平成になって建て替えられた犬吠駅。
美しいその姿は第一回関東の駅百選選定駅です。
この写真の右側にチラっとその金看板が写っています。
そしてメインで写っているのは1日乗車券「弧廻手形」で、一番下にある「ぬれ煎餅」1枚サービス券をこの駅で使いました。もっとも1枚を試食してから…買って家路につきました。
「ねれ煎餅」が切り取られた1日乗車券。結構生々しいかも?(笑)
おまけに外川駅の来駅記念券。「萌え~っ。」と言えばよろしいでしょうか?どうもこのパターンには慣れません。
さてさて犬吠駅のトイレに合ったメッセージ。
「銚子電鉄の動力は電気ではございません。…」胸が熱くなりました。記念乗車券・ぬれ煎餅その他、精一杯の協力をさせてもらいました。
笠上黒生(かさがみくろはえ)駅。1月11日に脱線事故が起きた駅です。
この写真で左側の進入してきた電車が「外川」発「銚子」行き。その電車の奥にあるポイントの場所で事故はおきました。
そして脱線した電車は正にここに写っている編成です。ということはともかく減便ダイヤとなる前、日中はこの駅で交換しており、この写真を撮影した次第です。
この駅での交換は下り列車が先着で、少し時間があったので、電車を降りて駅舎を撮影していました。
この出札口は「国鉄」とは異なる地方私鉄の小駅の雰囲気を今も残す貴重なものであり、マニア的にはGOODだと思いますが、ここ銚子電鉄にあっては経営の苦しい地方私鉄の現状を感じさせるのが少しさびしい感じです。
駅の外からの一枚。思いの他小さい駅舎と赤い電車の組み合わせ。慣れの問題かもしれません。
元営団2000形、現銚子電鉄デハ1000形。営団丸ノ内線塗装で私を出迎えてくれました。
この電車の車体番号は、銚子側には「2040」と表記され、外川側には「1002」と書かれていました。
連結器が面白く一枚撮影。
昭和54年(1979年)1月16日の銚子電鉄。昭和5年新潟鉄工所製のデハ301で、その時代に合っても既に古豪の雰囲気が溢れていました。
ところで今回の北関東・東関東の「鉄」旅ですが、ここ銚子電鉄が最終目的地。ここ数年、もう一度訪ねたいと思いつつ、北海道や九州より何故か心理的な距離が遠く、「行こう!」という決断が出来ませんでした。でも運行本数が11月21日に、33往復から21往復に減便されると聞き、居ても立ってもいられない気分になり、ついに決断しました。でもその後の事故のため、今はその21便から更に減便を余儀なくされています。
香取駅到着は10:28。
香取駅発は111:16。
乗り換え時間は48分。(今は)無人駅で、しかも駅前には人家しかない。スマホでネットを見るにも、電池の無駄使いに思え、しょうがないから駅の中に面白い『ネタ』がないものかとうろうろしていたら、時刻表に無い電車(銚子⇒香取⇒成田方向)が到着。
この写真の撮影時間は10:53。試しに時刻表を調べて頂ければこの時間に電車がないのは一目瞭然です。
方向幕は「行先」ではなく「試運転」。で、まず目についたのは「訓」の文字。
続いて「練」の文字。
10:58に電車はこの駅を去って行きました。鉄道ですから「訓練」の電車があるのは不思議ではありませんが、こんな紙が貼り出されているとは知りませんでした。それともJR東日本だけ???
11:16に乗った銚子行き電車。停車中の電車のドアから入ったのかそれとも暖かい日だったのでどこかの窓が開いていたのかも知れません。綿毛が一つ、シートについていました。
2013年11月11日。
9:41に鹿島臨海鉄道の2度目の完乗を終え、10:12の鹿島線に乗車。
水郷の風景は本当に素敵です。
香取駅には10:28着。
このチケットは乗車前日の11月10日に購入しました。
それは水戸駅での乗り換え時間が8分と短く、ラッシュ時なので改札の外に出るのは時間的に厳しそうだと思ったからですが、もう一つ、JRと鹿島臨海鉄道の間で連絡運輸を行っているのではと思ったからです。
予想は的中だったのですが…。
勝田~水戸~鹿島神宮~香取までは問題なかったのですが、何と成田線区間の香取~銚子間が発券できないとの事。JR~私鉄~JRという“またぎ”が出来るのに何故にほんの少しの区間が発券できないのか、その理由は今も不明です。
平成25年11月11日の車両にはご覧のステッカーがありました。
あかげさまで全線開通。平成23年の東日本大震災時に、その路線が寸断され、全線復旧まで約4か月かかったことをこのステッカーを見て思い出しました。
「鹿島神宮」駅に到着。お約束の駅舎写真。
そしてこちらは昭和60年(1985年)8月31日の「鹿島神宮」駅。30年経っても私のレベルに進歩がない象徴かも???
昭和60年のホームでのスナップ。
そしてこちらは昭和54年(1979年)1月16日の同じホーム。ところで「鹿島港南」から乗車した理由ですが、それはその当時の始発列車が「鹿島港南」発だったからで、僅か1日3往復の列車を効率的に乗るにはそれしか方法がありませんでした。どういうことかというと、列車は「鹿島港南」を起点に「鹿島神宮」を往復しており、「鹿島神宮」からの始発列車(8:38発)に乗った場合、「鹿島港南」着9:07で、同駅での「鹿島神宮」行きの出発は12:01でした。
ただ当時は情報が殆ど無い時代だったのでどうやってバスの時間を得ていたのかが疑問です。多分、前日入りしているので、「鹿島神宮」駅で聞いたのでしょう…。
11月11日(月)9:35。「鹿島サッカースタジアム」駅を通過。(通常、停車する列車はありません)
ところでこの「鹿島サッカースタジアム」という駅名はJR東日本のHPでの表示。一方、鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線HPでは「鹿島スタジアム」となっており、更に言えば貨物線の鹿島臨港線の路線図では「カシマサッカースタジアム」とあります。一体どれがどれ???鹿島臨海鉄道に乗っているのだから…。
一方こちらは昭和54年(1979年)1月16日の「北鹿島駅」。
この駅が今の「鹿島サッカースタジアム」駅で、昭和53年から58年までの短い期間でしたが、国鉄鹿島線「鹿島神宮」駅~「北鹿島」駅(ここでスイッチバック)~鹿島臨海鉄道/鹿島臨海線「鹿島港南」駅間に旅客列車が運行されていました。
「鹿島港南」駅に停車中の「鹿島神宮」行き。
7:51発のこの列車で「鹿島神宮」を目指したのですが、実はここまでは関東鉄道『バス』できており、枝線にもかかわらず往路と袋で違う交通機関を選択しています。
(追伸)
「第3回こども鉄道博士選手権」の経過報告です。
ホームページでの第1次予選を勝ち抜いたこどもたちが集まった第2次予選が、先週の土曜日(2月1日)に行われ、決勝進出の10名が決まりました。2次予選の問題は、こどもたちに知っていてほしい鉄道の知識を中心に数問ですが大人でも手強いものもありました。
それにしてもこどもたちとの「鉄」会話は楽しかった。私がこどもだった半世紀近く前はそもそも「鉄道」の情報を得る手段が限られていましたが、今はネットを含めて情報があふれています。その情報をまたこどもたちはよく覚えているのです。凄い時代が来たものです。