2018年04月01日 19時22分

三江線の思い出。

三江線は昭和53年(1978年)7月3日に乗りました。

途中の口羽(くちば)駅で乗り継ぎ。単に口羽止まりの列車に乗ったからですが、この駅で私は何をしていたのでしょう。

三江線は昭和50年に全通はしたものの、CTC設置の遅れから全通後も口羽駅では線路が繋がらず、この駅で三好方面と江津方面にそれぞれ折り返していました。

三江線の来歴に詳しい方にお聞きしたところ、この写真で手前の線のバラストの色が右奥の途中で変わっているのは、線路を繋げる工事を行ったからではないかとのことでした。

最初に乗ってから早40年。結局再訪は叶いませんでした。

2018年03月05日 14時54分

嘉例川駅(3)LEDが照らす明治の駅舎。

ななつ星in九州も停車する嘉例川駅。ホームから4230Dを見送る。

南国とは思えない寒々しい風景を行く。「はっ」と、主役はキハではなくこの駅だと我に返る。

一瞬白熱灯に見えた電球はLEDでした。明治を照らす平成の灯り。

私たち以外に誰もいない駅。

街並みを歩く人もいない夕方5時半頃。

11月にかろうじて席が確保できた1月7日(日)の名古屋便。そもそもは鉄旅ではなかったこの年明けの旅行。おれんじ食堂はともかく最後を鉄で締めくくるのは私らしいかも知れない。でも嘉例川駅は本当に確信犯ではありません。誰にもそうは思ってもらえない真実がそこにある。

2018年03月04日 20時53分

嘉例川駅(2)吉松行き到着。

登録有形文化財の碑。

駅舎内から駅前を見る。私が思っていたより広い。1日の乗降者は100人に満たないそうですが、特急列車の停まる駅。

私達が到着する直前の17:07に隼人行きが出発したばかりだったのですが。時刻表を見れば17:24発の4230D吉松行きがある。で、その列車を待つことに。

遠くからヘッドライトが見え始めた時はワクワク。

キハ147 105+キハ47 9046の2両編成。明治の駅舎に似合うのは昭和の国鉄車両まで。

それにしてもキハ40系の系列は改造が多すぎて私にはよく分からない。

2018年03月03日 20時51分

嘉例川駅(1)ここは観光地です。

知覧の後は鹿児島市内で少し観光してから鹿児島空港に向かう予定でしたが、さすがに疲れ果て空港に直行することにしました。

1月7日(日)、鹿児島からの帰路は鹿児島空港発19:45のANA360便。

(余談)流石の私も鹿児島交通知覧線の廃線跡巡りを特攻隊と組み合わせる気持ちになれませんでした。

肥薩線の嘉例川(かれいがわ)駅が鹿児島空港の近くで、車ならそれほどの距離では無いのは知っていましたが、鹿児島空港に向かう道路に「嘉例川駅」まで**キロの案内が、何回も出てくるとは知りませんでした。で、時間はたっぷりあるので帰りがけの駄賃で向かうことに。嘉例川駅が私に来て欲しい!と言っている。

で、さすが案内表示があるだけに広い駐車場があるのには驚きました。今や鹿児島の観光地の一つなのですね。

150メートルを歩き、駅が見え始めるとワクワク。しているつもりは無かったのですが、あとで同行者に「足取りが軽かった!」と指摘される。でもスキップはしていません。階段だから危ない。

明治時代に作られた登録有形文化財の駅舎。

正月の飾りつけがこれほど仰々しいとは想定の範囲外。普段着ではありませんが、こうした晴れの装いの日に来られたのはある意味ラッキー。

風情ある改札口。

17:19。冬の夕暮れ。目ではもっと暗いのですが、写真では明るく写っています。

2018年03月02日 20時49分

知覧のこと。

薩摩の小京都と言われる知覧。武家屋敷が並ぶ独特の景観が知られています。

その武家屋敷よりも有名なのは太平洋戦争末期の頃の特攻隊出撃基地・知覧飛行場です。

ホタル館富屋食堂。

知覧特攻平和会館。

知覧特攻平和会館内の特攻機の展示。

これ以上に書くことはありません。ここに来るために指宿に泊まり、この日、レンタカーを借りてやってきました。2か所合わせての滞在時間は3時間を越えました。平和を考えるのに必要な時間。

戦後生まれの私ですが、2人の叔父が戦地で亡くなっています。

2018年03月01日 14時47分

西大山駅と開聞岳と菜の花と。

黄色いポストと言えば西大山駅。

かつて日本最南端だった駅。

この記念写真も2度目。

1月7日(日)はレンタカーで回っており、たまたま見つけた菜の花畑に寄り道。

最後は開聞岳を背景にした一枚。

《指宿界隈の菜の花畑の思い出》

先日も少し書いた旅番組のロケですが、実際の撮影は確か2月末か3月頭だったと思います。新年度である4月最初の放送回用で、鮮やかな黄色で画面を飾る予定だったのですが、そのロケ当日に限って何と雪!それも数センチ積もり、白一色の菜の花畑に到着し、唖然茫然(あぜんぼうぜん)。昼頃には気温が上がり、雪は解けるとのことでしたので取り敢えずスタッフ全員、喫茶店に避難し雪解け待ち。26年間報道・制作現場の仕事をしましたが、撮影で雪の解けるのを待ったのは後にも先にもこれ1回。その時、地元の方に聞いた教訓→「鹿児島ではたまに雪が降ります」。確かに。珍しいと言えば珍しいのですが…。

2018年02月28日 16時47分

今宵は指宿温泉(3)宿。

この日の宿に到着。実はその旅館に泊まるのは2度目。20年以上前に旅番組の下見で1泊。その時の印象が良かったので今回の宿もそこにした次第。

まずは指宿名物である天然の砂むし温泉を堪能!砂むし風呂に入っているところは宿の方が有料で撮影してくれます。当方も1枚買ったのですが、今回の公開は差し控えさせていただきます。(笑)

それにしても温度が思っていたよりも熱く、頑張って長時間入っていると低温やけどを起こすので注意!だそうで私は10分ほどで出ることにしました。

日本旅館の料理も様変わりしていると思った前菜。

刺身には細工された昆布。

鹿児島名物黒豚の角煮。

鹿児島にあって、あえて焼酎ではなく地酒(日本酒)を選択。

七草がゆで〆。正月気分。

2018年02月27日 16時46分

今宵は指宿温泉(2)指宿駅前は菜の花が盛り。

JR九州名物?「床に座らないでください」。

大隅半島を見ながら、いつしかガラガラになった列車は指宿(1343Dの行く先は山川)を目指す。

※喜入~前之浜間で撮影。

指宿に定時の16:15到着。

指宿駅前は菜の花が全開。これを見るのも旅だ!!!

2018年02月26日 16時44分

今宵は指宿温泉(1)桜島。

平成30年1月6日(土)。

川内駅14:41発のさくら409号で鹿児島中央駅へ移動。僅か12分の乗車です。

鹿児島中央駅発15:01の1343Dはキハ200-503。『なのはな』塗装は観光地に向かう列車ぽくって良いのですが、何せロングシート。鹿児島中央駅では座れず、途中でやっと席を手に入れる。

平川駅辺りで鹿児島湾(錦江湾)が見え始めます。

鹿児島のシンボル桜島。

瀬々串(せせくし)駅到着。15:33。

多分この辺りで交換と待ち構えていた「指宿のたまて箱」号。

この列車に最初に乗ったのは2011年3月24日。東日本大震災の直後の事でした。

2018年02月25日 16時40分

おれんじ食堂(20)東シナ海に一番近い駅!!

薩摩高城駅に戻ってきました。

14:02に放ちの鐘ではなく、出発の鐘が鳴らされました。話は変わりますが、この写真の撮影とブログでの掲載の了解はこのスタッフに取っていますが、最近ブログやSNSで見かける「許可を得て撮影」の文言について、私はこのブログでどこまで書くかをいつも自問自答しています。基本的な姿勢として、このような写真を撮影する場合は「撮影して良いですか?」と聞いており、まあ観光列車で断られたことは一度もありません。逆に“普通”の列車では、乗務員さんを写すことは状況により遠慮する場合もあります。「許可を得て撮影」は免罪符ではなく、私自身の考え方としてはマナーとして書いている場合もあります。

それはさておき「東シナ海に一番近い駅!!」での散歩は終了。

地元の方が見送る中、定時で出発。オレンジ食堂の充実したイベントが全て終わりました。満足!

14:19定時に川内(せんだい)駅到着。

さあこれから新幹線で鹿児島中央駅に戻ります。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!