2014年05月09日 20時14分

スイス「鉄」紀行1991(12)さようならスイス。

1991年10月31日、私はスイスを後にして最後の目的地イギリスに向かいました。

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で、チューリッヒ空港に向かう列車がユーレイルパスの最後の乗車区間となりました。

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チューリッヒ空港駅にあったサボ(行先標)の山。行先にはドイツのミュンヘンがあったりして国際的です。

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空港駅を上がったところだったと思うのですが、こんな展示がありました。

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チューリッヒからロンドンに向かう飛行機の中で、隣の席に座った方(日本人ではありません)から、「日本人か?」「ロンドンは初めてか?」と聞かれました。

質問の意味が今一つ呑み込めてなかったのですが、その謎は直ぐに解けました。「ウインザー城がもうすぐ見られるよ」と言われ、確かに私と同じ窓側に座っていた乗客は身を乗り出すように眼下に広がる風景を見ていました。

 ウインザー城

袖振り合うも多生の縁。こうして思い出を残すことが出来ました。

2014年05月08日 20時09分

スイス「鉄」紀行1991(11)ゴッタルドトンネル体験。

1991年10月30日、この日は午後からサン・ゴッタルド(St. Gotthard)トンネルを目指しました。

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写真はその道中ですが、眼下に今通ってきた線路も見えています。目的のトンネルはゲッシェネン~アイロロ間15kmを結ぶもので、何と1882年(明治15年)にこんな長大なトンネルが開通していました。私が乗った当時も、そして今もスイス~イタリア(ミラノ方面)を結ぶ幹線鉄道で、乗車の感想というより、私には珍しく「この絶景の写真を撮ってみたい」というメモが残っています。

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現在、ゴッタルドトンネルの下には世界最長のトンネルとなるゴッタルドベーストンネル(全長57.1km)が建設中で、ここに行くなら今の内とも思いますがさてそれが実現することは難しいかも?

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余談ですがこの時、アイロロより少し南のBellinzonaまで乗車しています。そこはイタリア語圏で、何が列車内で起こったかと言うと車内アナウンスが、「Buon giorno(ブォンジョールノ)」で始まりました。

それまで案内放送の順番はドイツ語が先だったのがその順番が変わったのです。所変われば品変わる。

 

※トンネルの出典/一般社団法人日本トンネル技術協会HP「トンネルベスト10」

2014年05月07日 20時13分

スイス「鉄」紀行1991(10)ラウターブルンネン経由。

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さてこの日、チューリッヒを出てからここユングフラウヨッホまで日本人とは出会いませんでした。正確に言うと個人旅行者は私だけでした。実は私の乗ったユングフラウヨッホ行きの列車には続行運転の列車があり、それは何と日本人団体客の貸切!ここ数年、ヨーロッパの観光地で日本人の団体客を見かけることが減ったような気がしていますが、当時はまだまだ健在でした。と、ここまで書いて気が付いた。最近は「鉄」目的の旅が続いており、所謂日本人観光客が来る名所・旧跡には出かけていませんでした。

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クライネ・シャイデックからインターラーケン・オストへの戻りはLauterbrunnen(ラウターブルンネン)経由を選びました。

Microsoft Word - ユングフラウ鉄道図

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ここは途中にあるWengen(ヴェンゲン)駅。800ミリのナローとラックレールを堪能できる楽しい一枚だと思っています。

(追伸)インターラーケン・オストからチューリッヒへの戻りは、「ベルン」経由を選びました。そのベルンからチューリッヒに向かう列車に乗ったのはもう夜も更けてからでした。お腹もすいたということで食堂車に足を向けたのですが、車内は混雑しており相席となりました。その数少ない席は日本人2人が先客でした。その日本人は2人とも個人旅行で、何と1人旅の中年男3人が夕闇を行くスイスの食堂車で、ビールで乾杯となりました。旅は道連れ。

2014年05月06日 20時07分

スイス「鉄」紀行1991(9)ユングフラウヨッホ駅。

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Jungfraujoch(ユングフラウヨッホ)駅を目指して走るユングフラウ鉄道からの景観も素晴らしいものがあります。

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そして到着した標高3454メートルにある駅はトンネルの中にありました。

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展望台からの風景は筆舌に尽くし難い素晴らしさで、とにもかくにも晴天を与えてくれた神に感謝を捧げました。

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こうした場合、「心がけが良かった」というコメントもありうるのですが、そこまで慢心することは眼下に広がる大地を前にして恥ずべき考え方であると自覚していました。(そんなことを本当に思っていたかどうかは怪しい…)

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アレッチ氷河もバッチリ!

2014年05月05日 20時05分

スイス「鉄」紀行1991(8)クライネ・シャイデック駅。

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10月も末になるとKleine Scheidegg(クライネ・シャイデック)駅の日陰には雪がありました。

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ここからいよいよこの日のクライマックスであるユングフラウ鉄道に乗車。

目指すはヨーロッパ最高地点の「ユングフラウヨッホ駅。

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この写真に写っているのは左側がオーバーランド三山 の一つ「アイガー」で右側が「メンヒ」となります。残念ながらここには更に右にある「ユングフラウ」は写っていませんが、とりあえず雄大な景色をお楽しみ下さい。

2014年05月04日 19時58分

スイス「鉄」紀行1991(7)グリンデルワルト駅経由。

インターラーケン・オスト駅からベルナーオーバーラント鉄道に乗り換えたのですが、ここで少々解説。

Microsoft Word - ユングフラウ鉄道図

インターラーケン・オスト駅からユングフラウヨッホ駅に向かうルートは実は2つあります。(ご存知の方も多いと思います)その路線の大まかな会社別路線図を作ってみたのですが、グリンデルワルト駅経由にするかラウターブルンネン駅経由で向かうかは殆ど好みの問題で、所要時間もほぼ同じとあって私はグリンデルワルト駅経由で向かう事にしました。

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まずはインターラーケン・オスト駅。

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そしてグリンデルワルト駅。ここからはこのヴェンゲルンアルプ鉄道の列車に乗車です。

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因みに左側の列車がクライネ・シャイデック乗り継ぎユングフラウヨッホに向かうヴェンゲルンアルプ鉄道で、右側の列車がインターラーケン・オストとの間を結ぶベルナーオーバーラント鉄道です。

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グリンデルワルトの街並みも美しいですね。

2014年05月03日 20時44分

スイス「鉄」紀行1991(6)スイス国鉄ブリューニック線。

10月29日(火)は、またまたルツェルンに向かい、ここからスイス国鉄唯一の狭軌線(1000ミリゲージ)のブリューニック線に乗車。

※今は私鉄のツェントラル鉄道となっており、GOLDENPASS(ゴールデンパス・ライン)の一部を担い、パノラマ車両の連結された列車もあります。

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さてこの日、まずはルツェルン発が8:24のインターラーケン・オスト駅行きに乗車。終点で更に電車を乗り継ぎ、最終目的地はヨーロッパの鉄道最高地点「ユングフラウヨッホ駅」です。

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ルツェルンを出たころは怪しい雲行きだったのですが、途中から天候が回復し、スイスらしい絶景が広がるようになりました。

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途中のブリエンツ駅で何やら外が騒がしいと思ったらスイス軍の兵士の団体が乗車。

スイスらしい光景だと感じました。

※ブリエンツ駅はかの有名な蒸気機関車によるラックレール式鉄道「ブリエンツ・ロートホルン鉄道」への乗り継ぎ駅ですが、今回の目的には入れていなかったので何事もなく通過。今思えば勿体ないことです。

(追伸)この路線にはラックレール区間があります。情報を持たずに乗ったので、明らかに粘着式鉄道ではありえない急斜面をゆっくり上り始めて大いに驚いた記憶があります。

2014年05月02日 19時37分

スイス「鉄」紀行1991(5)チューリッヒ市内のトラム。

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チューリッヒの街はトラムが発達しています。昨日の「POLYBAHN(ポリバーン)」から見下ろすとこんな風景があります。

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市街地ではこんな風景も。

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また1日おいて10月30日(水)には郊外電車体験もしました。特にこの路線に乗ろうというほど積極的な動機もなく、来た電車を適当に撮影して、来た電車に適当に乗り、適当にチューリッヒに戻ってきました。ユーレイルパスを使っていたから出来る術でした。

1991~ヨーロッパ410

スイス国鉄の最新電車の横にこんな可愛い電気機関車がいるのがスイスらしいと思ったのですが、今回、この写真を見つけた時に、当時「リンク式連結器がこれほど似合うものは他に無い!」と声を出したい気分だったことを思い出しました。(笑)

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Dietlikon駅で見かけたS6系統の電車。後ろにいる客車が今になって気になります。

2014年05月01日 20時27分

スイス「鉄」紀行1991(4)チューリッヒのケーブルカー。

1991年10月28日(月)は、ルツェルンに行った後はチューリッヒに戻り、街歩きをしていました。

POLYBAHN

ここチューリッヒには当時、ケーブルカーとラックレール式鉄道という如何にも山岳都市らしい交通機関が市内交通として機能しており、まずはチューリッヒ駅にほど近いビルにあるケーブルカー「POLYBAHN(ポリバーン)」の駅に向かいました。POLYBAHN2このケーブルカーは駅を出て直ぐにトラムをオーバークロスして山を駆け上がって行きます。

POLYBAHN3終点はこんな可愛い山小屋風。全長は176メートルですので鞍馬山鋼索鉄道よりも短いことになります。

Dolderbahn

 

そしてラックレール式鉄道の「Dolderbahn(ドルダーバーン)」。この路線は元々ケーブルカーだったそうで、そう思ってみればそんな雰囲気があるものだと当時、妙に納得していたことを覚えています。

名古屋という街は平野の只中にあることもあり、急な勾配にある市街地がそもそも限られています。その代表格は中京テレビのある八事界隈でしょうが、こうした風景が登場するとはとても思えません。

2014年04月30日 19時22分

スイス「鉄」紀行1991(3)ルツェルン市内のトロリーバス。

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ところでルツェルン市と言えば、この橋「カペル橋」が街のランドマーク(象徴)になっており、多くの観光客が当時も訪れていました。

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この橋は屋根があることが特徴となっており、同様のものでは(私の個人的選択です)イタリアのフィレンツェにあるヴェッキオ橋(ポンテ・ヴェッキオ)や岩手県釜石市にかってあった「橋上市場」といったところが有名です。

ここで日本人の団体さんと出会い、ガイドさんから「一人旅ですか?」と聞かれ、「そうです」と答えたらツアー参加の方から「凄い!」と言われました。恐らく中年男の一人旅が珍しかったのでと思います。まああまりビジネスで行くところではありませんから。

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話しの順番が逆ですが、ここルツェルンの街の公共交通の主力はトロリーバスでした。写真はスイス国鉄のルツェルン駅前ですが、ご覧の通りの様子です。日本ではトロリーバスは鉄道の一種で、私自身も鉄道乗りつぶしの対象にしていますが、日本の都市ではこんな姿はお目にかかれません。

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車内はこんな感じで路線バスなのですが、連結部の幌が路面電車的と言えばその通りです。

 



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!