2011年01月22日 18時09分

冬の釧路に行こう!(8)釧路コールマインのナローの日常。

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

私は、ツアーでここ「釧路コールマイン」を訪ねました。
昨年も書いていますが、まさにここのナローに触れられると
思ったのが参加の動機でした。

そして、道路からではなく、敷地内の至近の距離から
この写真の様な日常の風景を撮影できたことは大きな喜びで、
冬景色の中で、黙々と働く人の姿は、
私の心を捕らえて離しませんでした。
架線柱が貨車にかぶっていたりで写真の“出来”としては
写真中心の「鉄」の方からみれば今一歩なのでしょうが
この写真は「釧路コールマイン」訪問時に撮影した写真の中でも、
私のお気に入りの一枚です。
何より、『望遠』ではなく『標準』に近い画角での撮影が
より被写体を自然体で捕らえられたのでは思っています。

視点は少しずれるのかも知れませんが、
特にこの訪問時は、従業員の方もツアーが入るのをご存知で、
それも参加者が“写真”撮影することも承知されているわけで
『人』が写りこむ可能性がある場所での撮影条件として
是ほど“願ったり適ったり”の状況は
「そこここにあるものでは無い」と今も、つくづく感じています。

最近、写真撮影の際の留意点として『人』の写りこみの問題が
何かとクローズアップされています。
(人そのものを狙って写す時も往々にしてあるのですが…)
私も『体験運転』や『豊橋鉄道のビール電車&おでんしゃ』参加時等、
写真に写っている可能性がある『方』には
出来る限り声をかけて了解を取るようにしています。
※それが出来なかったときは、人が特定されない写真を使いように
配慮はしているつもりです。

『人』の写り込み(写しこみ)が何かと話題を呼ぶようになったのは
多分、平成に入ってからだと思いますが、
テレビの撮影も実は同じ悩みを抱えており、正直難しい課題です。

2011年01月22日 9時14分

冬の釧路に行こう!(7)バッテリーロコのバッテリー。

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

上の『2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影』の文字は
例えばここ「釧路コールマイン」や
昨年のブログでは全く触れませんでしたが
「JR北海道/釧路運輸車両所」(今回は後日UP)と言った
通常は立ち入り禁止の場所に、
『ツアー』として、特別な許可を得て入り、そこで撮影した写真を
ブログ等で使用する場合の約束事です。

これまでの“道路から撮影した写真”は、
この表記は本来、不要なのですが敬意を表して掲出しています。

さて、本題です。
ここ「釧路コールマイン」では独特の表情をしたELだけではなく
バッテリーロコも使っています。
ツアーでは、参加者用にEL同様、
バッテリーロコも特別運転で走らせてもらえましたが
その姿は本当に“可愛い”の一言。(頬ずりはしませんが…)

そして『走行』終了後は、バッテリーロコのその所以たる
「バッテリー」を大公開。(下の写真)
思ったより沢山のバッテリーを積んでいることで驚いたのですが
イメージは、『大きなバッテリーが何個か並んでいる』であり
そこそこの大きさのモノがズラッと並んでいるこのような光景は
予想外でした。
でも、考えてみれば「ドデン」としたバッテリーでは
保守もし難いでしょうね。
単に、走っているところを見るだけではなく
こうした「内部」まで観察するのは楽しいですね。

話しは脱線しますが、それこそ昭和の時代は、
こうした会社も、もっと大らかに「鉄」ちゃん受け入れてくれ、
『現場のおじさん』の「良いよ!」の一言で
OKだったのでは無かったかと思います。
勿論、黙って入るのは当時でも反則技でしたが…。
安全第一は当たり前として、私も時代の流れを受け入れています。

2011年01月21日 18時28分

冬の釧路に行こう!(6)坑内軌道が動いている!

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

これも道路から撮影したものですが、
遠くに「坑内軌道」(炭鉱内用)が顔を出したのでパチリ!
手前に「坑外軌道」(地上用)も見えています。
※この用語は私が使っているもので“一般的”であるという
保証は…やっぱり出来ないなあ~。でも、意味は通じてますよね。

「坑内軌道」は、文字通り地上と炭鉱内を結んでいる軌道で、
海底下の坑内から地上へは、ELやバッテリーロコ牽引ではなく、
インクライン(ケーブルカー)となっており、
ケーブルで車両を動かします。
主に炭鉱内で働く人員輸送用と、炭鉱内で使用する機材の運搬に
使われており、石炭の輸送には使われていません。
※石炭はベルトコンベアを使って運ばれています。

写真で言うと、手前に7両の貨車が確認できると思いますが
その向こうに繋がっているクリーム色の少し大きい車両が人車です。

この時、人車は1両だけでしたが、炭鉱で働く人たちの
交代時間の時には、何両もの人車が動いているようです。
実際の所、「釧路コールマイン」の社内見学をさせて頂いていた時に
丁度、その交代時間にタイミングが合い、
通路から人車の乗り場が少しだけ見えて、そこで確認しました。

そうそう、社内見学と言えばその際、「日本の炭鉱」であったり
「釧路コールマイン」の『仕事』についても説明も受けており、
ここの現状を知ることで、何故日本でここだけ
石炭輸送の専業鉄道が生き残り、また写真のナローが
存在するかの理由にも得心が行った次第です。

そう言えば、「太平洋石炭輸送販売」が北海道でただ一つの
“私鉄”であることを書き忘れていました。

2011年01月20日 18時00分

冬の釧路に行こう!(5)釧路コールマインのナロー

(写真は、2010「海底力モニター体験会」参加時に撮影)

「冬のSLと石炭のマチ・釧路」ツアーに参加した“特権”と
言っても良いのが、日本で唯一の坑内堀りの炭田
「釧路コールマイン」の軌間610ミリのナローの撮影です。

写真は道路から撮影したもので、「坑外軌道」(構内軌道?)です。
パンタグラフの位置を、櫓まで組んで異常に高くしてあるのは
線路を、バス・トラック等の大型車両が横断するためで、
架線位置が低いと「感電の危険性が高まる」といった理由だけでは
なさそうです。今は会社の敷地内しか走りませんが
以前は、敷地外にも路線が広がっていたと聞きました。
因みに、極端に低い架線位置は、昨年の5月10日~にUPした、
三重県紀和町にあった鉱山鉄道の架線を見て頂ければ思います。

このような道路からの写真は、撮ろうと思えばいつでも撮れるのですが
このナローがいつ動くか、どう動くかと言う情報は
新幹線の「ドクターイエロー」のダイヤを知るより
難しいかもしれません。

でもそこは地元の「鉄」団体がバックについているだけあり
「この時間には動くはず」などの情報を持っており
なおかつかなりの確度があるという強みがあります。
この日(平成22年2月20日の土曜日)も、
いつもなら「動き出す時間」ということで撮影スポットに向かい
それでもなかなか動き出さず少々ヤキモキしましたが
ちゃんと作業が始まり、ホッとする間もなく、
参加者全員が“無口”になって、思い思いの構図で写真を
撮影したりしていました。

この時、ふと思ったのは「もしも名古屋でこのようなツアーを
実施した場合、ここまでフォローできるのだろうか?」と
いうことです。
例えば、愛知県知多市の新日鉄や
三重県四日市市の工場構内の専用線だったら…。

ツアーはそれなりに高額です。
さらに東京からなら2泊3日で行けるのですが
名古屋からですと東京か札幌で前後泊を余儀なくされます。
ボランタリーな立場とは言え、責任は伴います。
単なる“趣味”ではなく、“趣味”を生かして
『地元の産業紹介&振興に繋がってほしい』という
メンバーの強い意志が無かったら成立しえない、と感じました。

(追伸)
今朝UPした名古屋市営地下鉄桜通線の「案内表示」ですが
今朝から通常の運用(名城線と同様)になっていました。
「徳重」延長がいよいよ近づいてきたと実感しています。

2010年08月21日 23時15分

立山砂防軌道 忙中閑あり、温泉あり

最後にプチ情報です。

その昔、立山カルデラには『立山温泉』がありましたが、
昭和48年に閉鎖されてしまいました。
※その跡地で「トロッココース1斑」は昼食。

そこで温泉を楽しむわけにはいきませんが、
水谷平の近くに「天涯の湯」が作られ
私たちの様な「砂防体験学習会」参加者は足湯を楽しめます。
現地で作業をされている方達は、私の後ろにある
建物内で「温泉」につかれますが、私たちは「足湯」です。

ヘルメットを被って「足湯」という不思議な体験は
全国でもここだけなのでは?
(思いのほかリラックスできていい湯でした)

私はいつも「タオル」を2本持っているのでOKでしたが
「砂防体験学習会」に参加される方は
“足湯用”タオルを持って行かれることをお勧めします。

あと、この学習会の説明時に入念にあったのが
「蜂」対策。
何れにしろ、係員の説明には常に耳を傾け
“学習会”の範囲で「鉄」を楽しんでください。

立山砂防軌道 完。

2010年08月21日 12時00分

立山砂防軌道 余談1(保守工事)

車窓から、これから列車が向かう線路があり
その手前の急斜面に作業員の方がいました。

山中の決して走行条件の良くない場所を通過している
このトロッコは、日常的に手をいれないと
すぐにストップしてしまう危険があるそうです。
そのため、こんな急斜面でも万全の安全確保をしながら
手を入れているそうです。

砂防工事に手が掛かるだけではなく
砂防工事を行うためのインフラにも
手が掛かっているのは、来て見て始めて知りました。

まずは立山カルデラの崩落した土砂を常願寺川に流れ出させず、
さらに下流の町に行き着かせないことで被害を防ぐためには、
単に要所要所に砂防ダムを作ればお終いではないのです。

立山砂防軌道をこれから「乗り鉄」される方は
そんなことにも思いを馳せながら乗ってほしいと
切に願っています。

2010年08月21日 9時36分

立山砂防軌道 千寿ヶ原連絡所

平成20年7月16日、
水谷を出て標高差640メートルを下り1時間30分、
予定より15分ほど早く
午後4時8分頃に「千寿ヶ原連絡所」に到着。
※デジカメには、撮影時間が記録されるので
 写真整理が本当に楽ですね。

この時、到着時間が早まったおかげで
一部の方は富山地鉄「立山」駅発16:14に乗るべく
ダッシュでこの場所を離れました。

一方、私は少しここでのんびりしていましたが、
私たちが乗ってきた車両(写真左側)の入れ替え作業を
やっている横を到着列車(写真右側)が通り過ぎました。
※グス谷の作業員の方たちはこの列車に乗り込んだものと
 思われます。

この列車、実は8月17日にUPした
「グス谷」で見かけた列車ではなく、
更にもう一つ後の列車です。
但し、この列車が2番目の続行列車なのか
それとも水谷を15分後に出発予定の“定期列車”だったのかは
定かではありません。

ところで左側の看板は、
登録記念物「立山砂防工事専用軌道」の碑で
この碑の下には「軌間610ミリ」の解説板もありました。

こうして楽しい時間は過ぎ、私はこの後、
富山地方鉄道の
立山発17:17 電鉄富山着18:16に乗り
当然、富山発最終の「しらさぎ」には間に合わないので
金沢、米原と乗り継いで名古屋に帰りました。
立山を出てからの時間の何と長かったことよ。ふう~っ。

行く時も火曜日の仕事終わりで、名古屋発の「しらさぎ」に
新幹線で米原で追いつき富山に向かっており、
平日のイベントは本当にハードルが高すぎる。
などどぼやけばぼやくほど家族からは「止めとけば」と
温かくない声をかけられます…。
今、どこからか「当たり前でしょう」という
天の声が聞こえました。気のせい?

2010年08月20日 18時22分

立山砂防軌道 千寿ヶ原連絡所全景

水谷を出て1時間半の午後4時3分、
眼下に終点、標高476メートルの「千寿ヶ原連絡所」が
見えてきました。

狭いながらも楽しい車内を堪能していましたが
いよいよその時間も終わりが近づいてきました。

とはいうものの、写真から察しがつくと思いますが
まだまだスイッチバックが続きます。

610ミリという狭いゲージに15キロレールという、
決し快適とは言えない「乗り鉄」の旅でしたが、
心は満足でした。

立山砂防軌道の一般の方の乗車は元々認められておらず、
以前、取材でお世話になった『富山県名古屋事務所』の方から
このトロッコの素晴らしさを散々聞かされていたので
「立山カルデラ砂防体験学習会」という形で
乗車が可能となった時から「いつかはクラウン」ならぬ
「いつかは立山砂防軌道」と憧れていました。

残り少し、しっかり堪能し尽くして終わろうと思った
瞬間でした。

2010年08月19日 18時01分

立山砂防軌道 中小屋連絡所

午後3時50分、中小屋連絡所です。
千寿ヶ原までの最後の連絡所です。

ブレブレの写真で恐縮です。
何せ、例え先頭の客車に乗っていたとしても
前に小さいとは言え機関車があるので前方確認が出来ません。

また、窓から顔を出すことは当然“ご法度”というよりは
乗れば分かるのですが、危なくてそんなことをする気に
そもそもなりません。

ということで、「あっ」と思ってシャッターを押したら
「結果がこうだった」と言うことです。

何でこの写真?という訳ですが、
連絡所の連絡員の姿をかろうじて押さえられた
ただ1枚の写真だからです。
「えっ、連絡員というのですか?」という疑問に対しては
答えがあります。

実は8月14日UPの「時刻表」の隣にもう一枚の
「軌道運行時刻表」があり、
そこに『各連絡所の連絡員名』と書いた欄があり、
それを見て「連絡員」と呼ぶことを知りました。
運転手(運転士とは言わないようです)、車掌、
そして連絡員の方を含め全員の名前が書いてあり
こうした人たちがトロッコの運転に従事していることを
窺い知る事が出来ました。

写真は瞬間の出来事でしたが、鉄路を守る心意気を
『敬礼』に感じた一枚です。

2010年08月19日 9時08分

立山砂防軌道 天鳥オーバーハング

午後3時43分(水谷を出て1時間強)、
桑谷連絡所と中小屋連絡所のほぼ中間にある
天鳥(てどり)オーバーハングです。
※日本でここだけ???

文化庁の「登録記念物」のページにも
このオーバーハングの写真が使われています。

残念ながらこのオーバーハングはこの時、
すでに使われておらず、通ることは出来ませんでした。
※新トンネルの開通による。

“スリリング”という言葉では表現できないこの景観、
通ってみたいと思うのはきっと私だけではないはず。
但し、大雨の日とか、その直後はちょっと怖い。

ところでオーバーハングって、“トンネル”の一種ですか?
線路を3分の2も覆っているのですが…。
ご存知の方、教えてください。

●(参考)全連絡所名
 ①水谷連絡所
 ②樺平連絡所
 ③鬼ヶ城連絡所
 ④桑谷連絡所
 ⑤中小屋連絡所
 ⑥千寿ヶ原連絡所



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!