坑道を支える枠は木を使っており、途中にこうしてまとめて置いてありました。鋼材を使った方が丈夫で良さそうな気もしたのですが、鉱山の規模やその土地の諸条件で、枠の素材は一概に決められないのだそうです。
2018と書かれた枠。つまり私たちのいる坑道は、昨年掘削されたものだという証。
鉱山の中に入るという事は、実は結構レアなことで、特に現役の鉱山にこうして観光客が入るという事は、私はその例を知りません。まずは安全確保ができるかどうか、それはあってはならない事ですが、例としてあげれば万が一の落盤事故の際に、誰が責任を取るかということです。
この鉱山を経営する会社が、安全に絶大な自信を持ち、かつ地域と生きる会社としてこの地域ならではの産業を広く知ってもらおうというある意味、絶対的な覚悟が無ければ出来ない事です。奥三河にある日本のオンリーワン企業の矜持と言ったら大袈裟でしょうか?いや、そんなことは無いと思います。このブログを読まれた方で、この鉱山に興味を持たれた方は、是非一度足を運ぶことをお勧めします。
そして女性ならファンデーションの原料を、時に思い出していただければ幸いです。
本当に本物の採掘の最前線。目の前に岩盤があり、そこが線路の終点。いわゆる炭鉱の採掘現場の小さなパターンかと勝手に思い描いていましたがそんなことはなく、それぞれ採掘の目的たる鉱物が変われば、当然のことながらそれを掘り出す方法も変わるという当たり前のこと。
私たちが入れるのはここまで。この先に絹雲母(セリサイト)の地層があり、それを掘っているとのこと。
これがここで掘り出したばかりの絹雲母(セリサイト)。鉱物と言うから固い石状のものを想像していましたが、粘土鉱物なのだそうで、当たり前ですが触った感触は粘土そのもの。これを精製して製品として出荷しています。
現役時代、東海3県の市町村の内、多分7~8割は取材でお世話になっており、ここ東栄町は1度、カービング(木工芸彫刻)の取材で来ています。ただその時は、それ以上にこの町を知るような取材を怠っており、ひょっとしたらその時にこの人力トロッコと出会えていたかも知れず今思えば残念。
鉱山の説明を聞きつつ、坑道を奥に進む。トロッコを撮影する同行者たち。多くの方はトロッコそのものに興味津々ですが、私は分岐器にも興味津々。面白い。
ところでですが、ここに来るまで私は手で押して動かすトロッコの存在は、合理化の波に乗り遅れた、時代遅れの存在なのではないかと感じていました。しかし今も現役である理由はちゃんとある訳で、現場を見ることでそれを理解し始めていました。
そして奥三河の山中になぜ化粧品の原料を採掘する鉱山があるのだろうか?という疑問も含め、坑道奥深くのここに到着するまでには、ほぼ解消していました。
というか、このツアーの参加者の方の半分は鉄道が好きな方と思えたのですが、三信鉱工の社長さんへの質問は、鉄道というより産業としての「鉱山」の質問が多く、それは私も同様でした。
坑道内はこうした分岐ポイントが一杯。その理由は…。三信鉱工では鉱山探検(坑内見学)を定期的に行っており、もっとも秋までは既に予約が入っているようですが、是非、自分の目と耳で確かめられることをお勧めします。
坑道の入り口が開けられました。この段階で、2本のレールに心ワクワク。
しかも振り向けばこんなトロッコが私たちを出迎えており、既に気分は考古学者のインディアナ・ジョーンズ教授。もう後戻りは出来ません。
一方は真っすぐ進む線路。もう一方はほぼユーターンしていく線路。あなたならどっちを選びますか?
とか書きたくなる気分は分かってもらえますよね。
それにしてもここが超小型の人力トロッコなのでこれほどの急カーブも作れるし、トロッコも回れるのですが、これが小なりと言えどバッテリー機関車が牽くトロッコだと常識の範囲内での線路配置になっているだろうというのが私の感想。
三信鉱工株式会社で採掘してる鉱石。絹雲母(セリサイト)と言います。これが何かと言えば、化粧品のファンデーションの原料。
この会社は今では日本で唯一の絹雲母鉱山という事で、日本の化粧品業界を支える企業が愛知にあるとは知らなかった。そして誇らしい。
鉱山の事務所から歩くこと約10分。結構な急坂を上っていきます。
坑口に到着。2本の線路があるだけでワクワク。
坑道の入り口にある神棚は、やはりここが生きている鉱山であることを伺わせます。現役で稼働中の坑道に入るのは我が人生で2回目。最初は石原産業紀州鉱山(三重県南牟婁郡紀和町=今の熊野市)で、それは仕事での訪問でした。
それにしてもこれから現役の鉱山の中に入る訳ですが、そのこと自体が、これまでの私の人生の経験値の中で「事件」です。
ナロー+トロッコというだけで私は悶絶します。
しかもそのトロッコを人力で動かしている鉱山が奥三河にあるという。令和の時代の日本に本当にそんなもの(前時代的なもの)があるのだろうかと半信半疑で出かけました、そしてそれはちゃんと現役で存在していました。
今回は豊鉄(豊橋鉄道)バスが主催する『奥三河再発見 特別企画「魅惑の粟代鉱山軌道」』というちょっと怪しげなタイトルが付いたツアー。
先月(6月)15日の土曜日に出かけたのですが、集合は豊橋駅に朝8時半。朝6時起きで家を出たのは6時半過ぎ。久々の早起き。それにしても25名定員のこのツアーに知人が二人。地元豊橋市と同じ三河の岡崎市在住の方で、それだけでも本当に偶然なのですが、更に更に岡崎市の方とは席が隣同士でした。
バスに揺られること1時間50分。朝10時20分過ぎに目的地/愛知県北設楽郡東栄町大字振草字上粟代宮平3番地に所在する三信鉱工株式会社に到着しました。
でもその会社の前にあった今は廃校となり、それでも校舎がちゃんと残っている粟代小学校についつい目がいってしまった。何せそこには二宮尊徳像があったから。私が子供の頃は、多分どこの小学校にもあったこの像。今も現役で残っている学校ってあるのでしょうか?
まあ余談は余談としてまずは社長の三崎順一さんから、鉱山の歴史と今の採掘状況についての説明をお聞きしました。さてどんな鉱山かはまた次回。