2011年12月04日 17時28分

北海道・小樽の旧手宮線跡。

昔、「紙ふうせん」というデュオが『冬が来る前に』と言う歌を
歌っていたのを思い出しました。
「冬が来る前に」と思いつつもう全国的に冬ですね。でも8月の
小樽に“もう一度めぐり逢いたい”と今、こうして書いています。多分、このブログを読んで下さっている殆どの方には通じない
歌の話しですね。(反省)

今年は2度北海道に渡っており、1度目は7月9日から14日の三笠鉄道村等への「鉄」旅(このブログでは7月28日~10月26日の間でUP)で、2度目は8月24日から28日までで、こちらは会社の出張でした。
その初日の24日に少し時間が取れたので「小樽市総合博物館」に
出かけました。

で、まず向かったのは旧手宮線です。この線への探訪は結構マニアックかと思いきや、何と小樽市の観光ルートの一つになっており、
駅に併設の観光案内所で「旧手宮線マップ」(旧手宮線沿いにある観光名所を紹介している)なるものを手に入れ、早速向かいました。
と言ってもメインの「小樽市総合博物館」の滞在時間の問題もあり、
小樽駅前から海岸へ向かう『中央通』と『旧手宮線』のクロスする場所を
確認しただけに留まりました。
(小樽駅からそこまでは徒歩で5分も掛かりません)

右側の写真は、そのクロスポイント、中央通の中央分離帯に設置された
モニュメントで、車輪(動輪)には「TEMIYA LINE」と
刻まれており、道路を横断した左側には「旧手宮線」の解説板が
設置されていました。
また左側の写真ですが、道路を横断した先から「南小樽」方面を
臨んだもので、遊歩道として整備されているのが見て取れます。写真でのお分かりいただけるようになかなか雰囲気が良く、多くの
観光客や地元の方も歩かれており、人のいない写真を撮るには
意外と時間が掛かってしまいました。

私は「小樽市総合博物館」の入館時間を計算し、結局ここからタクシーに乗ってしまったのですが、時間が許せば「散歩しながら行くのも良いだろう」と思いました。

2011年10月26日 18時10分

小さな鉄道博物館(7)“博物館”の乗車券。

上段写真は、穂積さんが来館者に渡している記念の『乗車券』です。
よくありがちな『入場券』ではなく、「小さな鉄道博物館」の乗車券であり、
穂積⇔池田間が「0円」と洒落が聞いています。なお日付けはちゃんと
私が伺った平成23年7月13日で、その刻印は下段写真の「天虎工業」の
『DATING MACHINE』で、来館者自ら行い、なおかつパンチは、
その日付印字器(ダッチングマシーン)の右側にある改札鋏(はさみ)で、
これも自ら行います。
これだけでも十分、楽しい“博物館”でした。

ところでここは「博物館法」に基づく『博物館』ではありませんが、
“博物”を展示しているのは間違いなく、その価値は計り知れません。
また1点1点の解説冊子等はありませんので、詳しくは穂積さんから
聞くしか方法は無いのですが、『博物館』の学芸員より、
「鉄」だけにわかる???“生々しく”“楽しい”その解説に私は時の
過ぎるのを忘れ、いつしか3時間ほどが過ぎていました。

(「小さな鉄道博物館」の見学方法)
●必ず事前に予約してください。
●連絡先…0155(31)8336   
(電話番号は穂積さんの許諾を得て掲載しています)
●見学可能日…日曜日や祝日等で、穂積さんのご都合の良い時。
※今回、私は平日の夜にお邪魔しましたが、仕事から帰宅後の時間であればと
ご快諾頂きました。
その際、私の今回の北海道での全行程と緊急連絡用に携帯電話等をお伝えし、
もしも見学できなくなった場合にも対応できるようにして出かけました。
何れにしろ個人宅への訪問となりますので、その点のご配慮はお願いします。

最後に私の感想ですが、「やろうと思って簡単に出来るものではないが、
本気になればここまで出来る」の見本ではないかというものです。
私が会員となっている「NPO法人名古屋レール・アーカイブス」では、
この“博物館”にように『モノ』は扱っていませんが、この“博物館”の
展示物を見て、根っこにあるものは“同じ”で、何を「後世」に伝えるかと
言う視点の大切さを感じました。

2011年10月25日 18時07分

小さな鉄道博物館(6)「鉄道博物館」と言えば“ジオラマ”。

上段写真は、天井に貼られた「ふるさと銀河線」のヘッドマークです。
そして下段写真は、「鉄道」だけではなく拓殖バスの「バス停」もあります。

などと言う簡単な話しではなく、その前に…。
天井にもビッシリと展示されており、ある種圧巻です…。
で、本論に戻りますが、下段写真のバス停の前に鉄道模型の車両とジオラマが
あるのをご確認いただけますでしょうか。
更に、上段写真のヘッドマークの下には、模型のコントローラーが実は
写っています。実は鴨居(かもい)の高さで一周するNゲージの
レイアウトがあり、ある種、究極のスペース有効利用が行われています。
やはり「鉄道博物館」と言えば“ジオラマ”!
ここ「小さな鉄道博物館」でもそこは外していませんでした。

これを見た時は私は正直「やられた!」と思いました。
『「鉄道模型」を展示したいがスペースが無い』等の言い訳を一切許さず、
『スペースが無ければ工夫して作ればよい』という、ある種感動モノの世界が
目の前に広がっていました。

さてこのレイアウトはどうやって運転するのでしょうか?
そこで登場するのが穂積さんならではの『脚立』。そうなんです。
「脚立で上がって」ではなく、「脚立に跨って(座って?)」運転するのです。

これではとても長時間は楽しめそうに無いと私は思ったのですが、
それもあっさり覆され、1時間以上ここで楽しんでいく人は結構いるそうです。
その話しを聞いた時、「よくやるなあ」と思ったものの、まあ人の事を
言える立場でもないと気付き、一人で苦笑してしまいました。

2011年10月24日 18時04分

小さな鉄道博物館(5)思いもかけぬ出会いも…。

館長から、「この列車を覚えていますか?」と聞かれ、
「あれっ?『まりも』って根室まで行っていましたっけ?」等と私が
とぼけてことを言ってしまったのがこの方向幕です。

電気を点けてもらい(この言い方は古い?)、まじまじと眺めてしまいました。

『まりも』は元々「函館」~「釧路」間の夜行急行で、
その後「札幌」着発になり・・・と言った歴史はさておき、
根室行きの“夜行”特急『まりも』(釧路-根室間快速)の行先表示は
平成13年~17年の夏季だけ使用されたものです。
当然の事ながら、他の行先表示もこの方向幕には入っていますが、
やはりこの「根室」行きが一番のヒットでしょう。

「方向幕」の収集をしている方は結構多いと思いますが、
これは逸品中の逸品と言えるでしょう。
もっとも「収集家」の手に渡れば、それが公開されることは殆ど無く、
その後、人知れず埋もれてしまうのでしょうが、こうして来館者の目に
触れる場所にあるこの方向幕は、きっと本望(幸せ?)でしょう。

そう言えば・・・ということでもないのですが、夜行特急『まりも』の
「釧路」~「根室」の“快速”区間ですが、平成14年8月の時刻表で
確認したところ、“快速”としての列車名も『まりも』で、
夏季以外の『まりも』との接続列車である下り『はなさき』、
上り『ノサップ』の名前が使われていなかったことに今更ながら驚きました。

もう一丁情報を足せば、昭和42年8月号の時刻表では夜行急行
『まりも』(札幌~釧路)には、下り急行『ノサップ1号』、
上り急行『ノサップ2号』の接続となっており、また根室本線全線を走破する
急行『阿寒』(札幌~根室)もあり、隔世の感です。

2011年10月23日 18時08分

小さな鉄道博物館(4)博物館の原点は?

上段写真は、穂積さんが“鉄道趣味”“鉄道関連の品々の収集”の原点と
お話しされていた1枚の特急券です。(実際にご乗車とのこと)
昭和37年10月1日乗車の帯広発10:00の「特急おおぞら号」
~青函連絡船~青森発翌10月2日05:05の「特急はつかり号」の
もので、何れも1号車1番D席(この指定席番号も凄い!)となっています。

この昭和37年10月1日は実は特別な日で、根室本線に特急列車が
初めて走った日であり、その上り1番列車が正にこの「おおぞら」なのです。
特急が本当に「特別急行」だった時代の、歴史の生き証人と言える
一点であることは間違いありません。
※こうした“実際に使われた”乗車券が鉄道会社で保存されることは
あまり無いので、その意味でも貴重であり、これこそ“博物館”の
面目躍如です。

また下段写真は、言わずもがなの行先表示板(サボ)の山です。
サボと言えば昭和の時代には常識だった!はずですが、いつの間にか
方向幕が取って代わり、今やLEDによる表示の時代です。などと言う
感想はともかく、これだけ並ぶと圧巻です。

左側の上から4段目にある「興部~雄武」などは、今時『興浜南線』が
あった時代(四半世紀も前の事)を知る人は少数派でしょう。
参考までに私はこのサボの区間を昭和52年2月14日に乗っています。
私が数あるサボの中からこの写真を写したのは、そんな懐かしさからです。

私の様な中高年には懐かしく、若い世代には珍しくもあるでしょう。

2011年10月22日 18時35分

小さな鉄道博物館(3)博物館には『博物』満載。

『家族の理解』もここまでくればもう何もいうことはありません。
ここは本当に穂積さんのご家族がお住まいのご自宅です。
因みに穂積さんの本職は「鉄道」や「写真」関係ではなく、
「鉄道」は全くの趣味です。

さて駅長(STATION MASTER)の看板のかかった部屋がメインの展示場
(多分)で、写真に見えている旧型客車のオハ62の座席で館長
(駅長?)である穂積さんの「鉄」話しをたっぷり聞きました。
伺った時間が平日の夕食時のため、少々気が引けたのですが、
何とほぼ1日ここにいた兵(つわもの)もいたとのことですっかり
お言葉に甘えて長居をしてしまいました。

何せ、展示品の1点1点が興味を惹くものばかり(次回以降、少しだけ
紹介します)で、その解説を聞いているだけでも時間がどれだけあっても
足りません。
今回の訪問で、私が気付いた主たるモノは外していないと思うものの、
見落としているものが相当ありそうで、「1日がかり」は決して大袈裟な
表現ではありません。

ところで平成15年に開設されたここ「小さな鉄道博物館」にある
展示物の総数ですが、新聞や雑誌等の取材時には(公称として)約2000点と答えているそうですが、実際には乗車券等の細かいものも入れれば
3000点以上は間違いなくありそうだとのことで、もはやカウント不能だ
そうです。

またここに展示されているものは本当に多岐に渡っており、
駅舎と線路と車両以外のものは大抵揃っていると言っても過言ではないと
思います。

なお、半数以上は寄贈されたものだそうで、特に平成18年に廃線となった
「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」の様々な備品等は、
この“博物館”なら大切に保管・展示してもらえるのではと
やってきたそうです。
(これをきっかけに平成19年にリニューアルをし、現在に至っています)
これも「趣味」を通じて出来上がった鉄道事業者やその従業員の方たち、
また同好の方たちとの「信頼」関係の賜物と思われますが、
そこまで行き付くまでの過程が本当は大切なのでしょう。

2011年10月21日 18時30分

小さな鉄道博物館(2)一歩入れば「鉄分」満載。

「帯広の郊外に鉄道の資料館を個人でやっている人がいる」とは
昨年の2月に初めて知ったのですが、その時『館長』の穂積さんに
「必ず伺います。その時はよろしくお願いします。」と約束し、
空手形になることなく今回訪問が実現しました。

穂積さんによると、最近は『何故か観光バスの団体が来ることもある』
この「小さな鉄道博物館」だそうですが、まずは玄関を一歩入って
いきなり「鉄」のカウンターパンチを食らいます。
左側の写真がそうですが、玄関を入った真正面の2階にある“博物館”に向かう
階段の取っ掛かりのところで、写真では分かりにくいですが真ん中の上に
あるのは廃線となった「北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線本別駅」の
運賃表です。そして階段にピッタリな『橋をお渡り下さい』の看板も
“博物館”の雰囲気を盛り上げてくれます。

右側の写真は、階段を上り始めて右に進路をとったところですが、
今度は左側に「ふるさと銀河線本別駅」「ふるさと銀河線塩幌駅」で
掲示されていた発車時刻表があり、正に『おもちゃ箱をひっくり返した
ような』とはこの“博物館”のためにあるといっても過言ではないと
思ったほどです。
でもここはまだまだ序の口で、幕内には到達していません。

(観光バスの件)
最近は『こだわり』のあるツアーが人気のようで、『2429Dの旅』でも
8時間の普通列車がツアーコースになっていることに驚かされましたが、
この「小さな鉄道博物館」に観光バスが来る時代になっているとは
更に驚かされました。
因みにその時のツアー参加者は中高年の女性中心だったそうで、
“博物館”は10人も入れば見学困難なほどの狭さゆえ、
順番に入ってもらったそうです。

2011年10月20日 18時23分

小さな鉄道博物館(1)博物館は民家だった。

7月の北海道「鉄旅」話しの終着点です。(10月3日以来です)

北海道帯広市の北隣、音更(おとふけ)町の一角に、
「鉄道」を趣味とされている穂積規(ほづみただし)さんが開設された
「小さな鉄道博物館」があります。

上段写真がその“博物館”ですが、どこからどう見ても民家にしか
見えませんが、それもそのはずで穂積さんの自宅です。
玄関先に下段写真の「母恋」の駅名標が「博物館」の目印となっており、
それ以外にこの場所を探す手段はありません。
と言っても分かりにくい場所ではなく、レンタカーのカーナビに住所を
打ち込んで、迷うことなくここに到着しました。
●実は玄関ドアに「小さな鉄道博物館」の標識があるのですが、多分、
見落とします。
(上段写真の玄関ドアの真ん中あたりにある小さな白い部分です)

さて穂積さんと私の出会いですが、昨年(平成22年)2月26日から
UPした『冬のSLと石炭のマチ・釧路』というツアー(平成22年
2月19日~21日実施)の際に、その案内役のボランティアの一人として
参加されており、その際、たまたま観光バスの車内で隣の席となり、
名刺交換をしたのがきっかけでした。

博物館の話しをする前に、穂積さんについてお話ししますと、この9月9日に
『釧路行き鈍行2429Dの完全乗車証明書』をUPしましたが、
そのタラコ色のキハ40の写真を撮影されたのが正に穂積さんなのです。
「撮り鉄」(特に道東)として著名な方で、2429Dの証明書写真は
JR北海道からの依頼で急遽撮影したものだそうで、“生写真”を
私は見せていただきました。
今もフィルムで撮影されており、デジタルで鉄道写真を撮ることは
無いそうです。また、雑誌に寄稿する場合、その原稿も手書きと言うことで、
仕事ではパソコンを使っているのでワープロも使うことは出来るそうですが、
自らの拘りでそうしているそうです。
アナログ世代の私はとても共感及び納得してしまいました。
ただ私はもう後戻りできそうにありません。ある種羨ましくもありました。
ただその分のご苦労も多そうです。

また写真撮影時に、“脚立”を使って写真を撮る先駆者としても知られており、
その存在のユニークさは特筆すべきものがあり、
それゆえ「小さな博物館」があるといっても過言ではないでしょう。
※脚立+手持ちカメラの撮影は、単にカメラ『ポジション』等の
選択肢が増えると言うメリットのみならず、人気撮影地に遅れて着いても
先に到着した方と共存できるメリットもあるそうです。
ただ移動の際の荷物が多くなるのが欠点だそうです。

ところで「小さな鉄道博物館」ですが、穂積さんのご自宅2階の
部屋が改装されてその展示スペースとなっています。

2011年10月03日 18時37分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(16)国の登録文化財「第三音更川橋梁」。

写真の「旧国鉄士幌線第三音更川橋梁」は昭和11年に作られたもので、
「第五音更川橋梁」と同じく平成11年に国の「登録有形文化財」に
登録されました。

全長71メートルで前後の10メートルアーチに挟まれる形で、
この写真のど真ん中にある32メートルアーチがあります。
このアーチは戦前の北海道における鉄道コンクリートアーチ橋では
橋桁間隔が最大で、旧国鉄士幌線のアーチ橋の中でも特筆すべき
存在なのだそうで、この橋の近くにある「解説板」によれば、
この橋梁の成功により、日本各地に大きなアーチ橋が作られるようになったと
言うことです。

なお「NPO法人ひがし大雪アーチ橋友の会」ではこの橋の保存のための
活動を行っており、補修費用の募金等を行っています。目標金額は
9000万円ということですが、何とかこの橋がこれからも今の姿を留めて
欲しいと思いました。
それは橋としての用途は無いにしても、また「遺産」としての価値も
少し横に置いたにしても、この渓谷美の中にこの橋が本当に溶け込んでいると
感じたからです。
人工的な橋がこれほど自然と一体化しているのはやはりアーチ橋だからかも
知れませんね。

なお、この場所は『旧国鉄士幌線アーチ橋見学ツアー』で訪れたのではなく、
ツアー終了後に、レンタカーで立ち寄ったものです。
念のため報告しておきます。

2011年10月02日 17時54分

旧士幌線「タウシュベツ橋梁」(15)旧「幌加駅」周辺で見つけたもの。

上段写真は旧「幌加駅」の入り口にある案内看板です。

この看板には、「幌加駅」の説明(上半分)と、この駅が木材搬出で
賑わっていた頃の写真(下半分)がありました。
写真を見て驚いたのが、この駅を含めその周辺は、今は大自然の『森』と
なっていますが、当時は切り開かれて人の息吹が感じられることです。

それは説明文から読み取れるのですが、そこには最盛期には約80軒の建物と
350人位の人が住む“町”だったとありました。
350人と言う人数は一見少なく感じますが、私の感覚ではそれが
一つの集落であることを考えれば、それはそれ相当の数字だと思います。

多分、商店も何軒かあって賑やかな声が街中に響いていたであろうと
当時に想いを馳せました。

ところでその案内看板の支柱(一番上の部分)が下段写真なのですが、
古レールを使用しています。
メーカー名は私にはよく分からないのですが(恐らく日本製鐵だとは
思うものの…)、『1938年』の数字があり、それは昭和13年であり、
この幌加駅の開業が昭和14年であることを考えれば、
この駅もしくはこの近辺で使用されたレールである可能性は極めて高いと
思っています。
この看板の支柱に、敢えてこの士幌線で使用された古レールを
採用したのであれば、これを設置した「NPO東大雪アーチ橋友の会」の
見識に拍手を送ります。私の考えは多分合っているはず・・・。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!