2010年05月16日 7時05分

シベリア鉄道 ハバロフスク駅のドタバタ

ハバロフスク駅の構内で撮影した
たった一枚の写真がこれです。

何で?
13:09発のロシア号に乗るのに
再集合の時間が確か12:50だったと記憶していますが
待てど暮らせど戻らない乗客が2名いたのです。
*ハバロフスク駅の外国人乗客の
 案内人ははっきり言って怒ってました。
 当然です。
 因みに遅れたのは日本人でした。情けない。

13:00頃この2名が戻り
それから列車に向かうのですが、
重いトランクを引きずりながら
広い駅構内の地下道をダッシュで走り
やっとホームにたどり着き
乗車する号車まで案内され
とりあえず振り返って撮影したのがこの1枚。
直ぐに列車に乗り込み
自分の席に着くまでもなく
ロシア号は“定時”で出発しました。
(ああ、しんど…)

2010年05月15日 8時00分

シベリア鉄道 ハバロフスク駅

1991年10月5日(土)、
いよいよロシア号に乗車です。

ハバロフスク駅は、町の交通の拠点で
人の流れも多く賑やかでした。
真ん中にある「像」は「レーニン」像ではなく
地名の由来にもなった「ハバロフ」像と聞きました。

この駅には「外国人ツーリスト」専用の待合室があり
そこに集合し、乗車メンバーの確認が行われた後
再集合となりました。

写真はありませんが、トイレについて一言。
トイレは思ったより清潔でしたが
「大」の方はちょっとビックリ。
和式の便座と思っていただいてよいのですが
個室にドアが無く、代わりにカーテンがありました。
しかもそのカーテンは下まで無く、
ほんの少し隙間が開いているのです。

そもそもドアが無いとか個室の仕切りが無いとか
結構トイレの形態の経験値はあるつもりでしたが
カーテンは初めてでした。

2010年05月14日 8時00分

シベリア鉄道 日本を出発

1991年(平成3年)10月4日(金)
新潟空港からソ連/ハバロフスク行
アエロフロート812便に搭乗しました。

ハバロフスクからモスクワまで8531キロ、
シベリア鉄道「ロシア」号の
旅を楽しむためです。

機体はツポレフ154型。
機内は簡素で、シート間隔が非常に狭い上に
壊れかけた椅子もあったり、
食事も「機内食」という夢を根底から覆す
“質素”と言うのもはばかられる代物でしたが
この時はまだ食事ができることが
どれほどの幸せかということに
気付いていませんでした。
※機内食は、製造費の関係で、
 ハバロフスクで作ったものを
 往復分積み込んできているとのことでした。
サービスという感覚は全くなく
さすがソ連国営航空会社でした。

当時、個人手配でシベリア鉄道に乗ろうとした場合
ハバロフスクを起点にするのが一般的だったため
このルートとなったのですが
いきなりパンチを食らった気分でした。

2010年05月13日 9時07分

シベリア鉄道 1991

1991年(平成3年)の秋、
私はシベリア鉄道に乗りました。

写真は、モスクワから357キロの
ダニロフ駅停車中の
「ウラジオストック」発「モスクワ」行『1』列車、
「ロシア」号です。
『1』列車と言えば、言うまでもなくその国を
代表する列車です。

先頭の機関車から最後尾の客車まで
多分、20両位連結されていました。
最後尾をこの写真で確認することはできません。
実は、先頭から列車全体を撮影した写真は
この1枚だけです。

明日から毎朝、シベリア鉄道の乗車記録を
UPします。しばし、お付き合いください。

なお、駅名と距離数は
「地球の歩き方 シベリア&シベリア鉄道の旅
 ’92~’93版」(ダイヤモンド社)を
参照しています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!