2017年08月21日 16時37分

鉄道歴史パーク in SAIJO(1)0系の運転席に座る。

愛媛県総合科学博物館を15:51に出るバスに乗り、西条駅前に16時10分頃に到着。

伊予西条駅からは電車で松山に移動です。17:22発のしおかぜ17号をまずは予約。

1時間強の時間を使い、「鉄道歴史パークin SAIJO」を見学。四国に来てここを見ずして帰る事はあり得ません。

携帯電話のカメラのレンズに外付けする魚眼レンズでの撮影。

まずは機関士気分。DF50の運転台は見るのも入るのも初めて。

新幹線の運転士気分。

0系の運転台も初めて。こうしてみると時速210キロの世界は随分アナログな感じ。そりゃそうか?50年以上前の電車です。

ここの施設については下調べをせずに来たので何でも新鮮で、そもそもこうした内部公開をしていることすら知りませんでした。

2017年08月20日 16時32分

愛媛県総合科学博物館の伊予鉄道1号機関車。

マイントピア別子発14:05のバスに乗車。

きうり封じ号。

途中東城で14:35発の西条済生会病院前行きに乗り換え。

次の目的地である愛媛県総合科学博物館には少し遅れて15時頃の到着。ここでの持ち時間は50分。15:51のバスに乗り更に次を目指さなければなりません。

ここに来た目的は一つ!産業館に展示された「伊予鉄道1号機関車」。1/1スケールの複製。本物は愛媛県松山市梅津寺町にある梅津寺公園で保存・展示されています。

レプリカでも細部まで完璧に再現すれば見る価値は十分あります。とにかく登場時はかくあったであろう思えるほど素晴らしいの一言。足を延ばした甲斐がありました。それにつけても今回の旅で悔やまれるのは梅津寺公園の本物を見なかったこと。時間の制約によるのですが残念。

 

余談ですが愛媛県総合科学博物館は楽しい場所です。今回は時間が限られていたので全てを見ることが出来ませんでしたが、時間をかけて回る価値ありです。で、一番目を引いたのがこれ。場所が博物館だけに映画「ナイトミュージアム」を思い出していました。

そしてもう一つ、リニアのスピードを在来線の線路で体感するコーナー。単線をぶっ飛ばすスピード感には脱帽で、時速500キロとはこういうことかと納得させてくれます。一度お試しあれ。

2017年08月19日 16時28分

マイントピア別子(4)いよかん(いい予感)ソフト。

13:23に顔を出した列車で戻ります。

トンネルの中の写真撮影は結構好きです。

この日のお昼ご飯。時間の都合でレストランではなくすぐに食べられる巻き寿司。

かつて現役だった車両たち。ちょっと残念な姿。

廃線跡。

いよかん(いい予感)ソフトのキャッチフレーズに誘われました。

この日は暑かった!と言い訳しながら食べる。

2017年08月18日 16時25分

マイントピア別子(3)別子1号が走る。

東平(とうなる)から12:50頃に戻り鉱山観光。江戸時代から昭和までの別子銅山の様子を再現した施設を回ります。

そこまでの足が「鉱山鉄道」。

橋を渡りかつての火薬庫を利用した展示室に入ります。

明治以降の近代の姿のパノラマ展示。

ジオラマがよく出来ていて分かりやすい。

別子1号も走っています。

こんな感じで鉱石を運んでいたのでしょう。

貨車にお金が乗っている理由は不明。

2017年08月17日 16時23分

東洋のマチュピチュ(2)花咲く里。

この写真はただ風景を撮影したのではなく、ちょうどこの真ん中の辺りを水平に鉄道が通っていました。というお話し。

小マンプと呼ばれる鉱山鉄道のトンネル。

トンネルの中には鉱山で使用された機器が展示されており、そこには当然、鉱山鉄道の車両たちもあります。

手前の車両は人を乗せる「かご電車」。

山の中に咲く花たち。

名前が分からないのが残念。

2017年08月16日 16時21分

東洋のマチュピチュ(1)東平に到着。

大正9年(1916年)から昭和5年(1930年)まで採鉱本部が置かれていた場所、東平(とうなる)。

ペルーのマチュピチュは手に届かないけど、東洋のマチュピチュなら手が届くと思いやってきました。

最盛期には3800人が急峻なこの地で働き、暮らしていたそうです。

ガイド(語り部)さんの話を聞きつつ歩く。

この写真の住居の跡。建物の基礎らしき区画がありますが、その一つが1家族に割り当てられたスペースとのことで、あまりの狭さに驚く。

崖に聳え立つ廃墟を見上げる経験はどこでも出来るものではありません。

日本を支えてきた産業史を学びつつ絶景に遊ぶひと時。

2017年08月15日 16時19分

マイントピア別子(2)東平(とうなる)ゾーンに向かう。

園内の撮影ポイントを探しきれず若干未消化。

トンネルに入る後姿を見つつ10:42に撮影終了。

5月30日(火)のメインイベントは東洋のマチュピチュとして最近注目され始めているマイントピア別子東平(とうなる)ゾーン観光。11:00発の観光バス(このマイクロバス)が予約してあり、いざ乗車。

マイントピア別子ではガイド(語り部)さんが案内するツアーを実施しており、この日は無事催行。ここから東平に向かう狭い道路に入ります。

道路はほぼこんな感じ。バスと出会ったレンタカー(車のナンバーから推測)がそのまますれ違えずにバックしたのですが、急なカーブが続く道だけに運転していた方の必死の形相がちょっと可哀そう。教習所でもカーブのバック運転はやらなかった記憶あり。

山の中でも携帯電話はバリ3。そう言えば「バリ3」なんて最近聞かないですね、この言葉。既に死語?とか思いつつ山を仰ぎ見る。

2017年08月14日 20時17分

マイントピア別子(1)別子1号機関車と登録有形文化財。

やって来たのは別子銅山の鉱山跡を利用したテーマパーク「マイントピア別子」。道の駅にもなっています。

かつての鉱山鉄道の線路を使用している観光鉄道の撮影からスタート。

第四通洞。大正4年(1915年)に開通した別子銅山の大動脈となるトンネル。

廃線跡巡り鉱山鉄道編。中は往時の姿を留めている。

本物の83%の大きさで作られた別子1号機関車ですが、中尾トンネルを抜けて国の登録有形文化財である旧別子鉱山鉄道端出場鉄橋(足谷川鉄橋)を渡る雄姿はなかなかのものです。

参考までに「文化遺産オンライン」にあった解説。

『新居浜と端出場を結ぶ旧別子鉱山鉄道関連施設。橋長39mの単線仕様、斜橋形式の鋼製単トラス桁橋。トラスは、下弦材にアイバーを用いた125ftのボーストリング・ワーレントラスで、ピン結合とする。原位置に残る数少ないドイツ製橋梁の一つ。』

細かい文化財的な意義はさておき、橋を渡る姿は様になっています。この鉄道はプッシュプル運転で、帰りは客車が先頭となります。

ここだけ見れば、絶景を行く観光列車。但し最後尾の機関車は無人です。

マイントピア別子の入り口からこの橋までは十分に歩ける距離です。私の場合、10時にここに到着し、その後11時にマイトピア別子を出るバスの予約がしてあり、その間の時間を利用して園内をあちこちしていました。

2017年08月13日 16時14分

別子銅山記念館(2)一万本のサツキ。

本日からいわゆるお盆休み。皆様いかがお過ごしでしょうか?なおこのブログは通常運行です。

おっと気を付けなければならないのは明日の出勤。いつものように家を出るとあれっ?てなことになりそうです。

別子銅山記念館は山の斜面を生かした半地下式。屋根には1万本のサツキが植えられ、季節感あふれる景観を生み出していました。但し花を楽しめるのは期間限定。最初に見たときはこの独特の景観に驚かされましたが、改めてこうして写真を見ると、歴史を伝える記念館のあり方は本当に多様であり、それぞれの成り立ちや意味合いに応じてデザインすることの必要性を感じました。

ところで中の展示ですが、写真撮影禁止ですのでそもそも写真では伝えられませんが、別子銅山の歴史が分かりやすく展示されており、私のようにこれから別子銅山の産業遺産巡りをするならば是非、真っ先に訪れたいところです。この後の私の行動は後日お読み頂ければと思うのですが、ここに寄ったことで、それぞれの訪問地への理解が進んだのは間違いありません。パパッと見るなら3~40分、じっくり見るなら1時間は必要です。

最後に大山積(おおやまづみ)神社に参拝しここを去りました。

9:47発のせとうちバスマイントピア別子行きのバスに乗車。路線バスの時間の関係で別子銅山記念館まではタクシーで来たのですが、この日はここから路線バスの旅を楽しんでいます。

(参考)

手荷物は受付で預かって頂きました。この後の各施設でも同様の対応で、有り難かったです。もっとも貴重品を入れていないのが前提です。

2017年08月12日 15時42分

別子銅山記念館(1)508ミリゲージの車両たち。

季節は巡って今は8月なのにこのブログはまだ平成29年5月30日(火)で足踏み中。

朝一番で向かったのは愛媛県新居浜市の別子銅山記念館。1690年(元禄3年)に発見され、翌年から産出を始めた別子銅山の歴史を展示しています。場所は別子銅山の守護神が奉祀されている大山積(おおやまづみ)神社境内にあり、それもあって一般的な保存車両の展示場所とは趣(おもむき)が異なります。

出迎えてくれるのは昭和48年(1973年)に閉山された別子銅山で使われていた鉱山鉄道の車両たち。

私のお気に入りはこの坑内牽引用電気機関車。

この鐘を鳴らすのはあなたではなく、走る機関車です。どんな音なのかを聞いてみたい。

レールを見れば何と2つの軌間がある。右側は762ミリで一般的なナローですが、前の写真の26号機関車の軌間はそれよりはるかに狭い。で、検索。「編集長敬白 別子鉱山鉄道跡を垣間見る。(下)」に508ミリ(1フィート8インチ)とあり、日本では三重県の紀和鉱山・トロッコ電車や富山県の立山砂防軌道で610ミリゲージは知っていました(乗車経験あり)が、それよりも狭いと思ったのは当たっていました。

この貨車の可愛らしさにもナロー好きはノックアウト。

別子銅山記念館で一番有名な保存機関車。明治25年(1892年)、クラウス製の11トンBタンク機。国鉄の準鉄道記念物。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!