2012年09月29日 20時53分

日本最南端の駅。

一昨日、昨日とブログの更新をお休みしました。

沖縄・那覇に水曜日から出張があり今回はUPをギブアップしました。

で、昨日(9月28日)仕事が夕方に終わり、本音としては一泊して今日(9月29日)帰るつもりでした。が、台風17号の接近で今日の那覇空港発着便は早々に全便欠航が決まってしまい、なおかつ日曜日(9月30日)は、名古屋を台風が通過する予報も出ていたので、最悪の事態を避けるため何とか金曜日中に帰ろうとしても時間的に間に合う便は満席だし・・・と思っていたら、JAL(JTA)が19:50発の臨時便を飛ばすということで何とかそれに搭乗することができました。

なお、この情報は同行の方が偶然見つけて教えてくれたもので、それがなければこのブログも那覇のホテルで書いているはずでした。こうして今、名古屋にいることでもう年内の「運」は使い果たした気がしています。

さて本題ですが、那覇空港で時間が少しできたので、とりあえず日本最南端の駅、ゆいレール「赤嶺」駅(だけ)を目指しました。乗車したのは「那覇空港」発17:44で「赤嶺」着17:47。そして駅前(本当に目の前)にある『日本最南端の駅モニュメント』に行こうとしたのですが、台風接近により強まっていた“風雨”のため、ずぶ濡れになるのは覚悟すれば済むのですがカメラが危ないと思い断念し、コンコースの顔出し看板で『良し』としました。ニュースで那覇の映像が放送されていましたが、被害が最少で済んでいることを祈るばかりです。

※ゆいレールは平成16年5月15日に乗車しています。(『ゆいレール』の開通は平成15年8月10日)

(忙中閑あり)

懇親会で出かけた沖縄料理の店で見つけたその名も「翌ケロGOLD」。ネーミングが強烈で思わず一本買ってしまいました。大きさは高さ10センチにも満たないモノで、琉球大学の研究によるウコン「琉大ゴールド」の生搾りとのことで、味については『ウコン』としておきましょう。私は初めて見ましたが皆さんは如何でしょうか?

 

 

2011年06月11日 9時06分

「我が国鉄道発祥の地」は長崎だった!

長崎電軌の「市民病院前」電停に程近い大浦海岸通り沿いに、
「我が国鉄道発祥の地」の石碑があります。
※電車通り沿いなので、何とか電車を入れ込めないかと思いましたが、
諦めてこの写真となりました。

私はこの存在を知らなかったのですが、たまたま長崎駅の観光案内所で、
長崎観光をする気など全く無かったにも係わらず、夕食の際の
暇つぶしにでもと思ってもらった「長崎観光ガイドブック」で見つけたのです。

その瞬間、ビールのジョッキを持つ手が思わず…、というのは誇大すぎますが、
その時の衝撃だけはご理解下さい。

どうでも良いことはそれ位にして、何故長崎が「鉄道発祥の地」かというと、
これは旅客や貨物を運ぶ所謂営業線としての『鉄道』の“発祥の地”でなく、
慶応元年(1865年)に英国製の蒸気機関車「アイアン・デューク
(鉄の公爵)号」が客車を牽いて、丁度この石碑のある辺りで
400メートルほどの距離を走った(石碑にある碑文・案内板参照)
というもので、そういう意味で“鉄道”が走った日本最初の地で
あるとのことでした。
まあ、“鉄道”というもののデモンストレーション走行と言えるのでしょうが、
そこはそれ、やはりこの石碑を作るだけの意味合いは感じています。
※距離については、数百メートルであったり約600メートルであったり、
諸説あるようです。
※「Wikipedia」『日本の鉄道史』には、軌間は762ミリで、
中国向け輸出車両との記載あり。

ただこれがあるゆえ、横浜にある「鉄道発祥の地」記念碑の価値が
変わるといったものではないでしょう。

何れにしろ、鎖国の時代にも世界に開かれていた“長崎”の地の奥深さを
感じずにはいられませんでした。

そして私は、この石碑を確認した後、長崎を離れ名古屋への帰途につきました。

2011年06月10日 18時09分

「きっちんせいじ」と言えば『トルコライス』。

私の平成23年3月26日の昼食はこれ!!
そうっ!!長崎名物『トルコライス』です。
●1皿900円です。
*カレー味ピラフ
*ナポリタンスパゲティ
*ドミグラスソースのかかった豚カツ
以上、お約束の3種盛り+サラダが1プレートにテンコ盛りで出されており、
私には十分すぎるほどの量でした。

※写真を撮るときに皿の上下を逆にするべきでした。
ピラフが殆ど見えません。反省。

味は「可もなく不可もなくというレベルよりは少し上」ですが、
「ふか~い味わいの絶品!」というほどではないと感じました。
そもそも私はこうした若者向けと思われる“超ハイカロリー”メニューは
最近あまり注文することはないですが、それでも食後の皿はきれいに
ご飯一粒残っていない状態までなったということで、
この『トルコライス』の味の見当を付けてください。

ただ、他店の『トルコライス』との差別化が何がしかなされているとは
思わなかったのですが、観光客が次々に来店し、そのかなりの方が
『トルコライス』を注文していました。
ひょっとしたらガイドブックに掲載されている『トルコライス』の
名店なのかもしれません。

一方、その観光客の方達ですが、当然「鉄」ではないので、
一応に「外」だけでなく「中」まで広がる『電車』の世界に“呆れつつ”、
写真を何枚も撮っている人もいて、普段はあまり見かけない光景が
面白かったです。

なお、メニューはいわゆる町の洋食屋さんで、「鉄」「鉄」したメニューが
あるわけではありません。
値段も手頃ですので、長崎にお出かけの際にはどうぞ。
「鉄」ではない方が同行でも、この店は大丈夫と思われます。

2011年06月10日 8時56分

長崎での「鉄」御用達『きっちんせいじ』とは?

長崎に出かけた「鉄」の方々の御用達、特に昼食の定番スポットと言っても
過言ではないのが『きっちんせいじ』です。
(食事については次回UPします)

この外観だけでも「鉄」御用達という表現が誇大ではないと思っていただけると
信じていますが、一方、店内も電車の部品が満載だったり、
電車の写真も飾られたりしていて外観とのギャップはなく、
初訪問の私の期待を裏切りませんでした。
実のところ、これまで『噂に聞いていた』程度でしたが、
「ここまでやってくれるんならOK」と素直に思ってしまいました。

なお、プラス情報ですが、ここはマンガ喫茶かと言うほどマンガが
揃っています。時間つぶしにも最適な店です。

ところでこの電車は長崎電軌の何形なのでしょうか?
毎度お馴染みの「Wikipedia」で検索した『長崎電気軌道』には
『元の形式は不明だが、長崎市内に路面電車の廃車体を利用した
洋食屋「キッチンせいじ」がある。』との記述もありますが、
その形は元箱根登山の「150形」に限りなく似ています。
但し、これはあくまでも私の感想です。
※「キッチン」は「きっちん」と平仮名で書くのが正式です。

(場所)
「長崎電軌」の電停で言えば『賑橋』から程近く、歩いて直ぐですが、
表通りからは中に入っているので少し分かりにくいかもしれません。
私の場合は「iタウンページ」で検索した地図を持ってこの店を探しました。

参考までに、この時私は、「公会堂」電停から歩いて『キッチンせいじ』を
目指しており、途中、中島川に架かる国の重要文化財「眼鏡橋」では
観光客気分で記念写真を撮影しつつでしたが、それほど時間は
かかりませんでした。

2011年05月29日 18時46分

長崎への道(3)247D「長崎駅」到着。

私の乗車してきた247Dは、定刻から3分ほど遅れ、
18:06頃に「長崎駅」に到着しました。

右側のキハ66系の「シーサイドライナー」色の車両が私が乗ってきた列車で、
お隣のホームにいた「シーサイドライナー」色のキハ200系との並びは、
新旧のお披露目の感もあって、思わずシャッターを押してしまいました。

『終着駅はかくあるべし』と思うのは、行き止まり式というか
“頭端式ホーム”ならではで、ならば“頭端式”ならどこの駅でも良いか
といえばそんなことはなく、やはり、それなりのホーム数(番線数)が
必要だったりします。もっとも私が最初にここに降り立ったときは
“頭端式”では無かった訳ですが、この改良は、昔を知る方には少々不満
(風情が無くなった。跨線橋も味があった等々)はあるかもしれませんが、
まあ今の風情は許せるのではないでしょうか?

ところで“頭端式”と言っても、多くのJR・私鉄の頭端式の駅の場合、
私の印象は『終着駅』ではなく『終点』です。
それゆえ、今回こんな書き方をしているのですが、そんな中、特に私鉄では南海電鉄の「難波駅」は私のとって『終着駅』の感があります。

それはさておき、この日(3月25日)、到着して直ぐに長崎駅前のホテルに
チェックイン。そして翌日に備え「電車一日乗車券」を購入しました。
何せ「電車一日乗車券」は電車内では購入できません。皆様もご注意下さい。

2011年05月29日 8時04分

長崎への道(2)景色を楽しむなら「長与廻り」!

諫早を出た247Dは、複線を快適に走り、喜々津で「現川」廻りと
分かれると早速、進行方向右側に大村湾の「海の景色」が見え始めます。

海が見えるのは「喜々津駅」から「大草駅」の少し先までの
10分程度ですが、目線が低いので水上を走っている気分です。
「千と千尋の神隠し」の“海原電鉄”みたいだというと誇大表現ですが、
ボーっとしながら窓外を眺める私は、気分的には半透明の乗客だったかもしれません。なんちゃってね・・・。
※参考までに「大草駅」近くでは洋上空港の長崎空港も望めます。

「大草駅」を過ぎると峠越えになり、山中に分け入っていきますが、
それを過ぎれば長崎の町を目掛けてひたすら下っていきます。
ところで私の勝手なイメージの世界では、この「長与」廻りは、思いっきり
“ローカル線”で、車内は乗客もまばらで、ボックスシートを
独り占めにして、『うつらうつらしながら鉄道の旅を楽しむ』というものでしたが、現実は違っていました。

乗車した時間帯にもよるのでしょうが、下校する高校生だけではなく、
一般の乗客も多く、特に「長与駅」は結構な町の雰囲気で、
多数の乗客が乗り込み、ここから「長崎駅」までは、2両編成のワンマン運転とは言え、ちょっとした通勤列車でした。

2011年05月28日 23時40分

長崎への道(1)シーサイドライナー色が「諫早駅」到着。

平成23年3月25日、諫早発17:20の長崎行き247Dです。

この列車は佐世保始発で、シーサイドライナー色ですが
快速「シ-サイドライナー」ではありません。
この列車の長崎着は18:03で、急ぐ旅ならこの列車の後にでる
2031M特急「かもめ31号」の方が早く着くのですが、
急ぐこともないので、“のんびり”行くことにしました。
ところで、2031Mの諫早発は17:32で長崎着は17:51と
なっていますが、247Dは、途中駅で2031Mを待避しません。

それもこの247Dを選んだ理由なのですが、要は247Dは
通称「長与(ながよ)」廻りで、2031Mが「現川(うつつがわ)」廻りと
いうのが大袈裟に言えばその“トリック”の答えで、247Dが大回りを
している間に、2031Mが結果として早着するわけです。

ただ、そもそも私が最初に長崎本線の乗車した昭和46年3月25日には
「現川」廻りはまだ存在していませんでした。
その「現川」廻り(昭和47年10月2日開業)には昭和48年8月3日に
乗車しています。

※『長与廻り』『現川廻り』の呼び方には、「旧線」「新線」であったり、
「長与経由」「「市布経由」など色々在るようですが、ここでは私なりの
表現をさせていただきます。
まあ、どこを通る列車かは何れにしても特定できるはずです。

2011年05月26日 18時19分

島原鉄道(13)島原鉄道、途中下車の旅。

島原鉄道の最後に、「島原鉄道沿線地域公共交通活性化協議会」(交通事業者、沿線の自治体等で組成)がその事業として作り配布している「島原鉄道 途中下車の旅」という冊子についてUPします。
(今朝、少し触れたパンフレットのことです)

写真は左から、表紙、沿線マップの一部、「幸せキーホルダー」がもらえるスタンプラリーの台紙部分で、実際の冊子はページ数もあり、結構盛り沢山な内容で、ちょっとした観光ガイドにもなっています。
※この写真は、各ブロックをそれぞれをスキャンし、1つに纏めています。

「幸せの黄色い列車に乗って“幸せ探し”に出掛けよう!」がキャッチフレーズとなっており、日常的な利用客の増加もさることながら、観光客を強く意識した内容となっており、好感が持てました。
※実物は、是非「島原鉄道」で手に入れてください。
※因みに「幸せの黄色い仔犬」は中京テレビの番組です。参考までに…。

なお、スタンプラリーは「本諫早駅」「愛野駅」「多比良町駅」「島原駅」の各駅で押印するようになっており、最終的には「本諫早駅」か「島原駅」で記念品のキーホルダーと交換します。

また、島原鉄道では「幸せ記念乗車券(幸~愛野~吾妻)」(「幸」~「愛」~「妻」)や“愛の記念きっぷ(愛野⇒吾妻の片道切符…愛の道は片道だそうです)付き”「最愛認定証」といった「幸せ」グッズもあり、島原鉄道と沿線の行政・関係者(住民も含む)の“愛”ある取り組みには心打たれるものを感じました。

あと強いて言うなら、観光トロッコ列車『島鉄ハッピートレイン』が復活して、それも「諫早駅」に乗り入れなんてことはきっとないんだろうなあ・・・。

2011年05月26日 8時02分

島原鉄道(12)「島原の子守唄」と島原鉄道。

ところで、島原鉄道の全車両に写真のような子供をおんぶした女性のイラストが描かれているのをご存知の方も多いと思います。

そもそも「島鉄」カラーといっても良い、ベースの黄色は『豊穣の実り』の黄色で、それに有明海の海を意味する青のラインで彩った車両は、
“幸せの黄色い列車”であると「島原鉄道沿線地域公共交通活性化協議会」の作成したパンフレットにありました。

そしてこのイラストは『島原』を象徴すると言っても過言ではない歌である
『島原の子守唄』をモチーフに、『赤子を背負う子守娘』を描いたもので、
そもそも『島原の子守唄』は、島原鉄道の役員をしていた宮崎康平氏の作詞・作曲によるもので、この鉄道とは深い深い縁のあるものなのです。
※地元の子守唄をベースにしたと言われている。
※「宮崎康平」氏についての紹介はしませんが、とても興味深い方です。是非、一度お調べ下さい。

この歌は「Wikipedia」によれば、昭和34年のペギー葉山さんが歌ったことで有名になったとありましたが、その後も多くの歌手の方に歌い継がれており、私は、歌詞さえ見えばこの歌を歌えるような気がします。まあ、それ位有名だということでご理解下さい。
※音楽を管理する『JASRAC』のHPで検索するとアーティストは原曲だけで35名(グループを含む)にもなっています。

車体に描かれた一つのイラストも、単にイラストと見るのではなく、その地域の歴史を感じさせるものもあります。今回、島原鉄道に乗って、久しぶりに宮崎康平氏と「島原の子守唄」を思い出しました。

2011年05月25日 9時05分

島原鉄道(11)「諫早駅」到着。

17:06、定刻で「諫早駅」に到着しました。学校の下校時刻と相まって、
「本諫早駅」近くではほぼ満席でした。ただ、単行のディーゼルゆえ、
乗客数がそれほど多いわけではありません。それにしても、一地方にあってほぼ1時間に2本を確保している利便性は賞賛されても良いでしょう。

ところでここ「諫早駅」は以前から国鉄、今はJRに集改札を委託しています。そういう意味ではここ「諫早駅」は『島原鉄道』にとっては無人駅であり、下車する際に運賃を精算し、写真下段の「清算済票」を運転士さんからもらった上で、これをJR「諫早駅」の駅員さんに渡します。
ただ私は、『乗車記念』ということで頂いてしまいました。
長崎県第3位の都市「諫早市」は人口14万人で、市の中心部は島原鉄道の「本諫早駅」周辺のようで、「本諫早駅」での乗降は結構ありました。

また、「本諫早駅」の一駅島原寄りには「幸(さいわい)」という何とも、心がホッコリする名前の駅があり、その駅名看板を写真に撮影しようとは思ったものの、チャンスを逃し、ここにUP出来なかったことを報告します。
(余計は事を書く必要は無いと言われそうですね)

「幸駅」は平成12年の開業で、駅の所在地が「諫早市幸町」ということからその名前があるようですが、少々出来すぎの感はありますが、
その「幸駅」が出来たことを“幸い”にしたいと言う島原鉄道の思いを感じないわけではありません。

「諫早駅」の話しから「幸駅」の話しに脱線してしまいましたが、景色の良さも手伝って、アッという間の1時間13分だったことを報告しておきます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!