2011年07月14日 8時24分

近江鉄道の旅(2)加佐登駅を撮影した訳。

「四日市駅」を出て16分、「加佐登駅」に9:24の到着です。
何でこんな小駅かと思われるかもしれませんが、ちゃんと理由があります。

今の時刻表で三重県鈴鹿市の代表駅は、近鉄鈴鹿線の「鈴鹿市駅」で、
市役所への最寄り駅であり当然として受け止められていますが、
以前、交通公社の時刻表では少なくとも昭和48年10月号までは
ここ「加佐登駅」が鈴鹿市の代表駅でした。(稲見調べ)
※その後、国鉄伊勢線(現在の伊勢鉄道)鈴鹿駅に変わり、
更に今の形になっています。

私の率直な感想として、当時、国鉄監修の時刻表にあっては、
市の代表駅はあくまでも「国鉄駅」であり、私鉄は例外という
扱いだったのではということです。ことの真偽を確かめていないだけに
書きっ放しで恐縮ですが、私がそう感じるほど、実際の町の中心と
“代表駅”との乖離に違和感がありました。
ただ、「加佐登駅」に停車する急行列車もあり、
その体面はかろうじて保たれており、また乗降客は少ないものの、
それでも他の駅よりは少々多かった印象です。
何れにしろ、鈴鹿市を横断する鈴鹿川の北側にあって、
『街』というイメージはありませんでした。

とは言うもののたった1回だけですが、日本を代表するサーキットである
『鈴鹿サーキット』へ仕事で行く際、この駅から『鈴鹿サーキット』へ
向かった記憶があります。
ただ、昭和の時代でも、『鈴鹿サーキット』へ鉄道で向かう際は
近鉄名古屋線の「白子」駅を使うのが一般的で、その時の理由は
「白子駅」から『鈴鹿サーキット』への渋滞回避だったのを思い出しました。

とまあ、そんななんやかやの「加佐登駅」ですが緑の窓口もある駅であることを
紹介しておきます。

2011年07月13日 18時48分

近江鉄道の旅(1)名古屋を出発、目指せ!貴生川。

雑誌でも取材から掲載が2か月以上遅れることはあまりないはず。
で、今更ながらの5月4日(水)の私の行動をUPします。
題して「近江鉄道の旅」ですが、近江鉄道に辿り着くまでにも
相当な回数を要することになりそうです。先に釈明しておきます。

実は5月4日と5日に『近江鉄道発「三陸鉄道」支援の手』という話題で
2回UPしており、近江鉄道を訪れた目的はその通りなのですが、
その際、折角なのでということで近江鉄道(除く八日市線)を乗り直しており、
今回はその記録ということでご理解ください。

ということで、話しはJR東海「名古屋駅」からスターとします。
乗った電車は4311M「名古屋」発8:13「亀山」行きです。

休日とあって乗客も多く、立っている人もいました。
私は少し早めに名古屋駅に着いたこともあって、余裕で座りました。
まあ、この日の長丁場を考えればここで立っているわけにはいきません。

四日市駅では下段写真の入替用DL(山九株式会社の名前がありました)を
見たりして、のんびりと各駅停車の旅を楽しんでいました。

(余談)
目的は分かりませんが、私と同様の明らかに「鉄」の方が何人か
車内にいました。どこへ行ったのでしょうか?
えっ、何でそんなことが分かったかって?
それは、四日市駅停車中に、私同様このDLの写真を撮影していたからです。

2011年05月05日 0時18分

近江鉄道発「三陸鉄道」支援の手(2)。

写真は、「近江鉄道ミュージアム」の中にある
「三陸鉄道グッズ」の販売コーナーと
「三陸鉄道の被災状況」の写真展示です。

被災状況については様々なメディア等でも出ていますが
私自身にとって、その写真ははるかに生々しく、
4月6日にこのブログで「三陸鉄道社長からのメッセージ。」と題して
私なりの三陸鉄道の“復旧への思い”を綴ったつもりでしたが
そんな甘いものではないと改めて思い知らされました。

今回の“グッズ販売”については、4月15日付けの「三陸鉄道」
『プレスリリース・トピックス』で発表され、
「三陸鉄道」本体の“オンラインショップ”再開より一足早く
「近江鉄道」の他にも「いすみ鉄道」「東急車輛製造」で始まりました。

「近江鉄道」では、「近江八幡駅」も「八日市駅」も
そしてここ「近江鉄道ミュージアム」も
ただ『販売場所を貸しているだけ』で、
『特に何かをしているわけではない』と、さも当たり前のことを
しているようにされていましたが、実際には“手数料”無しで、
売り上げは全て「三陸鉄道」に送っているとのこと。

「近江鉄道」の経営が厳しいことは周知のこと。
それでも今回の支援を行うということは、やはり鉄道が
『地方交通の主軸』として『地元住民の大切な足』であり続けることの
重さを知っているからではないのでしょか?

“私”が今回行った「三陸鉄道」への支援は
1)久慈ありす&釜石まなバッジ
2)久慈ありす&釜石まなマフラータオル
3)QPストラップ「車両」
4)書籍「三陸鉄道開業25周年記念誌」
以上、4点です。
それぞれのグッズの写真は折角ですので、「三陸鉄道」HP
ご確認下さい。

ご覧頂けばお分かり頂けると思いますが、
上の2つは私のグッズコレクションのテリトリーから外れます。
それでもこの度、堂々のコレクション入りを果たしました。
(「鉄道むすめ」系グッズを初めて購入しました)

今回のことは私の単なる『自己満足』かも知れません。
でも、自己満足の輪も全国の多数の方に広がっていけば、
それが「三陸鉄道」の“復旧”への『声なき応援メッセージになる』・・・、
私はそう信じています。

追伸)昨日、この「近江鉄道ミュージアム」をフジテレビが
取材していました。
それは勿論「近江鉄道」による「三陸鉄道」支援についてでした。

2011年05月04日 22時55分

近江鉄道発「三陸鉄道」支援の手。

本日(5月4日)、「近江鉄道」の彦根駅に隣接した
『近江鉄道ミュージアム』に行ってきました。

『近江鉄道ミュージアム』は平成19年に誕生した
「近江鉄道」の車両と鉄道部品・写真・資料等を展示した施設で
今年は11月まで毎月1回、土・日にオープンしています。
●開館日は「近江鉄道」HPでご確認ください。

今回はゴールデンウィークということで、
5月1日~5日の間、毎日開館しており、私はやっと行くことができました。
出かけた理由は…、この期間、ここ『近江鉄道ミュージアム』で
「三陸鉄道グッズ」を販売していることを知ったからです。

「近江鉄道」では、4月16日から「近江八幡駅」で毎日、
次いで4月23日からは「八日市駅」で毎日、
そして「近江鉄道ミュージアム」では今月から開館日に販売しています。

今回、たまたま近江鉄道の方にお話が聞けたのですが
「同じ鉄道会社として応援できることは無いか?」と考え、
この販売が実現したそうです。
全部で22種類のグッズの販売をしているとのことでしたが
一部品切れになったものもあります。
その補充は、「三陸鉄道」サイドの負担にならないことにも
留意しながら行っているそうです。

また、今週末(5月8日の日曜日)に開催される
和歌山電鐵『貴志川線祭り』の“復興支援地方鉄道大集合”に
「近江鉄道」も参加して“グッズ販売”を行いますが
「近江鉄道グッズ」にプラス、「三陸鉄道グッズ」も販売するそうです。
『貴志川線祭り』に行かれる方は、「三陸鉄道グッズ」にも
注目してください。

「三陸鉄道」の復旧には100億円以上の費用がかかると言われています。
それに比して私の“グッズの購入”はあまりにもささやかで
正直、呆然としてしまいます。
それでも、「三陸鉄道」の復旧を心で願うだけではなく
“ささやか”でも具体的な行動にしたいと思い
今回の彦根詣でとなりました。

(明日に続く)

2010年10月26日 18時02分

大阪万博の足、北大阪急行。

写真は、大阪万博の足として“大活躍”した
『北大阪急行電鉄』です。

写真は昼間ですが、乗ったのは「万博の夜景」も
堪能した後でした。
※帰りはこの電車で新大阪に出て、
 そこから新幹線に乗りました。(の、はずです。)

実は、この「乗車記録」は何と私のデータベースには
入っていません。

その頃、『乗りつぶし』は全く意識していませんでしたが
鉄道にちょっと遠くまで乗った場合は、
一応記録としてメモを残していました。
※昭和44年8月28日から記録あり。
 このブログでは3月9日にUPした中で触れています。

ところが、この大阪万博行きは全く記録がありません。
交通機関の混み方が半端でなかったのと
「鉄」ではない同級生と一緒だったことが敗因(?)ではなく、
多分、『大阪万博に行った』という事実の重みの方が
大きかったということでしょう。

今、当時のことを思い出しながらこのブログを書いていますが
ひょっとすると、高校生の時より今の方が
「鉄」に対する執着があるような気もしています。

廃線になった「万国博中央口」~「千里中央」の
記録を取り戻したいと願う今日の私でした。

(PS.)
この日発行された『往復』『無効/名古屋』の印が押された
「名古屋~摂津富田・千里丘」の乗車券が
手元にポツンと残っています。
新幹線で帰った記憶はあるので、車内で清算?

2010年10月26日 8時08分

大阪万博の足、モノレール。

上海万博が今月末で閉幕します。
入場者数が大阪万博の6421万人を越えたのが今月16日。
それもつかの間、7000万人も越えてしまいました。
凄いですね。

そこでちょっと日本の万博の話しを…。
●写真は、1970年(昭和45年)に開催された大阪万博で
 入場者の足として活躍したモノレールです。

私が大阪万博に行ったのは8月27日。
高校1年生だった私は、家の比較的近かった同級生と
その妹の3人連れで出かけました。

「鉄」としての行動ではなかったため
写真もなければ、乗車記録も残っておらず
ここからは“記憶”です。(参照;当時の時刻表)

名古屋発7:30 401M/急行「比叡1号」
京都着9:31
京都発9:37 749M
茨木着10:00
ここまではの記憶は間違いありません。自信あり!!
そこからバスで万博会場へ。
※東海道線の快速は、万博がきっかけで茨木に
 停車するようなり、話題になっていました。

モノレールは撮影しましたが…、確か乗っていません。
しかも写真はこれ1枚です。
当時、大量『輸送機関』としてのモノレールは
「東京モノレール」がありましたが
中学校の修学旅行で東京へ行った時、
羽田空港の見学があったにも関わらず
モノレールを見ておらず、私にとっては初めてみる
観光施設以外のモノレールでした。
(名古屋の人限定…東山公園のモノレールは乗っていました)

今思えば「乗っておけば良かった」の一言に尽きますが
その時はどうやってお目当てのパビリオンを
効率よく回るかしか頭に無く、
そこまで気が回っていませんでした。

その時一緒だった同級生とは
もう何年会っていないのでしょうか?
年賀状のやり取りだけは今も続いていますが…。

2010年10月17日 18時20分

神戸市営地下鉄海岸線は「ワールドカップ」直前に乗車

平成14年5月12日、「屋島」「八栗」と2つのケーブルに
乗った私は、その足で神戸に向かいました。
●JR四国バスの「高松エクスプレス神戸号」に乗車。
 高速志度発9:09(当時)
 三宮着11:22(当時)
 この時初めて「大鳴門橋」と「明石海峡大橋」を
 渡りました。ちょっと嬉しかったことを告白しておきます。
 ※今は高速道路が繋がったので所要時間はもっと短いはず。
  「八栗登山口」~「高速志度」間は公共交通機関がなく
  タクシー移動。

それはさておき、神戸に行った目的は、
神戸市営地下鉄の海岸線の乗車。
平成13年7月7日に開通していましたが、
乗りに行く時間が取れず、ついにこの日を迎えたのです。
※開通してから1年ほどほったらかしは
 休みの問題(家族との調整)もあるのでよくありました。

(神戸市営地下鉄海岸線)
「三宮・花時計前」発11:40
「新長田」着11:55

写真の『5109』の左側に掲げられたヘッドマークに注目!
と言ってもきっと判読不能ですね。
「2002 FIFA WORLD CUP KOBE」と書いてあります。

平成14年は、サッカーのワールドカップの年で
神戸の試合会場、「御崎公園球技場」は
この海岸線の「御崎公園」駅が最寄り駅でした。
そのため、当時、海岸線の車両にこのヘッドマークが
ついていました。
※「西神・山手線」の車両についていたかどうかは
 私は確認しておりません。

行くに行けなかった「神戸市営地下鉄海岸線」でしたが
結果は思いもかけぬ収穫があったといったところでした。

『待てば海路の日和あり』。

この後、新神戸発12:38の「のぞみ14号」で帰名しました。

2010年10月06日 18時33分

「加悦鉄道」の資料を発掘しました

この9月6日から11日まで、
京都府の丹後地方を走っていた「丹後鉄道」のことを
UPしましたが、一昨日、たまたまなのですが
鉄道関係ではなく、「鉄」以外の写真を貼った
アルバムに挟まれていた思わぬモノを見つけたので
UPしてみました。

私が丹後鉄道に乗った昭和51年当時、
加悦駅での歴史的な鉄道車両の見学は、
まだちゃんとした形態にはなっていなかったと思います。

一方で、この写真の様な「加悦駅入場証」のリボンと
「見学入場のお願い」の紙を渡され
それで駅構内の見学をしていたようです。
(これを見つけて当時を思い出し始めました)

特に車両の配置図を見ながら以前UPした写真と見比べ
やっと当時の加悦駅の全貌を
遅まきながら私自身が理解し始めた次第です。
9月の時は、よく思い出せないこともあったので
正直に言って、曖昧な部分もあったと思います。

それにしても入場証は返却ではなく持ち帰りで
そもそもその入場料がいくらであったか、
もしくは無料だったかなどの
資料はまだ見つかっていません。(多分、資料は見つからない…)

2010年09月11日 17時59分

加悦鉄道「加悦駅」のスタンプ

昭和の時代、駅(国・私鉄を問わず)には
『スタンプ』が置いてあり、
私もよく押していました。

右側の3枚と、左下が加悦鉄道「加悦駅」のスタンプです。

(右上から)
1)加悦駅…加悦駅の近くにスキー場があるということ
      なのでしょうが、加悦鉄道経由でスキーに
      行った人はいるのでしょうか?
2)ハ4995…1893年製の客車。現在は「2号」と
      セットで、屋根の下で展示されています。
3)ハブ3号…1889年製で、大阪万博に
      出展されていたのを、今回、このスタンプを
      見つけ出して知りました。(遅すぎ?)

(左下)
4)2号機関車…「加悦鉄道見学記念」スタンプで
      当時、「見学」が出来たことがわかりますが
      私は駅の構内を縦横無尽に歩いており
      これも古き良き時代の証。

加悦鉄道以外のスタンプもそうですが古いものを
改めて見直してみると、意外とその時代を映していたり
その鉄道の知られざる歴史を発見することがあります。
昭和生まれの皆さん、駅スタンプにも愛の手を!

加悦鉄道 了。

2010年09月11日 9時00分

加悦SL広場 美しいアーチ橋

加悦SL広場の入り口にアーチ橋が。
と言っても橋の右端が切れているのがバレバレで、
実用性はありません。
また模型の列車も動きません。
単なる造形物です。(モニュメントにもならない?)

このブログを見ている友人からたまに、
「思わぬものにも目がいっているね」と言われますが
こんな写真を撮るのもその証なのでしょうか?
(多くの「鉄」ちゃんたちが目を向けないものが気になる?)

私は、青空に溶け込んだこの列車と橋を、
「美しい」と感じたので撮影しました。
また、撮影する前に、しばし見とれていました。
こんな光景の“本物”があったら
『私は今頃「撮り鉄」だったのでは…』などといった
不遜な考えは持ち合わせていませんが、
それでも「撮影に行きたい」場所になっていたでしょう。

●今回の事前準備不足話しの告白。(一部再掲)
 ①加悦SL広場と旧加悦駅が異なる場所とは知らなかった。
 ②旧「加悦駅舎」が現存しているとは知らなかった。
 ③「2号機関車」が重要文化財であると、
  SL広場で初めて知った。

トホホなお話しでした。
まあ、そんななんやかんやで1時間程度の滞在時間でしたが
爽やかな空気の中で、気持ちよく過ごせました。
立ち寄りをOKしてくれた家族には(心から)感謝しています。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2021年2月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!