2017年05月26日 20時12分

1913年(大正2年) 陸軍特別大演習/新愛知新聞社

今日は地図ではなく絵葉書。新愛知新聞が1913年(大正2年)の陸軍特別大演習に合わせて発行したもの。

名古屋駅前広場(という表現で良いのかな?)に巨大な記念の門が作られています。陸軍の演習に参加した兵士の方たちはこの門を通って演習場に向かったのでしょうか?

2017年05月25日 20時04分

1910年(明治43年)1月20日発行 名古屋市内図/星野松次郎

明治43年発行の「名古屋市内図」。

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

この地図のトピックは幾つかありますが、まず目を引くのが画面左側の囲みにある名古屋港。1907年(明治40年)に開業しており、それもあってか、陸地が広くなっているのが分かります。

1896年(明治29年)に熱田駅も現在の場所に移っていますが、何と駅前まで運河が作られており、当時の水運の状況が分かります。

一方、名古屋駅は広小路通りの西端にありますが、東側の市街地に比べ、西側はまだ開発されていません。

我が笹島の地は「大字平野」の場所。

この地図の裏面には当時の写真もあり、これは2代目の名古屋駅。

名古屋駅から東に向かった広小路。

遥か彼方の時代ですので、懐かしいとかの感想は当然のごとくなく、ただ「へーっ」と思うばかり。

当時の名古屋から各地への距離の一覧もあり、そこでは鉄道よりも海路に目が点。大阪、神戸、横浜に並んで、「篠島」「常滑」「大野」とあるのが当時の海運を象徴していますが、そもそも「神社」ってどこよって調べたら、伊勢の川湊(かわみなと)で「神社(かみやしろ)」港を発見。地図はやっぱり面白い。

2017年05月24日 20時24分

1906年(明治39年)発行 鉄道五千哩祝賀会紀念絵葉書

今日から名古屋(駅)に縁のある絵葉書も紹介します。

五千哩(5000マイル)=8046.72キロ。

日本の鉄道が5000マイルになったことを記念した式典は名古屋で開催されました。

東京ではなく、なぜ名古屋だったのかという理由は私には分かりませんが、楽しい絵葉書が後世に伝えられました。

この絵の模様みたく見えるものは当時、開通していた鉄道会社の社章とのこと。それぞれの色が、そもそも各社の“色”だったのでしょうか?などと興味は尽きません。

その真ん中にある絵は、明治5年、鉄道の歴史がいよいよ始まるとして新橋駅にて行われた記念式典のもので、「新橋横浜間鉄道開業式御臨幸之」とあるので、天皇陛下が列席された様子を描いています。

今も美しい色が残る1枚。距離標には5000Mと書かれていますが、この絵の場所がズバリ5000マイルということではなく富士山を背景にしたイメージ画でしょう。

ところでいつもならキロポストと書くところを、今回は哩(マイル)に敬意を表して距離標と書いてみました。

名古屋城と蒸気機関車。名古屋のシンボルはやはり名古屋城!

絵葉書の表面(宛名面)。スタンプにはしっかり英語表記もあり、明治時代の国際化の一端が垣間見えると言ったら言い過ぎでしょうか?

上の写真はセットなのですが、それとは別に手に入れた鉄道五千哩祝賀紀念の絵葉書。鉄道写真を撮り始めた時に、まさにこの角度で撮影していたと言いたくなるほど私にとって鉄道写真のお手本の様な一枚。というのが私の感想。

2017年05月23日 20時00分

1894年(明治27年)2月9日発行 尋常小学 愛知県地理歴史/沢辺慶作

明治27年発行の「愛知県地理歴史」は小学校の社会科の教科書といったところでしょう。

そこにある「名古屋は熱田の北にあり…」がまさしく当時の“日本国内”における名古屋の地位を如実に物語っています。

「市街縦横に通じ、家並み正しく、商工業頗る(すこぶる)盛(さかん)にして…」とあるのですが、碁盤の目の「名古屋の街並み」は当時から知られていたようです。余談ですが、名古屋の人は道を聞かれると、「そこの交差点を北に…」といったように東西南北で教えたりしますが、これは全国的には珍しい部類です。(東京では「右」「左」です)

大きな2重丸の名古屋と直下の小さな2重丸の「アツタ」を見れば「なるほど、ふむふむ」と相成ります。

個人的には「天パク川」に馴染みがありますが、驚きなのは「アツタ湾」の名前。当時はまだ「名古屋港」が無かったとはいえ、こんな時代があったのですね。

最後に尾張全体の地図。こちらも興味津々。明治から現代までのあまりの変化に驚くばかりです。

2017年05月22日 20時56分

1887年(明治20年)6月15日発行 名古屋明細全図/川瀬善一

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

明治20年発行の名古屋明細全図。

そのエリアを現在のグーグルマップで当てはめるとこんな感じ。今の名古屋市と比べるべくもありません。

明治19年5月1日に「名護屋駅」(明治20年に「名古屋」に改称)が開業しているので、地図には「ステーション」があります。

よく見れば広小路通りが開通しており、他の道路に比べて格段の広さで東西を走っているのが見て取れます。

矢印で「愛知県庁」とした場所が今の栄に当たります。

熱田神宮の近くには蒸気機関車が牽く列車も描かれていますが、その南にあるはずの「熱田駅」がありません。

そこからはるか南の地、今の新堀川の南に当時の「熱田駅」はありました。図の右下に「蒸気船」の絵があるのが分かりますでしょうか?当時、名古屋の水運の玄関口は熱田にあり、その熱田港から近いところに鉄道との荷物の積み替え拠点としての駅を設置することは必然だったようです。

2017年05月21日 10時52分

1878年(明治11年)1月発行 名古屋熱田全図/藤井富太郎・内田健之丞・長谷川孫助

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。

明治11年発行の「名古屋熱田全図」。まだ鉄道たる東海道線の開業前で、140年前の名古屋の地図からは現在の大都市としての隆盛ぶりは微塵も窺えません。

「名古屋」「熱田」と並んだ表記からも見て取れるように、今の時代と大きく異なるのが「熱田」の重み。(後日詳細に書きます)

現在の名古屋駅~栄界隈。

栄町の地名があり、それを中心にしたエリアの東西を結ぶ道路が広くなっています。

右側を縦に流れる堀川にかかる「納屋橋」からやっと、現代との位置関係の比較ができる程度。何もないところに名古屋駅が作られたのが分かります。

2017年05月20日 10時48分

江戸時代 名古屋城下図/名古屋路見全図

子供の頃から地図を見るのが好きでした。中学生くらいからは地図を見ながら、机上で旅をすることを覚えました。いつからか地図は地図でも時刻表の路線図の旅が始まり、それは今でも続いています。

古地図に興味を持つようになったのはほんの数年前で、具体的には中京テレビが笹島への移転を決めたことがきっかけ。そもそも「名古屋駅」「笹島駅」はそれぞれがどんな場所に作られたのか知りたくなったというのがその理由で、それを紐解くには昔の地図が欠かせないということで古地図の世界に入り込みました。

さて今日から暫く我が地元である名古屋駅・笹島駅を中心にした「古地図の楽しみ」にお付き合いください。

※名古屋の全域の地図はあくまでも全体の雰囲気ということでご覧ください。地図はデータ量を減らしているため、拡大しても細かい地名までは読み取れません。m(_ _)m

江戸時代後期の地図を復刻したと思われる地図本「名古屋城下図」にあった「名古屋路見全図」。

江戸時代の名古屋の街は名古屋城を中心にした城下町であることが一目瞭然です。

そして矢印のところに「笹島」の地名がありました。

この当時はまだ「広小路通」もなく、しかも「笹島」の地は名古屋の西の端であることが分かります。

※「名古屋城下図」について…復刻であることは間違いないのですが、この本には出版元の表記がありませんでした。古書店での購入です。

次回以降の地図も同様ですが、オークションサイトと古書店で手に入れています。ちょっと深みにはまった感あり。

2016年10月18日 20時56分

中京テレビ本社移転!フィルムカメラ。

DSC_0099本社移転もあって、以前使っていたフィルムカメラもお出ましです。

主にニュースの取材用に使っていたもので、これらのカメラでは16ミリのフィルムで100フィート(約30メートル)の長さのポジフィルムを使っており、ASA100のものが主で、時々比較的暗い現場に出る時はASA400のフィルムを使っていました。

1秒24コマで撮影できる時間は3分弱。この2つの機種では音が入らず、隔世の感ありですね。

DSC_0103

キャノンスクーピック。扱いやすいカメラで事件・事故の現場等で、機動性を重視して三脚を使わない時はほぼこのカメラを持ち出しました。私が左目を開けているのは、現場で周りの様子を見るために、時々は左目を開けて確認していたことを再現しているものです。

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こちらはベルハウエルDR。ズームレンズではなく3本のレンズをくるくる廻して使うタイプ。しかもぜんまい駆動でバッテリー不要です。

また1眼レフではないため、レンズに書いてある1mとかそういう距離を感覚的に合わせて撮影しており、使い始めた頃は何度か「ピンボケ」で使い物にならない映像を撮影していました。(恥)

※正確に言うと、レンズを通してピントを合わせる機能は付いているのですが、それを使うには結構な時間がかかり、現場ではそれをしている余裕もなく、使い方は知っているが殆ど使うことに無い機能で、三脚を使いきっちりした絵を撮る時限定でした。

さて左目でファインダーを覗いていますが、これがDRの流儀。おでこにカメラ本体をつけ、安定させて手ブレを防ぐための手段です。

この2種類のカメラは確か昭和50年代まででその役目を終えており、今回は久しぶりにその感覚を味わいました。

2016年10月17日 20時34分

中京テレビ本社移転!さようなら、Bスタジオ。

一寸鉄道から離れます。

中京テレビの本社は来月(11月)21日、名古屋駅地区ささしまライブ24に移転します。今の昭和区高峯町の地で過ごす時間もあと僅か。現本社で一番大きいスタジオ/Bスタジオで制作する番組は既に笹島の新社屋で制作されており、Bスタジオは今はこんな感じになっています。何も無い。

DSC_0097

僕らはここで生きてきた。

DSC_0098もう使わない壁面(ホリゾント)にはスタッフが描いたチュウキョ~くんがいるだけではなく、スタッフや出演者が思い出を書いています。

DSC_0107恩田アナウンサーのデビューは1990年4月25日放送の「ルックルックこんにちは」のアシスタント。入社して直ぐで、テレビ初登場が全国ネットの生放送でした。いつもの「ルックルックこんにちは」なら日本テレビの女性アナウンサーの担当なのですが、名古屋に来られないということで、だったら「うちの新人アナウンサーでどうですか?」と日本テレビのプロデューサーに提案をしたら一発OK。偶然の産物でした。

DSC_0200

その時の台本。私は中京テレビのプロデューサーでした。

DSC_0092

こちらはサブ(サブコントロールルーム・副調整室)。この真ん中がディレクターの座る席で、複数台のカメラの映像の切替を始め、映像・音声・照明に関する全てのコントロールを行うところです。

喜びも悲しみも幾歳月。その映画ほどのことは無かったものの、私にとってはこちらも思い出が一杯です。新人ディレクターの頃は本番前から心臓バクバクで、VTR収録であれ生放送であれ、いつも本番はあっと言う間の出来事でした。

1981.07.02 6時のNews D写真こちらはBスタジオではなくAスタジオ(Aサブ)での本番中。1981年(昭和56年)7月2日の日付けがあるので「6時のNEWS」という夕方ワイドニュースの本番中の写真と思われますが、この写真は数年前に技術スタッフの方から貰ったもので、そもそも写された記憶がありませんでした。参考までに私の左側の方が技術の責任者で、カメラの切替を行うスイッチャー。右側の女性はタイムキーパーで時間の管理を行う担当です。更にこの右側に音声さん(出演者やVTR、音楽等の音関係の担当)の居場所です。

このAスタジオもお別れです。

 

 

 

 

2016年08月12日 16時50分

名駅物語~地名になった駅の130年~

KITTE名古屋2

名古屋の新名所/KITTE名古屋。

KITTE名古屋1

そのアトリウムで「名駅物語 地名になった駅の130年」と題して、名古屋駅の開業から今年までの歩みを写真、地図、資料類で振り返る展示が始まりました。

KITTE名古屋3

私が会員となっているNPO法人名古屋レール・アーカイブスでは、この展示に所蔵写真、地図、資料類の提供で協力させていただいています。

1942 鉄道温故資料 初代駅舎 名古屋鉄道局

130年前の開業時の写真。名古屋駅の歴史を語る際には必ず登場する1枚ですが、当時の写真はこれしか残っていないとされています。今回は1942年に発行された「 鉄道温故資料」という本に掲載の写真です。

2016 名古屋駅

こちらは今年の姿。この2枚の写真を繋ぐ名駅のドラマは是非、会場でお楽しみ下さい。

8月21日(日)までの開催で入場無料です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!