2017年04月16日 21時42分

D51 827の旅立ち。

今日、愛知県あま市甚目寺の地で大切に静態保存されていたD51 827号がこの地を離れ、和歌山県の有田川鉄道公園(和歌山県有田郡有田川町徳田124-1)へお輿入れすべく旅立ちました。おっとこのブログをUPした時間では、正確には「間もなく旅立ちます」ですね。

まずは朝7時半、トラックへの積み込みを前に、このD51の保存、整備に協力してきた方達で記念写真。

中央西線のさよならSL列車運転時の飾り(復元)もあって往時を偲ばせます。

どうやって運ぶのか?それはボイラー、足回り、テンダの大きく3つのブロックにばらし、それをトラックに積み込みます。

まずは空飛ぶデフ。

これが解体処分の旅立ちならば悲しくなるのですが、今回は「動態化」に向けての旅立ち。この風景も単純に「オーっ、凄いね」と笑顔で見られるのが嬉しい。

D51 827の頭を飾ったとされるナンバープレート。

こちらはレプリカとのこと。ピカールで磨き上げられ光り輝いていますが、磨いた本人いわく「磨き過ぎた…」のだそうです。

ボイラーを積むトラックでは荷台の最後の微調整中。安全第一ですので、気が抜けません。

慎重の上にも慎重を重ねて吊り上げ準備。

午前9時4分、トラックを定位置に着けます。

午前9時37分、ボイラーが上がり始めました。その瞬間、大きな音でもするかと思いきや大型クレーン車の音が静かに響くだけ。これは意外でした。

鉄道車両はもともと検査のために分解できるようには作られていますが、流石に40有余年を過ぎた車体だけに接合部分を確認しつつの作業です。

で、ここまで撮影して実は私は時間の都合でギブアップ。

以下は知人の「津島軽便堂写真館」様からお借りした写真です。

D51 827が空を飛ぶ!

さてこの続きは明日(4月17日)のキャッチ!をご覧ください。今夜、この地を離れるその瞬間(とき)まで取材しています。

2017年01月30日 19時49分

あま市のD51827、動態化へ。

昨日はあま市へ。

既に読売新聞、中日新聞などで既報で、今日の「キャッチ!」でも放送しましたが、これまで大切に保管されていた個人所有のD51827が、鉄道車両輸送のエキスパート「アチハ株式会社」で新しい活躍の場所を得ることになり、その最後の見学会でした。

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田園風景の中にあるD51827の居場所。

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実際にはこれからアチハさんの手で運べるように準備をし、時期はまだ未定(3か月後位とのこと)ですが大阪へと旅立ちます。そしてその後、圧縮空気で実際に動くように整備されるそうです。

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このブログでは、2016年3月30日から5日間この「D51827」を紹介させていただき、その際、「どこかで本当に走ってくれたら良いなあ。」とその時は『夢』をまとめに書いたのですが、よもやその願いが叶う時が来るとは思ってもみませんでした。
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中央本線最後の蒸気機関車としてお別れ列車を牽いたこの機関車が息を吹き返すのは本当に嬉しいことで、昨日は有志の手で中央本線の「さよなら運転」時のヘッドマークも再現されました。

最後にD51827の汽笛。昨年の4月3日の記事へのリンクです。

2016年12月24日 15時32分

簡易軌道バス見学会(10)《浜中・別海編》まとめ。

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平成28年11月6日(日)。

国鉄奥行臼駅舎のある位置から少し手前に来た右側のところに別海村営軌道の自走客車の乗降場があったはずですが、さすがに何も残っていないこともあって、それを思い描くことは出来ません。

さようなら、道東の簡易軌道。

さてここからは現実との戦い。翌7日(月)は通常勤務で朝の出勤時間に間に合わせるべく移動開始です。

今回のルートは

1)釧路空港発20:10のJAL544便で羽田へ移動。

2)品川駅近くのホテルで1泊。

3)明けて7日の早朝の新幹線で帰名。

バス見学会の釧路市博物館への戻りがあと30分早ければ、釧路空港19:05発のADO74便に搭乗出来、それに間に合えば新幹線で名古屋まで戻れるのですがそれはやはりリスクが大きく断念。

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で、釧路空港に着いたらADO74便は2時間半遅れ。原因は新千歳空港の雪害で、要は機材の遣り繰りによるものですが、この時点で新千歳空港の様子をネットで調べたら、欠航便を出ている状況でした。

まあ結局、日曜日中には名古屋に戻れなかったということです。

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今回の渡道から既に1か月半が経ちました。

こうしてブログの原稿を書きつつ北のナローに改めて思いを馳せています。

最後に今回お世話になった方たちのお名前です。

*釧路市博物館学芸員 石川孝織氏

*釧路製作所 奥山道紀氏

(バス見学会での解説・案内役)

*簡易軌道の研究者/清水一史氏

*簡易軌道の現役時代を撮影していた西村光氏

*浜中町営軌道OB/青田豊氏、井上崎男氏

*別海村営軌道OB/沢田正氏

*浜中町教育委員会の皆さん

*別海町教育委員会の皆さん

*釧路臨港鉄道の会の皆さん

(余談)

釧路に行くと毎回、釧路臨港鉄道の会の方やそのお仲間の方たちと懇親しています。(今回で4回目)

顔馴染みになった方もいれば、今回お初の方や、スケジュールが合わず残念ながらお会いできなかった方もいます。

鉄道だけの旅より人との触れ合いが嬉しい旅。歳のせいかそうした温かみを求めて釧路に出かけているのかもしれません。

2016年12月23日 15時29分

簡易軌道バス見学会(9)《別海編》国鉄標津線奥行臼駅。

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最後の見学地、国鉄標津線奥行臼駅。標津線は平成元年(1989年)の廃止ですが、それにしてもそこまでよく生き延びていたという感想を私は持っています。

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駅舎は今も残されていて外から中を眺めれば往時を偲ぶことが出来ます。懐かしい板張りの腰掛は昭和の時代は寝床代わり。そうっ、駅ネとかステーションホテルとかいう言葉が現実だった時代はすでに遠い昔です。

もっとも私は奥行臼の様な中間駅で寝たことはありません。

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行き交う列車はなくともこの駅は今もそのまま。

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恐らくキハ22形が通った道。DMH17のエンジン音、そして蒸気機関車の汽笛が今にも聞こえてきそうな錯覚を覚えました。

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それにしてもこれほどまでにそのままこの駅が残されているとは知りませんでした。

よくぞ残してくれているというのが実感。

2016年12月22日 20時27分

簡易軌道バス見学会(8)《別海編》奥行臼の自走客車。

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自走客車。

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釧路製作所製。釧路製作所はその名の通り釧路にある主に橋梁のメーカーで、本社には雄別鉄道で使われていた蒸気機関車(8722号)が保存されていることでも知られています。(私も見学したことがあります)

先に書きました釧路市博物館で配布されているペーパークラフトも釧路製作所が作ったもので、本物の走る自走客車から紙の自走客車まで作る日本で唯一のメーカーです。(笑)

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昭和46年(1971年)に廃止となった別海村営軌道ですが、自走客車の車内は思っていた以上に当時の姿を留めていました。

※今回はドアを開けて頂き中を見学していますが、別海町の担当者の方が立ち会わないと中を見ることは出来ないようです。

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貨車。往時のミルク輸送の一端を垣間見ることが出来ます。

釧路市博物館の「釧路・根室の簡易軌道」展にあったジオラマが、自走客車そしてこの貨車を見たこと、そして1日廃線跡巡りで見てきた情景と重なっていく瞬間でした。

2016年12月21日 20時25分

簡易軌道バス見学会(7)《別海編》奥行臼。

旧別海村営軌道風蓮線奥行臼停留所。

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別海町の指定文化財です。「停留所」。簡易軌道の「駅」は「停留所」の方が似合っていそうです。

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まずは線路と施設の配置図。国鉄標津線/奥行臼駅前まで線路が延びていますが、私たちがまず見学したのは左側のターンテーブルのある場所。

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当時の自走客車と機関車、そしてミルクを運んだ貨車が保存されています。

自走客車という呼び方は道東の簡易軌道ならではでしょうか?一般的には気動車でしょう。

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ターンテーブルが残っているとは思ってはいませんでした。これも貴重な遺産です。

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機関車はKATO WORKS。やっぱり良いですね。

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KATOとSAKAIがあればつまみなしでもお酒が呑める人はきっといるはず。広がりゆくナローの世界。

2016年12月20日 20時21分

簡易軌道バス見学会(6)《別海編》七号~五号。

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七号駅からは廃線跡を歩く15分強のミニハイク。

廃線跡が道路に転用されているところは意外と少ないそうで、因みに車で通ることも可能ですが、私が調べた限り地図にはない道です。なお航空写真で見れば『農道』の雰囲気です。

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何より北海道の風景が素晴らしい。

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天候のおかげもありますが、実に気持が良い。

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ミニハイクも終わりの時間となりました。こんな風景の中を走る列車に乗りたかった。

2016年12月19日 20時12分

簡易軌道バス見学会(5)《別海編》上風蓮~七号。

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平日、1日2往復の完全に通学専用のバスの時刻表。このバス停があるのが別海村営軌道「上風蓮」駅のあった場所。

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意外と開けた場所だと思ったもののそれは私の北海道のイメージのなせる業。

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各所では博物館の学芸員や地元の方がかつての現役時代の写真等を使い説明をしてくれました。

ようするに昭和(現役時代)と平成(廃止後)の定点観測で、平成は写真ではなく生の実景で見比べているのがポイントです。

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ここは別海村営軌道の「七号」駅があった場所。

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そこにあった植え込みに村営軌道で使われていた線路が残っていました。

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以前は用途があったはずですが…。話を聞いていたところ路線の廃止時に譲渡を希望する方に渡されたとのこと。

今そこにあるモノに歴史あり。でも地元の人の話を聞いていないと気付かない。はるばる釧路に出かけて良かった。そして改めて思うことは日本の歴史、北海道の歴史の一端に触れていることの面白さ。

2016年12月18日 15時09分

簡易軌道バス見学会(4)《浜中編》西円農協支所前・上風蓮。

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道道807号線、円朱別原野茶内線。道路の名前に“原野”がついているのはやはり北海道だからでしょう。

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バスの車窓には牧場。牛達がゆく秋を惜しんでいるかのようでした。って、そんなはずはないか?

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ここも駅の跡。西円農協支所前。私はバス見学会で説明を聞きながら回っているのでこの風景の一つ一つに「成程」「そうだったんだ」とか楽しい時間を過ごしていましたが、これを全く知識のない方に説明をするのは至難の業だと思いつつこの原稿を書いています。

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浜中町営軌道の「上風蓮」駅跡。上風蓮駅は浜中町営軌道と別海村営軌道の両方に同名の駅があり、実はどちらも別海村(現・別海町)内で、浜中町営軌道の路線は行政区域を超えて敷設されました。

補足すると地元では浜中町営軌道は「上風蓮(開南)」と言う呼び方で区分されており、この2つの簡易軌道が現役時代に、その両駅を歩いた鉄道マニアがいたとのことですが、両駅間は今の道路事情で7~8キロはあるはずで、まあ何ともご苦労なことです。

上風蓮1

©Google

とはいうものの地図で示さないと分からないでしょうが、浜中町営軌道「上風蓮(開南)」駅の場所は陸上自衛隊別海駐屯地矢臼別演習場の東南にある道道928号と813号の交差点辺りで、別海村営軌道「上風蓮」駅は現在の別海町上風連地域センターの場所です。興味のある方は調べて見て下さい。

余談ですが名鉄の「春日井」駅とJRの「春日井」駅も同名ながら離れていることで知られていますが、その比ではないですね。

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原野に戻っている線路跡。でも何となく分かります。ただ案内役の地元の方がいるのでここまで足を踏み入れていますが、そうでなければ…。

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駅舎の跡はよくよく説明を聞けば時の流れを感じることは出来ますが、そうでなければ…。

ここのところ私は廃線跡巡りを時折していますが、今回も感じたのは事前にその鉄道(路線)をある程度は調べておいた方が楽しめるということ。といっても私の場合はせいぜいネットでさらっと検索する程度。偉そうなこと言えません。

2016年12月17日 20時55分

簡易軌道バス見学会(3)《浜中編》秩父内駅跡。

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お昼ご飯は自前で用意ということでしたので、釧路駅の駅弁屋さんの支援を兼ねて「くしろ漁礁 かに飯」。

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昔ながらの「駅弁」という感じ。全面に紅生姜があしらわれている駅弁は私の記憶にありませんが、味の面では思ったほど主張しておらずいい感じ。

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昼食後は秩父内駅跡を探訪。浜中町役場が作った案内看板もあり、観光資源の一つのようです。

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パッと見、如何にもここに鉄道があり、かつては線路が敷かれていたことが想像できます。

奥の建物は簡易軌道が現役当時からのもので、茶内へ向かう方向を臨んでいます。

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振り返ればこちらは更に先に進む線路の跡。廃線跡巡りというよりは段々、北海道の秋景色を楽しむ気分になっていました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!