2011年05月24日 18時12分

島原鉄道(10)「森山駅」で交換。

終点の「諫早駅」にもほど近くなった「森山駅」で、私の乗った124レは、
127レ「南島原駅」行きと交換。16:48分着で16:52発と初めて
交換待ち(私の乗車した列車が対向列車待ち)をしました。

さて、こんなに時間を詳しく書けるのは、運転席にあった124レの仕業表を写真に撮っていたからですが、実は、「島原外港駅」でいろいろな写真を撮影したり、列車交換があるたびに乗務員室横の“お立ち台”にいたりしたので、運転士さんからはほぼ全ての撮影が黙認状態となっており、おかげでいろいろな写真を持ち帰ることが出来ました。
●運転席周りの撮影中は、私の撮影が終わるまで乗務員室の外で待っていてくれたほどです。と言う事で、今回は運転士さんへの「声掛け」は敢えてしませんでした。

もっとも私の撮影中、乗客の方は若干、不審な面持ちで見ていたのは
間違いなく、まあ、私は慣れているといえば慣れているのでそれは良しとして、運転士さんの理解はありがたく思いました。

ところで交換した2両編成の先頭車は「2501号」で、
文字通り『キハ2500形』のトップナンバー。それもあってこの写真をUPしました。

2011年05月24日 8時09分

島原鉄道(9)「大三東駅」は海から近い!

島原鉄道きっての難読駅と私が思っている「大三東(おおみさき)駅」です。因みに、マイクロソフトのIMEで「おおみさき」と入力すると一発で出てきて少々驚きました。これは余談です。

今回、初めて「島原鉄道」の車窓を楽しんでみて、本当に美しい(心洗われる)風景が続いていることに少々驚きました。これはある程度の予測はついていたもののその予測を超えるものだったことをここに書きとめておきます。

さて写真のようにここ「大三東駅」は、海に本当に近く、目の前に広がる海は正に圧巻で、「雑誌に取り上げられたり、ドラマやテレビ番組の撮影などがよく行われる」との話しも頷けるものでした。
進行方向右側に広がる海の風景は、ここ大三東駅周辺だけではなく、更に20分ほど目を楽しませてくれました。

この「大三東駅」を出ると次の駅が「島鉄湯江駅」となりますが、今度は海ではなく、島原半島のシンボル「雲仙岳」のビュースポットとなっています。参考までにこの手前、先回の「三会駅」付近でも右に「有明海」、左に「雲仙岳・平成新山」という何とも贅沢な車窓が展開されていました。

また、「古部(こべ)駅」(ここも海際の駅)周辺では、進行方向が南西の方向となるため、夕日も美しいとのことでしたが、さすがに16:30頃では時間的にまだ早かったようです。

その他干拓地の田園風景を楽しめる区間もあり、もう少し、この車窓をアピールしても良いのではと思いました。

2011年05月23日 18時41分

島原鉄道(8)「三会駅」で、2550形と交換。

「島原外港」を出て4駅目、「三会(みえ)駅」で、最初の列車交換を行いました。
●『三に会う』と書いて『みえ』と読むのは難しいほうではないでしょうか?

この駅も、昔ならタブレットの収受と腕木式信号機の組み合わせだったのでしょうが、(残念ながら)とはならずです。
もっとも「残念ながら」とは本来言ってはならない言葉なのでしょうが、思わず口をついて出てしまいました。それにしても島原鉄道の交換可能駅の線路有効長は結構長く、昭和の時代の貨物輸送が盛んな頃を思い起こさせてくれるのには十分でした。

私の乗った「島原外港駅」発15:53の124列車は、
「諫早駅」着17:06までに、この「三会駅」を含め5回の交換をしていますが、交換可能駅が今も結構あるため、対向列車待ちの時間は思ったよりも少なく、交換待ちに伴うストレスは比較的少ない乗車でした。

また車内にはトイレがあるため、やむをえないとは言え、どこかの鉄道会社の「トイレ休憩」のためではないかというような、途中駅での停車も無く、車両の面白みを別にすれば、気分的には楽な『鉄道旅』となりました。

2011年05月22日 9時07分

島原鉄道(7)2500形「島原外港駅」到着。

15:44、定刻で「急行 島原外港」行きが姿を現しました。これが折り返し「島原外港」発15:53となります。

急行といっても昭和50年代のような島鉄オリジナルの
キハ26形・55形「国鉄乗り入れ急行用車両」ということはなく、
明るい黄色の『2509号』の登場でした。名古屋市民としては、黄色の塗色には強い思い入れがありますが、南国でみる黄色もまた
良いものです。

ただ、島原鉄道の車両は、2500形と2500形のみで、
外観は私には全く同じに見えるので、そういう意味では面白みに欠ける路線と
言えそうです。

それでも車内はセミクロスシートで、私は無事、有明海側のボックスに
身を置くことができ、『旅』気分を堪能する準備は整いました。
等と実は書くまでもなく、「島原外港」を出発したときの乗客は
ほんの数人で、結局、私の座っていたボックスに他の乗客が
相席となったのは「愛野駅」駅を過ぎてからだったと思います。

乗客の少なさは、経営の悪化に直結するので望ましいものではないのですが、
ボックスシートで、前の席に足を伸ばして風景を楽しむなどといった
贅沢が出来たのは、ちょっと嬉しかったと正直に告白しておきます。

2011年05月21日 19時35分

島原鉄道(6)線路は続くよ!どこまで???

「島原外港駅」は、「Wikipedia」によれば平成9年に交換設備が
撤去されており、平成20年までは有人駅だったようです。
また、「島原外港駅」が今もあるのは島原市の“要望”とありました。
『やはりそうなんだ』と改めて感じました。

その「島原外港駅」から「加津佐」方面には、写真のようにまだ
線路が残されています。本線とも繋がっており、線路の撤去費用の捻出が
きっと出来ないのだろうと思い、ついでに言うと、この先、踏み切りの
あったところはどうなっているのだろうと心配になってしまいました。
その理由ですか?それは、車で「踏切」を横断する場合、本来
『一時停止』義務があるのですが、廃止となった「踏切」にはその義務が
ありません。ところが「踏切」がそのままの姿で残されていた場合、
“廃止”を知っていようがいまいが、無意識で一時停止してしまいそうです。
その時、後続の車に「一時停止」する気が無ければ、追突されるのでは
などと心配になってしまったのです。

話しは脱線しても、列車を脱線させてはいけません。
この写真は、列車の車内から撮影したものですが、この駅で折り返さず、
このまま「加津佐」方面にそのまま走り出しそうな感覚に囚われました。

既に3年の月日が流れているとはとても思えない「島原“夢幻”鉄道」の
巻でした。

2011年05月21日 9時00分

島原鉄道(5)やっと島原鉄道「島原外港」駅です。

フェリーの島原港から歩くこと5分、島原鉄道の「島原外港駅」です。
はっきり言って島原港が近くに無かったとしたら、多分、現在の島原鉄道の終点は、「南島原」になっていたのではと思える駅です。

それはともかく、フェリーが時刻どおり到着し、というより定刻の
15:20が、船からの下船時間であれば、「島原外港駅」発
15:28の「諫早駅」行きに頑張れば間に合うのではと淡い期待を
抱いていたのです、やはりそんなことはなく、15:53発に乗ることに
なったため、20分強の余裕が出来、その分、「島原外港駅」周辺を
探索できました。

駅は、2面2線の内、旧・下り線(加津佐方面)ホームの1面1線を利用し、
折り返す構造となっています。(写真では左側)
なお、右側の旧・上り線(諫早方面)は、本線とは寸断され、
繋がってはいません。

また、「矢印」の奥の掘っ立て小屋のような建物が待合室で、
中には時刻表と運賃表の掲示があるものの、見ようによっては
ローカル線の途中駅の風情で、考えてみればもともとが中間駅であり、
終着駅のイメージをそこに求めること自体に無理がありました。

右側に今も残るホームには、昔ながらの屋根付き待合所が存在しており、
いつ列車が到着してもおかしくない雰囲気でした。
話しは飛びますが、その待合所の直ぐ後ろに三角屋根の建物が見えます。
私はこの駅に到着したとき、その建物が旧・島原外港駅舎に
見えてしまいました。が、近づいてみてそれは全くの見当違いであることが
分かったのですが、改めてこの写真を見ていたら、あながち“勘違い”も
致し方ないと自分を慰めています。

2011年05月20日 17時29分

島原鉄道(4)昭和50年の島原鉄道の入場券。

上が「島原駅」の入場券。
下が今は無き「加津佐駅」の入場券です。
券面中央の赤帯が何とも言えない味を醸し出しています。
今も、島原鉄道の有人駅ではこうした硬券を売っているのでしょうか?
参考までに、現在の島原鉄道の有人駅は
*南島原*島原*多比良町*吾妻*愛野*本諫早の6駅です。
起終点が無人で中間駅に有人が存在するのは、熊本電鉄も同様ですが、
比較的珍しいのではないでしょうか?

また当時、島原鉄道は非電化私鉄の「九州の雄」、
場合によっては「西の雄」と謂われていたと記憶しており、
「諫早」~「加津佐」間の1路線78.5キロという長さは、
非電化私鉄では当時、日本最長であったと記憶しています。
※「東の雄」…関東鉄道。
 「西の雄」…元々は江若(こうじゃく)鉄道。今のJR西日本
/湖西線沿いにあった鉄道で、昭和44年に廃止。

また非電化私鉄では唯一の特別料金(急行料金)の必要な列車が
1日4往復設定されていた他、国鉄への乗り入れ列車も1日2往復の
「長崎」発着の他、「佐世保」、「博多」から長駆「小倉」まで
足を伸ばす列車等、5往復が設定され、鹿児島交通の「西鹿児島」への
3往復や有田鉄道の「湯浅」への4往復、小田急「あさぎり号」の4往復の
「御殿場」乗り入れをはるかにしのぎ、定期運用の乗り入れ数は
当時、いわゆる“相互乗り入れ”や少々事情の異なる“伊豆急”
“伊豆箱根鉄道”を除けば日本最多だったはずです。

昭和50年当時、如何にこの鉄道が島原半島を支えていた交通機関で
あったかが見て取れます。

2011年05月20日 8時04分

島原鉄道(3)昭和50年の島原鉄道。

昭和50年3月10日、山陽新幹線の博多開業日に合わせ、
私は九州を目指しました。
(開業日の乗車は私にとっては画期的)
その時に、島原鉄道を写真の乗車券で完乗しました。

当時は、国鉄の『完乗』などまだ夢にも思っていなかった時代で、
単なる鉄道旅行というか、「観光と鉄道」というテーマ設定というか、
それでも山陽新幹線だけは乗っておこうと思ったのは間違いなく、
ただ、3月10日に名古屋を出て新幹線で九州を目指したところまでは
良かったのですが、小倉で下車しており、博多まで到達したのは翌11日。
さらに巡り巡って14日に「諫早駅」に到達しました。
その「諫早駅」までも、何故か佐世保線の「武雄駅」
(現在の「武雄温泉駅」)から『九州急行バス』に乗っており、
当時の私の「鉄」らしくないこと夥しい行動は、「乗り鉄」を本格的に
始めるだからこそのエピソードといえます。

私の島原鉄道初乗車は、「諫早駅」発12:01の“急行”「加津佐」行き
(何と「佐世保」始発)で、「島原駅」着は12:47。乗車券には
『下車前途無効』とあるものの、ちゃんと途中下車して、
島原市内の「武家屋敷通り」を始めとした観光地を巡り、
「島原駅」発17:43のディーゼルに乗車。「加津佐駅」着18:58で
島原鉄道を完乗しました。
こうして書いてみると、単なる観光旅行のついでの“乗り鉄”ですが、
そもそも島原市内の観光をしている時の写真はあるものの、
当時の島原鉄道の写真は1枚も残っていません。

話しを戻して、『途中下車』の件ですが、当時は弾力的に
運用していたということでしょうが、一方で、国鉄で弾力的運用は
あまり記憶にありません。

もう一点、「諫早駅」から乗車した“急行”は信じられないほど混んでおり、
座れないどころか乗降ドアから乗って、そこから一歩も動けず、
しかもその場所からは、窓外が全く見えず、「島原駅」までは
本当にただ乗っただけの島原鉄道で、
今回、私は初めて島原鉄道の車窓を堪能しました。

●「島原外港」~「加津佐」間は平成20年4月1日に廃止となり、
現在の姿となっています。まだ4年しか経っていないんですね。

2011年05月19日 18時53分

島原鉄道(2)島原港到着。

『オーシャンアロー号』が島原港に到着すると、島原半島の象徴
「雲仙岳」が出迎えてくれます。

写真を見る限り、穏やかな山容ですが、火山であり、過去に大きな被害を
もたらした噴火活動もあります。
平成3年に発生した火砕流では多数の犠牲者が出たことでも知られており、
その際には島原鉄道も寸断されました。
一般的には「雲仙岳」の当時の最高峰『普賢岳』の名の方が通りが
いいのかも知れません。

それにしても熊本港を出航したフェリーは、ズーっとこの「雲仙岳」を
目指して航行しており、僅か30分強の乗船時間とは言え、
船旅を満喫した気分になったのは、刻々と迫り来る「雲仙岳」の存在の
賜物とも言えるのでしょう。
実は、定刻では乗船時間は30分(島原港着15:20)なのですが、
この日は風が強く少々の遅れがありました。
それでも船のダイヤは路線バス以上に当てになることはなく、
殆ど誤差の範囲で到着したのは流石といっても良いでしょう。

私は「鉄道」が好きですが、大多数の方の共感は得られると思いますが、
単純に“乗り物”が好きといった面もあります。
特に、船旅は時間が許せば、是非にでも選択したい方で、
ひょっとするとそれは、北海道に行くのに、飛行機か連絡船しか無かった
時代を生きてきたからかもしれません。
※当然、その選択肢は「連絡線」。にしても強引すぎる展開です。

今回は、諸般の事情で『合理性』から選んだルートですが、
「乗り鉄」さんの参考になれば幸いです。

●国鉄・私鉄全線を乗破したのち、新規で開通した
予讃線「内子」~「向井原」に乗るのに
ダイヤモンドフェリーに乗船して、大阪から松山まで移動したことを
思い出しました。

2011年05月19日 8時00分

島原鉄道(1)いざ、島原へ!

今回は、「鉄」分はありません。予めご了承下さい。
単なる移動手段の話しです。

平成23年3月25日、熊本電鉄(2回目の完乗)・熊本市電
(2回目の一部区間乗車)と乗った私は、殆ど思い付きの
島原鉄道・長崎電軌に向いました。

で、選んだルートは「熊本」~「島原」間、船の旅です。
鉄道の未乗区間がある場合には、こういう選定にはならないのですが、
“時間の節約”と“お金の節約”を合理的に考え、
「熊本」~「鳥栖」~「諫早」~「島原外港」という陸路
(鉄道)ルートを放棄しました。

ということで「熊本交通センター」(市電の辛島町の近く)発14:00の
『熊本港シャトルバス』に乗り、14時半過ぎに「熊本港」着。

そこから熊本港発14:50の熊本フェリー『超高速フェリー・
オーシャンアロー号』(写真上段)に乗り込みました。
『オーシャンアロー号』は、ご覧の様にカッコいいスタイルで、
一見すると「どこの大型クルーザー」かと言いたくなるほど。
またそのスピードは『超高速』というだけあって流石に速く、
フェリーも様変わりしていると実感した一時でした。

また、この『オーシャンアロー号』の名物が下段写真で、
船の運航に合わせカモメが船の周りを飛んでおり、餌をあげる
ことが出来ます。
北海道の知床半島の観光船をはじめ何度かこうした経験をしているのですが、
「フェリー」では初で、“忙中閑あり”といったところでしょうか。
(忙しくは無いのでこの言葉は相応しくないですね)
※一人で餌やりをして写真を撮っているのでピンボケをお許し下さい。
※餌は船内で販売しています。

ところで…。
私は「乗りつぶし」をしていた時も、こうしたショートカットは
結構やっています。
有明海の横断は初めてですが、他では主にバス、たまには徒歩、
はたまたタクシーを使ったこともあります。
バスで言えば、時刻表に掲載が無くても『目的地』間を結ぶ路線は
意外とあったりし、今のように“ネットで検索”が無い昭和の時代には、
車掌さんや駅員さん、地元の方に聞いて情報を得たりして、「時間」と
「お金」の一挙両得を目指していました。ひたすら乗ることに執念を燃やし、
心に余裕の無い、私の個人的な話しです。



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稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!