2010年07月23日 9時04分

鉄道の見える部屋Ⅲ ホテル京阪京橋

あまりいい写真でないことは承知の上で
あくまでも「鉄道の見える部屋」ということで
お許しください。

場所は、京阪電車の「京橋駅」直上にある
『ホテル京阪京橋』。
この写真は平成20年11月22日に撮影しています。

生駒山もスッキリと見えますが
何せ架線柱がうるさい。
まあ、それを除けば引っ切り無しに行き交う
京阪電車をとことん堪能できます。
※何階の部屋かを覚えていません。申し訳ない。

予約の際に部屋のリクエストをすることも可能と思われます。
大阪・読売テレビに出張の際(この時も)に
何度か泊まっていますが
スタッフの感じの良いホテルという印象です。

ところで、今、このホテルのHPを見ていたら
夏休み限定で、京阪寝屋川車両工場の見学付き宿泊プランが
出ていました。参考までに…。

2010年06月23日 9時25分

山陰本線 キハ471 余部橋梁を渡る

キハ471の162Dは
定刻の7:20、餘部駅を出発し、
いよいよ余部橋梁の渡り納めです。

万感の思いが込み上げるという程のことは
ありませんでしたが、
それでも思ったことが幾つかあります。

1)余部橋梁の架け替えがこんなに
  話題となる時代が来ようとは夢にも思わなかったこと。
2)ワンマン列車ゆえに止むをえないのですが
  運転士さん用のルームミラーが
  こんなにも前方視界を妨げていること。
3)橋梁の乗り納めと思われる子ども連れを含む
  「鉄」の方達が、この写真を撮影した“お立ち台”に
  誰も陣取らなかったこと。
  ※私の勢いに退いてしまったとは思えません。

とまあ、そんなところでしたが私の夏に向けての
一大イベントが終了したことだけは間違いありませんでした。
不幸な事故も発生している橋だけに、
単純に「お疲れ様でした」とは素直に言い難い面もありますが
一つの時代の区切りとは思った次第です。

ところで、もう2点。橋のことではありませんが…。
4)「橋梁」見物の方のほとんどが次の「鎧駅」で
  下車したこと。
5)2両編成のワンマン列車でしたが、車内検札があったこと。
  実は、162Dから豊岡で乗り継いだ
  福知山行428M「リレー号」でも車内検札がありました。
  無人駅は確かに多いのですが、最近、特急以外で
  車内検札はあまり経験をしていないので驚きました。

●驚きついでに、もう2つ思い出しました。
1)この日、行動を開始した鳥取駅では、
 520D(5:28発)出発時に
 改札口に駅員さんがいませんでした。
 県庁所在地であっても今時はこんなんでしょうか?
2)鳥取駅で、名古屋までの乗車券を購入した際、
 「京都から新幹線経由名古屋」と言ったところ
 当初、智頭急行経由の乗車券を発行され
 「山陰線経由です」と言ったら、
 福知山線経由の乗車券で、
 「山陰線で京都まで行き、そこから新幹線」と言い直し、
 やっと希望の乗車券を手に入れました。
 *駅員さんは、山陰線で京都まで行く乗車券の発行を
  最近したことがないと仰っていました。時代ですね。

2010年06月22日 18時40分

山陰本線 餘部駅 キハ471

デジカメを使うようになって
「とりあえず撮っておく」かということが
増えました。

6月20日(日)の朝、餘部駅7:20発
162D豊岡行きもこの乗りで撮影したものです。

所詮キハ47ではありますが、
これがトップナンバーのキハ471となれば
ちょっと嬉しい。

車体正面の連結部の踏み板にも「キハ471」と
書いてあるのですが
それには気付かず、車内で気付きました。

だから何だということでしょうが
そういう習性という事で笑ってください。

キハ471は豊岡鉄道部の所属なので
余部橋梁詣でなら会う確立は高そうです。

2010年06月22日 9時00分

中央本線 キハ181系「特急しなの」

俗に「よんさんとお」と呼ばれた昭和43年10月の
国鉄ダイヤ全面大改正で初登場となったのがキハ181系、
中央本線の11D・12D特急「しなの号」でした。

写真は昭和45年8月1日に撮影した下り「しなの」9連で
場所は中津川~落合川間。
名古屋発8:30の「しなの」は
中津川を9:34に出発し、
小さな峠を全力で駆け上がってきました。
※当時、終焉間近のSLの撮影で中央本線に出かけたことが
 何度かあり、その最初の撮影ポイントがここでした。
※当時、落合峠と言っていたような気がします。

大馬力ディーゼルの新型特急専用車(キハ181系)が
全国に先駆け名古屋に登場ということで
当時、随分誇らしい思いを持ったことを覚えています。

そのキハ181系が、「はまかぜ」で最後のご奉公。
その姿を目に焼き付けるなら、今の「余部橋梁」しかないと
思い立ったのが昨日の写真です。
それにしても、キハ181と天候の相性は
本当によくないですね。

2010年06月21日 18時19分

山陰本線 余部橋梁 キハ181系「はまかぜ」

昨日(6月20日)の朝、
私は山陰本線餘部駅を降り、
余部橋梁を望む漁港にいました。

列車は、来年春までの命となったキハ181系の2D
特急「はまかぜ2号」です。

鳥取を5:28発の520Dに乗り
浜坂で160Dに乗り継ぎ、
餘部で下車した後は、この撮影ポイントまで
全力でダッシュし、6:43に撮影しました。
※以前、来たことが無かったため、
 「感」で行き着いた。

天候はかろうじて曇りでしたが
そのため列車が曇り空に溶け込んでしまい
メリハリがない写真になってしまいました。
※太陽は、この「はまかぜ」であれば、列車から見て
 進行方向、ほんの僅か右。

ただ、ここで写真を撮るなら「はまかぜ」と決めていたので
『写っているだけでよし』というのが私の実感です。
※すいません。キハ181系には若干の思い入れがあります。

余部橋梁も残すところ1か月をきり、
これから「鉄」の方がどっと押し寄せると思いますが
この日も、この天候でさえ、多分各所で10名以上の方が
撮影していたものと思われます。

(この区間の初乗り)
昭和48年3月13日、名古屋発の急行「大社」に
「城崎温泉」から乗車し、ここを通過しました。

2010年03月17日 9時13分

京阪中之島線

3月13日にUPした京阪四条駅の話しでも
書きましたが、
京阪電鉄は私の好きな鉄道です。

平成20年10月に開業した中之島線は
開業から1か月後の11月22日に乗りました。

斬新さの中にも京阪らしさが感じられる
快速急行用の3000系に、
「水の上の新都心へ 中之島線開業」の
ヘッドマークが誇らしげです。
(ちょっとわかりにくいですね)

私は中之島駅から1人用シートに座り
出町柳まで、久しぶりに京阪を堪能しました。
「京阪四条」改め「祇園四条」という駅名板を
見たときは感慨深いものがありましたが
「清水五条」と合わせ、最近の改名の中では
ヒットだと思っています。

2010年03月13日 9時05分

地上時代の京阪四条駅

昭和44年の撮影。
京阪四条駅の地上時代です。
繁華街の真っ只中の駅で
名古屋で言えば「栄」の近く、
松坂屋とパルコの間の地上に駅があり、
南大津通りに踏切があるといった
ところでしょうか?

京阪2000系。
私はそのデザイン・色が好きでした。

写真にはありませんが、
まだ昇圧前の600V時代で、
京都市電との平面交差もあって
一日いても飽きない駅でした。

2010年03月12日 19時50分

京福電鉄のポール電車

昭和44年10月26日に撮影の
京福電車嵐山線。

今は見られないポール集電時代の一枚です。

昭和50年にこのポール集電は廃止となったのですが
日本で一番ポールが似合う線だっただけに
個人的には嵐電だけは
このままにしておいてほしかったと
真剣に思っています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!