2011年07月23日 18時23分

近江鉄道の旅(12)彦根駅の表と裏。

当初の「近江鉄道ミュージアム」で『三陸鉄道の支援』をいう
目的を果たすため、彦根駅で下車。
昼食のために、「ミュージアム」側ではなく、「正面」側に出ました。
それが上段の写真です。

写真の中央には馬に跨った近江国彦根藩の藩主「井伊直政」公の像があり、
駅の利用客を出迎えてくれます。また、写真には写っていませんが、
全国に数多(あまた)ある“ゆるキャラ”の火付け役とも代表選手と言っても
過言ではない『ひこにゃん』(イラストですが…)も出迎えてくれます。
●「プチ観光」の気分を出しています。が、私は彦根城には行っていません。

下段写真は、JRの橋上駅に繋がる自由通路から見た近江鉄道の車庫と工場と
「近江鉄道ミュージアム」の一部です。

ここで一言。真ん中左側の3両の電気機関車が停留しているのは、
車庫の側線ですが、右側の電気機関車がいるのは、
「ミュージアム」の中です。同じ機関車がいるのは面白いと思いました。
つまり、現役の機関車もそれだけの“価値”があると言うことになります。

会社の経営的に考えれば、『無駄』であるとして、廃車となった時点で
その姿を消すことが殆どでしょうが、ここではそのまま「ミュージアム」に
再就職したことになり、一寸いい風景だと思って撮影したのがこの一枚です。

2011年07月23日 8時27分

近江鉄道の旅(11)八日市駅と愛知川駅。

上段写真は、「近江鉄道」の一大拠点『八日市』駅です。
真正面に電車が止まっていますが、そこに入線するはずは無く、
左側の線に進入です。
この電車の八日市到着は11:40。この駅では、本線下り電車
(「貴生川」方面行き)との交換はありませんが、八日市線の上下電車との
接続はあります。
写真で言えば、一番左側に停車中の電車がそれです。

そして下段写真ですが、「愛知川(えちがわ)駅」です。
ここで下り電車との行き違いですが、この駅は、以前から“近江鉄道”の
電車に乗ってもう一度、通りたいと思っていました。
実は、最初にこの線に乗った時も、当然の事ながら右側に写る東海道新幹線の
高架橋はあったのですが、仕事で大阪方面にもしばしば行くようになってから、
新幹線の車内から見える近江鉄道の電車と、『窓外』というより
『窓下』に見える“小さな”交換駅の存在が気になっていたのです。
勿論、その駅名は地図で調べて「愛知川」であることも知っていたのですが、
今回乗車した電車から見上げる新幹線の高架橋は、何故か私には
とても新鮮に映りました。

ここで、今回私が『快速電車』に拘った理由ですが、
それは片道だけの『快速電車』への興味であったり、
他の電車と比べ時間的に“早い”ことは否定しませんが、
一番には「八日市」⇒「彦根」間がノンストップであることです。
「八日市」発11:41で、「彦根」着12:06。
地方私鉄で、そして特別料金不要で、25分間も途中駅に停車しない電車を
私は他に知りません。しかも支線を分岐する「高宮駅」ですら通過なのです。
なおかつ乗っている電車は、近江鉄道で最も一般的なモノ。

そして実際に乗った感想ですが、スピードは決して速くありませんし、
たった1本の電車のために『一線スルー』なぞあるはずもなく、
交換可能駅ではしっかりとスピードを落とします。
まあ、「八日市」以遠から「彦根」「米原」への速達列車という目的があるから
成り立っていると思われ、なかなか楽しかったです。

2011年07月22日 18時16分

近江鉄道の旅(10)日野駅でコカ・コーラ電車と交換。

上り快速電車は「日野駅」11:20に到着。
ここで4分停車し、下り列車との交換待ちです。

それにしても、近江鉄道には、私の個人的感想ですが、
心の琴線に触れる風情のある駅が今もあります。ここ「日野駅」もその一つで、
昔ながらの構内“踏み切り”のある風景は、絶滅危惧種と言っても
よさそうです。

私が“乗り鉄”だからと言って、対向列車との交換待ちで必ず電車を降りて、
こうした写真を撮影することはありません。

確かに、『4分』という時間は大事な要素ですが、
それが“きっかけ”とはならず、やはり自分の趣向とあっているか
どうかがポイントです。

そしてやってきたのが、ど派手な「コカ・コーラ電車」(810+1810)。
まあ、ラッピング電車でも、それはそれとして良しとしましょう。

まあ、電車の“色”を除けば、昭和の風が心地よく吹いている鉄道であることは
間違いありません。

2011年07月22日 8時00分

近江鉄道の旅(9)昭和の時代の近江鉄道「貴生川駅」。

上段写真は、昭和47年9月5日の近江鉄道「貴生川駅」です。
そして下段写真は昭和54年10月12日です。

昭和47年の写真は、草津線の蒸気機関車の撮影に行った際に、
たまたま撮影したもので、その時の近江鉄道の写真はこれ1枚のみです。
電車はその形状からモハ9形と思われます。
リベットの仰々しさと、窓周りに時代を感じさせますが、
改めてこの写真を見て、いくら昭和であっても駅名標の古めかしさは
特筆すべきと思うほどで、昭和から平成にかけての
ローカル線廃線ラッシュの時代でも、これほど時代がかった駅名標を
私はあまり見たことがなく、それより、今も存在している駅に
あったとは思えません。
(はっきり言って、「貴生川」の次の駅名が判読できません)

一方、下段の昭和の写真ですが、この日、私は一気に“近江鉄道”を
完乗しており、その際の1枚です。
こちらの電車は間違いなくモハ1形で、手前の車両はその「モハ1」です。

昭和54年10月12日の動き。
●米原11:03⇒高宮11:18
●高宮11:20⇒多賀11:24
●多賀11:33⇒高宮11:37
●高宮11:40⇒近江八幡12:18
●近江八幡13:37⇒八日市13:53
●八日市14:02⇒貴生川14:40

※当時の「多賀」駅は、現在の「多賀大社前」です。

2011年07月21日 18時09分

近江鉄道の旅(8)貴生川駅から「快速」に乗車。

さて、名古屋から貴生川までの乗車列車の設定には理由がありました。
それは「貴生川」発11:02、「米原」着12:17の“快速列車”に
乗ることです。
で、乗車の前にまずは乗車券の購入。
近江鉄道「貴生川駅」(上段写真)の出札窓口では、
楽しそうな会話で明るい笑い声を響かせていた若い女性のグループが、
乗車券を購入するのに思いのほか手間取って(とまどって?)いました。
理由は、土・日・祝日限定の「SSフリーきっぷ」の存在。
私も今回、それを購入したのですが、なんとその金額は『550円』!
何せ、「近江鉄道全線1日乗り放題+沿線各地で割引サービス」での
価格なのです。
しかもそれは、ここ「貴生川駅」起点なら「八日市」まで
片道乗るより安いのです。(「貴生川」⇒「八日市」740円)

とまあそれはそれとして下段写真が快速電車です。
1日1本だけの片道『快速』で、平日は八日市線にも片道『快速』が
1本あるのですが、土・日・祝日ではこれ1本!だけ。
はっきり言って狙っていました!この電車に乗ることを。
その詳しい理由は又の機会に・・・。

車両は「近江鉄道」の主力である800形の『805+1805』で、
平成になってからの登場のため、私にとっては“初”の乗車なのですが、
実際には昭和の「西武鉄道」時代に何度も乗っていたお馴染みさんでは
ありました。

2011年07月21日 8時03分

近江鉄道の旅(7)柘植~貴生川の印象。

「柘植駅」から「近江鉄道」との乗換駅までは、JR西日本の既に
古豪の域に達しているといっても過言ではない「113系」で、
写真の草津方先頭車は「クハ111-7755」です。
上段の写真がそれで、柘植駅停車中です。
113系は、最近あまり乗っていないこともあり、ちょっと嬉しかったです。

駅の外やホームで写真を撮っているうちに5349Mの出発時間
10:31となり、車中の人となりました。
この電車も座れないことは無かったのですが、ほぼ満席に近い状態でした。
●参考までに、2両目・3両目は湘南色でした。
JR西日本では、これが通常なのかどうかは、私の知識の外です。ご容赦を。

柘植駅からわずか17分、10:48に「貴生川駅」(下段写真)に
到着です。「近江鉄道」への乗り継ぎに少し時間があったので、
改札を出て駅舎の写真を撮影しました。
すっかり近代的な橋上駅となっており、乗降客も多く、
実は、草津線の電化の話しが出た時、私のイメージは郊外のローカル線で、
どうしてわざわざ電化をするのだろうと思ったほどでしたが、
実際にこの線とこの駅を利用して納得しました。

また信楽高原鐵道へのJRからの乗り換えには改札も無く、
今回は写真をUPしませんが、停車中の「SKR312+2両」の
3両編成を撮影しています。
多分、信楽高原鐵道の3両編成は珍しいのでは?

2011年07月20日 18時21分

近江鉄道の旅(6)加太トンネルを通って柘植駅へ。

上段写真は、関西本線「加太越え」のサミット、『加太トンネル』です。

蒸気機関車全盛の時代、このトンネルを頂点に、加太駅側と柘植駅側の
両方に25パーミルの勾配があり、先々回の「加太の大築堤」が、
加太駅を出た列車の撮影名所なら、柘植駅から出発した列車の撮影ポイントは
下段写真の柘植駅でした。(但し、私にとってです)
柘植駅を出発した列車は、この駅構内から既に全力運転で、その姿は
未だに私の瞼に焼き付いて離れません。
(昨年3月12日にその写真をUPしています)

蒸気機関車の機関士さん、機関助士さんたちを苦しめた峠道も今や昔、
しかも国鉄ではなくJRとなり、名古屋からの直通列車も無くなって
しまいました。

そんな感傷に浸りつつ10:20、加太峠を越えたDCは柘植駅に
到着しました。
最後に架線の張られた駅構内が、とても不思議な空間に見えたことを
敢えてここに書かせていただきます。

2011年07月20日 8時07分

近江鉄道の旅(5)中在家信号所を通過。

前回の『加太の大築堤』に向かう方法は2種類。
一つは「加太駅」で下車して歩くか、「加太駅」~「柘植駅」間にあった
写真の『中在家信号所』で下車して歩くかの選択でした。

確かに信号所なのですが、昭和40年代、ここでは客扱いをしており、
高校生の私も確か1回だけここを利用しています。
下段写真で、右側にある短いホームでの乗降で、こんなところから
乗降してよいかと思ったほどでした。
そして、そのホームの右側に、(記憶間違いでなければ)信号所の建物があり、
タブレット扱いをしていました。
最近、この線を通ったことは全くなく、それよりも、前回この線に乗ったのが
いつかが全く思い出せない状況で、知らぬ間にお馴染みの建物が無くなるのは
寂しくもありますが、これも時代の流れで郷愁にひたるには、
そもそももう少し私がここを通っている必要があったでしょう。

因みにもう一つの蒸気機関車撮影の名所だった岡山県の伯備線「布原信号所」は
昭和62年の国鉄民営化により“駅”となりましたが、
ここ『中在家信号所』は、“信号所”のままです。
ただ“信号所”に詰める人も無くなり、時代の流れを感じます。
※線路は撤去されてはいませんが、使われている形跡はなく、列車が交換することも停車することもない「休止」のようでした。

ところで昭和の時代、ここ『中在家信号所』に停車する各駅停車は、
基本、キハ35形で、何でこんな山の中で3扉ロングシートに
乗らなければならないのかと思いつつ、関西線だからしょうがないと
諦めていました。

2011年07月15日 8時05分

近江鉄道の旅(4)加太の大築堤を行く。

(上段写真)関西本線を「亀山駅」でJR東海の電車から、
JR西日本のディーゼルの乗り換え。
広大な駅構内にポツンと停車する239D「亀山」発9:55「加茂」行きは、
『キハ120-14,303』の2両編成で、
乗客はゴールデンウィークだからと思われるのですが、相当数の方が
立っており、私の下車した「柘植」までその状態でした。
キハ120形気動車は、かって高山本線の猪谷駅で見かけたことが
あったものの、乗車するのは初めてでした。
ただ“感無量”という域までは達しませんでした。

(下段写真)昭和の時代、蒸気機関車の終焉を前に、多分、
「撮り鉄」の方にとっては最も有名だった場所の一つと思われる
『加太の大築堤』(加太~柘植間)です。線路が左にカーブした先のあたりに、
いつも多くの鉄道ファンが待ち構えていました。
そして貨物を牽くD51の重連の迫力は、蒸気機関車の最後の力闘を
私たちに見せてくれていました。
※ここを蒸気機関車が走っている写真は、昨年の3月11日にUPしています。
よろしければご参照ください。

思い出深い所をキハ120形は軽快に駆け上っていき、
それはそれでよいとしても、私にとってはあまりの余韻のなさに愕然としつつ、
ただ呆然と前方を眺めるしかありませんでした。
※でも、景色は良いですよ。もっとも最前部に座席はありませんが…。

2011年07月14日 18時53分

近江鉄道の旅(3)亀山駅。

電車は定刻の9:34、亀山駅に到着。一体何年ぶりの「亀山」で
あろうかと思いつつ、そう言えば、上段写真の様な構内への入線を、
先頭車から眺めるのは始めての経験であることに気付き、
この位置からの視点で眺めているとここ「亀山」がかって国鉄の
一大拠点の『大駅』で“あった”ことを思い起こさせてくれました。

昭和48年に旧国鉄伊勢線が開業するまでは、名古屋から南紀方面へは
ここ「亀山」のスイッチバックはマストであり、また関西から伊勢参りや、
伊勢志摩への観光に向かう人の乗り込んだ列車が、全て停車していました。
また貨物列車の本数も多く、いつも賑やかな駅でした。
私は、伊勢線の無い時代にここ「亀山」に降り立ってはいるのですが、
残念ながら南紀に向かう列車でのスイッチバック体験は持っていません。

(余談)
伊勢線開業後の話しですが、“乗りつぶし”は別にして、
名古屋から南紀に向かう際、「くろしお号」との時間が折り合わない場合は、
近鉄で松阪に向かい、そこから三重交通の特急バスで紀伊長島や尾鷲に
行っていました。トータルでの時間はともかく、利便性に負けていました。
これは私に限らない話しです。

話しを戻して、下段写真は「亀山駅前」なのですが、
こんな大鳥居が目の前にあったとは知りませんでした。
(記憶に無いというほうが正解かも)
扁額の文字がかすれ、読み取りにくかったのですが、
亀山市内の能褒野(のぼの)神社だそうです。
考えてみれば「亀山」への取材は殆ど来たことがなく、
来たとしても大抵は車で、こうして駅前に降り立ち、
駅前の風景をじっくり見たことはかってありませんでした。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!