ゴールデンウィークの5月6日(火)、少々お手軽ですが近鉄の内部・八王子線に出かけました。理由はこの線が「四日市あすなろう鉄道」に移行される前に乗っておきたかったのと、この日は天気も良かったので自転車で沿線散歩をするのも良かろうと思ったからです。
小型の折りたたみ自転車は私が買ったものではなく、クレジットカードのポイントで交換したもので、一寸出か掛けるには重宝しています。もっともこうして持ち出したのは数年前に1度あるだけで今回が2度目です。
近鉄四日市駅(内部・八王子線ホーム)に到着したのは午前11時10分ごろ。家を出たのは9時半過ぎで、近鉄名古屋発10:21の急行に乗り、近鉄四日市着10:56という何ともお手軽・お気楽コースで、無事11:13発の西日野行きに乗車しました。
さてこちらは昭和53年(1978年)12月1日の内部・八王子線。
近鉄四日市駅では併結作業が行われていたようです。写真があるからそう思っているだけですが、当時はまだ電車がトレーラーを牽引する列車もあったはずなので、その関係だったのかも知れません。
(追伸)今回のタイトルですが、当初「近鉄/内部・八王子線」にしようかと思ったのですが、「四日市あすなろう鉄道」での存続が決定したことに敬意を表してこんな風にしてみました。お許し頂きたく存じます。
今回はこの電車が登場した当時の、近鉄非冷房通勤車の標準装備についてです。
上段写真は、一見冷房装置の本体に見えますが、そうではありません。
下段写真は、一見冷房装置の吹き出し口に見えますが、そうではありません。
まず下段写真ですが、吹き出し口のように見えるのは『ラインデリア』と言って
扇風機の形状変更というか、所謂“送風機”です。
※初めて見た(経験した)時は、これでも十分感動!
扇風機よりも薄く設置できるのが特徴でしょうか?
それと、上段写真はベンチレーターで空気の換気装置です。
最近は地方路線でも珍しい存在になってきた二つの装置ですが、
ここ北勢線では現役で、一寸懐かしくなりUPすることにしました。
ベンチレーターは特に旧型の客車・電車・気動車ではお馴染みですが、
ラインデリアと対になったベンチレーターはこうして外から眺めてみると
冷房装置に見えないでもないですね。
一方ラインデリアは、写真で言えば幅広の吹き出し口が左右に首を振り、
乗客に“涼やかな”風を届けます。
実際の所、夏に窓を開けて走っている状態でこのラインデリアが動いていても、
さほどの有難みは無かったものの、雨降りの日に窓を締め切ったときなどは、
ベンチレーターの換気機能のおかげで、きっと気のせいだったのでしょうが
「涼しげ」な気分が味わえました。
扇風機が局所的な所にしか風が行かないのに比べ、比較的車内に
満遍なく風が行き渡り、『まだまし』というレベルで、その風の当たり具合も
心地よかった思い出があります。
参考までにこの「276号」の隣の「135号」は扇風機です。
これからの季節、乗客の方は本当に大変でしょうね。かと言って冷房車が
来るのを待てるほど電車の本数は多くありません。
今回は、たまたまラインデリアが動いており、
「おっ」と気がついたということで、そもそもこの話しをUPするなど
この日に「276号」に乗車するまで思っても見ませんでした。
この日、北勢線で乗った電車は、276+135+134。
写真の先頭車「276号」は、昭和52年に当時の経営母体「近鉄」が
この北勢線用に導入したもので、三岐鉄道となった今でも、
その車内のメラミン樹脂の化粧板も含め、特に内装面で“近鉄”色が
色濃く残っている車両であると私は思っています。
それよりも、この270形が登場した時のインパクトは私にとって
相当なものでした
何せ、当時の近鉄の通勤車両をそのままコンパクトにし、
その近鉄マルーンの色も従来車と比べても圧倒的に鮮やかに見え、
「近鉄ナローが凄いことになった」と本気で思いました。
全長15メートル(従来は10メートル)は、名古屋市営地下鉄の
東山線と同じで、両開きの乗降扉の幅は1300ミリ。車体前面の
切妻非貫通の2枚窓はシンプルなのですが、とても“おしゃれ”な印象で、
全体に秀逸なデザインであると感じていました。
とはいうものの、この電車を追っかけて写真でも撮影したかというと
そこはそれ、『乗り鉄』ゆえ、親戚の家に行くときに横目でこの電車を
時折見かけるだけでした。
まあ、そういう意味で、今回は思いっきり270形を堪能させてもらいました。
今年の2月15日から19日まで、この三岐鉄道北勢線の話しを
書いていますが、この270形については書いていませんでした。
で、次回はこの電車のとある話しを1つ書きます。
三岐鉄道北勢線「西桑名第2号踏切」です。
(写真撮影日は平成23年2月8日)
※今年の2月にもこの踏切の話しをUPしています。
この6月5日日曜日、私はこの地を再び訪れました。その理由は?
私の所属する「NPO法人 名古屋レール・アーカイブス」では、今年、
名古屋市守山区にある守山生涯学習センターさんの依頼で、
『鉄道の楽しみ~くらしを支える移動の文化~』というテーマの
全7回の講座の内、6回の講師を引き受けました。
内容は、一言で言えば“鉄道の楽しみ方”を受講者に伝え、
そして少しでも『鉄道に親しんでもらいたい!』というもので、
「(地元)瀬戸電の歴史」「鉄道模型」「時刻表・駅弁・写真」等々を
分かりやすく平易に解説しました。(終了分のみ)
まあ、鉄道趣味入門編と思っていただければ間違いはなさそうです。
6月5日はその第5回目で、『実習』ということで三重県の
「三岐鉄道」全線乗りつぶし&「軽便鉄道博物館」「貨物鉄道博物館」を
楽しむというものでした。
ということで、まず桑名駅(三岐鉄道では西桑名駅)近くのこの踏み切りで、
日本の鉄道の代表的なゲージである、762ミリ、1067ミリ、
1435ミリの3つのサイズの確認からこの日の“講座”が始まりました。
右側の車両で車庫の中にいるのが『キハ3』。
写真では分かりにくいですが、車体番号は『1803』と書いてあり、
その“03”の上に“キハ”の文字があるちょっと変わった車両でした。
この車両は元々「遠州鉄道奥山線」(昭和39年廃止)で活躍し、
その後、ここ尾小屋に来たものですが、奥山線当時の車体番号が
「1803」だったので、それをそのまま流用したのでしょう。
※古い古い奥山線の写真で見かけたような…。
また、車体の前の白い札には「休車」の文字があり、
何か修理中だったのかもしれません。
左側が荷台を備えた『キハ2』です。
昭和50年頃までは、地方私鉄でこうした荷台のある車両を
見かけることもありました。
ということで、この日の運行は『キハ1』と『キハ2』で行われて
いたのであろうと推察されます。
現在『キハ3』は、蒸気機関車『C15 5』改め『No.5』同様、
小松市立「ポッポ汽車展示館」に保存されており、日を決めて何と“運転”もされています。今年度の日程は
「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」のHPで確認できます。
(“動く”と言うのが凄過ぎる!)
一方、『キハ2』は、旧「尾小屋駅」にあるようですが
見学は出来ない模様です。
(東北地方太平洋沖地震による鉄道の復旧)
東北新幹線の盛岡~新青森間が昨日、運転を再開しました。
復旧作業中の区間も増え、奥羽線は4月中には全線での
運転再開見込みが発表されています。
一方で、日本の幹線の一つ・東北線の全面再開は、新幹線も含め
まだ目途が立っていません。
それでも、岩手県の三陸鉄道北リアス線が20日には
宮古~田老間の運転を始めており、
その映像をニュースで見た時、図らずも涙が零れそうになりました。
JRが手つかずの三陸海岸の鉄道で、唯一北リアス線が動いていることに
地元の足を守るという鉄道マン達の気概を感じずにはいられませんでした。