2019年07月16日 21時11分

豊橋鉄道田口線廃線跡探訪(3)トンネルと築堤と。

 

廃墟然とした三河大草駅を出て、三河田口方面に向かう。

この辺りも、50周年をきっかけに始まった廃線跡ウォーキングの方たちが来なくなるときっと自然に帰っていくのでしょう。もっともそうならないように地元の方たちがここを整備しています。

トンネルとトンネルの間は築堤。

鉄道の線路を敷くには如何にも厳しい条件をいくつもクリアし、鉄道が自分たちの町の発展には欠かせないと信じて行動した先人たちの想いは、一歩一歩足を踏み出す度にそれはちゃんと私に伝わってくる気分でした。

15:35頃廃線跡探訪終了。豊橋に戻る前に道の駅もっくる新城でトイレ休憩。名物だと聞いた「冷やしクリームパン」を食す。改めて自分は甘党だと確信した一瞬。

その昔、名物に旨い物なしと謂われた時代がありました。それはそれで否定するものではありませんが、今の時代、名物で旨くないものを探すのはきっと難しいと思う。

SNSやネットの口コミを掻い潜って生き残っていくことはとても困難な時代だからです。

2019年07月15日 20時21分

豊橋鉄道田口線廃線跡探訪(2)三河大草駅。

森の中で遊んでいるのではありません。まあ考えようによってはあまり変わらないような気もしますが…。写っているのは廃線跡の案内役、愛知県設楽町立奥三河郷土館の学芸員石井峻人さん。

さっきよりは道らしいと言えばそれらしく見えますが、道だと思うから道に見えているような気もします。

ところでこの道は何?と言えば、三河大草駅に向かうメインルート。まあ名古屋で言えば広小路通り。他に道はありません。その昔、夜とかどうやって歩いたのでしょう?街灯などはあるはずもなく、懐中電灯は一般的に持ち歩くことは無かったと思います。

今は使われることのない三河大草駅。

廃止されてから50年。よもやその「50周年」がきっかけでまたこの駅に利用客ならぬ。廃線跡探訪客が来るようになるとはきっと神様の知らなかったと思う。

2019年07月14日 13時59分

豊橋鉄道田口線廃線跡探訪(1)本長篠駅~内金トンネル。

6月15日(土)。魅惑の粟代鉱山軌道の次は豊橋鉄道田口線廃線跡探訪。出発点はJR飯田線本長篠駅。

如何にも廃線跡を道路にしています風。その先に鉄道時代からのトンネルが見えます。それもそのまま今も使われています。

今から約50年前に廃止された豊橋鉄道田口線。1929年(昭和4年)に田口鉄道として一部開業し、1932年(昭和7年)に本長篠~三河田口間の全線が開業しました。

その後止されたのは1968年。現役の時代はそれほど長くはありませんでした。

写真は1931年の清崎駅で、当時の終点がこの駅でした。(絵はがきをトリミングしています)

そんな歴史の田口線ですが、昨年が廃止後50周年という事、またこの鉄道の一部がダムに沈むことからこの鉄道を次世代に繋ごうと地元の方が動き始め、私たちがこうして廃線跡探訪をしているのもその活動をされている方たちの尽力の賜物です。

2019年05月31日 20時54分

旧名鉄三河線跡ウォーキング(10)5月26日の西中金駅。

2019年5月26日午前5時27分。

「中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン」の仕事で中京ゴルフ倶楽部石野コースへの出勤途中。

ここに着くまで朝日を浴びながら走ってきましたが、西中金駅にはまだ陽が届いていません。山間(やまあい)の駅の宿命でしょうか?

国の登録有形文化財らしさは朝ぼらけの中にある。そんな気もしました。

2019年05月30日 20時39分

旧名鉄三河線跡ウォーキング(9)西中金駅。

14:38。猿投駅を出たのが9:15でしたので、昼食時間を含め5時間20分ほどで到着。

三河鉄道/名鉄三河線の廃線区間、猿投~西中金間は8.6キロ。それに対し今回歩いた距離は約12.6キロ(ツアー会社の資料参照)。およそ2万歩。一歩が40センチ強と随分、小幅な印象ですが、歩かずにうろうろ休憩している時間もあったのでまあこんなものですが、老化により歩幅が狭くなるとも言われており、少々心配な数字。

ところでこの写真ですが「西中金ふれあいステーション」の看板がデカデカと出ており、とても駅舎(廃駅ですが)に見えないでしょうね。

毎週土・日の10:00~15:00で、5月11日のこの時間は、5時間歩いた方で賑わっていましたが、普段も賑わっていると嬉しいですね。

三河鉄道が西中金駅まで到達したのは1928年1月22日。その日からこの切符売り場に命が入りました。今ここは現役の切符売り場ではなくなりましたが、2015年から「西中金ふれあいステーション」として、週末だけ人の営みが続いています。

2019年05月29日 21時59分

旧名鉄三河線跡ウォーキング(8)西中金駅まであと少し。

もう少しで西中金駅に到着。小さな築堤に電車がいれば、きっと素敵な水鏡。

この辺りは国道153線から架線柱が見える区間で、その153号線を2004年(平成16年)の廃線後も何度も通っているのですが、よもや線路が残っているとは全く思っても見ませんでした。

それにしてもなぜここまで残されているのでしょうか?謎です。

座標で35.140487, 137.232885の地点から終点の西中金駅までは、線路を残したまま遊歩道として整備されており、何とも不思議な気分。

突然ですが、今回のツアーの感想は廃線跡ウォーキングなのに里山ウォーキングをして来た気分。

廃線となった線路上を歩いたところがあるにも関わらずで、きっと私にとってはある種、鉄道趣味的探求心からの参加だったはずが、新緑の中を歩くこと、ただそれだけで気持ちよくなっていたからでしょう。それにしてもこの日は暑かった。

参加者の方のうち、鉄道が趣味の方は1/3以下だったと思います。では2/3の人はこのウォーキングを楽しめたのでしょうか?複数で来ている方たちの会話を聞くともなしに聞いていると、どうも「文化財」の旅を楽しんでいるかのようでした。鉄ちゃんしか来ないのではないか?鉄ちゃんしか楽しめないのではないかと思っっていたのは、どうやら私の傲慢な思い込みだったようです。

2019年05月28日 20時44分

旧名鉄三河線跡ウォーキング(7)三河広瀬駅~西中金駅。

三河広瀬駅から西中金駅を目指す。

多分、ケリ。で、間違いないと思う。珍しい鳥なのかな?

5月の日差しの中でスックと立っている。近くの田んぼでは田植え中。

それにしても意外なほど廃線跡(線路)が残っている。

今回私たちは寄りませんでしたが、トンネル(広瀬トンネル)も残っているそうで、中には入れませんがその入り口までは歩いて行けるそうです。これは地元の方が教えてくれました。

2019年05月27日 20時28分

旧名鉄三河線跡ウォーキング(6)三河広瀬駅。

猿投~西中金駅間は8.6キロ。三河広瀬駅は猿投駅から5.6キロの地にあります。

枝下駅まではそれでも人家がありましたが、そこを出てからは山の中を行く鉄道。

名鉄三河線旧三河広瀬駅舎、プラットホームは国の登録有形文化財となっています。

文化遺産データベースにあった解説を転載。

駅舎…市中心部から約900m東北に位置する旧鉄道駅舎。桁行11m、梁間4.4m、切妻造鉄板葺、平入の木造平屋建。東半に開口部を広くとる開放的なつくりの待合室、西半に駅員執務室等をあてる。外装は下見板張で、腰は厚手の目板を打つ独特なつくりとする。

どちらも整備されているので、現役時代を感じさせてくれます。廃線とはなりましたが週末には駅で朝市が開かれており、賑わいもあるようです。

※愛知県HP、あいちの産地直売施設参照

電車(廃線時は気動車)が三河広瀬駅を走らなくなり15年の時が過ぎました。しかし自然に還ることもなく、取り壊されることもなく、この『駅』という形のまま時間が過ぎている姿を見られたのは、そうだ!廃線跡ウォーキングに参加したからだ。

2019年05月26日 17時04分

旧名鉄三河線跡ウォーキング(5)枝下駅~三河広瀬駅。

2019年5月11日、12:30過ぎ。午後のウォーキングがスタート。

枝下駅を出て暫くは線路沿いに歩き、その後三河線に沿ったルートを離れ、矢作川を渡ります。

名鉄三河線の橋がチラッと見えました。ただ見えたのはほんの一瞬で、あとは豊かな緑に阻まれ、その姿を確認することは出来ませんでした。

三河広瀬駅が近づいてきたら、それまで歩いて来た道と線路が並行する区間となり、私は迷わず線路を歩くことに。それにしてもこの3線区間が気になって仕方がない。

13:15に三河広瀬駅に到着。

2019年05月25日 20時29分

旧名鉄三河線跡ウォーキング(4)枝下(しだれ)駅。

11:40。名鉄三河線枝下駅に到着。

きれいに整備されています。

ここにはトロッコが置いてあります。どうやら誰が乗っても良いようで、今回のツアー参加者のかたも楽しんでいました。

ところでこの後は昼食。お弁当が用意されていたのですが、やはりトイレがない所で休憩と言う訳にも行かないので、猿投グリーンロードのパーキングエリアに向かった次第。

そして午後はまたここ枝下駅からスタートです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!