“大阪名物”「赤川鉄橋」の銘板は「赤川仮橋」となっていました。さてこの橋が有名なのは全国でも珍しい鉄道と歩行者の共用橋だからで、その風景を目指してこれまでも多くの「鉄」ちゃんを集めてきました。
「赤川鉄橋」=「淀川橋梁」は大河である「淀川」に架けられており、そもそも複線の線路が敷ける橋なのですが、これまではそこに単線の線路があっただけで、もう単線の部分を利用し、人(自転車を含む)が渡ることが出来るようになっていました。しかしこれまで貨物列車専用だったこの城東線は旅客列車も走る線として生まれ変わることになり、今月限りで「人の道」が閉ざされることになりました。
人が歩く部分を下から見たら板張り。大阪市交通局のHP「大阪ディープスポット(赤川鉄橋)を紹介します」によれば、昭和4年(1929年)からもう80年の歴史があるそうです。(検索でこのHPを見つけた時は笑えました)
さて14時頃近くなり、EF200-4が牽く1092レ(佐賀・鍋島発百済貨物ターミナル行き、吹田貨物ターミナル発13:50)が見え始めました。私のいた橋の南端だけでも20人近くの同業者+市民の方がおられ、橋の上に50人近くはいたような気がしました。平日(木曜日)の日中にも関わらず…。もっとも私もそこにいたのですから人のことは言えませんね。
今話題の大阪市にあるJR貨物城東線「淀川橋梁」。通称の「赤川鉄橋」の方が地元の方、「鉄」ちゃんには通りが良いでしょう。
そこに向かったのは10月17日(木)。突発的に休みが取れたので躊躇なくそこを目指しました。
午前中に訪れたところはまた改めて書きますがそれはともかく、JRの「大阪駅前」を12:58発の大阪市営バス34系統「守口車庫前」行きに乗車し、20分ほどで「赤川三丁目」に到着。出かけるまではこの移動が結構心配の種だったのですがバスは10分も待たずに次々来るのでこの点はホッとしました。
バス停から赤川鉄橋までは歩いて10分もかからないはず。ノンビリと商店街を抜けて行きました。
※食堂や喫茶店もあり、そこに入ればトイレも使えます。(大切なことです)
なお赤川鉄橋の近くにはトイレを借りられそうな場所は無さそうでした。
「おおさか東線」の工事現場を横目にひたすら歩きます。
と、突然目の前にバス停!「聞いてないよ」状態でしたが、京阪バスの「都島区」内を走るバスで、「赤川3丁目北」には地下鉄都島駅(谷町線)からアプローチは出来るのですが何せ1時間に1本で、現実的にはやはり「大阪駅前」からのバスが便利です。
いよいよ「赤川鉄橋」が見えてきました。自転車の方が坂道を登っていました。
列車の通過までまだ30分以上あるのですがもう先客の姿が見えました。
昨日、名残りの写真をUPしてその後、過去に撮った写真の中で桜の写ったモノはないかと1時間ほど探したものの……フィルム~デジタルの時代にいたるまで「桜駅の桜」というか車両と絡んでいたのは、昨日の踏切の写真ただ1枚だけ!
この写真は昭和48年(1973年)3月28日撮影、場所は関西本線笠置駅。日本屈指と言っても過言ではない、「鉄」にとって桜の名所でした。
実はよく見ると色付き始めているのですが、残念ながらと言ったところでした。当時は、桜の開花情報をネットで検索などできるはずもなく、大学入学を前にした私は何の情報も持たずただ可能性に賭けて、自ら憤死したのでした。
この時は、撮り鉄だった同級生(高校生にして冬の北海道遠征も行っていたと記憶しています)に誘われて出かけたのですが、私自身は「もう一週間遅く来ていたら…」というような悔しさを覚えた記憶がないことから、ただ蒸気機関車の交換を撮影しただけで満足していたようです。
三脚も使わず手持ちでの撮影。水平が今一つです。サイズも甘く…今改めて見ても拙い写真だと感じています。
この頃はまだ撮影に出かけていた頃で、それから数年後、手間暇をかける気力と持久力・体力、そして何より映像のセンスが必要な撮り鉄から、時間と資金さえあれば楽しめる乗り鉄に転向したのは賢明な選択だった気がします。
6000系の特徴は、今の時代にあって4扉片開きだと思っています。この6000系以外では私の知る限りにおいて京浜急行800系くらいでは無いでしょうか?大都市圏ではそもそも一般車(通勤車両)の片開きは絶滅危惧種となっているとさえ思われます。余談ですが南海電鉄の公式HP内「鉄道博物館~現在の車両」の中に、6000系は見当たりませんでした。
この6023号は昭和42年(1967年)の東急車両製、その後、昭和62年(1986年)に南海車輌工業で更新されているのが見て取れました。
余談ですが南海には4扉ながら単車で運行できる電車がかって存在し、写真は高師浜線に乗車した昭和54年(1979年)10月14日、南海電鉄「羽衣」駅で撮影したものですが、当時の記憶を手繰ってみると単行の4扉車に「へえーっ」という漢字だったと思います。
さて6000系に話しを戻しますが、誕生してから45年経った今も、勿論、更新工事等は行っているにしても大都市圏の急行電車として現役であるというのはやはり鉄道という交通機関の大きな特徴でしょう。車や航空機との単純比較はあまり意味がないことかもしれませんが、思わず書いてしまいました。
今日からこのブログも通常ダイヤに戻ります。
昨年の11月17日(土)、この日は中京テレビで12月16日に放送した「第2回こども鉄道博士選手権」の準決勝の舞台となった名古屋10:00発の「南紀3号」を見送った後、私は大阪に向かいました。
目的は「第11回全国路面電車サミット 2012大阪・堺」に参加すること。以前からこの『路面電車』サミットの存在は知っていたのですが、なかなかスケジュールが合わず、昨年、やっとその想いが叶いました。
サミット自体は前日の11月16日(金)も開かれており、その主な内容は例えば16日であれば
*講演「地域鉄道・路面電車を取り巻く現状と支援制度について」
*講演「LRT等の公共交通と集約型まちづくりについて」
17日は
*講演「公共交通導入で賑わうフランスの地方都市」
*パネルディスカッション「路面電車とまちの再生」~チン電復権が持つ意味~
等となっています。なお、ここで列挙しなかったイベントもありますがその選別に他意はありません。ご了承ください。
さて、会場となった「堺市総合福祉会館」の最寄駅は南海電気鉄道(以降は南海電鉄と表記)の高野線「堺東」駅。ということでまずは「難波」駅へ。「難波」は本来は漢字のはずですが、表記はひらがなの「なんば」となっており、便利で分かり易いのではあるものの昭和の時代からこの「なんば」だったかどうかまでの記憶は定かではありません。
ともあれ11:48発の急行「林間田園都市」行きに乗車。写真は6023号(6000系)で、南海の通勤車両に乗るならやはり平成24年でもこの電車だよね!と得した気分になりました。
新大阪駅に「蒸気機関車から新幹線へ」という展示があります。私は「新大阪」駅を私用・仕事を合わせ、少なくとも5~60回は使っているはずですが、この展示をしっかり見たのは今年の2月22日でした。
そうなんです。「近鉄の名阪ノンストップ特急」(3月13日~UP)、「阪堺線」(3月28日~UP)、「新幹線300系の名残り乗車」(3月8日~UP)に出かけた正にその日でした。
阪堺線に乗った後、新大阪に直行し、少々時間があったので、この展示の場所でしばらく時間を費やしました。
左から蒸気機関車29600(9600形)の動輪、蒸気機関車C57155(C57形)の動輪、新幹線21-50(0系)の車輪です。C57の動輪の大きさに圧倒されますが、それにしても新幹線の車輪が思っていたより小さく感じたのが意外でした。
また新幹線の車輪は『動軸』で、歯車が見えるように展示されており、「成程!」です。
さてこの展示はいつからあるのでしょうか?この場所に設置されていた解説の銘板には「東海道新幹線開業20周年を記念…」「昭和59年10月1日」「日本国有鉄道新大阪駅」とあり、すでに四半世紀を越える時間が過ぎており、それを見た私は、正直言ってあまりの古さにぶっ倒れそうになりました。「あったのは知ってはいたのですが…」等と言いつつ、そんなに時間が経っていたとは自覚していなかったこともあり、自分自身に呆れ返るばかりでした。まあそんなものですね。
因みにこの日、16:50頃にこの場所にいたのは、待ち合わせの人、静かな場所で携帯電話で話しをしたい人(何と!入れ代わり立ち代わり)といったところで、この展示の見物客は皆無でした。(私を除き…)
土・日とか夏休みといった時期には多少でも見学者はいるのでしょうか?新大阪駅で10分の時間があれば、この場所を見学するのは一興です。
当初、今回のシリーズは「大阪アンモナイト」と一捻り(ひとひねり)した訳の分からない怪しげなタイトルにしようかと思ったのですが、何か昭和の時代に遡ったタイトルみたいで平成らしくないと思い直し、ストレートな「大阪駅のアンモナイト化石」にしました。皆さんから「だから何なのだ」と言われればそれまでですが…。
さて、3個目の「アンモナイト」です。少々形は崩れていますが、これも「アンモナイト」だと私が信じています。
ところでこの「アンモナイト」探しですが、結構勇気がいりました。何せ、人通りの多い中央コンコースで、1本1本の柱を見ていくのですが、私のような白髪の男性が柱の模様をまじまじと見ている様は不思議な光景でしょうし、なおかつ柱のところで待ち合わせをしている人も多く、その方たちに移動してもらうことは憚られ、そこは避けて通らざるを得ませんでした。また例えば行きかう人々が「ハッピーアンモナイト」の存在を知っていてくれれば、私も躊躇せず堂々と振る舞えるのですが、これがそうはいかない訳でして、もっとも若い女性のグループやカップルであれば、「ハッピーアンモナイト」を探していると公言しても、『素敵ですね』と言われるのでしょうね。少々卑屈な語り口調ですが、これは大阪駅の中央コンコースに立てばご理解いただけるかと思うのですが、つまりは、はっきり言って他の方にすれば『迷惑』が掛からないとは言い切れない部分があるということで、これはただ見るのであれば良いのですが、何せ写真を撮っているものですから・・・。
さて、私にどんな“幸せ”がやってきたのでしょうか?
きっと見つけた「アンモナイト」の数だけ幸せが来るのではなく、それが1個であってもお釣りが来るくらいの“幸せ”が来るのだろうと綺麗に纏めつつ、こうして趣味のブログを書いていられる状況が私にとっての一番の“幸せ”ということなのであろうと一人、得心していました。
こういうのも何ですが、大阪駅の表情の変貌ぶりは私がついていくにはなかなかシンドイものがあります。こうして写真を撮ってみても、いつからこの建物が建っているのだろうと思ってしまいました。
何せ、私にとって大阪駅は“下車”する駅ではなく“乗り換える”駅で、一番よく使うルートは東海道線~大阪環状線です。大阪はやはり『私用』ではなく、『仕事』で行くことが殆どで、ほぼ年に1回は行っている割には『駅』を観察することは“まず無かった”というレベルでは無く、“全く”ありませんでした。
ということで、発見した「ハッピーアンモナイト」の2個目です。つまり2つ目の幸せが私にやってきたことになります。
そもそもこの「アンモナイト」は見つけ難いのです。もっとも簡単に見つかるなら「ハッピーアンモナイト」などと呼ばれる訳がありません。大理石の柱の模様にしっかり溶け込んでおり、同じ柱を上から下から左から右から何度も見てやっと見つけました。(決して大袈裟ではないと思います)
当初私は、しっかり探せば5~6分で幾つかは「見つかるであろう」と高をくくっていました。それが如何に甘い考えだったかは直ぐに思い知らされる事態となり、結局20分ほど歩きまわって3個を見つけました。恐らく10個も存在しないであろうとは思うものの、4~5個はあるのではと思っていますが、さて如何でしょうか?
もう2年ほど前でしょうか?JR西日本「大阪」駅の中央コンコースの大理石の柱に、『アンモナイトの化石が潜んでいる』といったような新聞記事を読んだことがあり、その記憶を辿って5月22日に探してみました。
で見つけたのがこの写真の“模様”です。
その瞬間の私の気持ちをお察しください。
綺麗な渦は間違いなく「アンモナイト」。別に私は化石が好きだということはないのですが、それでも“探し物”が見つかったのはとても嬉しいことでした。
アンモナイトのあった柱がこれで、真ん中の横線の直ぐ下、やや左寄りの場所にアンモナイトの化石があるのがお分かりいただけるでしょうか?場所は…、探す楽しみを奪うことは出来ませんので、これ位にしておきます。
別に勿体をつけるつもりはないのですが、私がこのアンモナイトは探していたのには理由があります。実はこの「アンモナイト」、別名「“ハッピー”アンモナイト」と呼ばれており、見つけると『幸せ』になれると言われています。ということで、皆さんが“幸せになれる”チャンスを私が奪うことは出来ませんので悪しからずご了承下さい。
俗にいう『都市伝説』の一つでしょうが、それを信じて探すのも面白そうだとは思いませんか?
もっともこの柱の写真でも十分に「種明かしのし過ぎである」とお叱りを受けるかも知れませんね。