2010年08月18日 16時00分

立山砂防軌道 川原に線路が

午後3時20分頃、
樺平連絡所と鬼ヶ城連絡所の間です。

目の前に広がった常願寺川の川原に
一本の直線の線路が。
(青い線を書き足しました。直ぐ上に線路があるのですが…)

私たちのトロッコがここを通ったわけではなく
工事用のモノと思われました。

砂防工事は延々と続く作業で、これを続けないと
万が一の大雨の際に土砂が下流まで流れ出ることを
止められないそうです。

車内からは、各所で行われている工事や、
完成した砂防工事の現場を見ることが出来、
また都度、ガイドさんから説明がなされます。

それにしても、人の営みには『一旦、区切りをつけ」と
いうことはままありますが、
この立山の砂防工事は「際限が無い」と感じました。
民主党の『事業仕分け』で変わることはあるのでしょうか?

2010年08月17日 18時00分

立山砂防軌道 グス谷Ⅱ

昨夕の続きで、人が待っていた場所に到着した時、
ふと車内から上を見上げたら続行列車がいました。
成程、やっぱりそうだよねと思った次第ですが、
それにしても写真の列車にここにいる人が
全て乗り切れるとは思えず疑問は膨らむばかり。

この人たちがこの先も延々と何時着くかもしれない列車を
待っているとも思えず、ならば単線ゆえの続行列車がある?
ここで思い出したのが14日にUPした「時刻表」。
そう言えば私たちの視察列車の15分後に、
水谷発14:50があったはず。
きっと定期列車に乗るに違いない!その時、私は確信しました。
※デジカメのプレビューでチェック。

話しは変わってトロッコが渡っている橋は「グス谷橋」で、
立山砂防事務所(何度も出てきてすいません)のHPでは
13.4メートルだそうです。
※それ比べるとトロッコの短さが分かる。

また作業員の方のヘルメットに隠れてよく分かりませんが
川は結構な急流で、
この橋はまるで緩めの「滝」に架かっているようでした。

2010年08月16日 17時10分

立山砂防軌道 グス谷

水谷連絡所を出発して40分の15:15頃。
樺平のスイッチバック、樺平連絡所を通り過ぎた
立山砂防事務所のHPによれば「グス谷」の当たりです。

何気なく外を見ていたらスイッチバックのところに
人がいました。

ここは連絡所(駅)ではないので
多分、各所で行われている工事などに従事している人たちの
入山・下山は、列車を安全に止められる所で
適宜行うようになっているものと推察されました。

ただ、私たちの乗車している列車は「満席」なので
『別の列車でもあるのかな』とこの時は
さほど深く考えずにいました。

それはさておき、人の立っている場所の上の斜面をご覧下さい。
立山砂防軌道の真骨頂とも言えるこの勾配。
※このトロッコの最急勾配は「20分の1」(50パーミル)。
実際、乗っている時はこの程度の勾配では
驚かなくなっていましたがこうやって写真で見ると凄いですね。

2010年08月16日 9時02分

立山砂防軌道 スイッチバックのポイント

スイッチバックのポイントは自動化されており
写真の『矢印』を確認しながら進行しています。

見ていると、折り返し線に入るとポイントは直ぐに切り替わり
進行方向の『矢印』が点いて、即、出発です。
実に手際が良いというか、一般の鉄道に比べても
その圧倒的な素早さは感動モノです。

4月1日からUPしたインドの「ダージリン鉄道」も
スイッチバックの宝庫でしたが、そこでの転轍は
全て係員による手作業で、さすがに日本は違います。

そもそもポイントは通常、閉塞システムと連動させるはずで
その閉塞システムはどうなっているのでしょう?
このトロッコではスタフでもタブレットでもなく、
まして自動閉塞とも考えられず
多分、連絡所が全て有人なので、電話やFAXでの
安全確認と考えられます。
とはいうものスイッチバックのポイントは
それには連動していないと思われました。

ここからは私の推測ですが、
路面電車のトロリーコンタクター的な装置があり
それで運行しているのではないのでしょうか?

2010年08月15日 18時37分

立山砂防軌道 樺平の18段スイッチバックⅡ

列車は連続18段のスイッチバックの真っ只中。
「立山カルデラガイドブック」によれば
“世界一”とあります。

それでもこのトロッコ全体でスイッチバックは38か所なので
数としては半分にもなりません。
恐るべし、立山砂防軌道。

余談ですが、2万5千分の1の地図で私は14段まで
数えましたが、18段まではありませんでした。
※国土地理院のHPで「全国の2万5千分1地図情報を見る」を
 ポチっとやると「地図閲覧サービス(ウォッちず)」の
 ページになります。ここから地図が見られます。
短区間でスイッチバックするところが地図上で
表現し切れなかったのでしょうか?
●車内で、「1段」「2段」と数えている人がいましたが…。
 私の作り話ではありません。実話です。

ところでこの「立山砂防工事専用軌道」が
国指定の登録記念物であることをご存知でしょうか?
平成18年7月28日に登録されており、
選定基準としては「地域の歴史の特徴を表しているもの」と
なっています。(文化庁国指定文化財データベースから)

やっぱこのトロッコは凄い!

2010年08月15日 9時06分

立山砂防軌道 樺平の18段スイッチバック

標高1116メートルの「水谷」を出て約20分、
場所は『樺平(かんばだいら)』。
高低差200メートルを連続18段のスイッチバックで
登り下りします。
※この存在が立山砂防軌道を「鉄」の憧れの地にしました。
 (と、私は思っています)

この写真がほぼ全景で、この地点から
写真ほぼ中央の谷底まで一気に下ります。
●木が生い茂っていて分かりにくいですが
 左側斜面の所々に線路らしきものが見えています。

実はこの時私は、乗車時の順番の都合で
車内の山側(窓側は最初から最後まで山の斜面)に座っており
谷側の席の方の了解をとってこの写真を撮影しました。
そうしたら、谷側の席の方から「写真を撮りたいの?」と聞かれ
「そうです」と答えたら、何と風景を見るのに一番良い席を
代わってくれたのです。そして、終点まで谷側の席に
座らせてくれました。
今後UPする写真は、『スペシャルシート』だから
撮影できたものです。
当日、席を譲ってくれた方には別れ際に何度もお礼をしましたが
今でも本当に感謝しています。

最近の「鉄」イベントでよく聞く
「自分さえよければ」という風潮とは別世界のこの話しは、
私にとって嬉しい思い出の一つです。

2010年08月14日 18時58分

立山砂防軌道・時刻表

水谷連絡所をトロッコが出発するとすぐに橋を渡ります。
散歩をしていたらその橋の袂(たもと)で、
写真の時刻表を見つけました。
●何だかんだ言っても、『足で稼ぐ』が情報収集の基本ですね。

一寸わかりにくいですが、上半分が千寿ケ原から水谷に
向けての“山登り”、下半分が“下山”の時刻です。

と言っても全線の時刻ではなく、この看板に近い
『現場(水谷トンネル出口)』~『水谷連絡所』間のもので
所要時間はわずか5分(最短)です。

で、そこが本題ではなく列車の種別に注目。上から、
1)巡視モーターカー
2)定期列車
3)安パト・視察等列車
4)雑貨列車(定期)
朝UPしたコメントの中に『雑貨列車』と書いた根拠は
この時刻表です。
また、「下り」の「視察等列車」の水谷発が14:35と
あるので、この“スジ”が私たち学習会参加者を乗せた
列車と思われました。

それと、この学習会の「2班」の方たちが
ダイヤ通りなら11:55に水谷に着いたことも
見て取れました。

●おまけ…「安パト・視察等列車」は往復とも
 10分かかることになっています。
 が、よく見ると途中に「連絡所」があるわけでもないのに
 それぞれの列車で所要時間に差が?何故?

2010年08月14日 8時02分

立山砂防軌道 水谷連絡所(水谷駅)Ⅱ

お盆です。皆さん、如何お過ごしでしょうか?
以前、私が番組を制作していた時は、
「24時間テレビ」直前のため、お寺さんにおいでいただく
時間を別にして、家にいたことがあまりありませんが
今はこうしてブログを書いています。

話しを本題に。水谷連絡所での休憩時間の間の午後2時15分、
定期列車が到着しました。

客車3両ながら「立山」のヘッドマークも凛々しく、
正直言って驚きました。
しかも「雑貨列車」ということで運んできた
荷物を降ろし始めたので余計にビックリ。
見ている限り全ての列車にヘッドマークが付くということでは
無いようですが、定期列車には付けているのでしょうか?

何れにしろこの水谷平には、砂防工事に従事する方たちの
宿舎もあるということで
その方たちのための食料等を運んでいるそうです。

さてこの砂防軌道ですが、立山砂防事務所のHPによると
運行区間は「千寿ケ原」(富山地鉄・立山駅近く)~
「水谷」(写真の場所)間、17.7キロ。
軌道連絡所(いわゆる『駅』です)が6か所、
最高時速は上り18キロ、下り15キロ。
※下る列車の方が安全確保のために遅くなっているそうです。
所要時間は1時間45分、この時間をかけて
標高差640メートルを上り下りしています。
最後に軌間は610ミリ。
私の大好物、ナロー中のナローです。

2010年08月13日 17時29分

立山砂防軌道 水谷連絡所(水谷駅)

いよいよ「立山砂防軌道」を目指します。

見にくいですが写真の真ん中、赤枠で囲ってあるところが
私たちがトロッコに乗車する「水谷連絡所」のある
「水谷平」です。
※この立山砂防軌道では所謂「駅」を「軌道連絡所」と
 言います。
 立山カルデラ砂防博物館の「立山カルデラガイドブック」では
 「軌道連絡所」はさすがに分かりにくいと思ったのか
 『水谷駅』と記載されています。
 ただこのブログは「鉄」の方用ということで“連絡所”と
 表記します。

注釈はともあれ、山の中腹のとんでも無いところに
あることだけはご理解頂けると思います。
最初にこの風景を見た時の私の感想は
『えっ、あそこが“終点”?』でした。

写真では分かりませんが、肉眼では
水谷連絡所の上に「滝」が幾筋か見えていました。
また実際に、「水谷連絡所」での休憩時間に
近くの「滝」まで散策に行っています。

『絶景』とはまさしくこういう風景のためにある言葉だと
心の底から実感しました。

●この日、水谷平には13:50頃到着。
 水谷連絡所出発は、14:35。

2010年08月13日 9時01分

立山カルデラ砂防工事

7月16日午後1時過ぎに撮影した1枚。
やはり「立山カルデラ砂防工事」に触れないわけには
いかないので1枚だけ掲出します。

「白岩下流展望台」から撮影した「白岩砂防ダム」です。
写真の左下1/4の部分で、
川が滝のように流れているように見えますが
実はこれが砂防ダムで、膨大な土砂の流出を防いでいるのです。
また、昭和期の砂防ダムとして「登録有形文化財」に
なっています。
※すいません。砂防工事の必要性等は
 「立山カルデラ砂防博物館」のHPを参照して下さい。

トロッコに乗るまでの「学習会」は、
このように“絶景”と“砂防工事の見学”が断続的に続き、
またこうした学習会に参加でもしない限り
絶対に入れない場所が殆どです。
このため本命のトロッコに乗るまでも
想像以上に『密度』が濃く、
私以外の数名の「鉄」の方たちも熱心に話しを聞き
写真を撮っていました。
※参加者の3分の2は「鉄」ではない「観光客」です。

ところでこの学習会は、当日の天気次第で
開催されないことがあります。
「立山カルデラ砂防博物館」のHPに記載の昨年度の実施率は
65%で、本当に当日の朝まで気をもむ学習会です。
私も朝、受付を済ませてやっとホッとしたことを覚えています。
『当日の天気次第』の意味は、現地に行けば納得です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!