2016年09月23日 20時35分

ラ・マルせとうち(3)自転車が積める!

ラ・マル せとうち

「ラ・マルせとうち」の記念乗車証。電車が「白」と「黒」を基調にカラーリングされているので、このようなモノトーンな感覚となるのですが、この乗車証を見てかえってこれはおしゃれだと思いました。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_24

妹尾の駅で2列車と交換。

まずは観音寺始発で、妹尾10:20発の岡山行き普通電車。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_29

続いて10;24に徳島始発の「うずしお6号」+中村始発の「南風6号」と交換。

本州と四国を繋ぐ大動脈に乗っている気分が高まってきました。

ラ・マルせとうち グリーン券

私の席は1号車、1番A席。因みに2日前にネットで予約。車内検札印もオリジナル!

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_32

213系でも椅子はちゃんとグリーン車です。窓が戸袋の席というのが如何にもですし、窓割が合ってないのもご愛嬌。思ったほど気になりませんでした。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_45

「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」には自転車を置く「サイクルスペース」があります。事前予約が必要とのことで、この日は…。実は左の2台はJRが用意した“イメージ”を伝えるためのもので、右側の1台が本当に乗車された方の自転車です。(持ち主の了解を取って撮影しています)

2号車にも同様のスペースがあり、全部で8台が積めるようになっており、また輪行袋に自転車を入れて持ってきた方は、一旦組み立ててここに置くことになります。このスタイルが定着し、自転車を列車に持ち込んでの旅が定着すれば面白いサービスだと思います。

2016年09月22日 20時03分

ラ・マルせとうち(2)La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)。

La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)。フランス語で木製の旅行鞄(かばん)の意味があるそうです。

旅の道具箱(トランク)に見立てた列車。

※『吉備之国くまなく旅し隊(JR岡山支社 旅のおたすけナビゲーター)』のHPを参照しました。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_9

現代アートに颯爽と身を包んで吉備路を走ります。

2016_09_10 アンパンマントロッコ号_11

ホームにある八点鐘。かつて船乗りが時を告げたとされるこのモニュメントに見送られ、ラ・マルせとうちは10:11の定時に歩みを始めました。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_18

山陽本線を離れ宇野線(今は宇野みなと線の愛称が付けられています)に入ります。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_20

ここを通るといつも四国へ旅立つのだという感慨が在りましたが、この日は宇野止まり。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_23

自分の席に着くと、おしゃれな観光マップが私が座るのを待っていました。

2016年09月21日 20時37分

ラ・マルせとうち(1)グリーン車の旅。

平成28年9月10日(土)と11日(日)の2日間、岡山県と香川県の鉄旅をしました。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_1

まずは名古屋発8:02ののぞみ151号広島行きに乗車し、岡山へ。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_2

で、9:40に着いた岡山駅構内のコインロッカーに手荷物を預けようとしてビックリ!

「保険大臣会合」が開催されるため使用中止の張り紙。結局駅の改札内は使用禁止だったものの、改札を出たところにあったコインロッカーは使うことが出来、まずは事なきを得ましたが、神戸の会合が岡山に影響するとは夢にも思いませんでした。旅をしていると色々あるものです。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_3

この日の最初の鉄旅は観光列車「La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)」による「ラ・マルせとうち」宇野行きへの乗車。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_10

ジョイフルトレインというか観光列車というかこの213系を改造した2両編成の電車は、全車グリーン車指定席の普通列車。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_64

9月10日は「青春18きっぷ」の最終日でしたが、その切符では乗れないためかそういう方の姿は皆無と思しき感あり。

2016_09_10 La Malle de Bois(ラ・マル・ド・ボァ)_14

どこかゆったりとした時間が流れる5番線ホーム。

2015年06月29日 20時32分

ななつ星 in 九州、落選。

ななつ星先週の土曜日「ななつ星 in 九州」からお便り到着。

予想通りの落選通知。これも2度目ともなればガッカリ度は初回ほどではありません。

キャンセル待ち

キャンセル待ちの権利のない結果も先回同様。

来年の春~夏分が10月から受付け開始となるのでもう一度チャレンジしてみようと思っています。

少々自虐的でしたがここまで来ると何度挑戦したら旅に出られるかを試したくなりました。でも決して意地を張るとかではなく何か淡々とした気分です。いつかこのブログで「ななつ星 in 九州」の旅の報告をする日が来ることを願っています。

2015年04月22日 20時06分

私的昭和の鉄道/九州(5)筑豊本線と伊万里駅。

1971年(昭和46年)3月22日~27日の間、同級生とともに人生初九州上陸!

M2-3_15

鉄分少な目とはいえそこはそれで気の良い友人はそれなりに付き合ってくれており、実はそれから45年の月日が流れていますが彼とは今も親交があります。

さて3月23日、鹿児島本線折尾駅に夜行の急行「西海2号」から降りたち、その後何故か筑豊本線の若松行きにのり、二島駅で折り返しています。そして二島駅に停車中だったD50205の運転士さんが運転台にあげてくれ記念写真を撮影。(友人の写真もあり)その割りに肝心の編成写真は撮っていません。

M2-3_21

3月24日は宿泊したユースホステルの最寄り駅「虹ノ松原」から525D(博多発伊万里行き)に乗り、伊万里に9:16に到着。そこから10:15に出る松浦線の急行1501D「平戸」への乗換え待ちの間に貨物を撮影。ただ当時は蒸気機関車だから、8620形だからと気負って撮影していたとは思えず、そこにいた列車にカメラを向けていたと思います。

M2-3_22

48647の牽く貨物列車はどうやら長時間停車していたようで何と3枚もの写真が残っています。

M2-3_23

ただ個人的にはこの写真が一番好きです。

ということで私的昭和の鉄道/九州編は何とたった5回で終了。これまでにUPしている写真があるからですが、そもそも写真撮影に熱心ではなく、ちゃんと撮るようになったのは社会人になってからで、しかもデジタルカメラが出てきてからと言っても過言ではありません。

2015年04月21日 20時03分

私的昭和の鉄道/九州(4)北九州の路面電車。

室木線に乗ったのと同じく昭和53年の2月1日です。

1978_02_01西鉄北九州市内線_1

前日の1月31日の22:08に鹿児島本線西鹿児島駅を102レ「かいもん4号」で旅立ち、北九州市の折尾駅に降り立ったのは6:24でした。そこから6:34に西鉄北九州線電車に乗車。途中砂津車庫前で乗り継ぎ、終点の門司についたのは8:12でした。

北九州市内線

その時の乗りつぶし図。

1978_02_01西鉄北九州市内線_2

北九州市の小倉区魚町。

ここから北方線に乗車。

1978_02_01西鉄北九州市内線_4

特徴ある北方線の電車は、当時は結構好きなスタイルでした。

2015年04月20日 21時54分

私的昭和の鉄道/九州(3)支線2題。

5年後の九州。

会社に入ってからの昭和53年(1978年)1月下旬にも九州に乗りつぶしに出かけています。

1978_01_28宮原線(29豊肥本線)_2

1月28日は宮原線(恵良~肥後小国間)に乗っており、久大本線の豊後森を15:37に出た227Dの車内からのんびりした風景を楽しんでいました。

1978_01_28宮原線(29豊肥本線)_3

終着の肥後小国には16:40着。当時、何気なく撮影したはずですが、あまり撮影する構図ではありません。勝手なこじつけかもしれませんが、旅立ちとその終わりを象徴する改札口に思い入れがあったのかもしれません。ここだけではなく、それまでもそしてこれ以降も各地の改札口を撮影した写真が何枚かあります。

1978_01_28宮原線(29豊肥本線)_4撮影順のUPですが、改札写真を撮影してからホームに停車中の気動車を撮っています。ただしその理由は不明。

1978_01_28宮原線(29豊肥本線)_5

駅舎は昭和感が満載です。この後私は阿蘇に向かってバスに乗りました。ところで数年前のことですが、大分県の湯布院温泉から熊本の黒川温泉にレンタカーに向かった時に肥後小国に近い場所を通ったのですが、それだけで何だか懐かしい気分でした。

1978_02_01室木駅

おまけのような写真ですが、こちらも今は無き室木線(鹿児島本線遠賀川~室木)の終点室木駅です。完全な夜景ですが、当時の北九州地区路線網をパズルの様な複雑怪奇さで、それを一つ一つ紐解くように網羅するのは気が遠くなるような作業で、ここ室木駅には2月1日の18:05分過ぎに辿り着きました。

※室木線は全列車が蒸気機関車牽引の客車列車で有名だった路線で鉄道ファンには人気の路線でした。

ところでこの写真、ストロボを使っていますが、当時はちゃんと持ち歩いていたようです。ホームの客車まで光が当たっているので大容量タイプであったことは間違いなさそうです。我ながらあっぱれ。

何故夜景ですか?と聞かないで下さい。当時の私の乗りつぶし基準はとても緩く、急行・特急利用可。しかも夜行列車もOKでした。今は基本、各駅停車としています…。

2015年04月19日 20時40分

私的昭和の鉄道/九州(2)日本最西端の駅、平戸口。

昭和48年(1973年)8月3日、(当時の)日本最西端の駅「平戸口」に到達しました。と言っても駅そのものは2度目の訪問。しかし最初に来た時にはこうした写真を撮っていません。入り口に荷物が積んである風景は昭和ならではですね。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_12

前日の8月2日、小倉発23:09の「普通列車」の夜行に乗車。佐世保に4:46に到着した後接続の4:58発の626D(佐世保発松浦線経由博多行き)に乗車。6:15に到着しました。当然のことながら寝不足だったので、626Dでも爆睡していたのですが、その時シートに横になり通路側の肘掛に足を乗せていた(丁度ひざ裏が乗っかる感じ)のですが、それでひざから下の血流が止まったみたいで、何と平戸口近くで目が覚めたものの足がしびれて自由が利かず、5分ほど足のマッサージをしていた覚えがあります。トホホな話ですが、恐らく50代以上の方にしかわからないかも知れません。

40年以上前の若かりし頃でしたのでそんな旅もよくしたものです。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_13

「日本最西端の駅」の碑。この座を沖縄・ゆいレールに奪われる日が来るとは夢にも思いませんでした。

松浦線の平戸口以東は昭和46年(1971年)3月24日に乗っており、佐世保からここまでが初乗りでした。なお昭和46年当時はここ平戸口に降り立った後、九十九島巡りの船で佐世保を目指していました。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_14

昭和48年(1973年)8月4日、唐津線を佐賀(9:07発)から西唐津(定刻では10:52着)まで乗車した727列車。当時でも古豪であった79601が牽いており、当時のメモには9両の客車を牽いていたわざわざ特記があるものの、なぜか727レの写真はこの一枚しか残っていません。

それにしても今こうして見ても風情がありますし、客車の揺れをまだ体が覚えているような気がします。

2015年04月18日 23時12分

私的昭和の鉄道/九州(1)山野線と宮之城線。

入社当時のことを書いていたら、昭和の時代に私が経験したことを書いてみようと思い立ってしまいました。

ということで今日から折に触れ、私がせっせと全国の鉄道を乗っていた『昭和』の写真をUPしていきます。タイトルは「私(わたくし)的昭和の鉄道」。ただし私は撮り鉄ではなかったこともあり、あまり写真は撮っておらず、バリエーションが少ないのはご容赦頂きたく存じます。またこれまでこのブログに掲載した写真はUPしないつもりですが、もしもダブっていたらごめんなさいです。

手始めは昭和48年(1973年)7月28日から8月8日まで旅をした九州編です。何故これから始めるかの理由ですが、今日UPする写真に写っている蒸気機関車が調べたら今も保存されていることが分かったからです。

1973九州周遊券

懐かしの九州周遊券を使っての旅。当時の周遊券には「途中下車印」を押す欄もありましたが、そこでは足りなくなって券面の端から端まで“印”があるのが『カッコいい』とされ、その数の多さを競っていた時代でした。ところでこの途中下車印は、鉄ちゃんじゃなくてもやっている人は多かったと思います。

その日程の概略。

●7月28日は東京⇒名古屋間を移動し、実家に一泊。

●翌7月29日、いよいよ本格的に出発。名古屋発19:25の熊本行き急行「阿蘇」(当然、直角シートの4人掛け)に小倉まで乗り、そこから何故か普通列車~普通電車を乗り継いで黒崎9:06発の「かいもん1号」に乗車。西鹿児島15:07に到着してそのまま指宿まで向かっています。

19730731宮之城線

7月31日の行動。指宿を基点に南九州をぐるっと回っており、今考えると何故指宿がベースなのか意味不明な行動です。ひょっとすると温泉があったからかも知れませんが真相は闇の中です。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_1

山野線432Dを栗野(11:33発)から薩摩大口(12:02着)まで乗車。宮之城線933Dが出発する13:30まで駅中を撮影していました。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_4

この時代のC56111はナンバープレートに形式名が入っていませんが、前後の時代は形式名が入っていました。因みにこの車両は今も宝塚市にて保存されています。

宮之城線の乗車券

宮之城線の車掌さんがくれた乗車券。おおらかな時代です。

1973_07_31~薩摩大口~鹿屋_9

8月1日に大隅線鹿屋駅で撮影した写真です。

C11200も兵庫県龍野市で保存されています。

2015年03月28日 20時00分

「若桜鉄道」の『SL走行社会実験』。

写真は全て2010年6月19日撮影。

2010_06_19若桜鉄道SX10_51

鳥取県の第3セクター「若桜鉄道」が4月11日(土)に『SL走行社会実験』を行います。区間は若桜~八東間の9.4キロ。そこを時速10キロ前後でゆっくり走ります。

2010_06_19若桜鉄道SX10_26

今回はSLの集客効果と経済効果を検証するという目的で行われますが、いくつかの興味深いというか今まで誰も考えつかなかったのではないかと思うアイデアで溢れています。

1)鉄道の車検を通していない蒸気機関車C12167が本線を走る。

本来これは法律上認められることではありません。そのために定期列車を1往復運休させ線路を閉鎖することで可能となりました。

※その変わり代行バスの運転あり。

2)撮り鉄対策を万全に行い、恐らく日本初の撮り鉄さんから“稼ぐ”。

有料予約制の駐車場や撮影場所を設定し、それにより想定される撮影地の奪い合いを回避します。更に宿泊プランやお弁当も用意しています。余談ですが、スピードが遅いだけに撮りがいもありそうです。

3)鉄道ファン向けイベントの実施。

これは全国の“公募”社長さん達が勢揃いしてトークイベントをするというもので、由利高原鉄道、山形鉄道、ひたちなか海浜鉄道、いすみ鉄道、若桜鉄道の各社長たちが一同に会してステージに登壇するというのは興味津々。何れも個性的な方たちだけに未だかつて聞いたことが無い“苦労話”が聞けるかもしれません。

4)地域ぐるみの支援体制。

行政だけではなく、宿泊業者、市民団体、住民、ボランティアが「沿線サポート委員会」を結成し、各駅でイベントを行うそうです。

2010_06_19若桜鉄道S90_34

ところで若桜鉄道のC12は運転体験できることで知られており、私は2010年6月19日(このブログでは6月23日~UP)に行きました。圧縮空気を動力にしているので最初はどうなのかな?という気持ちもあったのですが、始まってしまえば「これが蒸気機関車か!」と楽しい時間を過ごしました。本来は本線を走ることのない(出来ない)この機関車が今回、煙はでないものの特に帰路(八東⇒若桜)は編成の先頭に立ちます。考えるだけでもわくわく気分です。一方、往路のDD16牽引も私には十分魅力的です。

2010_06_19若桜鉄道SX10_62

因みに客車の乗客はこの方々です。

詳細はウェブサイト「鳥取因幡観光ネット」でご覧頂くことになりますが、地方鉄道の今後の生き残りの手段の一つとして今回の『SL走行社会実験』の結果は注目に値します。私自身は残念ながら行く事は出来ないのですが、是非多くの方が若桜に足を運び、撮り鉄を楽しみつつ公共交通の今後について考える時間を過ごしてくれることを願っています。

そしてこの試みが1回だけで終わらず次に繋がり、将来自走できる蒸気機関車として復活し、本線上を走るようになることを切に期待しています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!