2016年03月08日 20時28分

惜別!夜行急行「はまなす」(8)青森駅到着。

昭和が去っていく。

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終着青森駅構内。

昭和48年(1973年)9月6日、上野駅から青森まで乗った急行「津軽1号」の最後尾のデッキで去り行く風景を見ながら感慨に耽っていたことを思い出しつつ、私の夜行急行「はまなす」の旅が終わろうとしていました。

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青森駅到着後の回送用のDE10 1761もスタンバイしています。ところでこの写真を撮ろうとした時、この場所にいた人たちが私に気付いてカメラを入れる場所を作ってくれました。完全にふさがっていた場所に空間が出来たときの感動は語り尽くせません。乗り合わせた皆さんに多謝。

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3番線に到着して直ぐにDE10を連結。

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まだ暫く停車しているようだったので撮影位置を移動。

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6時39分に回送「はまなす」は出発。私にとっての昭和の夜行列車とのお別れです。短い時間でしたがいい旅でした。

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で、終わらない。階段で見つけた「増21号車」の注意書き。確かにこれが無いと乗れない人もいるのかな?最後に思い出が「増し」ました。

2016年03月07日 20時27分

惜別!夜行急行「はまなす」(7)函館駅を間もなく出発。

夜中の函館駅で動き回っていますが、これは全て出遅れた分を取り戻すため。

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午前3時33分頃。既に静まり返った函館駅。こうして撮影していて、まだ出発までには時間があると分かっていても何か落ち着かない。

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よくよく見るとホームの柱の影に数人いるのですがそれはさておき私の夜行列車の『心象風景』。

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自分の座席から見た函館駅の駅名標。

さて私の夜行列車体験ですが、直角シートに座って3連泊とかは学生時代にしていましたが、社会人になって回数は激減し、特に国私鉄全線完乗後はそもそも夜行列車に乗ることが無くなりました。更にいえば国内の夜行列車の寝台で横になったのは生まれてから昨年の「北斗星」までの間に学生時代の「からまつ」、社会人になってから「さくら」の計2回だけ。

別に理由があったり夜行列車を嫌っていたわけでもないのですが、数少ない経験から言っても「トワイライトエクスプレス」だけはどうして無くなると決まるまで「乗る」ということを考えなかったのだろうと今も思っています。惜別。夜行客車列車。

2016年03月06日 20時25分

惜別!夜行急行「はまなす」(6)ゼロキロポスト。

函館駅の外観を撮影するにあたり色々バラエティーに飛んだ撮り方があるなあと思い、そこから選ぶのも難しかったので取敢えず羅列。

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オブジェ。

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少し離れてオブジェ込み。

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北海道新幹線開業まであと36日。札幌駅のコンコースのモニュメントの日数から1日減っている。

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函館駅の巨大ゼロキロポスト。

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一歩近づいてみました。さて駅の雰囲気はどちらが伝わるのでしょうか?

2016年03月05日 20時23分

惜別!夜行急行「はまなす」(5)のびのびカーペット。

7号車(自由席)は札幌出発時には結構乗っていた覚えがありますが函館ではガラガラ。

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皆さん下車して撮影に飛び回っているということではなく、それは網棚の荷物等で判断したのですが、東室蘭辺りまでで下車された方が多かったのではと推察しています。

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4号車ののびのびカーペット車を見ているとナンだか犬かネコといった動物の顔みたいに見えました。

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2:52に到着して3:56の出発。到着から20分ほどするとホームに降りて立った人たちもベッドに戻り、減光されていない通路の灯りを除き『夜行列車』の雰囲気を取り戻していました。

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「増21号車」などという表示は「はまなす」以降も生き残るのでしょうか?と思わず感傷に耽る。

2016年03月04日 20時20分

惜別!夜行急行「はまなす」(4)函館駅到着。

鉄ちゃんには知られている「桑園駅」と「苗穂駅」近くにあるスーパー銭湯。私がどちらに行ったかはともかく札幌市電撮影後に早々に入り、のんびりお風呂に入った後はそこで晩御飯。それでもまだ時間があったので広間でゴロンと横になって鋭気を養っていました。

そうそうそのお客さんたちの中には“お仲間”と見られる方たちもおられ、皆同じことを考えるものだと自分の事を棚上げして勝手に思っていました。

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気力十分で札幌駅を旅立ったはずがいつの間にか爆睡。気付いた時は函館駅停車中で既にDD51の姿は無し。

 

2016_02_18~19 はまなす_57ED79 13も既に連結されていてまったくもって何てこったい。もっとも14系客車のエンジン音が無かったらそのまま青森までスルーだったかも。

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一応お約束の1枚。

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ED79のヘッドマークを車内から。これもお約束のショットですね。

2016年03月03日 20時16分

惜別!夜行急行「はまなす」(3)JR印のゆかた。

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4番線ホームでは、DD51の前で記念撮影する人たちがなかなか途切れず、その隙間を縫っての一枚。本当は私も誰かに記念写真を撮って貰おうかと思ったのですが、人が多かったので時間がかかるであろうことは潔くギブアップ。

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最後部の7号車のヘッドマーク。

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1号車の連結部から見たDD51のヘッドマーク。客車の行灯が写り込んでいます。

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ここが私の今日の宿。

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ゆかたの記念撮影。実は「北斗星」「トワイライトエクスプレス」に続いてこの「はまなす」でも袖を通していません。まあ記念写真用に一度着ても良かったかなと思っても後の祭り。

もっとも私だけではなく「はまなす」では着替えていた人は見かけなかったような…。

2016年03月02日 20時13分

惜別!夜行急行「はまなす」(2)札幌駅4番線入線。

「はまなす」の入線を最初は4番線で撮影しようかと思っていたのですが、駅員さんから21:38入線と聞いたので、それならばと5番線で待つことにしました。

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ゆっくりと定時に入線。4番線ホームも賑わっていますが、5番線にも多分、2~30人はいたはず。

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到着!

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なんだかこれを撮影しただけで結構満足している自分、

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北斗星色のDD511148。前にも書いたことがありますが、昭和の時代にはよもやDD51がこれほど注目を浴びる時代が来ようとは思ってもみませんでした。もっともそんな私も今では国鉄色のDD51に心惹かれ、北斗星色に現(うつつ)を抜かしている訳で、人のことを言える筋合いではありません。

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「SLLEPING CAR HAMANASU」のエンブレム。終焉を控えて少し色あせているように見受けましたが、それでも私には十分な輝きを持っているように見えました。

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スハネフ14 552が今夜のお供。停車中はディーゼルエンジンの音が響く14系を体験できるのもこれが最後と思わばその“轟音”も子守唄の如くです。とあたかも14系に何度も乗っているように聞こえますが、寝台車・座席車とも多分今回が『お初』のはずです。トホホ。

2016年03月01日 20時59分

惜別!夜行急行「はまなす」(1)1号車7番下段。

平成28年(2016年)2月18日、北海道新幹線開業まであと37日の日でした。

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札幌駅コンコースのモニュメントを見ているともう直ぐ開業することを実感。

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その近くにあった「特急号車案内4番のりば」の案内看板にはまだ北斗星がありました。その北斗星に最初&最後の乗車をしたのは昨年の1月27日。11号車1番の下段。それも今や懐かしい思い出です。

この案内にはトワイライトエクスプレスがありませんが、北斗星が昨年8月まで臨時列車で残っていたからでしょうか?多分、間違いないでしょう。

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札幌駅の改札にある案内表示に「急行はまなす」の文字が出ました。それに合わせて私もホームに移動。

私は特にこの列車に乗ろうというアクションを考えたことはこれまで一度もありませんでした。しかし最後の定期急行の終焉(JR)でありかつ客車による定期夜行列車の終焉ともなれば話しは別です。

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旅立ちのお約束、駅名標。

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乗車位置を確認。

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最初にして最後の「はまなす」は1号車7番の下段。発行駅が札幌なのはJR北海道のネット予約で購入したからで、10時打ちの時は実は下段ではなく上段が取れていたのですが、それから数日後に下段を取り直しました。1月18日時点で「はまなす」のチケットは比較的取りやすく、またキャンセルも結構あったように思います。とはいうものの2月18日の「はまなす」の指定席は全て完売。通常の7両編成にB寝台を1両追加(増21号車)した8両編成でした。

2016年02月26日 20時48分

789系と新千歳空港駅。

平成28年3月26日(土)にJR北海道では大規模なダイヤ改正が行われます。ここ新千歳空港を発着する列車にも大変化があり、快速江アポートは6両編成で統一され、一方で旭川に直行する列車はなくなります。

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で、新千歳空港14:18発のエアポート143号~スーパーかむい23号旭川行きに乗車。この列車に乗ったのは時間の都合によるたまたまなのですが、一寸得した気分。

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789系(&785系も)の姿をこの駅で見られるのももう暫くの間なのですね。もっともカバン一つの身軽な時はともかく、そうでなければ2ドアのしかも5両編成の列車は個人的には今一つの存在でした。

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車内にあった懐中電灯。いつからこうしたものが装備されていたのでしょうか?789系には昨年の夏にも乗っているのですが気付きませんでした。

2016年02月25日 20時31分

厳冬の北海道への旅立ち。

2月18日(木)の昼下がり。

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中部国際空港から札幌へと旅立ちました。

その1番の目的はまあ察しがつく方もいるかと思われますが、

1)札幌市電の新規開業区間の乗車

2)急行「はまなす」の乗車

※カシオペアは10時打ちに4回チャレンジするも撃沈!

以上の後は19日(金)に仙台に移動し、

3)仙石東北ラインに乗車

4)復旧した仙石線乗車

5)復旧した石巻線女川駅探訪

更に20日(土)は東京~横浜を回りました。

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それにしても飛行機の前後の名鉄、JRの運賃を含めても新幹線で東京に行くより安い時代が来るとは驚きです。

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荷物を預けていたので、いつもの機体前方&通路側ではなく機体後方のA席に搭乗。風景を堪能しつつの快適なフライトとなりました。

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北の大地が見え始めました。しかし雪が無い!と思っていたら直ぐに白い風景となり、何故だか安心しました。

(追伸)昨日始まった「NAGOYA-DAGAYA」展ですが、14時からのテープカットのセレモニー後、河村名古屋市長、堤監督さんらに「懐かしの名古屋の鉄道アーカイブ」の展示をご覧頂きました。

NAGOYA-DAGAYA5

NAGOYA-DAGAYA6

遅まきながら報告いたします。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!