、電化路線の無いサハリンにあって「架線注意」も残っていて正に往時そのままの姿を残しています。

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矢印の上に『58495』の文字が残っており、この角度からの見た目が一番良く分かったかと思ったのですが、この写真ではパッとは分からないですね。

2015年10月14日 20時14分

サハリン(樺太)鉄道旅(12)駅前の静態保存機、D51-22。

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一夜が明けた駅とホテル。駅は大きくはありませんが、正面が総ガラス張りの洒落たデザインが素敵です。

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以前、ユーラシアホテルのレストランだった場所は24時間営業のハンバーガーショップとなっており、そこで朝食。お手軽なセットメニューで済ませました。

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おっ、駅の前をボンネットバスが駆けていく。懐かしい。とは言っても7月25に奈良交通のバスに乗ったばかりですが、そのバスよりも一回り小さく、乗ってみたい…と思っては見たものの、その後このタイプのバスが街中を走るのを見かけませんでした。

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ユジノサハリンスク駅からほんの数分歩いたところにD51-22が静態保存されています。 かつて日本で走ったD51の同型機で、戦前ではなく戦後、日本から輸出されたものです。

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D51-22の「D」はロシア語のキリル文字ではなくアルファベットなのですが、これがどんな理由で採用されているかは私には分かっていません。

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どこからどう見てもD51。サハリンで活躍した蒸気機関車がこうして綺麗に保存されているのは何よりで、市民の方達の愛情を感じました。

2015年10月13日 20時01分

サハリン(樺太)鉄道旅(11)ユジノサハリンスク駅の転車台。

ここで今回の旅の主な行程を紹介。

【9月2日(水)】

*名古屋⇒稚内移動

【9月3日(木)】

*稚内到着

*稚内⇒コルサコフ…稚泊航路乗船

【9月4日(金)】

*鉄道歴史博物館見学

*ユジノサハリンスク近郊列車に乗車

*ユジノサハリンスク⇒ノグリキ移動(夜行列車)

【9月5日(土)】

*ノグリキ到着

*ノグリキ市内観光

*ナローの廃線跡巡り

*ノグリキ⇒ユジノサハリンスク移動(夜行列車)

【9月6日(日)】

*ユジノサハリンスク到着

*ユジノサハリンスク~コルサコフ間の列車の旅

【9月7日(月)】

*ユジノサハリンスク⇒ホルムスク移動(路線バス)

*サハリン西海岸の列車の旅

*ホルムスク⇒ユジノサハリンスク移動(路線バス)

【9月8日(火)】

*コルサコフ⇒稚内……稚泊航路乗船

*稚内⇒新千歳⇒名古屋移動

ということで平成27年9月4日(金)の朝です。

この日からの夜行列車2連泊という難行苦行(あくまでもこの時点での私の感想です)に備え、いつもの鉄旅なら朝早く動き出すところ、ホテルの部屋でのんびりと過ごしていました。

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朝8:30、定時では8:32着の2列車(ノグリキ発ユジノサハリンスク行き)がホームに滑り込んできました。予定通りであれば私達が6日(日)に乗って戻って来るはずの列車です。夜行列車の到着をホテルの部屋から見るという小さな幸せが心地よい。

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朝の機関区。機関車の排気ガスで揺らぐ風景に活気を感じます。

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入替機が客車を牽くという日常。

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そして私の部屋の正面に転車台発見!ちらっとしか見えなかったのが残念でしたが、それを取り囲むように扇形車庫もあったはずですから全盛期が如何ほどだったか興味があります。

2015年10月12日 20時57分

サハリン(樺太)鉄道旅(10)ユジノサハリンスク駅と晩御飯。

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夜の帳(とばり)が下り、ユジノサハリンスク駅舎内にも灯りが入ります。それにしても明るい!

サハリンではないもののソ連時代の鉄道駅(空港もでしたが)のほの暗さを知る者としてはこれだけでも十分に時代の流れを感じていました。

もっとも明るいのは駅だけではなく街中も同じ。そりゃ名古屋とは比べるべくもありませんが、それはともかくとして日が暮れても子供達は外で遊んでいるし、一人歩きの女性もいたりして治安の良さの洗礼を受けている気がしました。

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こちらは駅ナカの売店。キヨスクよりは大きくコンビニよりは小さいと言った感じで、飲料や食品を中心に様々なものを売っており、水等の飲料やピロシキとかを買ったりしていました。

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カプセルトイの販売機。中に何が入っているかは分かりませんでしたが、今こうして書いていて「買ってみれば良かった」とか思っています。

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サハリン最初の食事はホテルから15分ほど歩いたレストラン。ビールを注文しようとしたらロシア産は置いていないとのこと。ということで日本のビールで乾杯と相成りました。

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ロシアといえばボルシチ。お約束の一品です。サハリン滞在中に何度もボルシチを頂きましたが、それぞれの店で味に特徴があったりして流石ロシアの代表的料理の一つだけあります。

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ところでこの店には英語のメニューがあり、それを見てビーフステーキを頼んだら…、とどのつまり超荒挽きハンバーグ(ステーキ)。

でも一口味わえば確かにビーフのステーキ。肉の食感はがっつりありましたが所変われば品変わるということなのでしょう。お店の名誉のために一言付け加えますが、値段も手頃で味はGOODでした。そうそうっ、ポテトも美味しかった。

2015年10月11日 20時49分

サハリン(樺太)鉄道旅(9)ユジノサハリンスクのトレインビューホテル。

9月3日(木)、サハリン州の州都ユジノサハリンスク(Южно-Сахалинск)のユーラシアホテル(Отель Евразия/Eurasia Hotel)にチェックイン。

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左側がユジノサハリンスク駅で隣接した右側の建物がそのホテルです。

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部屋は何と嬉しいトレインビュー。部屋から駅構内が見えると言うのはネットにも情報が上がっていましたが、今回、特にリクエストした訳ではなかったとのことでしたの運が良かったと言えます。

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そして目を凝らすとそこにはD-51-4の姿が…。

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と思う間もなくユジノサハリンスク発ノグリキ(Ноглики)へ向かう夜行普通列車の出発時間。お客さんが乗り込んでいます。

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18:19の定時出発。各車両に乗り込んでいる車掌さんが全員合図しているのは日本では見かけない光景です。

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ゆるゆると客車列車が駅を出ていく姿はやっぱりいいなあ。「からまつ」「山陰」「ながさき」…。いろいろな思い出が蘇ります。

2015年10月10日 20時49分

サハリン(樺太)鉄道旅(8)コルサコフ(大泊)港界隈。

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ロシアに入国。コルサコフ(Корсаков)のターミナルはこじんまりかつひっそりと建っていました。

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ターミナルの裏手には線路があり、今も時折走っているかのように見受けられました(私の個人的な感想であり確かめてはいません)が真相や如何に。

さてここからこの日(9月3日)の宿泊地ユジノサハリンスク(かつての豊原)までは約40キロ。

港から路線バスでコルサコフの市街まで出て都市間バスに乗り換えることも想定していましたが、運良く感じの良いタクシーの運転手さんに出会い、料金を聞いたら1000ルーブルとのことで交渉成立。1時間後にはホテルにチェックインと相成りました。

※9月2日(水)の円⇒ルーブルの交換レートは1ルーブル=2.5円。

参考にした書籍類

(今回の旅の主な参考資料)

1)「地球も歩き方 シベリア&シベリア鉄道とサハリン 2015~16」

「地球の歩き方」編集室/ダイヤモンド・ビッグ社

/2014年12月12日発行

2)JTBキャンブックス「サハリン 鉄路1000キロを行く」

徳田耕一/JTB出版事業局/1995年4月1日発行

3)ワールドガイド「サハリン」

徳田耕一/JTB/2002年7月1日発行

4)「1884-1976 日本の鉄道連絡船」

古川達郎/海文堂出版/昭和51年5月20日発行

5)「鉄道省編纂 時間表12月号」

日本旅行協会/昭和14年11月10日発行

6)「樺太の鉄道旅行案内」

樺太鉄道事務所/昭和3年9月3日発行

 

(このブログで掲載している写真・画像について)

自分が撮影した写真の他に以下の写真・画像を使っています。

*上記5)6)の本につきましては著作権の保護期間を過ぎているので、それを転載しています。

*このブログでの使用許可を頂いた借用写真もあります。

またロシアの方々が写っている写真もありますが、顔が判別できるものは全て撮影にあたり了承いただいております。考えようでは小さな市民交流気分でした。

1991~ロシア号4

1991~ロシア号6

(サハリンでの滞在中に写真撮影で留意したこと)

ロシアでは以前「空港施設」「鉄道施設」「港湾施設」等での撮影は厳格に禁止されていました。

この空港の写真は1991年(平成3年)10月にシベリアのハバロフスクで撮影したもので、駅の写真も同時期のものです。その頃から記念撮影程度であればそれほどの厳しさはなくなり、今回の旅でも多くの鉄道写真を撮影しています。ただどんな場合でもOKということではなく、駅員さんや運転士さんといった鉄道関係者や警察官から「ここでの撮影はNG」もしくは市民の方から「ここでの撮影はやめた方が良い」と何度か声を掛けられました。そうした場合は速やかにカメラをカバンにしまい、間違っても“大丈夫だろう”とばかりに撮影を続けるということはしてしません。

それもあってか幸いにも注意はされても撮影済みの写真を確認されたり、またメディアを抜かれるようなこともありませんでした。

一方警察官や軍人、また軍の施設と思われる場所にはカメラを向けてはいません。

楽しい旅を続けるためには「無理をしない」「空気を読む」といった心掛けが必要でしょう。

2015年10月09日 20時47分

サハリン(樺太)鉄道旅(7)コルサコフ(大泊)到着。

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穏やかな宗谷海峡。食後は爆睡していましたが、眼覚めてデッキに出れば海風が本当に気持ち良い!

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サハリン時間で午後3時近くになるとサハリンの島影がはっきりと見えます。

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暫くすると目的地であるコルサコフの街が目前に迫り、そこにある風景は改めていうまでもなく日本には無いものであり、ここに来て異国に来た実感が沸々と湧き始めていました。

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午後4時頃に下船。車を積んできた甲板から異国の地を踏もうとは想定外。

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ロシア/サハリン(樺太)に上陸。

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すると目の前に今は使われていなさそうな線路が出現。事前の知識が無かっただけに思いがけない出会いに思わず「わおっ!」。この線路こそが稚泊航路で大泊港に出入りしていた連絡船に列車が横付けされていたことを今に伝える遺構。戦後70年。まさか往時の姿を留めているとは夢にも思っていませんでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!