2011年10月17日 18時05分

鉄道の見える部屋/京都「新・都ホテル」編(2)

上段写真の撮影時間は8:32で、下段写真が8:40です。

上段・下段とも一番手前は「クハ221-24」で、奈良線の朝の
ラッシュ運用を終えて、側線でしばしの休憩(?)といったところでしょう。

次に上段写真の一番奥は、智頭急行HOT7000系で、
画面左側から右側に走っています。
ということは折り返し「スーパーはくと3号」(京都発~鳥取行き)と
思われ、その京都発は8:52なのでそのために京都総合運転所から
回送での入線でしょう。
その手前は恐らく京都発18:31の新快速姫路行き。

下段写真の一番奥は京都駅8:36に到着した「きのさき4号・
まいづる2号」(福知山・東舞鶴発京都行き)の新鋭287系。
その手前は京都発8:41の「サンダーバード5号」(和倉温泉行き)。
更にその手前はサンダーバード4号(金沢始発)と思われ、
京都駅発は8:37ですので少々遅れているようです。

何も考えずにただボーっと眺めているだけで、どんどん時間が
経っていきますが、取りあえず8:45に部屋を出て、この日の仕事先に向かいました。

2011年10月16日 16時38分

鉄道の見える部屋/京都「新・都ホテル」編(1)

写真は10月7日(金)午前8時40分に撮影しました。

この前日、私は京都に出張し京都駅八条口正面にある
「新・都ホテル」の10階、京都駅側の部屋に宿泊しました。
目の前に一番手前から新幹線・近鉄・JR線の眺望が開け、
正に「鉄道の見える部屋」ですが、ただ右にも左にもこの写真+アルファの
広がりしかないのが少し惜しいです。

また眺望もさることながら、このホテルの窓は開けることが出来、
昼間の喧騒が一息ついた夜、窓を開けているとレールの繋ぎ目の
ジョイント音が部屋まで届き、特に貨物列車が通るといつまでも
「タタン、タタン…」という音が響きわたり、いつしか私の心の中まで
染みこんでいきました。

さて上段写真手前が下りの「のぞみ303号(新大阪行き)」で
京都発は8:39です。
そして奥の上りは「のぞみ218号」で京都着8:41。
日本の鉄道は本当に定時で運転されているので、撮影した時間から列車が
特定できるのはある種、驚きでもありますが感動的ですらあります。

またこの部屋からは下段写真の様な京都駅の新大阪方に留置されている
保線車両もいい感じで見下せます。

2011年07月28日 8時26分

近江鉄道の旅(20)昭和54年の乗車券。

私が昭和54年10月12日に使用した乗車券です。

上から、
●「米原」⇒「多賀」…370円(現在:460円)
下段の右側が
●「多賀」⇒「近江八幡」…600円(現在:820円)
下段の左側が
●「近江八幡」⇒「貴生川」…630円(現在:860円)
※32年前との運賃比較をしてみましたが、当時から思ったほど
値上がりしていないような気もしています。

ところで、下段の2枚のような、一枚の乗車券に複数の行き先を印刷し、
乗客に応じてハサミで切り取っていくスタイルは、私の手元に残っている
昭和の乗車券群の中でもここ近江鉄道だけでした。
実際のところ、全ての手持ち乗車券を発掘しているわけではないので、
確たることは言えませんが現状では…、ということです。

じゃあ、記憶の中にこういう乗車券があったか無かったかという点ですが、
見た記憶があるような気がする・・・と言うレベルで、とりあえず今回は、
こんな乗車券もあったと言うことでUPすることにしました。

余談ですが、近江鉄道の有人駅では硬券があります。
集めていらっしゃる方はどうぞ。

(近江鉄道の旅・完)

2011年07月27日 18時03分

近江鉄道の旅(19)高宮駅点景。

今回の近江鉄道の旅で、昭和の風情を残していると感じた駅の一つが
本線から多賀線の分岐駅であるここ「高宮駅」です。

上段写真では、一番奥に私が「多賀大社前」から乗ってきた
「226号」が停車し、手前には「701+1701」
(「米原」発15:38、「高宮」発16:10、「貴生川」行き」が
停車しています。
下段写真は、私が「高宮」から乗り込んだ16:10発「米原」行きです。

何がこの駅でよいかと言うと、まずは上段写真のホームです。
写真では分かりにくいですが、分岐駅らしい“三角ホーム”となっており、
その形状もさることながら、ホームそのものの雰囲気がまた『ローカル』の
いい味を出しています。
また構内踏切も、いい感じです。

ところで、駅の構内は“昭和”の「高宮駅」ですが、実は駅舎は違います。
そのギャップも面白いのですが、それは是非、皆さん自身の目で
お確かめください。

2011年07月27日 8時13分

近江鉄道の旅(18)『22系統』って?

ワンマン運転の「226号」の車内で、写真の『運賃表示器』を見つけました。

まあ、ワンマン運転の電車・気動車でよく見かける装置ですが、
ちょっと他で見かけない(私だけではないですよね?)のは、
他を圧倒する大きさの一番上の『22系統』の文字。

実は名古屋に戻ってから、こういうことの事情通に写真を見せ、
話しを聞いたところ、「考えられるのは・・・」ということで教えて
もらったのが次の“可能性”です。
1)この運賃表示器は、経費節減のため、鉄道用ではなく、
“バス用”を改造せずにそのまま使用しているのではないか。
ひょっとしたら中古かも?
2)バス用の運賃表示器を使うには、“系統番号”を設定する必要があるのでは?

彼曰く、推理であって正解とは限らないとの事でしたが、
私は結構、納得しました。

ということで、一応の結論(?)です。
『22系統』は、「多賀大社前」⇒「高宮」間の電車のことである。
・・・でも、他の区間の時は、それぞれ何系統となるのでしょう。

で、ここまで思わせぶりで書いてしまいましたが、7月14日に、
JR北海道のワンマン列車で運賃表示器を確認したところ、
右下に『小さな』“系統番号”の文字と、『小さな』番号の電光表示が
あるのを発見しました。
やはり様々な区間をワンマン運転する場合、その区間ごとに“系統番号”を
作り、その番号で『運賃』を管理するのは合理的な発想だと感じました。
ただ、ここ近江鉄道のようなデカい“系統表示”のある運賃表示器は、
“系統番号”に意味のある市街地を走るバスや路面電車用と思わざるを
得ませんでした。

とまあそれはともかく、この「多賀大社前」発「高宮」行きには、
アテンダントさんが乗車されており、何と私はアテンダントさんから車内券を
買いました。
その車内券は私の想像とは少々違い、駅名入りにパンチを入れる
タイプではなく、一枚一枚乗車駅・降車駅を手書きするもので、
多少の収入にはなるのでしょうが、趣味のために手を煩わせてしまった気が
しています。

2011年07月26日 18時00分

近江鉄道の旅(17)釣掛電車は楽しい!

多分、多くの「鉄」の方には『220形』という呼び方が一般的と
思われるのが写真の電車です。
「多賀大社前」から戻るときに巡り合いました。
(スノープロウ付きの226号です)

ただ近江鉄道の時刻表には『221形』とありました。
その“時刻表”の説明には「老朽化した100形の後継車として登場した
1両固定の車両で、現在6両が在籍しています。吊り掛けモーターに
エアサスという台車は全国的にも貴重なものです。」とあります。

この電車に詳しい知人の言葉を借りれば、様々な車両部品を利用して
車体が作られたことで知られているそうで、近江鉄道・彦根工場の
技術力の結晶とも言える存在だそうです。
というよりも、近江鉄道だからこそ生まれた電車とも言え、他の鉄道会社では、
例え大手の鉄道会社でもそうそうはこうした電車は作れないそうです。

ものの例えとして、模型“鉄”の方で、既製の車両を短くしたり、
幅を狭くしたりしつつ、オリジナルの車両を作る人がいますが、
それを本物の電車でやっていると説明されました。
勿論、公共交通機関の車両なので、安全基準等のクリアは当然の事ですが、
模型の改造も、模型を知り尽くしていないと出来ないことと同じで、
近江鉄道の職人さんの知識とアイデア、技術力は賞賛に値し、
それが引き継がれているのが『凄い』のだそうです。

そうした事は、この電車に乗った時点ではまだ知らなかったのですが、
それはともかく驚いたのが、下段写真のブレーキハンドル。
「Wikipedia」によれば『HRD電気指令式ブレーキ』というようですが、
何れにしろ、“エアサス”を含め、驚くべき特色をフル装備した電車で、
たまたま乗れた運の良さに感謝しています。

見て楽しく、(吊り掛け音を)聞いて楽しく、さらに乗って楽しい電車は、
名古屋から1時間の近い場所にいました。

2011年07月26日 9時05分

近江鉄道の旅(16)「多賀大社前駅」の変遷。

昔「多賀駅」、今「多賀大社前駅」。
平成10年に今の「多賀大社前駅」となりました。

上段写真の“多賀大社”の『大鳥居』は以前と変わっていないはずですが、
中段写真の現「多賀大社前駅」(平成23年5月4日)と、
下段写真の「多賀駅」(昭和54年10月12日)では相当の開きがあります。

“多賀大社”は名古屋の人には、あまり馴染みが無いかもしれませんが、
今も多くの参拝客が訪れています。ただその足としてこの鉄道が使われて
いるかと言うと平成の今は『さほどでもない』と言わざるを得ません。

(思い出話し)
私が小学生の低学年の頃、両親が何を思ったのか、その年に限り、ここ「多賀大社」に初詣に出かけました。
まず名古屋から彦根に向かう猛烈に混んだ国鉄の急行電車に乗り、
彦根からも満杯の電車に乗り継ぎ、一体、どこからこんなに人が
集まってきたかと思うほどの人並みの中を「多賀大社」に向かった
記憶があります。
50年ほど前の出来事ですが、未だに覚えているほど強烈な体験だったことは
間違いなさそうです
●国鉄の電車は急行であったことは間違いないのですが、列車名は不明です。
何せ、「鉄」に目覚める前の出来事です。

下段写真でイメージを膨らませてみてください。この小さな駅舎に、
入りきれないほど多くの善男善女が溢れ、そして「鉄道」が人々の
交通手段の主役だった時代があったことを・・・。

2011年07月25日 8時29分

近江鉄道の旅(15)「お江号」の車内には…。

近江鉄道のフラッグシップ電車は、700形(701+1701)と
言い切っても皆さんのご賛同は得られるはず。
2月10日から『江de GO電「近江ゆかりの戦国武将号」』として
走っています。(5月4日現在)

近江鉄道が発行する「2011時刻表」(駅頭で無料配布。
私も1部もらいました)には、時刻のみならず電車の解説も簡単ですが
載っており、700形については『近江鉄道株式会社創立100周年の記念で
作られた車両です。当社初の転換クロスシートを採用しており、
「あかね号」の愛称で親しまれています。』とあり、一見新しく作った
車両のようですが、元は「800形」と同じ西武の401系です。
とは言うものの、オリジナリティー溢れる魅力的な車両であることは
間違いありません。

ところで下段写真ですが、その「701」の運転台で見つけました。
「指差確認喚呼 接遇向上 元気元気元気」とあり、
まあ、よくある会社としてのスローガンみたいなものなのでしょうが、
その書き方に特徴があり、特に「元気」という文字が、3段階で
段々大きくなっているのが楽しいです。

「書くのは簡単。実践は難しい。」といったところからの啓蒙の
一環かも知れませんが、まずは、こうした分かり易さの工夫には好感が
持てました。

●「近江鉄道ミュージアム」見学後の動き。
*彦根13:53⇒米原14:03
*米原14:09⇒多賀大社前14:43
 ※多賀大社参拝。(珍しく観光)
*多賀大社前16:02⇒高宮16:07
*高宮16:10⇒米原16:33

2011年07月24日 18時29分

近江鉄道の旅(14)近江鉄道の保存ELたち。

と言うことで、こちらは「近江鉄道色」電気機関車オールスターズ!です。

上段写真の真ん中と下段写真の2両が「ED14形」で、
上段が「ED143号機」、下段の右側が「ED141号機」、
左側が「ED142号機」です。

ここのミュージアムの説明板によれば、「ED14形」は国鉄東海道本線の
電化開業時に輸入されたとありますが、ここ近江鉄道には昭和37年に
登場しました。

また上段写真左側の「1101号機」は、昭和5年の国産機関車で、
昭和26年から昭和61年まで彦根駅の構内入れ替えなどの任務に
当たっていました。

変わって上段写真右側ですが「ED314号機」。大正12年製の国産で、
私の中の『近江鉄道の電気機関車』のイメージはこれだ!と言っても
過言ではありません。
それにしても、私鉄が運営する“車両展示館”で、これだけ電気機関車が
揃っているのは、きっと日本ではここだけでしょう。

保存状態も良く、小規模ながら見所のある「近江鉄道ミュージアム」です。行かれる方は近江鉄道のHPで開館日を確認してからお出かけください。

2011年07月24日 8時27分

近江鉄道の旅(13)近江鉄道ミュージアム公開中。

元国鉄ED14形の「ED144号機」です。
大正15年(この場合、1926年製と言った方が古さが分かるかも)に、
アメリカから輸入された電気機関車で、実は「ED14形」は、
その4両全てがスクラップにされることなく、
ここ「近江鉄道ミュージアム」にいて、これは驚くべきことだと思っています。

その内、この「ED144号機」は、近江鉄道色ではなく、ご覧のように
“旧国鉄塗装色”となっており、そういった意味では“価値”ある
機関車でしょう。
※等と偉そうに言っていますが、現地で教えてもらった情報です。

また上段写真で、正面のドアが開いているのが確認できますが、
実は私が伺った5月4日、そこから中に入ることができ、運転席のみならず、
機関車内で反対側に移動する通路と言うか、機械室の点検通路も開放され、
じっくりと“昔の電気機関車”を楽しむことが出来ました。

「近江鉄道ミュージアム」の方に聞いた話しでは、
この「ED144号機」だけではなく、開館日に、保存車両を1両決めて
その内部を、公開しているそうです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!