2010年04月25日 9時07分

井笠鉄道 ホジ3

井笠鉄道のディーゼルカー「ホジ3」の運転席。
自動車のようなシフトレバーと
鉄道らしいブレーキレバーは
当時の「ど」のつく私鉄ローカル線の
ディーゼルカーでは
まれに見かけるものでした。

すでに当時の国鉄では
このタイプは全滅していたと
記憶しており、
他線での経験ですが
シフトアップしながら
スピードをあげる感覚は
まるでレールの上を走るバスのようでした。
※乗っている感覚はバスより
 トラックに近いものがありましたが…。
これでレールから降りて走ることができれば
まるでDMVですね。

2010年04月24日 12時08分

井笠鉄道 ナロー終焉の時代

昭和46年3月27日、廃止を目前に控えた
井笠鉄道を訪ねました。
※井笠鉄道(岡山県)
 JR西日本(当時は国鉄)・山陽本線「笠岡」駅と
 井原鉄道(当時は未開業)の「井原」を結んでいた。
 ゲージは762ミリのナローで非電化。

「鉄」ではない友人との
九州2人旅の帰りに
「倉敷にも行こう」ということになり、
であればということで無理をお願いし
大分から乗車した急行「日南3号」を福山で降り、
426Mに乗りつぎ
笠岡に着いたのが朝の6時42分でした。

本当は1区間でも乗りたかったのですが
笠岡駅滞在時間は25分。

非電化ナローでは石川県の「尾小屋鉄道」が
まだ生き残っていました。

2010年03月27日 10時15分

越後交通栃尾線除雪車

越後交通の話しは
これで最後にします。

除雪車ということは
ご覧のとおりですが、
モーターカーだろうということは
推測がつきますが
「車体番号」とか「製造メーカー」とか
当時は調査する気持ちが全くなく
単に「越後のナロー」に乗ったという
事実に大満足して終わっており、
今思えば、
随分もったいないことをしていました。
それが『乗り鉄』の『乗り鉄』たる
所以でしょうが…。

2010年03月26日 19時17分

越後交通栃尾線 上見附駅

当時の越後交通の終点、
上見附駅です。

上見附から先、
スイッチバックで栃尾までの路線が
あったため線名が栃尾線でした。

車体番号「215」が見えますでしょうか?
さらに中央の窓下には
分かりにくいですが『EKK』の
社名が入っています。
ところで今でも十分に通用するデザインだと
思いませんか?

2010年03月26日 9時06分

越後交通栃尾線ED51

越後交通栃尾線は、昭和48年当時としては
比較的近代的な感覚の電車も
使っていたと記憶しています。

一方、電機はと言えば
古豪の雰囲気すら感じる
ED51がいました。
撮影時点ですでに貨物輸送も旅客輸送も
その使命を終えていたはずで
今思えば、線路を除雪した跡もあり
一体何に使われていたのでしょうか?

2010年03月25日 18時19分

越後交通栃尾線

新潟県長岡市に、昭和50年まで
越後交通栃尾線というナローがありました。

私が乗ったのはまさに大雪の
昭和48年(1973年)12月28日。
わずかに残っていた「長岡」~「上見附」間です。
※もう少し早ければもっと長い距離が乗車できた。
 いずれにしろ風前の灯だったので
 出かけました。

写真は途中の「下長岡」駅。
車庫があったので下車したのを覚えています。

2010年03月02日 12時40分

釧路のナロー(3)

(写真は、海底力モニター体験会参加時に撮影)

もう一回だけ、ナローにお付き合いください。

見ての通り、バッテリーロコ。
これも私からすれば文字通り「涎(よだれ)」が止まらない
“垂涎モノ”です。

今回の見学会では、「釧路コールマイン」で
『石炭とは?』『炭鉱とは?』というレクチャーを受けたり、
実際に炭鉱の仕事に従事されている方たちの
仕事の一端を垣間見させていただいたり
それも面白かったです。
※海底の所謂炭鉱たるところには入っていません。

というか、産業鉄道というのは
「産業」があるから存在するわけで
単に趣味の対象と見てきた今までに比べ
このナローへの愛着が100倍位増した気がしました。

多分、炭鉱会社の方たちには理解されないと思いますが…。

2010年03月01日 19時30分

釧路のナロー(2)

(写真は、海底力モニター体験会参加時に撮影)

ロコを少しサイドから押さえてみました。

シンプルなリンク式連結器、
やぐらの上のパンタグラフ、
どれをとっても「涙モノ」。

「釧路コールマイン」の構内撮影は
今回のツアーの様な『海底力モニター体験会』ということで
実現したものです。
※「海底力」と書いて「そこぢから」と読みます。

特別に電機ロコを動かしてもらい、
それを撮影し、触り、
“幸せな”時間でした。

実は、道路からも撮影は可能といえば可能ですが、
延々といつ動くとも分からないロコを待ち続けるという
難行苦行に耐える必要があります。
(その“待ち”がたまらないという人は別ですが…)

2010年03月01日 13時00分

釧路のナロー(1)

(写真は、海底力モニター体験会参加時に撮影)

北海道・釧路に石炭鉱山があるのをご存知でしょうか?
日本で唯一の炭鉱で、太平洋炭礦から引き継いだ
「釧路コールマイン」という会社が
石炭を掘り続けています。
※因みに日本の電力の4分の1は「石炭火力発電」だそうです。

ここに今回、私が釧路に向かった最大の目的である
ナローが走っているのです。
軌道の間隔は610ミリメートル。
もうそれだけで心がワクワクします。

「やっと会えた!」感動の一瞬でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!