2015年01月22日 20時44分

集集線の旅(8)車埕駅周辺は観光地。

平成26年の車埕駅に戻ります。

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人影もまばらですが何せ朝の9時過ぎ。観光客が来るには早すぎる時間帯のためこんな感じです。でも画面の右端では男の子が女の子の撮影に夢中。この方達の他にも駅構内の鉄道シーンを背景にしてポーズを取りながら撮影するカップルがいたので、そんなブームもあるのだろうと感じました。

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広い構内がかつて貨物輸送で賑わっていた頃を髣髴(ほうふつ)させます。

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平成20年に来た時にも感じたのですが、ここは台湾市民の手軽な行楽地の一つだということ。時間が時間なので人が少ないのは致し方ないとして、それでもその時間からここのパンフレット(何と日本語あり)を配る方もいたりして、昼の賑わいは十分に伝わってきました。ピクトグラムもよく出来ていて分かりやすいのも観光地ならではと思いますが、この妙にリアルなトイレの案内にはクスッとしてしまいました。

※これはツアー参加者の方が「面白い」と教えてくれました。

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荷物を引き上げるためのインクラインの遺構だと以前聞いた記憶があるこの木造の構造物。

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昔、荷運び用のトロッコが走った木橋でしょうか?今はネコが主(あるじ)となっていました。

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さてさてこのネコ、しつこく写真を撮る私を一瞥しただけで、あとは無視。なんてことはない。かまってほしかったのは自分だと気付き、一寸寂しい気分。

2015年01月21日 22時10分

集集線の旅(7)CK124の列車に乗りました。

めったに1日2回の更新はしないのですが、今日はタイムリーさの関係で台湾話もしたかったので書くことにしました。昨日、日本政府観光局(JNTO)が発表した昨年(2014年)の外国からの訪日客数で、台湾が約283万人で1位であることが分かりました。今回のツアーでは中華航空を利用したのですが、台湾便は航空会社の別に関わらず、以前は日本人が圧倒的に多かった記憶です。それが今回、台湾の方が多い印象があり、正にその印象が正しかったことが裏付けられた格好です。名古屋~台湾便はトランジットも含め何度も利用しているので言えるのですが、やはり円安の影響もあると思っています。

さて平成20年(2008年)8月24日の集集線に話を戻します。

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集集線を完乗し、帰路は二水駅で購入した乗車券でまずはSL列車に乗りました。そして到着した集集駅でCK124の姿を撮ろうと思ったら…この状態で、テレビの取材もあってお祭り状態というより大混乱!ホームが狭いこともあるのですが、誰もお客さんを整理していないというのが当時の台湾。車埕駅での撮影が何ともならなかったもののそれでも集集駅なら何とかなるのではと思った自分の浅はかさに遅まきながら気付いた一瞬でした。。

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線路にも下り放題だったのでともかく撮影できたヘッドマーク。

さてこの上り列車はディーゼル機関車が引っ張っていて蒸気機関車はいわゆるぶら下がり。それでもこの人気ぶりでこの後の台湾の鉄道人気を予感させるには十分でした…などとお気軽な感想を書いていますが、実はこの時の旅には美味しい台湾料理に釣られてきた非鉄の同行者がいました。しかし車埕駅では私がその方をほったらかしにして(遅れに遅れた)列車の到着を待った上で写真を撮り、更にここでは訳の分からない人混みの中に置き去りにしたのでこの時点ですっかり“切れている”状態でした。事前に鉄旅であることは了解していたのですが、流石にこれは度が過ぎているということでこの日以降、私のパートナーは私の鉄旅に付き合う事はなくなりました…。(涙・笑)

2015年01月20日 20時37分

集集線の旅(6)2008年の収集線。

話しは同じ平成でも7年前の平成20年(2008年)8月24日に戻ります。この日、私は集集線の乗りつぶしに来ていました。

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前日、高雄に泊まっていた私は二水駅で下車し、ここから彰化駅始発の列車に乗りました。

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列車の中はご覧の通りの激混み。何で?と言いたくなるほどのお客が乗っており、“ローカル線”というイメージで私が思い描いていた『のんびり』『ゆったり』は、微塵もありませんでした。

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これが列車の混んでいた理由ではないと思うのですが、この日はCK124(日本で言うC12形)の運転日。もっとも私はCK124の運転日であることはこの日、二水駅に到着するまで全く知らず偶然の出来事でした。でチケットはあるかと二水駅で聞いたら、帰路の車埕駅⇒集集駅ならあるということでしたのでそのチケットを握り締めて車埕駅に行きました。

で、車埕駅でCK124の到着を待ち受けて撮影したのがこの一枚です。日本の常識では考えられない位置で撮影しているように見えますが、その通りです。到着する番線のレール上から狙っていました。

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更に近づいてきたところを撮影したものですが、列車と撮影者の距離がとにかくあり得ないほど近い!前の写真もこんな状況の中で人の間を縫って撮影した一枚です。

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このCK124の牽く列車の最後尾にはDHL109が付いており、どうやら後押しをしているようでした。それにしても凄い人・人・人でした。

(報告)今発売中の「鉄道ダイヤ情報」2月号にこのツアーで12月1日に訪れた「渓湖糖廠」について記事を書きました。よろしければご一読下さい。なおこのブログが「渓湖糖廠」に行き着くのは2月に入りそうです。ただ鉄道ダイヤ情報を読まれた方にも楽しんで頂けるように頑張りますのでよろしくお願いします。

2015年01月19日 20時33分

集集線の旅(5)集集線と集集大地震。

1999年(平成11年)9月21日、台湾中部に大きな地震が襲いました。集集大地震もしくは台湾中部大地震などと呼ばれていますが、その爪跡は今も集集線沿線に残されています。

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この鉄塔もそうで、震災遺構として撤去されていないとの事でした。

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集集線の名前の由縁である「集集駅」の駅舎も、倒壊した駅舎を元の形に修復したものです。

この地震の時に日本からも多数の救助隊が駆けつけ、その後の東日本大震災の際に、その恩義を忘れていないとして多額の募金が日本に届いた事は記憶に新しいところですね。

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そうした話を車内で聞きつつ列車は終点の車埕駅に到着。

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ここで鳥塚社長自らヘッドマークを外し、

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しばし撮影タイムとなりました。

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列車は折り返し9:00発。それを我々は見送り、しばし車埕駅周辺の撮影&散策タイムとなりました。

2015年01月18日 20時16分

集集線の旅(4)いすみ鉄道との姉妹鉄道提携記念式典。

列車が到着して早速記念式典の準備。というかツアーにこうした式典が組み込まれていること自体に大いに驚かされました。

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まずはヘッドマークの取り付け。

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これでセットアップ完了。

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次にいすみ鉄道鳥塚社長と二水駅林駅長がこの日のために用意していた横断幕を出して記念撮影。私も久しぶりに報道記者に戻った気分になりました。

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最後にサイン入りヘッドマークと私たちツアー参加者も入って記念撮影。旅行写真作家結解喜幸さんに撮影していただきました。本当に良い“記念”と“思い出”になりました。ツアー会社から渡されていた日程表では流石にこれは予測できなかった!

これが平成26年11月30日(土)7:56の出来事。出発まであと4分の慌しさはありましたが、午前8時にして既に満足バロメーター大幅上昇中。。

2015年01月17日 20時13分

集集線の旅(3)二水駅点景。

7:40過ぎに一旦駅の外に出てお約束の駅舎ショット。

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駅舎のデジタル時計は7:43を指していますが、最近、日本では駅舎の時計ってみかけないような気がします。

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台湾でも夜間帯のホームは安全ではないということでしょうか?ホームを渡る地下通路にこんな張り紙がありました。

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7:48に集集線の列車が入ってきました。折り返し8:00発の車埕行きです。駅員さんが力を込めて手を方の高さに上げていますが、これには理由があります。

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それはタブレットを受け取るため。ただ私はその受け取る瞬間の撮影に失敗し、受け取った後にこの写真を撮影するのが精一杯でした。理由は…。上の写真を撮った直後に「あっ、タブレット」と気が付いたのですが、次のシャッターを押せたのがこれでした。次回があれば連写設定にしようと固く心に誓いました。(涙)

2015年01月16日 20時11分

集集線の旅(2)集集線といすみ鉄道の姉妹提携。

彰化駅でいすみ鉄道の鳥塚社長と合流。台湾鉄路管理局「集集線」といすみ鉄道は2014年10月28日に姉妹鉄道提携をしており、11月30日の朝一番の目的地はその集集線でした。

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ここから6:53発の莒光号に乗車。

※「きょこうごう」は「ジューグアンハオ」と読むようです。

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車内では姉妹鉄道締結記念ヘッドマークに参加者全員でサイン。私は真ん中の下の方にささやかに書いています。

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集集線への乗換駅二水駅には7:32に到着。ところでヘッドマークは2つあり、サインを入れたヘッドマークとは別に一回り小さなヘッドマークもあり、これが実際に乗車する集集線の列車に付けるものでした。

そうそうっ、サイン入りの方にはこの場で二水駅の林駅長にも名前を書いていただいています。(台湾の可愛い民族衣装のイラストの下)

2015年01月15日 20時09分

集集線の旅(1)彰化駅のピクトグラム。

1日おいて台湾シリーズ再びです。

平成26年11月30日(日)、まだ夜が明けきっていない午前6時半少し前の彰化駅です。

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ホテルを出た時は真っ暗でしたが、駅につく頃には明るくなり始めました。

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ここからの写真は11月30日ではなく平成20年(2008年)8月25日に撮影した彰化駅のコンコースです。この案内表示を今回は撮影しませんでしたが今もあり、視覚に訴えるピクトグラムとして床面を利用した例としては「いいね!」だと思っています。

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何より線路のイラストが駅ならではで面白いの一言に尽きます。

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話しが飛びます。今回確かめなかったのですが、2008年当時はこんな風に公衆電話が並んでいました。時代の流れで今はもう無いのかもしれませんね。

2015年01月13日 19時55分

新営糖廠の五分車(6)中興駅に戻ってきました。

17時12分頃には出発地の街に戻ってきました。

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街中にこんな大規模な踏切もありもう感動モノです。流石、台湾の基幹産業の一つだったサトウキビ鉄道だけのことはあります。係員がいるのも意外感があって面白いと思いました。もっとも列車が通過しきる前に遮断機が上がったのは驚きでしたが…。所変われば品変わる。

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いよいよ中興駅の駅舎が見えてきました。これで初日のイベントは全て終了。やっぱりナローはいいなあ。

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で終わらないのが我がツアーの参加者。ホームに到着してもバスには直ぐに戻らず機回しを撮影。見た目は結構明るい感じですが、実際には夕闇が迫っており、そんな時にフルオートで撮影したため、それほど早く走っていない機関車がブレてしまいました。シャッタースピード優先にすべきだったと反省しても時既に遅し。残念。

新営

最後にここの乗車券。「記念票」というのが如何にも観光鉄道的で好感が持てました。

2015年01月12日 19時54分

新営糖廠の五分車(5)乗車中。

16:50発の最終列車が出発。

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私たちのツアー客もいますが、写真に写っているのは一般の観光客で、なかなかの乗車率でした。

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左にお寺があるこの場所が往路で撮影していた場所で、この列車は交換が無いため、停車せずにいいピッチで通り過ぎました。

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よくあるパターンの走行中の連結器。軽便鉄道によくあるピン・リンク式連結器を見るとついシャッターを押してしまいます。まあ習性ですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!