2015年03月20日 20時35分

渓湖糖廠の五分車(6)346号のこと。

蒸気機関車346号は1948年のベルギー生まれ。1954年からここ渓湖糖廠で働き1977年に引退するも、2007年に復活を遂げ今も元気に活躍しています。

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火室の下に落ちていく火の粉が見えます。分かるかな?

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運転台からの一枚。

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スタッフの方に呼ばれたので行ったら火室を開けて見せてくれました。

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ところでここの機関車で一つ発見がありました。そもそもはツアーの参加者が気付き教えてもらったのですが、第2動輪にフランジがありません。

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日本の蒸気機関車ではE10形が有名ですが、そもそもこれだけじっくり見たのは私にとって初めての経験で、この第2動輪は346号が走る線路にありえない程の急なカーブがあることを教えてくれました。

2015年03月19日 20時33分

渓湖糖廠の五分車(5)磨き上げる!

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この光景、やっぱり良いなあ。

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さてさて金属部分は磨き剤を使ってピカピカにしていきます。

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スタッフの愛情を感じる一時です。機関車が大切にされているのと同時に、我々観光客にも綺麗な姿を見せたいという気持ちが伝わってきます。

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使っていた磨き剤がこれ!作業をされていた方にお願いして並べてもらいました。製品については家に戻ってから検索したことをここに書いておきます。

2015年03月18日 20時19分

渓湖糖廠の五分車(4)蒸気圧が上がるまでの一時。

蒸気圧が上がるまでしばし渓湖糖廠内の見学。

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屋内の車両展示スペースにはここで使われていた蒸気機関車等が大切に保存されていました。

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そんな中、またまた見つけてしまいました。トイレの案内。面白い!それにしても今時、厠(かわや)と読める日本の若い人はいるのだろうか?

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機関車に戻って来たら、丁度クランク部分のねじを一つ一つ外して注油の真最中でした。

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結構手間のかかる仕事ですが、年代モノの機関車だけに多分、動かす時は毎回している作業なのでしょう。

もっとも日本でも同様の作業を都度やっているはずで、始業点検は“古い車両”だからということは無いはずです。間近にみているので『特別』感があったような気もします。

2015年03月17日 20時17分

渓湖糖廠の五分車(3)火がついた!

8:11にいよいよ火起こし開始。

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紙にライターで火を点け、

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それを火室に放り込むと

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焚き付けに火が移り燃え始める。

※「もえはじめる」と入力したら「萌え始める」と最初に変換されました。(笑)私は何者?

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暫くすると煙突から良い感じで煙が出始めました。

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とりあえずの間、火室の扉が開け放たれているとは思いませんでした。

考えてみればどうって事のない作業なのですが、まして考えようではバーベキューの火起こしと大して変わらないのに、それが蒸気機関車だと思うとどうしてこんなに興奮して写真を撮ってしまうのでしょうか?

2015年03月16日 20時12分

渓湖糖廠の五分車(2)蒸気機関車の始まりは火起こし。

公共の交通機関であれば、台鉄の員林駅からバスが便利な渓湖糖廠。ただ渓湖のバスターミナルからは少々歩く必要があります。

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台湾の保存精糖鉄道で、蒸気機関車が運行されているのは前に紹介した烏樹林とここ渓湖糖廠の2箇所となります。その中でもここ渓湖糖廠の蒸気機関車は石炭炊きとして知られ、観光客の人気を集めています。

私たちがここに着いたのは午前7時45分頃。当初の予定(ツアーの日程表)では、ディーゼル機関車が牽く観光列車に乗る予定だったのが、「鉄道」愛好家の団体が日本から来るということで、渓湖糖廠のご好意で急遽蒸気機関車に変更となったとのこと。また希望者には火起こしから見学しても良いというサプライズもあり、日本出発直前に早朝からの渓湖糖廠訪問が決まりました。しかもこの日は通常は運行していない月曜日で、そういう日は貸切運転の希望があった時だけ動かすとのことでした。

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さて機関車の前には焚きつけが用意され、

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それを機関車の火室に入れていきます。

2015年03月15日 20時10分

渓湖糖廠の五分車(1)ホテル。

今回のツアーでは彰化市内の福泰商務飯店(彰化フォルテホテル)に2泊しました。

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といいつつまずは台鉄の自強号の車内でピックアップした紙コップ。列車の中で撮影できなかったのでホテルに着いてから撮影しました。勿論、家に持ち帰っています。

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ホテルの部屋から見た彰化市内の風景。鉄道は見えませんでしたが高層階だったので景色はバッチリ。

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外観はこんな感じ。彰化駅から少し離れた立地でしたが徒歩5分圏内にスーパーもありお土産はそこで調達しました。

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ロビーには世界の著名な建造物とその土地の現在時刻が分かるようになっており、インターナショナルな感覚を醸し出していました。フロントには日本語の分かるスタッフがほぼ常駐しており、気分的にはとっても楽。ただ英語の出来るスタッフが常駐している事はないようで、それはそれで台湾のホテル事情が見えて面白かったです。さて12月1日(月)はバスで30分弱の渓湖糖廠が目的地だったのですが、私は3日目にして初めて明るい時間帯にホテルの外観を見ました。何せ11月29日(土)は夜7時頃の到着。11月30日(日)は夜明け前の出発で、戻ったのは夜の9時過ぎ。こんな立派なホテルだったんですね。

因みにこの日も出発時間は7時15分で、朝食は2日続けてサンドウィッチのボックスと相成りました。このホテルの朝食は美味しいとの噂があったのですが、「鉄」優先の行動のためそれを確かめる事は出来ませんでした。

2015年03月14日 20時33分

台鉄海線と日本風駅舎(5)追分から成功行きの縁起切符。

今日の日本は「ダイヤ改正」一色。北陸新幹線の新規開業区間はいつになったら乗れるのでしょうか?それより個人的には富山地方鉄道の路面電車の新幹線駅直結の方が興味があります。

それはさておき今回のダイヤ改正が「成功」することを祈念して今日は台湾の縁起切符の話。

「成功」という駅名を見てこれは縁起が良さそうだというのは日本語感覚でも見当がつきますが、ここ台湾では「成功」への入場ではなく、「追分」から「成功」へ行くのが、験を担ぐことになるのだそうです。追分~成功

ということで夜の8時半過ぎに日本からの観光客が大勢で追分駅に詰め掛け、縁起切符の大人買いです。駅員さんはさぞかし驚いたことでしょう。この駅にはご覧のようなスタンプが各種置いてあり、私も裏面にそれぞれ印を押していきました。ところで私が買ったのは片道切符ですが、台湾では「成功」して「追分」に戻るのも縁起がよいそうです、そちら(往復切符)も良く売れているそうです。なおここ追分駅の駅前にはこの切符をパウチするお店が何店かあるそうで、そこで大量に“記念品”を作って配る人がいるそうです。所変われば品変わる。

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真っ暗な「追分」駅ではなく、もう少し明るい追分駅。2008年(平成20年)8月24日にも私はここに来ていました。

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台鉄の乗りつぶしのためで、成功駅から到着して折り返しの台中方面行き(台中のホテルを予約していたため)の列車までネコと遊んでいました。

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そういえば今回、ネコの姿を見ませんでした。どうしたのでしょう?

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こちらが成功駅の駅名標。

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2014年の鉄旅で、「追分」~「成功」~「追分」が縁起が良いと聞いたものの、2008年は「成功」~「追分」~「成功」というパターンで電車に乗りました。さて私の行動パターンの縁起は如何でしょう?

(2008年のアクシデント)

追分から乗車した電車は成功駅で何故かストップ。車内に何かアナウンスが流れたと思ったらお客さんが降り始め私はプチパニック。そうしたら若いカップルが声を掛けてくれ、英語で「日本人ですか?」「この電車はこの駅で打ち切りで、後続の電車に乗り換えです」「付いて来て下さい」で案内され無事に台中駅行きに乗車。台湾の方は親切です。多謝。

2015年03月13日 22時29分

台鉄海線と日本風駅舎(4)追分駅。

台湾にはまだまだ日本風の駅舎が残されています。

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彰化駅から海線を台北方面に一駅。追分駅もその一つです。

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ここは彰化の隣駅になるのですが、実は山線の「成功」駅の隣駅にもなります。「成功」~「追分」間には見かけは山線と海線の短絡線的な“成追線”があり、列車の本数的には、海線「追分」、山線「成功」とも彰化方面が圧倒的に多いのですが、成追線の列車も1~2時間半に1本程度設定されています。それも近鉄伊勢中川駅の様な特急専用ではなく全て普通列車です。

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この電車はその数少ない成追線経由台中行きです。(20:30頃撮影)

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ホームから見た駅舎。夜間の撮影でも雰囲気が良いので鑑賞に堪えます。あっ、私の写真が良いとかではなく建物の良さです。

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この駅には跨線橋・地下通路が無く、駅舎からホームには線路の上を歩いて渡るのですが、このようにホームの途中に階段を置いている駅は日本ではもう殆ど見かけません。日本で言う特急も走る路線ですが、こうした風景が残っていることも台湾の鉄道の魅力の一つでしょう。

(追伸)北斗星も無事旅立ちました。上野駅では3000人が見送ったとのことですが、この賑わいがこれまでずーっと続いていたらこの列車は残ったでしょうか?8月までに上野から一度乗ってみたい私がいます。

2015年03月11日 20時25分

台鉄海線と日本風駅舎(3)日南駅。

今日は丸4年経った東日本大震災に触れないわけにはいきませんが、私に出来る一つのこと。それは「忘れない」ことだと思っています。

仙石線が全線復旧し、仙石東北ラインが開業したら一足先に復旧する石巻線の女川も含めて再訪の予定です。

2013_09_28石巻線・仙石線・常磐線_213

●写真は2013年9月28日、仙石線高城町駅にて撮影。

また出かけましたらその報告をこのブログでさせて頂きます。

その東日本大震災で、日本に200億円を超える義捐金を送ってくれた台湾のシリーズを続けます。2014年11月30日の夕食後は昔ながらの日本式といわれている駅舎が今も使われている駅を探訪。まずは日南駅。

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白沙屯駅から更に4駅、彰化駅側に戻っています。(ホテルが彰化市内なのでこんな表現をしています)

時間は19:20。考えようによっては何でこんな時間に見学しているのかということになりますが、「鉄道三昧の旅」と銘うっているだけあってまだまだ「鉄」が続きます。

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寂れた感じがしないので、恐らく相当に手が入っていると思われる日南駅です。改札口の時計もいい雰囲気を醸し出しています。

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ホーム側から駅舎を見てみました。

国鉄時代にこんな駅舎を夜行列車の窓から覗いていたような気がします。

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いろいろ見ている内にこんな看板を見つけました。台中市の史跡に指定されているのですね。こうしてちゃんと手入れがされて残されているのは訪れる側からしても気持ちが良いものです。(トイレもあります)

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日南駅の最後の写真。屋根下にある明かり窓と思われるお洒落な丸窓があり、こうした建付けは日本の駅(日本建築)では見かけた記憶がありません。もっとも私の加齢による記憶力の低下もあるので何とも歯切れが悪いのですが、とても珍しいのではないでしょうか?世の中まだまだ知らないことが多いと痛感しました。

(追伸)「日式」について…確かに日本風ではありますが、「日本」をそのまま持ち込んでいるわけではなく、台湾の気候風土に基づいた工夫もされています。そんなところを探してみるのも「日式」駅舎探訪の楽しみだそうです。

2015年03月10日 20時20分

台鉄海線と日本風駅舎(2)石蓮園で晩御飯。

後龍駅から2駅彰化駅側に戻る白沙屯駅近くまでやってきました。ここは海際。

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手ブレ×手ブレの本来ならブログで公表できるような写真ですが雰囲気という事でご容赦を。

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海岸の真ん前にあるここは『石蓮園』という鉄道車両の廃車体を使用しているレストラン&宿泊施設。

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夜来たこともあって怪しい雰囲気が全開。何せ「石蓮園」を検索さんに問い合わせても、日本語で書かれた「訪問記」のウェブサイトはあるにはあるもののとにかく少ない。というより殆ど無い!と言っても良い位。

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車内も飾り付けがやっぱり怪しい。

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晩御飯の弁当。日本では見かけないスタイル。

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私たちのツアーでは主菜は鶏、豚肉、野菜(素食)から選ぶようになっていました。確か1人前250元。

見た目は雑な感じですが味は良かったです。(お店の方には失礼な言い回しです。ゴメンナサイ)

白沙屯駅から歩いて10~15分ほどとのことでしたので、ツアーでなくとも寄り道しようと思えばできます。もっとも私はこのレストランもさることながら列車ホテルが思い切り気になりました。中はどんな感じなのでしょう?

一度泊まってみたいですね。自力で予約する自信がないのでどこかのツアーで企画してほしいところです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!