2018年09月23日 20時46分

旧名鉄美濃町線美濃駅(4)モ601としあわせの黄色い鐘。

モ601。名鉄の美濃町線はモ512との並びを見ても分かるように面白い電車が走っていたと改めて思った次第。名鉄と言えばクロスシートと言う時代にあって、よくぞこの狭い電車にもそれを並べたものだと感心したことは今も覚えています。ただここの展示ではシートが撤去されており、それは少し残念。もっとも無人の場所での公開展示ですから、きっと管理面で難しいのでしょう。

電車に似合わないと言ったらそんなことはないといわれるかも知れませんが、仰々しい連結器。

ところで電車の前に何かあり。

「しあわせの黄色い鐘」。何々?

鐘の部分は踏切のモノ。鳴らす部分は吊り革。

書いてある通りに3回鳴らしました。「家内安全」「無病息災」「商売繫盛」…、良くあるお願いのパターンですが、商売繫盛はまあないとしてやはり「家内安全」「無病息災」はどこの神社仏閣でも私はお願いしている事です。もっともこれらは個人的な願いなので伊勢神宮の参拝の時にはしていませんし、そして今回はただ「幸せ」を願いました。

この「しあわせの黄色い鐘」は面白いアイデアだと思うし、実際に鳴らしている人は結構いました。決して私だけではありません。

2018年09月22日 20時44分

旧名鉄美濃町線美濃駅(3)モ512。

駅舎側でなく反対側からの一枚。地方私鉄の終点という“昭和の哀愁”が漂っていると書くと、どこからか怒られそうですが、この現役感溢れる佇まい(たたずまい)を見ながらこの駅でのんびり過ごすのは心の贅沢だと思っています。と、ここまで書いてやはりホームの高さがいわゆる電車用ではなく路面電車用であるということに気付く。でも前に書いた感想がそれで変わることはありません。

それにしてもずらりと形式の異なる電車が並んでいるのは壮観。ところで一番左の電車は元札幌市電のモ875(870形)。その形状は今の時代にあっても最先端のデザインと思うのは私だけ?きっとそんなことは無いですよね。ここでは前頭部だけがカットされてホームに置かれています。

さてモ512。(モ510形)

昭和50年前後だと思うのですが、名鉄新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)で下車し、駅を出た目の前の道路上にこの電車を見た衝撃はなかなかでした。

1978年(昭和53年)に谷汲線谷汲駅まで乗り鉄した時、岐阜市内線新岐阜駅前電停からこのステップを使って電車に乗ったはずです。

電車の中は…、きれいではありますががらんどう。クロスシートはどこに行った?

天井を見上げれば、ダブルルーフの様な形状。間違いなく数回はこの電車に乗っているのですが、その時は天井を見ていない。見ていればこの美しさを絶対に記憶しているはず。でも天井の色はピンクではなかったはず。現役時代にピンクだったらもっと印象に残っているはず。

運転台というより正面の形状に惚れ惚れ。

2018年09月21日 20時41分

旧名鉄美濃町線美濃駅(2)モ593。

出札口(切符売り場)、改札口あたりは大正というよりは私にとっては昭和のテイスト。

改札口から一歩足を踏み出す。

こちらも「旧名鉄美濃町線美濃駅プラットホーム及び線路」という名称の登録有形文化財。

文化庁の解説文:駅舎本屋の南面に高0.7m幅3.8mのプラットホーム2本がコ字形に取り付く。ホーム側壁は玉石張で,ホーム上屋はL形鋼で構築される。ホーム間には2線の軌道が残存し,駅舎本屋とともに近代軽便鉄道のターミナル駅の様相をよく留めていて貴重である。

保存されているモ593。「路面電車らしい電車」というのはちょっと変な表現ですが、This is 日本の路面電車はこんな形だと思っています。但し私限定の感想です。もっともおでこの方向幕の場所に「ワンマンカー」の文字があり、行き先表示が「板」というパターンは珍しいかも知れません。

車内は往時のまま。ところで名鉄美濃町線に乗った時の写真は何か残っているはずなのですが発掘できず。この(モ590形)電車に乗って美濃駅まで来たかどうかは不明。

運転台は今でも現役の雰囲気。

今日のおまけ。とさでん交通(土佐電鉄)で今も走る旧名鉄590形(591号)。今も同形式の電車が活躍しているのは地元の一人として嬉しい。

2018年09月20日 20時33分

旧名鉄美濃町線美濃駅(1)登録有形文化財、そして段ボール製のモ512。

2018年(平成30年)8月26日(日)。

岐阜県博物館に出かける前に名鉄美濃町線美濃駅を訪問。

1999年(平成11年)に新関~美濃間が廃止され、駅としての役割を終えて既に19年の歳月が流れています。しかし1923年(大正12年)に建てられた駅舎はその後も保存され、今は登録有形文化財「旧名鉄美濃町線美濃駅本屋」としてその姿をとどめているだけではなく中は公開されています。

参考までに文化庁のHPにある解説文には『美濃電気軌道株式会社新美濃町駅として建設。ターミナル型の駅本屋で,南面にプラットホームが取り付き,東妻面に待合室出入口を開ける。切妻造,下見板張で,正面の東妻は木骨を装飾的に表す。平成11年廃線となったが,今なお地域のランドマーク的存在。』とあります。

私にとっては1978年(昭和53年)11月12日以来の再訪で実に40年ぶり。

ところで駅舎の中に入って直ぐに目についたのは段ボール製のモ512。外に展示されている電車だけではなく駅構内にも“電車”がいるとは知りませんでした。

靴を脱げば車内に入ることが出来ます。

私の体では窮屈ですがそれはそれとしてやはり中を見てみたい!

なんちゃって運転台が微笑ましい。

車輪も段ボール製。もっともこの車輪で電車自体を支えているのではなさそうです。それにしても地元でいかにこの電車が愛されていたかが分かった次第。

因みに私がいた時間に、大人の来訪者は結構いましたが、中に入ったのは恐らく私だけ。(笑)

2018年09月19日 15時38分

岐阜県博物館のスロープカー(2)来た目的は鉄腕アトム。

岐阜県博物館では9月24日まで、『「夢虫!熱虫! 懐かしの漫画・アニメコレクション ~過去から未来への贈り物~」』が開催されており、それを見に来ました。

展示内容は鉄腕アトムをはじめ、ジャングル大帝、リボンの騎士、火の鳥、ブラックジャックなど多くの漫画を生涯描き続けた「漫画の神様」手塚治虫氏の作品のグッズを始めとしたありとあらゆる品々約1000点。

まずこんな乗り物のおもちゃに目がいくのは習性。

これだけの鉄腕アトムグッズ、手塚治虫グッズをかつて見たことがありません。

雑誌「野生時代」という名前に懐かしさを覚えるとともに、それに「火の鳥」が連載されていたのは記憶の外でした。

世界各国語に翻訳されている「鉄腕アトム」。

それにしても岐阜県博物館に「鉄腕アトム」がいなければ当然、私はここに来なかったわけで、そして来たからこそ出会えたスロープカー。

2018年09月18日 15時35分

岐阜県博物館のスロープカー(1)知らなかったその存在。

2018年(平成30年)8月26日(日)。

岐阜県博物館。岐阜県関市にあるのですが、公共交通機関で行くにはとても困難なところ。一番歩かずに行くにはこの関シティバスに乗るのですが、長良川鉄道関駅に近い関市の中心にあるバスの乗換え拠点「関シティターミナル」から一日数本しか走っていません。本数の多いバス停もあるのですが、そこからは20~25分ほど歩くことになります。

※関シティバスの停留所名は「百年公園」。

水~日には1日に6本運転されているバスでやってきた岐阜県博物館。スロープカーがあるとは知りませんでした。

後ろに見えるのが博物館で、距離は大したことは無さそうなので、上り坂とは言え、十分に歩ける距離です。しかし、そこにレールがある以上、これは乗らざるを得ません。

「らくらく号」とあります。間違いなく高齢者、小さなお子様連れ、障害のある方のために作られたのでしょう。

スロープカーに乗るのが目的で来たわけではないので得した気分。

2018年04月18日 20時37分

「瀬戸蔵ロボット博2018」の「アトム・タイムトラベル館」

「開業30周年 愛知環状鉄道の歩み」を見た後は末広町まで足を延ばしました。

昭和の時代が香るアーケード街。

その入り口に、電車の顔出し看板(顔出しパネル?)発見!鉄道系の顔出し看板はいろいろ見てきましたが、ここまである意味直球勝負は見たことがあまりないかも。しかも一体何年前の瀬戸電?

街は歩くのは楽しいですね。何かと発見があります。

「瀬戸蔵ロボット博2018」は3月27日(火)で既に終わっていますが、3月25日(日)に津から瀬戸まで足を延ばした理由の一つが、この「アトム・タイムトラベル館」を見ることにもありました。

知人の鉄腕アトムコレクター/小池信純さん(日本では多分、一番だと私は思っています)が提供しており、毎度の事ながらその圧巻の展示には舌を巻きます。ところで小池コレクションの全容を私は知りません。少なくともこの時の展示が、そのほんのほんのほんの一部であることだけはこれまで何度か見てきた展示で分かっているつもりです。

私の持っている唯一の「鉄腕アトム」。このTカードは小池さんがお持ちではないとの事で、近々小池コレクションの一つになります。私にとっても嬉しい限り。

最後に見つけたのは「省営バス発祥の地」。省営バスとは後の国鉄バスで、この地には「瀬戸記念橋駅」があり、バスの駅にも関わらず「みどりの窓口」があったことで一部の方には知られた存在でした。

2018年04月17日 20時07分

瀬戸市の瀬戸蔵に出かけました。

台湾の鉄道についてはまだまだ続きがありますが、その前に3月25日(日)の鉄活の報告。

さてこの日の午前中は近鉄電車で津市まで出かけ、そして午後からは名鉄電車で「尾張瀬戸駅」へ。

栄町駅発13:00の尾張瀬戸行きに乗車。

13:37に尾張瀬戸駅着。急行で30分、準急で32分の道のりをノンビリ普通電車の旅。そう言えば先回瀬戸に来た時も普通電車に乗ったような記憶あり。30分に1本の電車との巡り合わせ。

目的地は瀬戸蔵。でもその時開催されていた「瀬戸蔵ロボット博2018」が目的ではなく、

瀬戸蔵ミュージアム企画展「開業30周年 愛知環状鉄道の歩み」【~平成30年(2018年)4月22日(日)までの開催】の見学。愛知環状鉄道が開業30周年とは、もうそんなに経つのかと感慨深い。もっとも「つい最近」は10年前くらいであり、「ちょっと前」は20年ほど前であることは昭和世代の『あるある話』の一つ。話は戻してこの企画展は、愛知環状鉄道の歴史が分かりやすくコンパクトに纏められており、是非ご覧いただきたい内容です。今週末までやっています。

カメラに付けっ放しのズームレンズでは目一杯広角にしても入りきらない尾張瀬戸駅。

携帯電話のカメラに魚眼アダプターを付けて撮影してみる。

続いて駅舎内も撮影。

2017年12月18日 20時58分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(12)湯たんぽで温まりながらトロッコの旅。

到着して直ぐにレールマウンテンバイクの方向転換。

私が乗ってきたトロッコも準備完了。

さてひざ掛けの中は湯たんぽ。この日(11月3日)今年最初の使用だったそうで、足音ぬくぬくで快適なトロッコの旅。でもやっぱりここまで来たからには漕ぎたかったというのもウソ偽りのない感想。

往路は最後尾で、復路は先頭で走るトロッコ。だからこその動画をお楽しみください。

16:20。終点の奥飛騨温泉口駅が近づいてきました。

外国からのお客さんもいて、乗車前の注意事項の説明では日本語だけではなく英語でも行われていました。この飛騨の地の、日本人でもまだまだ知らない人が多いレールマウンテンバイク・ガッタンゴー。「桜の季節もお勧めですよ」とは地元の方の言葉。確かに紅葉の美しさだけがここの魅力ではないでしょう。楽しいひと時を過ごしました。ただ楽しいだけに、その楽しさを誰とも分かち合えない一人での旅により寂しさを感じてしまいました。

2017年12月17日 14時56分

奥飛騨名物/ガッタンゴー(11)神岡鉱山前駅点景。

神岡鉱山前駅から高原川の対岸の神岡鉱山まではかつて専用線があり、ここ神岡鉱山前駅から硫酸を積んだ貨物列車が出発していました。

今は昔の貨物扱いがあった時代に思いを馳せつつ、現実を見ればそこには軌陸車が停車中。

駅には大黒天様がいます。

この先、猪谷方面に向かうことは出来ません。

片道約3キロ。15:51に奥飛騨温泉口駅を出発し、10分強の終わりに相応しい、年月をかけて自然に埋もれつつある2本のレール。もっとも殆どの観光客には無縁の風景。まして感傷にふけっている人はきっといなかった。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!