2010年03月24日 10時10分

肥薩線の最高地点駅「矢岳」。
標高536.9メートルとあります。
漢数字が時代がかっていてそそります。
(私だけでしょうか…)
蒸気機関車の時代は
とても大変だったろうと
予想がつきます。
重連の写真を撮ったり、
ドラフトの音を楽しんだり
時間をかけた旅を楽しむには
いいのでしょうが。
私は、いろいろな所に乗りに行っていて
この標高標識のような細かいことが気になるタイプです。
どこかの路線の何かをまたUPします。
肥薩線の最高地点駅「矢岳」。
標高536.9メートルとあります。
漢数字が時代がかっていてそそります。
(私だけでしょうか…)
蒸気機関車の時代は
とても大変だったろうと
予想がつきます。
重連の写真を撮ったり、
ドラフトの音を楽しんだり
時間をかけた旅を楽しむには
いいのでしょうが。
私は、いろいろな所に乗りに行っていて
この標高標識のような細かいことが気になるタイプです。
どこかの路線の何かをまたUPします。
話しを元に戻して、
「いさぶろう・しんぺい」の車内。
間に合わせで作った車両ではなく
JR九州が本気で作ったということが
ヒシヒシと伝わってきます。
いさぶろう=山縣伊三郎
しんぺい=後藤新平
明治時代の偉人です。
JR九州では現役力士の名前が由来の
特急「かいおう」や
オランダ人医師の名前が由来の
今は無き特急「シーボルト」があったり
人の名前を使うことが得意のようですね。
昨日、九州新幹線鹿児島ルートのレールが
繋がりました。
開通まであと1年。
一方、部分開業区間は先日19日に
利用者が2000万人を突破しました。
この「いさぶろう・しんぺい」の
お客がもっと増え、
赤字ローカル線の救世主となることを
願わずにはいられません。
ところでこのエンブレムは、
キハ140系改造車が
まだ1両しかなかった時代のものです。
「SINCE 2004」が
とてもいい感じです。
人吉駅に何故か後ろ姿の河童が…。
河童の向こうに見えるは「九州横断特急」。
熊本には「九千坊」という河童伝説があるようですが
そのゆかりでしょうか?
『Wikipedia』で検索した
「人吉駅」にはこの河童の
記述がありませんでした。
行ったのが平成16年なので
もう、川か沼に戻ってしまったのでしょうか?
「つばめ」完乗後、そのまま「リレーつばめ」には乗らず
新八代⇒八代⇒人吉と移動しました。
八代駅は、昭和50年ころに何度かお世話になりましたが
写真の平成16年当時でも、
30年の隔たりはあまりに大きく、
比較できないほど静かな佇まいでした。
それから6年、今や如何に。
ところでこの日の肥薩線は、
「キハ140 2039」の単行。
目的地は「人吉」。
翌日はいよいよ、久々の『大畑(おこば)越え』です。
「つばめ」の車体には、何か所かで「つばめ」が
飛んでいます。
例えばこのエンブレムの中にも2羽飛んでいますし、
先頭車の運転席の真下でも飛んでいます。
今朝UPした写真でも分かりにくいですが
実は4羽写っています。
さてクイズです。
いったい1編成で何羽飛んでいるのでしょうか?
答えは…、残念ながら当時、
すべて数えられませんでした。
ご存知の方、教えてください。
鹿児島中央発15:16
つばめ52号に乗り
新八代に向かいました。
各駅に停まる列車でもわずか47分。
デザイナー水戸岡鋭治氏による
JR九州らしさ満載のこの車両のテイストは
本当に素晴らしく、
他のJRも機能性追求オンリーから
是非、一歩踏み出してほしいものです。
平成16年6月5日、鹿児島空港から乗ったバスが
「鹿児島中央駅」に着きました。
九州新幹線に乗りに行ったのですが
私にとって鹿児島の表玄関は、
「鹿児島空港」ではなく
今も「西鹿児島」です。
旧駅舎は跡形もなく、
近代的に生まれ変わっていました。
郷愁に浸るような雰囲気でもなかったので
とりあえず新幹線ホームに急ぐことにしました。
ということで
今日からしばし、九州話しにお付き合いください。