2010年11月26日 18時11分

北陸鉄道から若桜鉄道へ。

会社の帰りがけに朝日新聞のネット版で見つけた記事の話しです。
※日本海新聞のネット版記事も参考にしております。

その記事とは、元北陸鉄道の『ED301』が、
縁あって鳥取県の若桜鉄道隼駅に保存されることになり、
昨日(11月25日)搬入作業が行われたというものです。

写真は、昭和50年8月22日、北陸鉄道石川総線・金名線に
乗りに行った際、新西金沢駅にて撮影したものです。
●右側の機関車が今回、譲渡されたED301。
 左側の機関車はED201。

このニュースを読んで、ついつい最近までED301が
現役だったのにはとても驚きました。
製造されたのが私の生まれた年、昭和29年とあり、
個人的には親近感もありますが、
その活躍ぶりを見たことは一度もありません。
この写真を撮影した時も、動いてる姿を見た訳ではありません。

今回の保存は、若桜鉄道「隼」駅周辺の地域活性化の活動をする
「若桜鉄道・隼駅を守る会」の呼びかけにより、
北陸鉄道から無償譲渡が受けられたので実現したとのことですが
若桜鉄道が定期的に行っている「SL体験運転」時に
「隼」駅に立ち寄るのも一興かと思いました。
※「隼」駅の駅舎とプラットホームは
 国の登録有形文化財(建造物)ですので、
 そちらもご堪能下さい。

また、そもそもこの保存話しの起点は、
「若桜鉄道が北陸鉄道から除雪車を購入したことによる」とも
書いてあり、まあ『ED301』が新天地で余生を送るにも
「仲間がいて良かったなあ」とも思いました。

これをきっかけに若桜鉄道を訪れる人が少しでも増えることを
願っています。

2010年11月19日 9時00分

「九州新幹線全線開業」記念試乗会。

写真は平成16年6月5日の「新八代」駅です。
新幹線「つばめ」と在来線「リレーつばめ」の
同一ホーム乗換を見られるのも殆どカウントダウン状態ですね。

ところで昨日、朝日新聞のネット版を見ていたら
JR九州が「九州新幹線全線開業」記念試乗会を
行うとの記事を見つけました。

早速、JR九州のHPをポチッ。
ありました。2011年3月12日開業に因み
『11,312名様』募集で、ネット受付となっていたので
早速申し込みをしました。
●ミーハーですいません。しかも“一人”の申し込みです。

日程は2月26日(土)もしくは27日(日)のどちらかで、
なおかつ『博多』⇒『熊本』もしくは『熊本』⇒『博多』の
片道となっていました。

ただ、8月30日にUPした
「遅まきながら、祝!!名鉄知多新線開通30周年!」でも
書いた通りですが、「乗り鉄」の私としては、
開業前の乗車は「乗った」というカウントに入れないので
今回、当選したとしてももう一度乗ることになりますし
そもそも、カウントしたとしても『熊本』⇒『新八代』は
未乗のまま残ってしまいます。
何れにしろ再度の九州詣は必須なのです。

ではなぜ「応募するのか?」ということですが、
“開業前に乗ってみたい”の一言につきます。
何の理屈もありません。
私の家族はともかく、
皆さんには分かってもらえると信じています。

2010年08月07日 9時24分

昭和45年の広島・呉線 反省の一枚

昭和45年3月31日、広島駅で撮影したC59162です。
●絞り…F1.4
●シャッター…10秒
●ストロボ2発あり

何が反省かと言えば、斜め位置で撮影しているにも係わらず、
絞りが開放のため被写界深度が浅く、
実はナンバープレートにピントがあってはいるのですが
全体にはピントが甘いのです。

当時は、一眼レフカメラを使い始めたばかりで
バルブ撮影には三脚とレリーズが必要なのは
分かっていたもののあとは何も分かっておらず、
絞りとシャッタースピードの関係も体得できていませんでした。
※というか体得途上だった。

今更ながら写真の世界の奥深さを感じます。

昭和45年の広島・呉線、一旦終了。

2010年08月06日 18時45分

昭和45年の広島・呉線 上り貨物「とびうお」

昭和43年から量産が開始された「EF66」の12号機。
列車は鮮魚専用の特急貨物「とびうお」。
●多分、幡生(下関)~東京市場と思われる。
●貨車はレサ10000系で最高時速100キロ。
 当時、貨物に興味のなかった私でさえこの時のメモ帳に
 「とびうお」と書いてあった位凄い!貨物列車だった。

場所は、「広島」~「向洋」間の『広島機関区』構内。

許可を得て入っているとはいえ、
今どきのテレビなら「良い子はマネしないでね」という
テロップ(字幕)が入りそうなアングルです。

その頃、そして今でも蒸気以外で貨物列車を撮影することなど
ほとんどありえません。
でも、たまたま来たから撮影したというよりは
EF66だから撮影した、「とびうお」だから
撮影したということは否定できません。

実は、EF66はそれ位のインパクトを私に
与えていたのです。
第一印象は『こんなデザインの機関車も作れるのだ!』の一言。
先に、京成の新スカイライナーが「カッコいい」という
話しを書いていますが、私にとってのインパクトは
単純比較でいえばこちらの方が強かった気がしますし、
まして、この十数年後に“ブルートレイン”を牽引する時代が
来るとは露とも思いませんでした。

2010年08月06日 9時05分

昭和45年の広島・呉線 D51牽引の貨物列車

場所は、私が購入した入場券第1号の「吉浦駅」の近く。
(吉浦~川原石間)
D51594が牽く上り貨物362レです。
※D51594…糸崎機関区

客車がC59、C62という陣容なら
貨物はやっぱりD51です。

こうして書いていて思ったのですが、
機関車だけ見ていると、「呉線」はとても“支線”とは言えず
“幹線”の風格さえ感じさせます。

当時、目の前をD51が牽く長い貨物列車が通り過ぎるのを
見ていた時はそんなことを考えもしませんでしたから
今だから言えることと思います。

とはいえ、私に馴染み深かったD51は、
何と言っても中央西線で、
この呉線を走るD51を撮影しながら、
私は山線の力強さとは違う何かを
きっと感じていたのではないのでしょうか?(自問自答)

2010年08月05日 18時14分

昭和45年の広島・呉線 入場券

私の「鉄」モノ収集で、比較的数が多いのが入場券です。
その収集の第一歩が写真の「吉浦」「小屋浦」です。
※入場券の下の数字は言わずと知れた発行番号。

これ以降、下車した駅や停車時間の長い駅で買い続け、
当時「アルバム」に一冊225枚貼って
それが5冊あるので少なくとも全国1125駅の
入場券がありそうです。

硬券入場券マニアという方も多いと思いますが
当時、軟券は自動販売機のある駅でしか拝めませんでした。
逆に硬券はどこにでもありました。

ただ、私の買い方は「買えれば良し」であって
「何が何でも」ではありませんでした。

今考えればもったいないことをしたと思っています。

2010年08月05日 8時05分

昭和45年の広島・呉線 上り急行「安芸」

同じく、C6223が牽引する38レ上り急行「安芸」。
区間は吉浦~川原石間です。
●38レ…広島発15:00、東京着6:40

よく見ると「安芸」のヘッドマークがきれいになっていました。
広島機関区で休憩中に磨き上げられたのでしょう。
※鉄道員の心意気を感じます。

電化工事真っ盛りであることがこの写真でわかりますが
早くもこの年の10月改正で呉線は電化されました。

因みに、急行「安芸」の名前は、この改正で
「大阪」~「呉」間の電車急行となり、
その後、「新大阪」~(呉線)~「下関」間の
寝台特急に生まれ変わり、昭和53年の10月改正で
その名が無くなりました。

日本最大の蒸気機関車が牽引するにふさわしいのは
やはり通勤・通学列車ではなく、ブルートレインとまでは
言わないまでも、時刻表に『寝台列車』と表記される
『安芸』のような優等列車です。
でもそれは今だから言えることかも。
呉線の通勤・通学列車も十分魅力的でした。

2010年08月04日 17時47分

昭和45年の広島・呉線 下り急行「安芸」

ニコマートFTNで撮影したC6223号機
昭和45年3月31日、山陽本線「向洋」~「広島」間。

列車は、東京を前日の20:05に出発した
呉線経由広島行きの37レ急行「安芸」。
広島着12:15の直前に捉えました。
オール寝台車の10両編成。
*A寝台…2両、B寝台…7両、食堂車
急行列車としては座席車のない豪華な編成でした。

終着間近とあってスピードはさほど出ていなかった記憶が
蘇りましたが、それでも山陽本線区間を
C62牽引のヘッドマーク付き列車は
堂々たる貫禄で目の前を通り過ぎていきました。

●カメラ…ニコマートFTN
●レンズ…ニッコール50ミリ、F1.4
●絞り…F11
●シャッタースピード…1/250
●フィルム…フジカラーR100

2010年08月04日 9時00分

昭和45年の広島・呉線 私の行動

私は、高校生の時から、『鉄道旅行』の行程は帰宅後、
写真の様にノートに記録していました。
(最近はこんなにコマメにはやっていませんが…)

昭和45年の3月30日、
名古屋から急行「比叡3号」で京都まで。
京都から急行「音戸2号」(京都発呉線経由広島行き)に乗車。
間違いなく普通車で、直角の背もたれに
体を預けていたことと思います。

朝一番に「広」で「音戸2号」を捨て
(当時はこんな『捨てる』というような言い方もあった。)
天応、広島、吉浦で撮影し、その後広島に戻り
往路と同じ急行「音戸2号」で京都に向かっています。
※実は、呉線内の「音戸2号」は往路・復路ともSL牽引。
※若い方はあまりご存じないかも知れませんが
 この頃「音戸2号」も「比叡3号」も上下列車ともに存在。
 数字の号数が上り偶数、下り奇数となっていたのは
 当時は新幹線位だった。

昭和45年3月31日の私はこの日、
「呉線」を乗破プラス「撮り鉄」をやっていたことが
見て取れます。
皆さんは「鉄道」行動の記録はどうされていますか?

2010年08月03日 18時25分

昭和45年の広島・呉線 ニコマートFTN

私が最初に手にした一眼レフ、ニコマートFTNです。
当時、一眼レフの最高峰は、ニコンFと言われていました。
そのニコンFと同じレンズが使えて
しかも値段的にはリーズナブルということで
人気がありました。
それでも高校生が簡単に手に入れられるものではなく
“親の助け”もあって何とか私の手元にやってきました。

レンズは標準のみ。焦点距離は50ミリ。
レンズの明るさはF1.4。
交換レンズを購入したのは、本格的にアルバイトを
始めた大学生になってからです。

今回の広島・呉線の写真は全てこのカメラで
撮影したものですが、標準レンズの画角も
なかなかいいものだと気付きました。
また私は、もう何年も1眼レフを使っておらず
持ち運びも考えてコンパクトデジカメだけで
通しています。
※その分、何も考えずにシャッターを押し続けており
 いくら「乗り鉄」でも写真は気合を入れて
 撮るもんだと改めて実感しています。

もう一度、一眼レフに戻ってみようかと思い始めています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!