中京テレビ

2012年10月22日 21時47分

北海道への道(6)「はやぶさ」から「スーパー白鳥」へ。

「新青森」着12:46で、乗継の「スーパー白鳥19号」の出発は13:03。乗継時間の17分は長いようで短く、まあ雨が降っていたこともありますが、駅の改札を出て駅舎の外景を撮影するほどのゆとりまではありませんでした。

こちらはマクドナルドのハッピーセット『プラレール』の「スーパー白鳥」です。ところで話しが少々脱線しますが、マクドナルドに私が一人で入り、ハッピーセットを買うのは少々“ハードル”が高く感じたので、実は娘に買ってきてもらいました。何が入っているかは封を開けてからのお楽しみと言うことで、2セット購入した内の一つがこれでした。

「スーパー白鳥」はシールが入っており、それを車体に貼り付けて完成となるのですが、これがまた細かい作業で、私はピンセットも使って「やっとこさ」で作り上げたのですが、そのおかげでこれを知りました。

789系「スーパー白鳥」は考えてみれば初乗車で、その乗降用ドアの横には如何にも「青函トンネル」を通過する電車らしく本州北部と北海道の地図が描かれ、その中間の場所がまるでターゲットが如くなっていました。因みにデッキ仕切りドアのガラス部分にも同様の地図が透かしでありました。この電車が存在する目的が明確で好ましく思えました。

 

2012年07月22日 21時17分

北海道「鉄旅」2007,続・塘路~網走。

旅情をそそる風景の一つに「沈みゆく夕日」があります。

「夕日」の名所は世界中にあり、まあそこまで広げなくとも「Wikipedia」で検索したら『日本の夕陽百選』(ここでは「夕日」ではなく「夕陽」となっています)が出てきました。NPO法人 日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会が選定したものだそうですが、愛知県では篠島の「万葉の丘」が挙げられていました。何となく「夕日」は海が似合う感じですが、『日本の夕陽百選』は海の景色だけではなく、都会の地名も出てきます。また私にとって印象が残っている「夕日」は映画『ALWAYS 三丁目の夕日」だったりします。

そうした場所で夕日を楽しむのも良いですが、私は列車の中から見る、流れゆく風景の中で沈みゆく『夕日』も好きです。(相当に強引な展開です)

この写真は釧網本線の「 南斜里」近くで撮影したもので、4738Dの車内から撮影したもので、時刻はカメラの時計で16:18でした。北海道らしい風景と真っ直ぐな線路。そして列車を追いかけているような太陽は、この日の終焉の始まりに相応しく感じました。

「浜小清水」~「北浜」間では、進行方向左側の窓辺に、正に北の大地に吸い込まれてゆくように姿を消してゆく太陽にしばし見惚れていました。時刻は16:48。緯度の高い北海道の秋は、予想以上に日没の時間が早く、それでも1日の終わり、あとは網走まで向かい、ただ寝るだけという10月6日は、私に思いもかけぬ感動的なフィナーレを用意してくれていました。

天気さえよければいつでもどこでも見られる「夕日」。でも心に余裕がなければこのように「写真」を撮ることはないでしょう。しかも動く列車の中から「夕日」を堪能することは条件が揃わなければ…、とここまで書いて、そんな理屈はともかく、今思い出しても「偶然の産物」にただ感謝するのみです。

 

一日の終わりの風景は、旅の中だけではなく、日常の中でも同じだと思っています。それでも“動く列車”と“動く太陽”がシンクロする心象は「鉄旅」ならではないでしょうか・・・。

 

2012年07月21日 23時40分

北海道「鉄旅」2007,塘路~網走。

5年前のことをいろいろ思い出し、昨日の「くしろ湿原ノロッコ号」の続きを書くことにしました。単なる思いつきです。

平成19年(2007年)10月6日、「くしろ湿原ノロッコ号」の車内で、自由席220円也の「細岡」~「塘路」間の乗車券を購入。ペラペラの薄紙の乗車券なので、いつもならなんてことはないのですが、「9330」の列車番号が印字されていればその価値は別です。などと思うのは私の趣味の問題で、一般の観光客には何の価値もないでしょう。ところで今日の写真は、「標茶」駅で撮影したもので、「川湯温泉」発の「釧路」行きです。

平成19年10月期の「くしろ湿原ノロッコ号」は、「釧路」発11:08分、「川湯温泉」着13:18。折り返しの下り列車は「川湯温泉」発13:41、「標茶」着14:34、同発14:42、「釧路」着15:58となっていました。

この日の私の行動は、『ノロッコ』を「塘路」で下車した後、カヌーツアーの事務所で荷物をピックアップし、街中を抜けたところにあったパスタ屋さんで昼食(こんなところといったら失礼ですが美味しくて驚いた記憶があります)をとり、釧路湿原を見渡す場所(もちろん線路も見えていましたが、その時間に列車は走りません。ただ湿原の景色はGOODでした)まで散歩し、「塘路」発14:20の4736D「網走」行きの乗客となりました。

その列車は「標茶」着14:41で、写真の「くしろ湿原ノロッコ号」と交換したのです。

 

そして、「緑」で写真の8737Dと交換。ところで私の乗車した4736Dの列車番号は「摩周」までの番号で、「摩周」からは8736D。そしてこの「緑」からは4738Dとなりました。「摩周」~「緑」間は互いに季節列車なのですが、それにしても通しで3つの列車番号を持つ列車は、特に調べたわけではないのですが珍しいのでは無いでしょうか?

2012年07月20日 21時48分

北海道「鉄旅」釧路湿原。

名古屋で中日新聞夕刊を購読されている方しかわからない話でとりあえずお詫びします。本日(7月20日)の夕刊の10面に北海道『湿原巡り』が特集されていました。(中日新聞の夕刊では毎週金曜日に『旅』の特集があります)その記事に触発されて今日のブログを書くことにしました。

その北海道の『湿原巡り』の“代表選手”と言えばやはり「釧路湿原」であり、「鉄」的には「くしろ湿原ノロッコ号」でしょう。

私が「くしろ湿原ノロッコ号」に乗車したのは今から5年前の平成19年10月6日。ただこの列車の乗車が主たる目的だったわけではなく、平成22年(2010年)3月20日のこのブログで書かせていただいた釧網本線でJR北海道が試験運転していた『DMV』に乗るのが目的でした。少々話しがずれますが、そのDMVは体験乗車するための競争率が非常に高く、もともと乗るのは諦めていたのですが、確か9月頭にJR北海道に電話で問い合わせた時に10月7日なら1席用意が出来るとの話しがあり、二つ返事ならぬ一つ返事で「GO」の返事をしました。(写真は「細岡」駅ホームから撮影した「くしろ湿原ノロッコ号」です)

そしてDMVとセットで旅の目的にしたのが「釧路湿原(釧路川)」をカヌーで下ることでした。

この写真はその時(10月6日)にカヌー上で撮影したもので、もう何年前のことかすっかり忘れてしまいましたが、実はカヌーイストの野田知佑さんがカヌーで釧路湿原を旅するテレビを見て、 一度体験したいと思っており、『DMV』乗車決定の勢いで出かけることにしました。

 

中日新聞夕刊でもカヌーの写真が出ていましたが、それは釧路湿原ではなく「厚岸」の湿原でした。それはそれとして1枚目の写真に戻りますが、カヌーのコースはおおまかに言えば釧網本線の「塘路」から「細岡」の区間です。本来は「細岡」から出発地の「塘路」へは送迎車で戻るのですが、たまたま「くしろ湿原ノロッコ号」を「細岡」駅(定刻11:37発)でキャッチできることがわかり、で駅まで送ってもらい列車で戻ることにしました。

そしてその「くしろ湿原ノロッコ号」の車窓には釧路湿原の風景が広がり、写真で分かって頂けますでしょうか?カヌーも見ることができます。正にこのカヌーに乗って私も湿原巡りを楽しんでいましたが、列車の乗客の方たちはカヌーに向かって手を振り、カヌーの方たちも列車に手を振っていたのが印象的でした。

結果論としては、たった一区間ではありますが「くしろ湿原ノロッコ号」も手に入れることができた幸せな瞬間でした。

「旅」は素敵です。

 

2012年06月15日 18時27分

「スイッチバック 北の鉄道 終列車」(4)。

「三菱石炭鉱業」の乗車券2枚(上の2枚)は、実際に私が使ったものです。片道60円の区間を1日3往復の列車の運行では、等とは考えるまでもないことでした。

 

「三菱大夕張鉄道」とある下の2枚の乗車券は全16枚(内1枚は「大夕張炭山駅」の入場券)のセットで、「南大夕張」駅にて200円で売られていたものの一部です。その全てに「南大夕張」~「大夕張炭山」間が廃止された昭和48年12月15日の日付が入っていました。その中には「三菱鉱業大夕張鉄道」と印刷されたものが3枚、「三菱大夕張鉄道」と印刷されたものが9枚、「大夕張鉄道」と印刷されたものが1枚、それ以外の3枚は社名・線名の印刷がなく、一方で『2等』の文字が入っているものもあって、きっと会社の変遷とは別に、あるものはそのまま最後の日まで使っていたのかもしれません。

何せ、運賃が変わっても「運賃変更」の印を押すこともなく使われていた例は、地方私鉄ではまま見受けられた時代です。

一方、車内乗車券は正に私の乗車時に車掌さんから買ったもので、「南大夕張」~「遠幌」間の小児運賃(30円)のものです。

 

先にも書いていますが、私の乗車時に既に廃止されていた「大夕張炭山」までの全ての駅が入っているだけではなく、発行が「大夕張炭山車掌区乗務員」となっています。

こうして今回、改めて手元の資料を紐解いてみると、30有余年の時間の経過に愕然とするばかりです。

 

『札幌テレビ』に北海道の昭和の鉄道の映像が残っていただけでも、それは貴重な資料といえます。そして今回発売のDVDは「スイッチバック 北の鉄道 終列車」ということで「スイッチバック」シリーズの最終回となるそうですが、以前の2本のDVDも含め、北海道の歴史は『鉄道』と共にあったのであろうと今、思っています。

 

2012年06月14日 18時27分

「スイッチバック 北の鉄道 終列車」(3)。

今回札幌テレビが発売するDVD“終列車”の内容の中に「三菱鉱業大夕張鉄道」の文字がありました。

私が知る「三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」の時代ではなく、恐らくその名の頃に撮影された映像があるものと思われます。

この鉄道の画像データは送ってもらっていないのですが、私は昭和52年2月15日に乗車しており、その時の話しを少しさせていただきます。

まず写真は、国鉄夕張線(今のJR石勝線の支線)「清水沢」駅で、「三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」はここを起点にしていました。私が乗車した頃は「清水沢」~「南大夕張」間7.6キロを僅か3往復が走るだけの路線で、5レ「清水沢」発16:07の私の乗り込んだ車両の乗客は、全員が高校生だった記憶があります。そして彼ら(何故か女子高生はいなかった?)の座る席はどうやら決まっていたらしく、さほど混んでいない車内にも関わらず、私は随分居心地の悪い思いをしていました。

※写真ではわかりにくいですが、客車から『煙突』が見えています。

 

「南大夕張」に16:28に到着し、その着いた目の前にラッセルの「キ1」が止まっていました。本線や駅構内を稼働していないにしろその雄姿を見られただけでも幸せだったと思います。

この日というかこの時の北海道行きは、以前にも書いた記憶がありますが2月9日に「上野」を出発し、戻ってきたのは25日で17日間という今では考えられない“学生”にしかできない「鉄」旅でした。その旅で、当時北海道にあった鉄道線は完乗しています。しかし、DVD“終列車”に入っている鉄道だけでも「胆振線」「岩内線」「歌志内線」「函館本線上砂川支線」「幌内線」と、消えた鉄道が数多くあるのは、きっと時代の流れということでしょう。

2012年06月13日 22時01分

「スイッチバック 北の鉄道 終列車」(2)。

北海道の「富内線」(とみうちせん)と言っても聞いたことが無いというか、その名の線があったことを知っている方が圧倒的に少数派ではないでしょうか?

私のイメージでは昨日の瀬棚線よりもさらに一回り地味な感じです。で本日の静止画ですが、その「富内線」です。

「富内線」は、室蘭本線の「苫小牧」から日高本線に乗り、4駅目の「鵡川」(むかわ)を起点に、沙流川に沿って日高山脈を分けいり「日高町」(ひだかちょう)までの82.5キロという「名古屋」から「米原」や「中津川」よりも長い距離を結んでいました。廃止されたのは昭和61年(1986年)で比較的最近と言っては語弊がありますが、これはあくまでも私の感想と言うことで…。

 

その「富内線」に私が乗車したのは昭和52年の2月17日です。

「日高町」の駅舎の向こう側にチラッと写っているのが、私の乗車してきた4937Dです。「苫小牧」を定刻から13分遅れ(手元の時計で)の11:27に出発しましたが、「日高町」には定刻の14:02に到着しました。

昭和52年当時、富内線の列車はその多くが日高本線の列車に併結されて「苫小牧」に直通していました。旅客の動向に合わせた運用とは言えますが、気動車らしさを生かしていたと今も思っています。

 

ところで…。この後、このまま折り返そうと思うと「日高町」15:23発で「苫小牧」着は18:19です。そこでというのも何ですが、そのまま日高山脈を越え、根室本線の「金山」を目指すことにしました。もともと「日高町」から根室本線の「金山」までは延伸計画もあったので、そんなルートを辿るのもよいかと思ったのもその選択理由の一つです。

 

今日は長文になっていましたが、「日高山脈」を越えて“十勝”に抜ける『日勝峠』は冬でも通行可能な幹線道路で、今では信じられない事ですが、私はヒッチハイクで「金山」より更に遠い「富良野」まで抜けています。

そして「富良野」発16:50の富良野線636Dに乗り「旭川」着18:01の記録が私の手元に残っています。

 

(余談)

富内線の途中に「穂別」という駅がありました。その界隈は今は「ほべつメロン」の産地として知られていますが、そのメロン農家を18年前に訪ね、その後そのまま「日高町」を通りすぎたことがあります。季節の違いはありますが、感慨深いものがありました。

2012年06月12日 23時10分

「スイッチバック 北の鉄道 終列車」(1)。

中京テレビの北海道の系列局『札幌テレビ』ではDVD「スイッチバック 北の鉄道 終列車」をこの8月4日に発売します。

 

それに先駆けて現在、札幌テレビでは、7月16日まで先行予約受付をしています。先行予約特典や予約受付の申し込み等の詳しい情報は札幌テレビのHPでご確認頂きたいのですが、内容の一部の静止画像が届きましたので皆様にご紹介します。

まずは夕張鉄道の重連蒸気機関車「25号」+もう一両の雄姿です。テレビ局の画像ですので、当然動画から抜いた静止画となるわけですが、この画像が動いているとどうなるかについては、私も今回のDVDが発売され、手元に来るまでは予想が付きません。

(こ静止画は、札幌テレビのHPでも出ています。悪しからずご了承ください)

ところでこの夕張鉄道は昭和49年(1974年)に旅客営業を終え、最終的には翌昭和50年に全廃されました。私は、ギリギリのところでこの鉄道に乗車していません。乗ろうと思えば乗れたはずなので残念でなりません。

もう一枚は瀬棚線です。札幌テレビから撮影場所のキャプションをあえてもらっていませんので区間が分かりませんが、静止画から推察できるのは恐らく函館本線との分岐駅「国縫駅」付近ではないかということです。

 

私自身は、この瀬棚線は昭和52年2月24日に乗車しています。ところが、「瀬棚駅」の入場券は手元にあるのですが、写真が発掘できていません。

2012年04月05日 18時13分

北海道「りくべつ」からの便り。

北海道の「りくべつ」ってどこよ?それは北海道足寄郡陸別町です。
というより旧JR北海道地北線、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の「陸別」駅が“あった”町と言った方が通りが良いでしょう。
で、封書の差出人は陸別町商工会。そうっ!届いたのは1通の封書で、タイトルのような“便り”といったロマン漂うものではありません。「便り」としたのはちょっとした“想いありげ”な雰囲気を作ってみたかったからで、まあ許容範囲ということで…。

その商工会が運営しているのが、旧「陸別」駅構内の線路を使った『ふるさと銀河線りくべつ鉄道』運転体験です。(注:構内を利用して運営しているのは運転体験だけではありません。)
このブログでは昨年(2011年)8月10日から私の「運転体験」をUPしており、今回の写真は、その時、7月11日に撮影したものです。

それで今回の封書の内容ですが、「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」が何と!!!「陸別駅構内」を飛び出し今年から『構外』でも運転体験できるという“お知らせ”で、その距離は驚きの『1.6キロ』。もちろん片道です。それを2往復運転することが出来ます。
文書内に「国内初の最大延長路線」とありましたが確かにその通りでしょう。運転区間は駅の直ぐ北見寄りにある『金澤踏切』(上段写真では車両の右奥。下段写真のフェンスの場所)から北見方面に向かった『松浦踏切』間です。

つまり、写真では『開かずの扉』としか見えなかったフェンスが開かれ、そこに「運転体験」の気動車が走るのです。もっとも列車そのものは、これまでもイベントで乗客を乗せてその区間を走ったことはあります。

ただ運転するには2つのハードルがあります。一つはこれまでにここの運転体験で「Lコース」に参加したことがある人。それと1回の料金が3万円であることです。
私は1つ目のハードルはクリアしていますが、もう一つは北海道の陸別町という場所を含め、相当に高いハードルです。
でもハードルの高さはさておき、他の運転体験と異なり、駅構内や車庫を飛び出し、“大自然”の中の“線路”を運転できることはこれから相当な話題になることでしょう。

2012年03月10日 17時42分

JR北海道と台湾鉄路管理局(1)。

※写真は「海底力モニター体験会参加時に撮影」

今回の上段写真は、平成22年2月21日、『C11207号機』が牽引する「SL冬の湿原号」の釧路運輸車両所の出庫を撮影したもので、下段写真は2月19日、釧路運輸車両所の見学時に撮影した同じく「SL冬の湿原号」のヘッドマークを付けた『C11171号機』です。
何れも「JR北海道釧路支社」と「くしろ圏広域観光推進コンソーシアム」が共催した『冬のSLと石炭のマチ・釧路』というツアー参加時に撮影したもので、平成22年2月26日からこのブログでツアー時の話しをUPしています。
(余談)釧路運輸車両所は通常公開しておらず、特別な許可を得て入っており、そのため車両所内で撮影した写真については「海底力モニター体験会参加時に撮影」と必ず書くことでブログ等での使用が認められています。

ここからが本題です。
今回、この「SL冬の湿原号」と台湾鉄路管理局の蒸気機関車が牽く列車が平成24年3月12日に“姉妹列車”の提携を結ぶことになりました。

上記のツアーでお世話になり、その後親交が続いている「釧路臨港鉄道の会」のブログ「つれづれ鉄道日記」(3月9日)にこの話題が載っており、早速そこからリンクが貼ってあった「JR北海道」HPのプレスリリースを読んでみました。
で、3月12日(月)10:35から釧路駅にて『姉妹列車提携文書交換式』が行われ、日本時間の11:09で台湾時間の10:09、JR北海道「釧路駅」と台湾鉄路管理局「新竹駅」の両駅で同時に機関車の汽笛を鳴らし、列車が出発するというイベントが行われることがわかりました。
そうなんです。同時刻に汽笛が鳴るのです。考えただけでもゾクゾクするのですが、どんなに頑張っても2つの汽笛を同時に自分の耳で聞くことは絶対に出来ません。こればっかりは致し方ないですね。

ところで『C11171号機』と『C11207号機』の2つのC11の写真を使ったのは、この記念すべき日の「SL冬の湿原号」が重連で運転されることによるもので、台湾側も蒸気機関車重連の牽引する列車が運転されます。釧網線沿線に「撮り鉄」さん達が並んでいる姿が目に浮かびます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!