2017年08月15日 16時19分

マイントピア別子(2)東平(とうなる)ゾーンに向かう。

園内の撮影ポイントを探しきれず若干未消化。

トンネルに入る後姿を見つつ10:42に撮影終了。

5月30日(火)のメインイベントは東洋のマチュピチュとして最近注目され始めているマイントピア別子東平(とうなる)ゾーン観光。11:00発の観光バス(このマイクロバス)が予約してあり、いざ乗車。

マイントピア別子ではガイド(語り部)さんが案内するツアーを実施しており、この日は無事催行。ここから東平に向かう狭い道路に入ります。

道路はほぼこんな感じ。バスと出会ったレンタカー(車のナンバーから推測)がそのまますれ違えずにバックしたのですが、急なカーブが続く道だけに運転していた方の必死の形相がちょっと可哀そう。教習所でもカーブのバック運転はやらなかった記憶あり。

山の中でも携帯電話はバリ3。そう言えば「バリ3」なんて最近聞かないですね、この言葉。既に死語?とか思いつつ山を仰ぎ見る。

2017年08月14日 20時17分

マイントピア別子(1)別子1号機関車と登録有形文化財。

やって来たのは別子銅山の鉱山跡を利用したテーマパーク「マイントピア別子」。道の駅にもなっています。

かつての鉱山鉄道の線路を使用している観光鉄道の撮影からスタート。

第四通洞。大正4年(1915年)に開通した別子銅山の大動脈となるトンネル。

廃線跡巡り鉱山鉄道編。中は往時の姿を留めている。

本物の83%の大きさで作られた別子1号機関車ですが、中尾トンネルを抜けて国の登録有形文化財である旧別子鉱山鉄道端出場鉄橋(足谷川鉄橋)を渡る雄姿はなかなかのものです。

参考までに「文化遺産オンライン」にあった解説。

『新居浜と端出場を結ぶ旧別子鉱山鉄道関連施設。橋長39mの単線仕様、斜橋形式の鋼製単トラス桁橋。トラスは、下弦材にアイバーを用いた125ftのボーストリング・ワーレントラスで、ピン結合とする。原位置に残る数少ないドイツ製橋梁の一つ。』

細かい文化財的な意義はさておき、橋を渡る姿は様になっています。この鉄道はプッシュプル運転で、帰りは客車が先頭となります。

ここだけ見れば、絶景を行く観光列車。但し最後尾の機関車は無人です。

マイントピア別子の入り口からこの橋までは十分に歩ける距離です。私の場合、10時にここに到着し、その後11時にマイトピア別子を出るバスの予約がしてあり、その間の時間を利用して園内をあちこちしていました。

2017年08月13日 16時14分

別子銅山記念館(2)一万本のサツキ。

本日からいわゆるお盆休み。皆様いかがお過ごしでしょうか?なおこのブログは通常運行です。

おっと気を付けなければならないのは明日の出勤。いつものように家を出るとあれっ?てなことになりそうです。

別子銅山記念館は山の斜面を生かした半地下式。屋根には1万本のサツキが植えられ、季節感あふれる景観を生み出していました。但し花を楽しめるのは期間限定。最初に見たときはこの独特の景観に驚かされましたが、改めてこうして写真を見ると、歴史を伝える記念館のあり方は本当に多様であり、それぞれの成り立ちや意味合いに応じてデザインすることの必要性を感じました。

ところで中の展示ですが、写真撮影禁止ですのでそもそも写真では伝えられませんが、別子銅山の歴史が分かりやすく展示されており、私のようにこれから別子銅山の産業遺産巡りをするならば是非、真っ先に訪れたいところです。この後の私の行動は後日お読み頂ければと思うのですが、ここに寄ったことで、それぞれの訪問地への理解が進んだのは間違いありません。パパッと見るなら3~40分、じっくり見るなら1時間は必要です。

最後に大山積(おおやまづみ)神社に参拝しここを去りました。

9:47発のせとうちバスマイントピア別子行きのバスに乗車。路線バスの時間の関係で別子銅山記念館まではタクシーで来たのですが、この日はここから路線バスの旅を楽しんでいます。

(参考)

手荷物は受付で預かって頂きました。この後の各施設でも同様の対応で、有り難かったです。もっとも貴重品を入れていないのが前提です。

2017年08月12日 15時42分

別子銅山記念館(1)508ミリゲージの車両たち。

季節は巡って今は8月なのにこのブログはまだ平成29年5月30日(火)で足踏み中。

朝一番で向かったのは愛媛県新居浜市の別子銅山記念館。1690年(元禄3年)に発見され、翌年から産出を始めた別子銅山の歴史を展示しています。場所は別子銅山の守護神が奉祀されている大山積(おおやまづみ)神社境内にあり、それもあって一般的な保存車両の展示場所とは趣(おもむき)が異なります。

出迎えてくれるのは昭和48年(1973年)に閉山された別子銅山で使われていた鉱山鉄道の車両たち。

私のお気に入りはこの坑内牽引用電気機関車。

この鐘を鳴らすのはあなたではなく、走る機関車です。どんな音なのかを聞いてみたい。

レールを見れば何と2つの軌間がある。右側は762ミリで一般的なナローですが、前の写真の26号機関車の軌間はそれよりはるかに狭い。で、検索。「編集長敬白 別子鉱山鉄道跡を垣間見る。(下)」に508ミリ(1フィート8インチ)とあり、日本では三重県の紀和鉱山・トロッコ電車や富山県の立山砂防軌道で610ミリゲージは知っていました(乗車経験あり)が、それよりも狭いと思ったのは当たっていました。

この貨車の可愛らしさにもナロー好きはノックアウト。

別子銅山記念館で一番有名な保存機関車。明治25年(1892年)、クラウス製の11トンBタンク機。国鉄の準鉄道記念物。

2017年07月20日 20時15分

魚梁瀬・馬路森林鉄道(9)大自然を行くナロー。

馬路森林鉄道。

軌道の間隔は508ミリ。全長約300メートルの観光鉄道。

蒸気機関車時代の森林鉄道を再現しているとのことですが、何はともあれ可愛い。

走る区間は短くとも何せ景色が大自然。

急なカーブで橋を渡るのも森林鉄道らしくて良い。

途中には保存されているディーゼル機関車あり。

プチ撮り鉄。

インクライン、森林鉄道ともに日曜日のみの運行。今回の旅は馬路村を日曜日に行動(観光)するため、その前後の鉄活場所を決めたと言っても過言ではありません。

2017年07月19日 20時12分

魚梁瀬・馬路森林鉄道(8)インクラインに乗って絶景ポイントへ。

昨日までUPした重要文化財の内、平瀬(ひらせ)隧道より魚梁瀬寄りにある馬路村の中心地、馬路地区。

そこに水力を利用して山を登り降りするケーブルカー、インクラインがあります。結んでいるのは写真の矢印の2地点。

昔はこうしたケーブルカーで伐採した木を下していたそうで、ここにあるのは観光用に再現したモノ。

山上に着くと動力の「水」を積込み。

馬路の街並みを見下ろす。最盛期の村の人口は3千人を超え、ここには映画館もあったそうです。

「馬路村」と言えば「ゆず」。この斜面はゆず畑。我が家の近所のスーパーでも馬路村産のゆずポン酢を売っています。

お昼ごはんは「土佐ジローゆず胡椒焼き定食」。

2017年07月18日 20時09分

魚梁瀬・馬路森林鉄道(7)通り抜けられるそうですが…。

明神口(みょうじんぐち)橋。

レンタカーが軽4だったので、地元の方からは通ることでも出来ますよ。橋の先のトンネルも通り抜けて安田町まで行けますよ。とは言われたもののそんな勇気はなく写真のみ。

明神口橋を渡るとすぐのところにあるオオムカエ隧道。

秘境気分。

トンネルを通り抜けて振り返る。

扁額(へんがく)には何が書いてあるのだろう?

ここにある「Ⅲ」は川下から3番目のトンネル(隧道)の意味だそうです。

ここで重要文化財巡りは終了。

2017年07月17日 11時06分

魚梁瀬・馬路森林鉄道(6)国指定重要文化財。

体験運転の係りの方から「国指定重要文化財」となった魚梁瀬森林鉄道の遺構の内、安芸まで戻る途中にあって比較的見つけやすいものを教えてもらいました。

犬吠橋(いぬぼうばし)。魚梁瀬と馬路村の中心部を結ぶ県道の橋として利用されていましたが、昨年の9月に陥没が見つかり、今は通行止めとなっています。

写真は現場のう回路から撮影していますが、地元の方によると原因は大型車両(重い車)が通ったからとのことでしたが、事故にならなくてよかったとは地元の方だけではなく私も同感。大正13年(1924年)製ですから年代モノではありますが、今どきの大型車が通る道路橋として考えると華奢(きゃしゃ)な感じもします。

平瀬(ひらせ)隧道。魚梁瀬に向かう時より、帰りの方が見つけやすい。

入り口だけ覗いてお別れ。石積。

釜ヶ谷(かまがたに)桟道。

石造りのアーチ橋。県道として使っているので、車に乗っているとどこがその橋かが分からないと言われていましたが確かに分からない。

島石ピクニック広場の看板を目安にしてそこに車を停め、この吊橋を渡って見に行きました。

2017年07月16日 11時04分

魚梁瀬・馬路森林鉄道(5)魚梁瀬ダム。

魚梁瀬駅には森林鉄道の現役時代の写真や資料が展示されています。その中の一枚で、ダムに沈む前の魚梁瀬地区。赤い矢印の場所が地区全体が高台移転した場所。

魚梁瀬ダム湖を望む展望台から撮影。一番奥に今の魚梁瀬地区が見えています。

望遠レンズで寄ってみる。

かつて森林鉄道が走っていた当時の話を運転体験の係りの方から聞いており、それを思い出しつつ見る風景。それにしても必要性があったとは言え、こんな山奥までよく線路を引いたものだと思う。もっとも山から海岸までは坂を下る一方だったので、機関車の役割は主に空の貨車を山まで引き上げることとのこと。聞いてみて納得。もっとも木材運搬列車には、編成全体を通すブレーキシステムは無かったようで、制動夫というブレーキをかける担当が貨車に乗っていたそうです。

2017年07月15日 11時01分

魚梁瀬・馬路森林鉄道(4)撮り鉄。

運転体験後はプチ撮り鉄。たまたま私以外にも運転体験の方がおられたので、撮影をすることが出来ました。運転どころかそもそも乗る人がいなければ、撮影のためにわざわざ運転してほしいなどと言えるはずもなく、ラッキーでした。何故それほど人が少ないかと言えば、この時間にここにいるには高知市内からならば午前7時台に出発しなければならず、ここに来るのはなかなか大変なのです。

前の写真と同じ場所で、山の中の爽やかさをイメージした一枚。

園内周遊中。

踏切もありますが、遮断機の位置が…。

何せスピードが遅いので、私は走って追いかけながらの撮影。

こうして魚梁瀬森林鉄道探訪が終わりました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!