11月6日(日)釧路市博物館創立80周年企画展「釧路・根室の簡易軌道」展の行事『簡易軌道バス見学会《浜中・別海編》に参加。
《浜中・別海編》とあるように既に10月16日にも《鶴居・標茶編》が行われており、これが2回目の開催。いずれも大人気で地元の方だけではなく、私のように遠路に躊躇することなく参加した人も数名はいたようです。もっとも先着順ではなく抽選のため参加できた私はラッキー!
集合は釧路市博物館に午前9時。
このバスで午後6時まで道東を巡りました。
まずは1時間半ほど走り浜中町営軌道の出発点、JR「茶内駅」に到着。
ルパン3世のお出迎えです。
駅の構内に入ってみる。列車の来る時間ではなかったので2013年5月11日に撮影した写真を貼ってみました。
左上に見えるのは「タカナシ乳業北海道工場」。かつては別の企業が運営しており、浜中町内で酪農家により生産された牛乳は浜中町営軌道を使ってその工場に集められていました。
昭和47年(1972年)に簡易軌道がなくなってからは車が集荷手段となりましたが、タカナシ乳業の工場の前に立てば軌道が敷かれていた時代に思いを馳せることが出来ます。
ところで廃線跡巡りは鉄道趣味界ではかなりマイナーな範疇ですが、それでも昨今は知られた存在になってきたいような気がしています。一方で私のような鉄道の趣味を持つものではなく、地域の歴史等に関心を持つ方が廃線跡巡りをされることもあるようです。
何故そんなことが言えるかと言えば正に今回のバス見学会の参加者の多くは地元在住の『地域の歴史遺産』を楽しんでいる方で、恐らく全30名の内、2/3はそうだったと推察しています。
「釧路・根室の簡易軌道」展ではジオラマも展示されています。これはほんの一例。
また見学の記念品としてペーパークラフト(釧路製作所特製)や缶バッジ(有料)があります。
ペーパークラフトは無償での配布でしたが、限定品とのことで今も配布しているかどうかまでは確かめていません。で、私も早速作ってみましたが、どうも私は不器用なようです。
※赤い車両が釧路市博物館で配布していたもので、緑の車両は翌日のイベント参加者に配布されたものです。
最後に釧路市博物館は高台にあり、眼下には春採湖が見下ろせます。湖畔の左側には太平洋石炭販売輸送臨港線の線路があり、博物館はその撮影スポットにもなりそうです。等と書いていたらまた撮影に行きたくなりました。
参考までにこの写真は博物館の対岸から2010年2月20日の撮影です。
ところでこの「釧路・根室の簡易軌道」展ですが、非常に見応えがあります。展示されている写真以外にも多くの写真が寄せられたとのことで、それらの写真はすべてスキャンした上でモニターで上映されており、そうした細かい心遣いも嬉しい展示です。いやいや心遣いというよりは、それを見ているだけでも時間の過ぎるのを忘れます。また年明けの年度末までにはこの展示を中心にした書籍も出される予定で、私はそれを今や遅しと心待ちにしているところです。
「SL冬の湿原号」が走り始めるまでにこの展示は終わってしまいますので、そうでなくとも冬の道東巡りをしつつ足を運ばれては如何でしょう?規模はそれほど大きくはないものの満足度は高いと思います。
今回の渡道の目的。それは釧路市博物館でこの10月29日から年明けの1月15日まで開催中の「釧路・根室の簡易軌道」展を見ること。そして11月6日(日)に同博物館が開催したイベント「簡易軌道バス見学会」に参加すること。
さて釧路駅前のホテルにチェックインし、バスで釧路市博物館入り。
博物館に入った直ぐの場所にある「マンモスホール」がその会場。マンモスが写っているのですが少し分かりにくいかな?
※館内の写真は釧路市博物館の許可を得て撮影し、このブログでの掲載の許可を得ています。
釧路市博物館の創立80周年の企画展「釧路・根室の簡易軌道」。
かつて道東エリアでは国鉄の駅を起点に、762ミリゲージの簡易軌道と呼ばれる鉄道が四通八達していました。“簡易軌道”の定義等についてはここでは書きませんが、私の趣味としては大好きな分野である「ナロー」であり、しかしながらその路線にはぎりぎりで乗る夢が叶わず、今回の展示は私にとってうってつけとも言える内容でした。
この展示では数多くの写真が展示されていますが、その中に私が会員となっている名古屋レール・アーカイブスが所蔵する写真もあります。
それは先に掲載した路線図の内、釧路市の新富士駅を起点にしている軌道の現役時代の写真です。
撮影はJ.W.ヒギンズ氏。1959年(昭和34年)撮影のカラー写真です。
実は今回の展示をするために釧路市博物館の学芸員さんが地元の方や関係者、また当時この軌道を訪れていた鉄道ファンに声をかけたものの、鶴居村営軌道だけはなかなか『カラー写真』が見つからず、最終的に名古屋レール・アーカイブスに行き着いたとのこと。
こうしたご縁で釧路と名古屋が繋がったのですが、もともと私と釧路の出会いは、2010年2月に「釧路コールマイン」(610ミリのナローゲージ)等の撮影を目的とするツアーに参加したことによるもので、2011年7月に“2429D”に滝川から釧路まで乗車したり、2013年にも釧路(根室本線/東根室駅が目的地)に出かけており、地元の方との繋がりは途切れることなく続いていました。
今回、今庄駅の中には入りませんでしたが、北陸トンネル開通前は、この駅で今回の旅のルートである旧北陸本線の峠超えの機関車の連結・開放を行っていたので構内は思ったより広いです。
給水タンクの遺構と思える施設が残っていました。
国鉄色のDD511193。
DD51の北陸本線での定期運用はないのですが、何故か留置中。多分レール運搬の臨時だと思うのですが、エンジンは切られており謎???
JR今庄駅は只今リニューアル工事中。完成するとどうなるのでしょう。
今庄の町を散策。こんな宿場町の街並みが残っているとは知りませんでした。
ツアーに参加したおかげで楽しめた福井県南越前町今庄(今庄宿)の「羽根曽(はねそ)踊り」。
こんな地元との触れ合いもありました。
さてこの日は10キロ弱を歩いて、何と2万歩を越えました。帰りのバスで足がつりそうになり日頃の運動不足が図らずも露呈。考えてみれば撮り鉄さん達は結構、これ位の距離を歩くと聞いています。同年代、そして目上の撮り鉄さんたちは歩くことだけでも尊敬に値すると改めて感じた1日でした。
(後日談)
何と同じ日に私の知人がここを歩いていたと知りビックリ。以前はマイナーだった廃線跡巡りも、今は鉄道趣味にあってメジャーになりつつある気がしています。
JR今庄駅の裏手にD51481が保存されています。
看板を見るとまるでD51を売っているようですが決してそんなことはありません。(こんなことを書くまでも無いですね。失礼!)
1940年(昭和15年)生まれで、概略を書いた看板によれば岡山機関区、浜田機関区に在籍し、D51が活躍した旧北陸本線に因み、1980年(昭和50年)にこの地で保存されることになったようです。
蒸気機関車の保存は各地で行われていますが、こうしてみる限りまずまずの状態に見えました。赤いナンバープイレートも良いですね。
今にも動き出しそう。
屋根のあるところでの保存ですので、形式写真のような感じでの撮影は出来ませんが、今回のツアーの参加者の方たちはこのD51を背景に皆さん、記念写真を撮影していました。
このD51481との出会いで、今回の旅の目的は全て達成です。
午後2時過ぎ、2時間半ほど歩いてやっと人家がありました。
南越前町住民利用バス【大桐線】のバス停。
時刻が書かれていますが、今は前日までの事前予約制となっており、またダイヤも変わりこの時刻にバスが来ることは無いようです。
柿のある風景。というより、屋根の瓦の形状に惹かれてシャッターを押した一枚。下のほうにある丸い突起状の用途は何なのでしょうか?
集落の入り口にあった「緑と水のきれいな大桐」と「万葉の道べ」。「道べ」は「道辺」で「道のほとり」といった意味だそうです。
その木の看板の横にある「今庄町大桐案内板」。この地図には集落の各戸の名前が書かれてあり、訪ねたい家があってこの地を訪れた人には親切なのですが、都会ではきっともうこうした案内は無いでしょうね。
そしてやっと終点が見え始めました。奥の方に観光バスが並んでいます。それにしても壮観です。
「旧北陸本線廃線跡のトンネル群は登録有形文化財(第18-0152号)となっています。」と先に書きましたがここのプレートは「第18-0153号」です。
旧北陸線トンネル群では11のトンネルと1つの暗渠(あんきょ)、1つのロックシェッドが文化財となっており、調べたところそれぞれに個別の番号が付けられており、これは何だか新鮮な発見でした。
文化庁のプレートの反対側にもう一枚のプレートを発見。登録有形文化財と同様ながら、その内の11のトンネルが「旧北陸本線トンネル群」として2014年(平成26年度)に土木学会選奨土木遺産となりました。
選奨理由…
旧北陸本線トンネル群は「旧北陸本線の最大の隘路であった敦賀・今庄間で建設されたトンネル群であり、現在も道路として機能する貴重な土木遺産」であります。
旧山中信号所のあった場所に置かれたトラック。積まれているのは蒸気機関車/D51の汽笛。私も遊ばせて貰いましたが、紐を引くと音だけではありましたがかつてここを行き来したD51の機関士気分が味わえます。ツアーの特典とのことでした。
私達は『本線』を歩いていくのですが、左側には側線の跡が今も残されています。
少し先になりますが側線のロックシェッド(落石防護柵)が見えますが、気が生い茂り殆どトンネル。
一方こちらは旧北陸線山中ロックシェッド。これも国指定登録有形文化財です。
そしてこれが今回の「文化財の旅」の最後の目的地となりました。