2010年04月12日 12時35分

旧中央線の愛岐トンネル群見学会

昨日(4月11日)、
「中部産業遺産研究会」主催の
「旧中央線の愛岐トンネル群見学会」に行ってきました。
案内役は地元のNPO法人
「愛岐トンネル群保存再生委員会」

中央線の高蔵寺・多治見間には
経済産業省の「近代化産業遺産」として
認定された「旧国鉄中央線の隧道群」が
あります。
(注:隧道=トンネル)
明治33年(1900年)開通時に作られ、
昭和41年(1966年)の電化時まで
使用されたレンガ作りのトンネルが
使用されなくなった後も奇跡的に残り、
地元の方を中心に今、保存活動を行っています。

昨日ご案内いただいたのは全部で4本、
全行程約3.5キロのルートでした。

続く。

2010年03月18日 8時51分

佐久間レールパークⅡ

佐久間レールパークに行った
一番の目的がこれ。

モハ52系です。
京阪神地区の急行電車で登場し
晩年は飯田線でした。
JR東海博物館ではなく、
飯田線にいる間に会っておきたかったのです。

飯田線は何度か行ったことがあるのですが
乗った記憶がありません。
勿論、現役当時の写真もありません。

車内のクロスシートにゆったりと腰掛けていると
まるで、そのまま天竜川の川沿いを
走っているかのような錯覚を覚えました。

飯田線とモハ52との
最後の思い出作りが出来ました。

2010年03月17日 18時27分

佐久間レールパーク

いささか古い話しになってしまいましたが
佐久間レールパークが昨年11月1日に閉園しました。

私が行ったのは、実はその最終日11月1日です。
結局、最初で最後のレールパークでした。

行きは「伊那路1号」(豊橋発10:08)、
帰りは「佐久間レールパークフィナーレ6号」
(中部天竜発13:54)でしたが
想像以上の人出で、帰りは大行列の整列乗車に耐え、
かつ乗れてよかったという状況でした。
※行かれた方、お疲れ様でした。
 また、この日の「フィナーレ号」には
 飯田線では絶対に見られないはずの
 車両もあり、「撮り鉄」の方も盛んに
 活動していました。

まあそれはともかく、JR東海博物館が出来るとは
分かっていても、何分「足」の問題があって
行かなかった場所なので、
言い方は悪いですが、閉園が無ければ
いつ行ったのかと思った次第です。

閉園イベント会場で配っていた、
「佐久間ドロップス」は懐かしい味でした。

2010年03月07日 23時30分

何とかならないかなあ?

愛知県豊田市の豊田市交通公園に
名古屋市電の『1814』が保存されているのを
ご存知でしょうか?
※この市電以外にも『D51849』あり。

今日、この『1814』を見に行ったのですが、
その理由は、「中部産業遺産研究会」の方から
この1814が風前の灯と聞いたからです。

実は、この公園が今月限りで閉園。
SLは次の展示先が決まっているのですが
1814は行先が無いのです。

年齢的にこの電車の現役時代を知る者としては
1800系が時代の最先端を行く、
走行音の静かな「無音電車」の先駆けと
記憶しています。
また、私の地元ではこの無音電車の運行は無く
「栄」に出かけると、走り回る無音電車たちを
まぶしく見ていました。

その無音電車の唯一の生き残りがこの『1814』で
保存状態も極めて良いだけに
このまま本当に“廃車”になってしまうのは
いかにも惜しいと思うのですが…。
中部の産業遺産として
どこかで引き受けてくれる方(団体)は
無いのでしょうか。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!