2013年02月10日 20時34分

1991年のスウェーデン・ヘルシンボリ~コペンハーゲン。

スウェーデン「ヘリシンボリ」からデンマーク「ヘルシンゲル」までの航送区間がいよいよ始まります。

私の乗った客車を連絡船の押し込んだ「616」のナンバーをつけたDLが徐々に離れていきます。20年以上前の記憶なぞとうに無くなり覚えているはずもないのですが、この写真を見ていたら不思議にその時の感情が蘇ってきました。

そして船は岸壁を離れていきます。日本なら「蛍の光」の音楽が鳴り、銅鑼の音が鳴り響くのかもしれませんが、、、すいません。これは私の単なる大型客船の出航のイメージです。

それにしてもこの「ハンブルグ」行きは、この先、デンマークからドイツへの国境越えも連絡船に乗せられて向かう列車で、何と1本で2度美味しいという某お菓子メーカーのアーモンドチョコレートのような存在でした。窓越しに見た客車と海の風景は何とも旅情が溢れています。因みに私が乗っていたコンパートメントには、私同様にユーレイルパスで旅をする悠々自適となり気ままな旅をするアメリカ人女性の2人連れと、「仕事は世界中にある」と言っていたとコンピュータプログラマーの若いブラジル人男性でした。拙い英語の会話でしたが、それが出来たのも私が若かったんだと思います。それにしてもスウェーデン人もデンマーク人もいないとは考えようによっては凄い!

おまけの1枚。連絡船内では客車から下車できます。そこにはこんな階段がありました。ところで私の記憶では「ヘルシンゲル」でも写真を撮影しているはずなのですが、何故かネガもポジも見つかっていません。やっぱり撮っていなかったのかも知れません。

2013年02月09日 17時44分

自戒と反省の日々。

写真は、ストックホルムから乗車した「X2000」をヨーテボリ下車直後に撮影したものです。撮影した時間が昨日UPした写真より巻き戻っています。

ところで今日の タイトル「自戒と反省の日々」ですが、私はこのブログを書いた後2~3日して、もう一度読み返しています。実は日本語の「てにをは」の間違いや、内容に影響の少ないと思われる一寸したミスは時折それで見つけ、時には人知れず直し、一方で明らかな間違いはこのブログ本記で誤った部分について訂正させていただいています。

今回の記事は、そうした明らかな間違いであることに気付いたので、ここで訂正するとともにお詫び申し上げます。

問題の記事は一昨日の『当時、スウェーデンからドイツに鉄道で抜ける最短ルートは「ストックホルム」~「ヨーテボリ」~「コペンハーゲン(デンマーク)」~「ドイツのどこかの町」』という部分です。

(今回の私のルート)

まず今回私が乗車した列車ですが、「ストックホルム」06:30発「ヨーテボリ」着09:55(3H25M)

「ヨーテボリ」発12:12「コペンハーゲン」着16:50(4H38M)

※合計時間で8H3M。

(1991年当時の一般的な「ストックホルム」から「コペンハーゲン」に向かう列車のルート)

1日に数本ある直通列車は「ヨーテボリ」を経由してしません。例としての直通列車の時刻は次の通りです。

「ストックホルム」発6:42「コペンハーゲン」着14:50(8H8M)

●以上から、この列車対比での『乗車時間』は、X2000という飛び道具に乗っているので「ヨーテボリ」経由が短くなっていますが、乗り継ぎ時間を考えれば直通列車の『所要時間』には絶対に勝てません。つまり「最短ルート」が「ヨーテボリ」経由とするのは明らかに間違いでした。

これに懲りず今後ともお付き合いいただければ幸いです。

2013年02月08日 22時34分

1991年のスウェーデン・ヨーテボリ~ヘルシンボリ。

ヨーテボリ(「イェーテボリ」という表記も多いです)を12:12発の列車に乗車。

頭端式ホームのヨーテボリ駅での一枚。画面右上に写っている行先表示には「マルメ」「ハンブルグ」とあり、この列車に乗車していてもそのままデンマーク経由でドイツに『渡れる』ことが分かります。また始発駅はノルウェーの首都「オスロ」でした。と書きつつ、実は1991年の旅で使ったトーマスクックの時刻表が発掘できておらず、単に行先表示から読み取っています。

その列車の車内からきれいな虹が!写真は右半分ですが、実は左半分の写真も撮っています。

さて「ヘリシンボリ」の駅で「マルメ」行きの車両と別れ、「ハンブルグ」行きは連絡船に乗り込みます。日本では客車ごと連絡船に乗るということは無かったので結構ドキドキしながらこの瞬間を待っていました。

今は「ヘルシンボリ」で切り離された片方の列車の終点「マルメ」からデンマークに渡る橋が開通し、この風景も今は昔となっています。

2013年02月07日 21時16分

1991年のスウェーデン・ヨーテボリのトラム。

北海からバルト海へ繋がる海峡の町、ヨーテボリ。当時、スウェーデンからドイツに鉄道で抜ける最短ルートは「ストックホルム」~「ヨーテボリ」~「コペンハーゲン(デンマーク)」~「ドイツのどこかの町」でした。その乗り継ぎで下車したヨーテボリ。その頃、スウェーデンのトラムはストックホルムとここヨーテボリで、12:12発の「コペンハーゲン」行きの出発時間まで、まずは駅前で撮影をしました。

と言っても2時間ほどしか時間が無いので、駅から歩いて10分ほどの場所までしか行っていません。800番台の車両は、当時としても少々使い古した感はありました。

新しい車両の方が、車両番号が若く200番台となっていました。

ところで公共交通の考え方なのでしょうが、バス・トラムと乗用車・トラック等の車の走行レーンが分かれているように見えました。ただあくまでも「見えた」というだけで、十分な調査に基づいていない情報をこうして書くのは宜しいことではありませんが、どなたかご存知の方がいればご教示いただきたくあえて書いています。

2013年02月06日 22時49分

1991年のスウェーデン・X2000。

1月27日以来のスウェーデンの続きです。

1991年10月17日(木)、首都/ストックホルムで15日間有効の「ユーレイルパス」の使用を開始し、まずはスェーデン第2の都市、ヨーテボリを目指しました。乗車したのは前年に登場したばかりのX2000。振子式の車両で、在来線を時速200キロで快走することで当時、日本でも話題になっていました。また振子式と言えば日本なら電車となるのですが、スウェーデンでは電気機関車が牽引する客車列車で、しかも客車だけに振子が装備され、そうした意味で注目を浴びました。X2000の存在がスウェーデンをヨーロッパの起点にした理由の一つなのですが、新幹線並みのスピードで在来線を走る感覚は思ったよりも「何でもない出来事」と感じた記憶があります。それは人口密集地といえるところがあまりなく、大自然の中を走り抜けていたからなのでしょう。

さて私が乗車したのは朝6:30発の列車で、日本で作った予定表では8:00に乗る予定だったのを1時間半繰り上げていたことになるのですが、何せ記憶が曖昧で申し訳ないのですが、路面電車のあるヨーテボリで少し時間をとろうと思ったか、それともX2000は乗車率も高く、満席が理由で1本早くしたのかが定かではありません。

乗車すること3時間25分。9:55が定時の到着時間だったのですが、ほぼその時間通りについたような記憶があります。

到着後、取り敢えず重いスーツケースを駅に預け、駅の外に出たのは10時を少し回った頃でした。このヨーテボリ駅を撮影した時、時計は10時20分を指していました。

2013年01月27日 21時52分

スウェーデン・ストックホルムにて(2)

もう一回だけストックホルムの街歩きにお付き合い下さい。

水の都・ストックホルム市の象徴「ストックホルム市庁舎」です。ノーベル賞の晩餐会の会場となることでも知られています。

こちらは「ストックホルム市庁舎/黄金の間」です。ノーベル賞のパーティー会場だそうです。昨年、山中教授もこの場に立たれたのでしょうか?

1991年にここを訪ねた際は、単に「ノーベル賞」の受賞者と同じ場所に立てただけで少々嬉しい気分だったとの記憶があります。それにしても名前の通りの「黄金」の輝きに圧倒されました。

ところで北欧の日の入りは思いの他早く、曇り空ともなれば撮影ができる時間はざっくり朝の10時から午後2時頃までで、この写真も夕闇の中のフラッシュ撮影に見えますが、時間帯はそれほど遅くなかったはずです。ということはともかく花屋さんのカラフルさは、厳しい寒さに生きる北欧の人々の楽しみなのでしょう。このエリアは市場となっており、果物屋さんも隣にありましたが、そこもカラフルな売り場になっていました。

2013年01月26日 21時45分

スウェーデン・ストックホルムにて(1)

鉄道から少し離れます。

スウェーデンの国名は正式にはスウェーデン王国です。つまりこの国には王様がいらっしゃいます。

1991年10月15日、この日、ストックホルムの町を歩いていた私の目の前をまるで中世にタイムスリップしたような馬車が通り過ぎました。

ルクセンブルク大公国(ドイツ・フランス・ベルギーに囲まれた国)のルクセンブルク大公がスウェーデンを訪問されたとのことで、スウェーデン国王・王妃とルクセンブルク大公ご夫妻を乗せた馬車を思いがけず見ることができ、偶然の幸せを感じていました。

この日は何故か市内各所でものものしい警備態勢が敷かれ、車の通行だけではなく、歩行もかなり制限をされており、本当ならもっと早く何がしかに気付くべきでした。

警備の警察官と記念写真を撮らせてもらったのですが、帽子も含めてこの服装は警察官にとっても特別だったようで、この方は「初めての経験です」と思いのほか喜んでおられ、この服装の警察官の方たちが互いに記念写真を撮影していました。もっとも私の拙い英語で聞いたことなので若干、怪しい面があるのは否定しませんが、王宮を警備する「衛兵」ではなく「警察官」と言われたと記憶しています。

「鉄」旅ではこうした街歩きも楽しんでいます。

2013年01月25日 21時28分

スウェーデン・ストックホルムのトラム「21系統」。

「Tunnelbanan」(地下鉄)の終点の一つ「Ropsten」(ロープステーン)から「21系統」が出ていました。21系統は「Lidingobanan」と呼ばれる路線で「Ropsten」から「Gashaga」(手元に残っているメモには「ゴックスアーガ」と書いてありましたが、本当の所は…)の間9.2キロを約20分で結んでいました。

※路線長の参考資料:英語版wikipedia「ストックホルムの公共交通機関」

写真を見る限り単線で、と書きつつ全線単線だったかどうかがうろ覚えなのですが、ともあれここは「Ropsten」から7駅目の「Parkvagen」駅です。まるで人里離れた山中の小駅の佇まい(たたずまい)ですが、ラッシュ時には約10分間隔、日中でも20分間隔の電車が走っていました。

ここが21系統の終点「Gashaga」です。駅前には大きな工場のような建物がありましたが、それがどんな会社なのかまではわかりませんでした。ところで上の駅名の表記ですが、取り敢えずローマ字表記にしていますが本来はスウェーデン語であり、この駅で言えば「G」の次の「a」の文字の上には記号がついています。

さて日本でも、もとい名古屋でも知られている「スウェーデン」と言えばファッションブランドの『H&M』。日本でその存在が知られていなかった1991年にもトラムの終点にはその看板がありました。左手前の女性の顔がそれです。今回、この写真を見ていてそれに気付いたのですが、当時、当然のことながらこの『H&M』の看板を意識して撮影したわけではなく、恐らく数年前にこの写真をスキャンしていていたとしたら、ブログをやっていなかったことも含め、何も感じなかったでしょう。

2013年01月22日 21時17分

スウェーデン・ストックホルムのトラム「12系統」(2)。

1991年のストックホルム市内「12系統」トラムの車内はこんな感じです。

比較的小型な車両の2両編成(300番台の車両+600番台の車両)で、それぞれの車両の真ん中に乗降扉があり、その両側にボックスシートが配置されていました。そのシートの何とも味わい深いことよ!といいつつ私は当時のそのシートの座り心地を何も覚えていません。残念ですが…。ただ乗車したことは覚えています。たしか私が終点の「Nockeby」に向かう時の運転士さんが、研修中の女性だったことが印象に残っていたからです。

そして日本では見かけないパンタグラフの形ですが旧・ソ連では同様のタイプのものを見かけました。その辺りはあまり詳しくないのですが、当時、ヨーロッパで一般的だったかどうかまでわかりません。と書きつつ、パンタグラフの形狙いでこの写真を撮影したわけではなく、背景の集合住宅も含めて如何にも北欧風に感じたからです。

2013年01月21日 20時46分

スウェーデン・ストックホルムのトラム「12系統」(1)。

スウェーデンの鉄道についての情報は、1991年当時は決して多くはないというより、はっきりいって極めて乏しい情報しかありませんでした。

それでも「福祉国家」の名に負けないバリアフリーの交通施策や、その地形(湖に浮かぶ島の街ともいえる)の関係で深いところを走らざるを得ない地下鉄の構造を利用したホーム美術館と言った情報は徐々に集めることができました。そしてもう一つ見つけた情報が、路面電車「12系統」(Nockebybanan=Nockeby線)の起点「Alvik」駅の変わった線路構造でした。

この線は「Alvik」」(私には「アルヴィク」に聞こえました)~「Nockeby」(同じく「ノックビー」)間を結ぶ路線で、路線長は調べきれていないのですが、片道13~15分程度で、平日ダイヤでは最短5分間隔、日中は10分間隔で運転されていました。

こうして走っているところをみれば普通のトラムですが、その地下鉄への乗り継ぎ駅「Alvik」では同一ホームで乗り継ぐ形になっていました。

その「Alvik」の駅の構造ですが、ストックホルム中心部から地下鉄に乗り、ここで下車すると目の前に停車中のトラムが「Nockeby」行きの電車で、逆に「Nockeby」から乗り継ぐ場合は、目の前にストックホルム中心部に向かう電車に乗り継げるようになっていました。どういうことかと言うと、「Nockeby」から来た“上り”電車はホームで乗客を降ろしたあと“下り”ホームに転線していたのです。(私の記憶です)

と書くと簡単なことのようですが、スウェーデンはもともと車の通行は日本と同じ左側通行で、それが1967年にヨーロッパ標準の右側通行に変わりました。ところが鉄道は左側通行のままであり、右側通行の「12系統」の上り電車がそのまま「Alvik」駅に侵入した場合、地下鉄では下り線ホームに入ることになります。

それを回避するために何をやったかと言えば「12系統」の線路を「Alvik」直前で平面交差でクロスさせること。ある意味、ヨーロッパ的な乗客サービスの発想と言え、日本ではもしも同様の事態があったとしても、『平面交差』ということは実現したでしょうか?

失礼!少々パターンは異なりますが、JR北海道/千歳線「南千歳駅」がありました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!