2016年02月23日 20時16分

私的昭和の鉄道/北海道(5)海峡線。

昭和63年(1988年)7月1日。その年の3月13日に開業した海峡線/木古内~中小国に乗りに渡道。

津軽海峡冬景色の時代に2往復した海峡を空から眺めて名古屋からANA391便で函館に直行。

1988_07_01JR海峡線

函館駅は曇り空。

1988_07_01JR海峡線2

10:39発の快速「海峡6号」に乗り込みます。津軽海峡線(これは愛称名)専用のED79形に牽かれる客車列車は平成26年ともなると風前の灯。良い時代だったなあ。

1988_07_01JR海峡線3

奥に連絡船施設(貨車航送用)が後ろに見えています。使われなくなり暫く経っていましたがこうして見るとまだ現役感がありました。

1988_07_01JR海峡線4

この時は普段撮影していない「はこだて」の駅名標を撮影していたりしています。

1988_07_01JR海峡線5

「海峡」のヘッドマークも勿論撮影しています。定期の快速列車のヘッドマークは恐らく日本ではここだけで、やはり私自身、同じ昭和63年4月10日に開通した本四備讃線と合わせて日本の4つの島が一つになったこともあって気合が入っていたようです。

1988_07_01JR海峡線6

「入り口から30km」。今見ても感慨深いものがあります。そして青森には13:18の到着。

※本四備讃線は昭和ではなく平成に入ってからの平成元年(1989年)12月28日に乗りました。

2016年02月22日 20時14分

私的昭和の鉄道/北海道(4)石勝線。

昭和56年(1981年)10月1日。石勝線千歳空港(現・南千歳)~追分および新夕張~新得間が開業しました。

ということで同年10月20日に石勝線乗車。

1981_10_20石勝線・夕張・楓

帯広を基点に12:25発の「おおぞら4号」に乗り、14:23に新夕張で下車。

1981_10_20石勝線・夕張・楓2

そして何故か2度目の夕張に到着したのは15:10。そしてまたもや5分間の滞在で折り返し列車に乗り、新夕張着15:41。

1981_10_20石勝線・夕張・楓3

新夕張発16:00の楓行きに乗り、石勝線で一駅の楓着16:10。

楓駅は元々夕張線の登川支線(紅葉山/現新夕張~登川)の中間駅だったのですが、石勝線開通当時、新夕張~楓間に一区間だけの普通列車が6往復設定されており、それに乗りました。新夕張~新得間にもかつて特急以外の普通列車が走ったこともあったという時代のお話しです。

2016年02月21日 20時13分

私的昭和の鉄道/北海道(3)札幌市電そして富内線日高町駅。

昭和52年(1977年)2月17日のスタートは札幌市電から。

1977_02_17札幌市電すすきの

すすきのを6:52に乗り、西4丁目に7:35に到着。

この後、札幌の地下鉄を完乗し、9:21にさっぽろ駅に到着。

続いて札幌発8:58の急行すずらん2号で苫小牧へ。そのすずらん2号は定時なら乗れなかったのですが、9:34と遅れての出発だったことで乗れました。冬の北海道では列車の遅れは想定内のため、すずらんに間に合ったことでこうした選択をしたはずです。

1977_02_17日高町

苫小牧発11:14(実際には11:27)の4937Dで富内線日高町駅へ。到着は14:02(定時)。「12月25日祝SLホテルオープン」の横断幕があり、前年の年末に79616(9600形)+寝台車を使った宿泊施設がオープンしていた様ですが、この頃は脇目も振らずに乗り鉄をしており、今思えば泊まればよかったなどという感想となりますが、後の祭り。

この写真を撮影後、冬場も通行止めにならない国道274号線日勝峠(日高地方と十勝地方を結ぶ)をヒッチハイクで越えて富良野に抜け、その日は旭川に泊まっています。

それにしても北海道の方は本当に親切でというか、当時はヒッチハイクで旅する若者も多かった時代なので、多分ドライバーも慣れていたものと思います。

1977_02_19常呂駅

2月19日の勇網線(中湧別~網走)常呂駅。昭和49年2月10日に中湧別~常呂間を乗っていたものの、その時は勇網線全線を乗っていません。理由は…、雪害で中湧別から乗って列車が常呂で打ち切りになったためです。

昭和49年当時はまだ全線完乗など考えていなかったのでそれほどのダメージは無かったのですが、昭和52年にこの駅前に立った時は、結構メゲた気分した。

で、定刻13:12(実際には13:17発)の925Dで勇網線完乗。

1977_02_19美幌駅

相生線と言っても兵庫県ではなく北海道の美幌~北見相生を結んでいた線。その起点である美幌駅。

15:47発の727Dに乗り北見相生駅着16:53。そもそもこの相生線は釧路まで結ぶはずだったということでこの日は阿寒湖まで行き、翌2月20日に釧路まで抜けました。

2016年02月20日 20時11分

私的昭和の鉄道/北海道(2)夕張線夕張駅。

昭和52年(1977年)2月15日は、道央の炭鉱路線の乗りつぶし。歌志内線~幌内線~万字線と乗り、夕張線夕張駅15:12着。それにしても雪が深い。

1977_02_15夕張駅_1

後ろに写っている炭鉱の建屋のつららが長い!

1977_02_15夕張駅_2

この頃はまだ炭鉱は生きていたのでしょうか?それにしても最末期であることは間違いありません。

1977_02_15夕張駅_3

セキ(後方の貨車)は現役。

折り返し15:17の732Dに乗っているので写真は以上。それでも撮っているだけ私にとっては例外中の例外。

2016年02月19日 20時59分

私的昭和の鉄道/北海道(1)深名線。

1977_02_13朱鞠内駅

取り留めもなく、また脈絡も無く書いている「私的昭和の鉄道」のシリーズ。今回は北海道です。就職直前の丁度今頃、厳冬の中、乗りつぶしに邁進(まいしん)していました。

ということで昭和52年(1977年)2月13日の今は無き深名線(深川~朱鞠内~名寄)の朱鞠内駅。深川発6:37の921Dに乗り朱鞠内着8:48。ここから名寄行きの943D(朱鞠内発9:31)に乗り継いでいます。

朝ごはんを食べていなかったのでどこかでパンでも買おうと思い駅外に出たもののお店やさんはなく、やっと見つけた食料品店でカップヌードルを買い、お湯を分けてもらってパクついた記憶あり。駅の温度計が氷点下20度を下回っていました。

1977_02_13浜頓別駅

深名線のお次は美幸線に乗車し、その後は天北線の急行で浜頓別へ。

303D急行「天北」は定刻から33分遅れの16:40に到着。そのまま興浜北線929D(浜頓別17:05~北見枝幸17:51)に乗り、興浜北線の雄武に付いたのは結構な夜中だったと思います。

因みにということでは無いのですが、北見枝幸~雄武間はヒッチハイクをしています。大型トラックに乗せてもらいました。この区間はバス路線もあったのですが、時間の関係だったのかもしれません。

また雄武で泊まった旅館は、その日親戚の結婚式とかで臨時休業していたのですが、それをわざわざ開けてくれ、しかも披露宴の残りだけど…とか言いながら晩御飯も(無料で)用意してくれました。(多謝)

1977_02_14北見滝ノ上駅

今日の最後の写真は、2月14日14:53に辿り着いた渚滑線(しょこつせん)の終点北見滝ノ上駅。

2015年09月30日 20時26分

留萌本線/増毛への旅(8)乗車券と和三盆の関係。

青春18きっぷで巡った「留萌本線/増毛への旅」ですが、帰路の深川~札幌間は特急を利用しているので乗車券も別途購入です。

乗車券+特急券

往路の深川駅で時間があったのであらかじめ購入しておいたのですが、帰路の乗継時間が短かったため、深川駅の自動改札機を通していません。そのため通常なら乗車券の左側に印字される各種情報はありません。車内で車掌さんの検札を受けた印があるもものの考えようによっては珍しいパターンの切符ともいえます。

それはそれとして記念に乗車券・特急券を頂いたのですが、北海道の地図入りの印は良い思い出になりますね。

青春18きっぷ 縮小

こちらは私が使った青春18きっぷ。

JR奈良駅で発券し、

1)JR西日本…7月25日(奈良駅)

2)JR東海…7月31日(金山駅)

3)JR東日本…8月1日(西川口駅)

4)JR北海道…8月22日(新札幌駅)

5)JR四国…9月6日(高松駅)

の5つの印があります。

えっ?四国にも行ったの?とかはありえない話しで、実は私の知人で、青春18きっぷで旅をし、各地で写真を撮るのを趣味にしているYさんという方がいて、この切符の5回目を使うあてが無かった私はYさんに残り1回を自由に使ってくださいと渡し、そして何とYさんが四国に渡り「青春18きっぷ」を5社コンプリートしてきてくれました。

18きっぷマニアの間では、例えば今回のきっぷであれば更にJR九州で発券し、6社完全制覇が“究極のあり方”とは聞いていましたが流石にそれは…。

和三盆

Yさんからお土産で頂いた四国の名物「和三盆」は美味しく頂きました。(感謝)

2015年09月29日 19時23分

留萌本線/増毛への旅(7)そして北斗星はもう帰らない。

2015_08_22 留萌本線増毛_111

深川行きの列車は、来るときと同じように峠下で18:44の定時で交換。

因みに私の隣にはもう一人同好と見られる方が同じシーンを撮影されていました。わかるなあその気持ち。(共感)

深川からは3分乗り継ぎで19:14発のL特急スーパーカムイ42号に乗車(自由席)。札幌には20:20に到着しました。

2015_08_22 留萌本線増毛_113

そしてまず向かったのは「北斗星」が旅立った4番線ホーム。私がここから「北斗星」の乗ったのは今年の1月27日。思えばまだ半年ほどしか経っていないのですね。特急寝台としてのブルートレインの終焉を改めて実感していました。もうここに北斗星が戻ってくることも出て行くこともありません。

2015_08_22 留萌本線増毛_115

ここからは現実ですが、この札幌駅長からの“お願い”が次に必要になるのは「はまなす」「カシオペア」の終焉の時でしょうか?

2015_08_22 留萌本線増毛_117

(おまけ)

新千歳空港を8時に出た帰途のANA便。窓の外を覗いていたら何と「ブロッケン現象」に遭遇しました。雲に写った飛行機の影の周りに薄っすらと虹があるのが分かりますでしょうか?

私にとって生まれて初めての経験でした。(感動)

留萌、増毛、羽幌

(昭和52年の入場券)

昭和52年2月12日は羽幌線と留萌本線に乗車しました。その時の駅や沿線風景の写真が1枚も残っていないのでせめてと考え、購入した入場券をUPします。

注目は「留萠」駅の入場券。実は現在、「留萌」と駅名の漢字表記が変わっています。Wikipediaによれば『1997年(平成9年)4月1日』に変わったとのことで、そんなに昔の話ではないものの、自分の年齢を改めて感じ入ってしまいました。

2015年09月28日 20時10分

留萌本線/増毛への旅(6)日本海に沈む夕日。

さて帰路の増毛から留萌の間が、実はこの日最大の山場。日本海に沈む夕日を見つつ、それを撮影できるかどうかの勝負の時間でした。

この日(平成27年8月22日/土曜日)の増毛の日の入りの時刻は18:29。留萌で18:28。

列車から、太陽が海に沈む瞬間は望むべくもありませんでしたが、それでも夕景は見られるだろうと思ったこともここをこの日に訪れた大きな理由でした。と言いつつ天気予報は回復傾向と出ていたものの、深川と留萌の間では雨もあったりして、今回のチャレンジはそこまで(夕日を)期待するには無理があったかもしれないと思ってもみたりしていました。しかし、神は我を見捨てませんでした。「北斗星」の見送りを諦めた甲斐がある結果となりました。

2015_08_22 留萌本線増毛_100

まずは「礼受(れうけ)」駅で貨車駅舎と夕景の組み合わせ。

2015_08_22 留萌本線増毛_103

18:10頃には息を呑む美しさが私を包みました。他の乗客の方達の行動も、そして列車の走る音さえも私には聞こえていませんでした。

2015_08_22 留萌本線増毛_105

18:13。太陽は見る見るうちに水平線に近づいていきました。この列車の走る時間があと15分後なら…。そんなことも頭をよぎりましたが、それは贅沢と言うもの。

北海道のこの地でこれほどまでに美しい夕日を見られただけで幸せなひと時でした。

2015_08_22 留萌本線増毛_107

留萌駅にあった「日本一の夕陽のまち」の看板の言葉にうそ偽りはありませんでした。

このブログをお読みになった方でここを訪れようと思った方は是非、夕陽の見やれる時間をお勧めします。勿論、天気予報のチェックをした上ですが…。

2015年09月27日 20時08分

留萌本線/増毛への旅(5)増毛駅到着。

2015_08_22 留萌本線増毛_78

増毛駅には17:39の定時着。

2015_08_22 留萌本線増毛_82

昭和52年(1977年)2月12日以来に来てから、本当に久しぶりに辿り着きました。

2015_08_22 留萌本線増毛_85

手前の建物が40年前にあったかどうかは記憶はありませんが、奥の建物は間違いなく当時と同じものだと確信しています。

2015_08_22 留萌本線増毛_88

広い駅構内を狭く撮ってしまいましたが、折り返しが17:47とあって許された時間は僅か8分。

乗ってきた人だけではなく、この列車の到着を待ち受けて撮影している人たちも10人近くおられ、今日の写真では分からないと思いますが、実は結構人がいました。

やはり廃止されるかもしれないとの発表のあったことが影響していると思われました。

因みに終点まで乗ってきた人の大半はそのまま折り返しの列車に乗車。既に皆さん、顔見知り状態でした。

2015年09月26日 19時58分

留萌本線/増毛への旅(4)日本海が見えてきた。

留萌駅が近づいてきました。

2015_08_22 留萌本線増毛_56

昭和62年(1957年)までは羽幌線との分岐駅であったり、それ以前は炭鉱鉄道もあったりしたことから広い構内があります。

2015_08_22 留萌本線増毛_60

17:07着の08発では如何ともし難かったですが、できればここ留萌から増毛間のスタフ閉塞式に対応した駅員さんと運転士さんのスタフのやりとりを撮影したかったのですが案の定撮影できませんでした。

2015_08_22 留萌本線増毛_61

留萌駅を出て暫くすると進行方向右側に海が見え始めます。(写真は瀬越駅付近)

この風景、やっぱり良いなあ…。

2015_08_22 留萌本線増毛_66

車両1両分にも満たない阿分(あふん)駅。この風景も北海道らしさを感じます。同乗の鉄ちゃん達も盛んにシャッターを押していました。

2015_08_22 留萌本線増毛_71

箸別(はしべつ)駅近く。終点の増毛はもう直ぐです。

旅情を感じていたひと時です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!