2010年08月12日 17時34分

立山カルデラ砂防体験学習会

平成20年7月16日(水)
富山地方鉄道電鉄富山駅発7:25に乗車、
立山駅着8:28。

立山駅の直ぐ目の前にある「立山カルデラ砂防博物館」での
受付時間8:30~8:40にギリギリ間に合いました。
※写真の建物が「博物館」です。
 また手前の観光バスが学習会参加者乗車用で、
 どうでもよい話ですが、運転手さんは女性でした。
 今時ですよね。

学習会の参加費は1700円。多分、学習会費というよりは
貸し切りバス代と思われました。

で、まずは学習会の概要とコース説明を受け
その後、博物館を(ささっと)見学して9時過ぎに
バスに乗車しました。
(参加者は多分、20名)

案内役は、『砂防工事』OBのボランティアの方だったと
記憶しています。

ところで「トロッココース」は2班あり、
私たちのように午後2時過ぎにトロッコに乗車する『1班』と
午前中にトロッコに乗車する『2班』です。

トロッコで下る(1班)か上る(2班)かの違いですが
それぞれ違う楽しみでもあり、一度乗れば
今度は逆コースを“体験学習”したいと思うことは
間違いありません。

2010年08月12日 9時01分

立山砂防軌道への道

富山県の「立山砂防軌道」。
一般的にはこの呼び方が分かりやすいと思いますが、
国土交通省立山砂防事務所では通称“トロッコ”、
正式には“立山砂防工事専用軌道”と呼んでいます。

この6月14日からこのブログでUPした
同じ富山県の「関西電力黒部専用鉄道」同様、
「応募」~「抽選」~「当選」の段取りを経ないと
乗れない鉄道です。
※詳しくは「立山カルデラ砂防博物館」のHPで。

で、私は2年前の平成20年7月16日(水)に乗車しました。

トロッコの乗車は
『立山カルデラ砂防体験学習会』(トロッココース)の日程に
移動手段として組み込まれているもので、
決して“トロッコ”の乗車が主目的ではなく、
本来は、この鉄道が作られた目的である
『立山カルデラ』の砂防工事の“学習”がメインです。
誤解なきよう。

でも、「乗り鉄」である私のメインはやっぱり「トロッコ」。
ということで、「立山砂防軌道」について書かれた
HPが山ほどあるのは承知の上で、しばらくお付き合い下さい。

2010年07月15日 9時00分

木曽森林鉄道を訪ねて

今回、参考にした
1)「森林鉄道を訪ねて」(1963年3月1日刊)
  ※写真右側
2)管内概要/昭和46年度
  ※写真左側
以上2冊は、何れも「上松運輸営林署」が
出したものです。

2)の方は、ある種官公庁の定期報告文書といった
内容ですが、
1)の方は、営林署の事業のあらましと
森林鉄道沿線の観光案内的な紹介がされています。

この中には、今回シリーズでUPした王滝本線のみならず
7月9日から紹介をした
赤沢森林鉄道の元となる「小川森林鉄道」の記述も
入っていました。
※因みにこの冊子では、「王滝本線」は「王滝森林鉄道」と
 記載されていました。
また最後に、この冊子の編集は当時の営林署の庶務課の方を
中心に職員の方たちの協力で出来上がったとありました。
全文をお見せできないのが残念ですが
当時を知る貴重な資料と思います。

で、何故この冊子が私の手元に?
多分、営林署に入り込んで
「鉄道マニアの心と木曽森林鉄道への愛」を必要以上に“熱く”
語った結果だと思われます。
古き良き時代だったと言うことでしょう。

木曽森林鉄道 完。

2010年07月14日 18時04分

木曽森林鉄道 王滝本線 C4型

平成49年9月27日(金)の木曽森林鉄道
王滝本線は前日の曇り空から悪化し、
時折土砂降りの雨でした。

途中の対向列車との行き違い時に、身を乗り出して
写真を撮ろうとしていたら
運転士さんが手招きをして乗せてくれました。
(そういうことは覚えている)
※因みに離合した列車の写真は上手く撮れませんでした。

酒井工作所製C4型は、思っていたよりも大きく
中も広かったと記憶しております。

ところで、もしも私が「みやま号」の上松への戻りに
乗っていたとしたならば
滝越発は14:20頃で途中ですれ違うとすれば
場所は大島停車場(15:50頃)で、
月・水・金運転の「みどり号」のはずです。
その場合、対向列車を待つのは本来「みどり号」の方で
この日、信号所みたいな場所で随分待たされた覚えがあるので
一体、私はどんな列車に乗り、
どこの停留所でどの列車と行き違ったのでしょうか?

2010年07月14日 9時22分

木曽森林鉄道 王滝本線 上松行き

王滝本線滝越停車場に停車した後、
私を滝越まで運んだ列車は出発して行きました。

何とものんびりした写真ですが、
私はどんな気持ちでこの列車を見送ったのでしょうか?
(自問自答)
山裾の川沿いにへばりつくように走る木曽森林鉄道。
どこか懐かしい“心”の風景です。

今回の写真で、カラー写真が今ひとつ鮮やかでないことに
ついて一言。

私が使用しているフィルムスキャナーの能力の問題は
確かにありますが、昭和40年代、50年代のフィルムの
退色は相当に進んでいます。
※更に言うと、『30分現像』とかを売りにしていた
 現像所が大繁盛していた時代に、
 そこに現像・プリントを出していた場合は、
 時間短縮のための工夫を現像所がしていたこともあり
 その分、フィルムの退色が早いと聞いています。

私は、今、時間を見つけて1枚1枚フィルムを
JPEGにしているのですがなかなか進んでいません。

正直、時間との戦いではあります。
皆様方も古いフィルムを持っていて
デジタルデータにしたいとお考えでしたらお早めに!
※経験から言って、モノクロ写真はまだ大丈夫です。

2010年07月13日 18時00分

木曽森林鉄道 王滝本線 滝越停車場

昭和49年9月26日(木)14時過ぎ、
木曽森林鉄道王滝本線「滝越停車場」に到着です。
※「滝越」は、上松から32.8キロ。

ここで当時の思い出で一つだけ鮮明なことがあります。
それはこの滝越停車場で列車を降り
民宿に泊まっていることです。
これだけは確実です。

不思議なのは、翌日、木曽森林鉄道で
上松に戻っているのですが、
私は、上松運輸営林署の担当者とどういう交渉をして
了解を取り付けたのでしょうか?
※飛び込みで入った民宿の方が、
 結構驚いていたことを思い出しました。
そして滝越から乗った上松行きは
「みやま号」だったのでしょうか?

それにしても昼下がりの時間から
およそ何もない場所で何をしていたのでしょうか?
私の記憶が飛んでいるので申し訳ありませんが
何故、ここに泊まることにしたのかその理由すら分かりません。

2010年07月13日 9時02分

木曽森林鉄道 王滝本線 堰堤停車場

写真の左端に、カーブミラーの影になって見にくいですが
「堰堤停車場」とかろうじて察しがつきました。
※「みやま号」の「堰堤停車場」到着は、11時半過ぎ。
 上松起点で41.3キロ。

上松運輸営林署「森林鉄道を訪ねて」(昭和38年刊)を
参考に読み解くと、この「堰堤停車場」は
終点の「本谷」に近い三浦ダムの堰堤そばにあり、
『ダム見学の方はここで下車』とあります。

その内容とこの写真から察すると、
私は、「みやま号」で終点の「本谷」には行っておらず
ここで下車し、この列車を撮影したものと思われます。
※一般客は「本谷」まで行かず、ここで引き返した?
(私の写真には「本谷」の写真が一枚も無い)
但し、当時の写真撮影はデジカメと違って
決してお気楽ではなく、最低限度しか撮影していないので
行ったけど撮影しなかった可能性はゼロではありません。

この列車のヘッドマークは「みやま」ではなく
「臨時列車」だったのですが、
機関車の後ろに客車がつながっていたのか
運材運搬車がいたかは定かではありません。

2010年07月12日 18時01分

木曽森林鉄道 王滝本線 関西電力専用線

長野県に源流を持つ『木曽川』は
何故か「中部電力」ではなく
「関西電力」が発電の水利権を持っています。

そのため、木曽森林鉄道の終点近くにある
「三浦ダム」も関西電力の発電用ダムでした。
この三浦ダムの下部に関西電力の専用線があり、
写真は関西電力の車両です。(間違いない!)
※機関車の色で判断しています。
※一見、立山砂防軌道風。

森林鉄道の小さな客車で、しかも満席の状態で
あまり車窓を楽しむことも無く、
ただひたすら乗り続け、
一体、この写真はどうやって撮ったのかすら
覚えていません。

そもそもこの日、昼食とお茶はどうしたのでしょう?
多分、旅館に頼んで作ってもらったのでしょう。

2010年07月12日 9時07分

木曽森林鉄道 うぐい川線?

この写真は、右隅にある「安全第一」の縦看板から
大鹿停車場で撮影したことだけは間違いないのですが、
客車1両の列車は王滝本線を走るものではありませんでした。

多分、大鹿から分かれていた「うぐい川線」に
入っていったものと思われます。
※「うぐい」は、「魚」偏に「成」と書くのですが
 字が出てこなかったのでひらがなにしました。
※「うぐい川線」は、「大鹿」から「坊主岩」まで
 8.4キロ。木曽森林鉄道で最後まで残っていた。

人の入山下山の際、この酒井の5トンタイプの機関車に
客車が引かれて運転されているとは聞いていたので、
たまたま運良くそれに当たったものと思われます。

個人的には客車を3~4両引いた列車より
この方がよほど“森林鉄道”っぽく、
多分、王滝本線よりも凄い深山幽谷に分け入ったものと
推察され、時代が戻れるものなら
拝み倒して何としてでも乗りたかった!

2010年07月11日 18時40分

木曽森林鉄道 王滝本線 大鹿停車場Ⅱ

木曽森林鉄道 王滝本線大鹿停車場での
生活に必要な品々の荷物降ろしです。

木曽森林鉄道は、沿線の住民にとって
単なる移動手段ではなく、正に生活の足で、
こうした荷物も木曽森林鉄道で運ばれていました。
※他の写真も見るとここで4~5個程度を
 降ろしたようです。

沿線は、道路の整備が進みつつありましたが
それでも「生活を運ぶ」主役はまだまだこの森林鉄道でした。
確かに不便。でも運んでくれる鉄道があっただけ
“まし”という考え方も成立していた時代であったことは
間違いなさそうです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!