山中隧道は1896年(明治29年)竣工で全長1170メートル。ここ旧北陸本線の登録有形文化財に指定されているトンネルでは最長です。
今回は懐中電灯持参のツアーでしたが、トンネル内は照明があり、何とか使わずに済むことができました。
ただこの山中隧道は、天井から水がかなり滴り落ちており、私は使いませんでしたが傘をさしている方もおられました。
もっとも路上の水溜りに天井の蛍光灯の光が反射し、幽玄というか神秘的な光景を作り出していたのは事実です。
1キロを越すトンネルを15分ほどかかり通り抜け。
13:03に地元・南越前町のキャラクター、「タッピー君」と「はす坊」の出迎えを受けましたが、それも相まってここが何だかウォーキングの終点気分。
11:25に歩き始めてから既に1時間40分ほどが経っているものの、ここからまだ4キロ残っています。
久しぶりに携帯の電波が届かないところをひたすら歩いている。
旧北陸本線廃線跡のトンネル群は登録有形文化財(第18-0152号)となっています。
文化庁のホームページでは「明治期官営鉄道施設のトンネル群」とあり、昨年(平成27年)11月20日に登録されました。
登録理由(文化庁の発表から転載)
『北陸線は鉄道庁の手によって明治26 年に着工し,同29 年に敦賀―福井間が開業した。急こう配の岩石地帯であったため,難工事を乗り越えて多数のトンネルを設けた。
樫曲トンネルは明治26 年に完成しており,もとは第一号隧道と呼ばれた。長さ87m で,東西出入り口はイギリス積の煉瓦造とする。
昭和37 年に北陸トンネルが開通すると廃線となり,県道に転用されている。これらのトンネル群をまとめて登録する。』
以上です。
納得。
登録有形文化財の中をひたすら歩く。
歴史あるトンネルを通り抜ける。
出たところで信号を撮影。時刻は12:41。
第一観音寺隧道を出たところ。左側の側壁を見る限りひょっとして「崩れたので補修した?」という気がしました。本当のところはどうでしょうか。
第一観音寺隧道と第二観音寺隧道の間に少しスペースがあり、歩き始めてまだ30分ほどだったのですが。そこで昼食。ツアーの特製弁当で、地元今庄の名物である「茶飯」が主役。その他にも地元の名物があったのですが忘れてしまった。解説できないのが残念。時刻は11:59。
お腹が膨れ再び歩く。
第二観音寺隧道は全長310メートル。竣工は1895年(明治28年)頃とされています。
トンネルの入り口に立つ。だから何なのだ。ですね。2つ目にして少々長い距離となることもあり、ワクワク感があります。
緩いカーブ。
トンネルは直線の方が作りやすいは思うもののそれを許さない地形ということでしょうが、それにしても日本の大動脈はこうして作られていったのだと改めて実感。先達の努力の賜物ですね。
1896年(明治29年)7月15日の敦賀~福井間の開業後、今の北陸トンネル(敦賀~南今庄間の13870メートル)が1962年(昭和37年)6月10日に開通するまでの66年の永きに渡り、この線形で『本線』だったとは本当に驚きです。これは廃線跡巡りの醍醐味の一つを私は思っています。
トンネルの中の待避所。こうしてじっくり見ることはなかなかありませんね。こうした遺構にも時代の重みを感じます。
福井県道207号、今庄杉津線。この日は旧北陸本線の跡を利用して作られたこの道路を、旧杉津駅のあった所から6つのトンネルを抜けて旧大桐(おおぎり)駅までの間、約9キロを歩きます。
※敦賀・米原側から福井・金沢方面に向かっての行程。
※隧道とトンネルの使い分けについて…今回のこのブログではトンネル名については「隧道」で統一します。
ところでこのツアー。いわゆる鉄道ファンがターゲットではなく「ウォーキング」を楽しむ方向け。驚く無かれ東海・近畿圏からバス23台、参加者900名という大ツアー。まあ普段あまり行かない?行けない?ところを歩くのが楽しいのでしょう。
もっともその参加人数を聞いた私は一瞬どんな状況になるのだろうかと心配したものの、各地からのバスの到着が一気ではないこともありノンビリと楽しみことが出来ました。それにしても私より年配の方達の元気の良さが感服。
敦賀湾。時々左側に顔を出します。別につらい歩きではないので「一服の清涼剤」ということにはないのですが、蒸気機関車が全盛の時代にあっては、機関士さんもお客さんにとっても正に「一服の清涼剤」の瞬間だったでしょう。
最初のトンネル「第一観音寺隧道」が見えて来ました。
82メートルの短いトンネル。写真ではよくわかりませんが25パーミルという明治の蒸気機関車では限界の急勾配です。1893年(明治26年)着工で翌年竣工。
それにしても今のような土木技術が無い時代によく作ったものだと感心しながら歩く。
レンガ造りが時代を感じさせますが、その造形美に圧倒されていたというのが本当のところです。
10月、11月は鉄道イベントが目白押し。そんな中、10月9日(日)は某旅行会社主催の「旧北陸本線廃線跡を歩く」に参加しました。
賤ヶ岳(しずがたけ)サービスエリアでの休憩時に撮影したツアーバス。最も名古屋らしい観光バスと私が思っている鯱バス。バス正面の「金シャチ」のエンブレムが特徴です。
北陸道を福井県に入り、杉津(すいづ)パーキングエリアが「旧北陸本線廃線跡を歩く」の出発点。敦賀湾が眼下に広がる絶景の地。
そのパーキングエリアをあとに歩き始め。時刻は11:25。
パーキングエリア等の施設には高速道路だけではなく一般道からのアプローチが出来ることが一般的と思いますが正にその道路をまずは歩きます。
下り線(富山・新潟方面)のパーキングエリアから下り始めたら、はるか下方に上り線(米原方面)のパーキングエリアが見えます。
この辺りは長い区間に渡って上り線、下り線が離れて作られている全国的に見ても結構珍しい場所だと思いますが、上下線を並列で作ることが出来ないほど急峻な地形なのだろうと推察しました。
上り線の杉津パーキングエリアを過ぎた辺りから旧北陸本線廃線跡を歩くことになります。如何にもはかつてここに線路があったと髣髴させる。
沿線(沿道?)では花がお出迎え。
D51827は線路の上にいます。まあ当たり前のことなのですが、PC枕木というのが何だか凄い。この場所から今にも動き出しそうです。
で、ここで一発!汽笛吹鳴。は火が入っていないので無理かと思いきや、整備をされている方達の努力で何とコンプレッサーを使って空気を送り込み、それで汽笛がならせるとのこと。
ではここで音をお聞き下さい。因みにレバーを握っているのは不詳私で、成り立ての機関助士が、機関士に促されて初めて、しかも恐る恐る鳴らした汽笛が如くです。生きていて良かった!
これからも整備は続けていくとのことですが、どこかで本当に走ってくれたら良いなあ。でも名古屋市内ではD51の重みに耐えられる路線が…。せめてどこか公開の場所で静態保存…。笹島とか…。