2018年01月25日 20時53分

鹿児島市電と「かごっまふるさと屋台村」。

鹿児島の夜景と言えばアミュプラザ鹿児島の観覧車アミュランと市電の組合せ。多くの方が既に撮影されているので、今更でしょうが、私にとっては初の撮影。イルミネーションと市電のタイミングが思ったようには揃わず意外と苦戦。

この日の夕食は「かごっまふるさと屋台村」へ。ガイドブックにもしっかり出ていたのですがそれはそれとして、ホテルのロビーにあったフリーペーパーで見つけて出かけることにしました。前夜がホテルのイタリアンレストランのフルコースで、翌日の夕食は指宿温泉の旅館料理。その前に明日のランチは「おれんじ食堂」ですから、本格的な薩摩料理の店ではなく、軽く、気安く入れそうな感じの店を探していました。何より鹿児島中央駅隣接のホテルに宿泊でしたので、歩いて5分と言うのも決め手となりました。

午後7時半過ぎの屋台村はどこのお店も満席。寒いこともあり、屋台村を一周して屋内に座れる店を見つけて腰を落ち着ける。

「焼酎お見舞い申し上げます」のキャッチフレーズに惹かれ、まずはこれで乾杯。同行者は普段は芋焼酎を呑まないのですが何故かこの焼酎にはご機嫌。

やはりさつま揚げは必須。

寒かったから頼んだもつ鍋が、意外にもしつこくなくあっさりと完食。他にもきびなごや黒豚の餃子を食す。こうして鹿児島の夜は更けてゆく。

2018年01月24日 20時14分

鹿児島中央駅前のイルミネーション。

闇夜の錦江湾(鹿児島湾)は、殆ど何も見えず。昼間なら桜島も見える絶景路線の日豊本線をひた走り、鹿児島中央駅に18:30の定時着。

415系はいつまで活躍するのでしょうか?

乗ってきた787系きりしま15号とキハ200系。「なのはな色」は私にとって指宿枕崎線の象徴。

鹿児島中央駅を降りたらそこにはイルミネーションのお出迎え。このイベントはもう既に終わっているはずですが、思いがけない出会いには少し嬉しくなります。

薩摩切子をイメージしていると聞いたオブジェ。色が変わっていきます。

色の移ろいにしばし見とれるのも、時間と心に余裕があらばこそ。

2018年01月23日 20時33分

宮崎から鹿児島へ移動。

1月5日(金)、宮崎から鹿児島へ移動。

夕刻の宮崎駅。平成11年(1999年)2月12日に宮崎空港線に乗車し、それ以降、一度宮崎空港線に乗っているのですがその時は宮崎駅で下車していないので、まあざっと19年ぶりの宮崎駅と言えそうです。

宮崎発16:21。6015M特急「きりしま15号」鹿児島中央行き。

つばめのマークはJR九州の象徴と言ったら言い過ぎでしょうか?自由席でもゆったりと移動開始。「AROUND THE KYUSHU」。

久しぶりの787系。そう言えば網棚ではなく収納式の荷物棚。自分の荷物もここに収めていますが、何だか慣れない。

夜の帳(とばり)が下り、行き交う電車に旅情を感じる。まあ相手が昭和の415系ですから。

まもなく鹿児島。この特急には鹿児島中央まで乗るのですが、旅としては「鹿児島」の方が到着感があります。

「津波が予想される場合のお願い」。全座席のポケットに入っていました。海際を走る路線の787系には必ず置いてあるのでしょうか?東日本大震災から早7年。「忘れちゃわないように」と、私に津波への心の備えを思い起こさせてくれました。

2018年01月22日 20時45分

宮崎交通の廃線跡。

1月5日(金)。宮崎県の名所に青島の鬼の洗濯板があります。

道の駅フェニックスからの眺望。

話は飛んで、昭和48年(1973年)8月7日に私は国鉄日南線に乗りっています。まずは志布志から青島まで乗り、ここ鬼の洗濯板を観光。その後、再び青島から日南線の乗客となり、宮崎まで乗って日南線完乗。まだ乗りつぶしを始める前でまめに観光をしておりました。

その日南線が開通する前、この地には私鉄の宮崎交通線(宮崎交通鉄道部)がありました。日南線はその宮崎交通線の廃線跡を利用して作られましたが、鬼の洗濯板界隈では少し離れたところを通っています。

以前、ここ鬼の洗濯板を走る宮崎交通の列車の写真を見たことがありますが、この写真の上下にずーっと繋がっている堤防がその線路があった場所に近い印象です。

歴史にもしもはありませんが、それでも「もしも日南線がここを通っていたら…」などと思わずにはいられません。日南線は今、特急「海幸山幸」が走る観光路線ともなっています。その魅力がもっと大きくなっていたのではないでしょうか?もっともこの地形では、ここに鉄道を通さなかったのも理解できます。

ところで以上のことは今回の旅の同行者には伝えてありません。歴史ロマンも私が鉄道がらみで語るとなると、一気に説得力がなくなり、かつ廃線跡などは一般の方には興味の範囲外。そこで美しい風景写真を撮るふりをしつつこの地を楽しんでいました。

絶景の中にある鉄道史。どこかに出かける時、目的地に何か鉄道に関するものは無いかと探すのも楽しい時間です。

2018年01月21日 21時10分

2018年の最初の鉄活。宮崎へ。

今年の最初の鉄活は…。

まあ鉄活が目的ではなく、私にとって例外中の例外の大人の事情による旅です。旅先は宮崎・鹿児島。1月4日(木)から3泊4日ののんびり旅。たまには良いですね。もっとも何故か今回、肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」への乗車が認められ、それはもうありがたやありがたや。だけで終わらないというか、まあそれは後日にUPします。

中部国際空港から宮崎へはプロペラ機。1月4日(木)10:40発なのでさして早起きもせず、こんなにゆったりしていいのか?と自問自答したくなるほど鉄活とは違う行動パターン。

1月4日(木)の唯一の鉄活。と言っても電車の走っていない中部国際空港連絡橋の撮影。

1時間ほど飛んで、宮崎の街並みが見えてきました。

宮崎と言えば…、仕事ではドラゴンズのキャンプ取材で何度か来ています。と書いても、もうそんなことを知っている人は中京テレビの社内でも超少数派。そのキャンプ地、串間市は宮崎県の南部にあり、しかも串間市で宿が確保できず、お隣の鹿児島県の志布志町(現在は志布志市)から通っていました。

当時のドラゴンズの選手で思い出すのがケン・モッカ選手。打者としては素晴らしかったが守備が不安定で、それだけにキャンプでは守備練習を繰り返していた姿が今も私の記憶に残っています。とにもかくにも真面目な方でした。

2017年11月30日 20時24分

九州鉄旅の終わりに。

10月8日(日)。

鎌瀬駅を16:25に出て八代駅着16:50。そこで16:57発の普通電車5354Mに乗り換え熊本駅着17:36。

熊本駅からは豊肥本線1489M肥後大津(ひごおおづ)行きに乗車。815系のカラーリングは白が目立ちますね。

さてここからは熊本空港に向かうのですが、今回は熊本駅前からのリムジンバスではなく肥後大津駅からの無料連絡バスを選択。

ドアには「床に座らないでください」のステッカー。こんなステッカーは初めて見ました。衝撃、驚愕、言葉が見つからない。

ところでドアの左側にあるカバーのかかった機器は何だろう?ワンマン区間の乗車整理券発行機なのでしょうが、今は使っていないのでこの状態。もっともこれにもたれかかる乗客は結構見かけました。

肥後大津駅18:18着。ここからは空港ライナーに乗車。9名定員のジャンボタクシーを使っており、私の乗った18:30発は乗客3名。

30分間隔で走る空港ライナーの肥後大津駅待合室。いかにもこれから空港に向かいます感がありあり。

旅の最後は熊本ラーメン。

19:55発のANA336便で帰名。

ボンバルディア機専用のタラップのようでこのタイプは初体験。

2017年11月29日 20時20分

SL人吉(10)撮影終了。

ところで河原での撮影時ですが、私が降りていく前に先客がお二人おられました。私が撮影ポイントを決めた頃でもまだどこで撮影するかを迷っていた感じだったので、「私が後から来たので、いつでも場所を変えますよ」と声をかけていました。お二人はその後、河原に日が差さなくなったこともあり、最終的に別ポイントに移られたのですが、その際に私の撮影予定の画角を確認され、それに入らない場所で最終的に撮影されていました。

と言う気持ちの良い撮影地だったという報告。

今回私が撮影できなかった正面位置。宴の跡に確認。

16:15頃、特急「かわせみ やませみ5号」が鎌瀬駅を通過。

橋を渡る後ろ打ちは「いさぶろう・しんぺい」。

私はSL人吉を撮影した時点で撤収体制に入っていましたが河原ではこの列車まで撮影と言う方が結構いらっしゃいました。

16:25発の1230D。参考までにこれに乗車した歩き鉄は私を含め2名のみ。皆さん、車移動のようです。

1時間23分の鎌瀬での滞在終了。考えようによってはお手軽な撮り鉄。

体は反応したED76 1016。まだまだ現役でしょうが、何せ古い車だけに長く活躍してほしいと思うばかり。

2017年11月28日 20時01分

SL人吉(9)球磨川第一橋梁を渡る。

今回の九州鉄旅のフィナーレは「SL人吉」の撮影。15:49にその姿を現しました。

ほんの少し前まで手前の河原にも日が当たっていたのですが、見る見る内に陰ってしまいご覧の通りの結果となりました。もっとも肝心の列車には日が当たったのでまずはOKです。

蒸気機関車は爆煙が魅力だと言う方も多いですが、私はこの棚引く程度も好きです。

ここ球磨川第一橋梁では、鎌瀬駅東側で正面もしくは俯瞰での撮影が定番のようですが、私が到着した時には既に多くの方が待ち構えておられ、それもあって順光で撮れそうな河原におりました。

地図で橋の位置の確認ですが、心配だったのが太陽がどの方角に沈んでいくかと言うこと。側面は大丈夫と判断しましたが、正面まで日が当たってくれたのは有り難かったです。

最後に動画。ここでは時間に余裕があったのでコンデジを用意して撮影。

2017年11月27日 16時00分

SL人吉(8)鎌瀬駅への道。

坂本駅から14:54発人吉行きの1231Dに乗る予定なので約40分の休息。

坂本駅前には八代市役所前行きの九州産交バスが停車中です。なお鉄道との連絡は全く無さそうです。

本当に何もやることがありません。ここで下車したのは球磨川第一橋梁を渡る「SL人吉」を撮影するため。撮影ポイントの最寄り駅は「鎌瀬駅」で、まあ普通に考えれば「かわせみ やませみ」に乗らず後続の普通列車に乗った方が合理的と言えばその通りなのですが、今回限りは新登場の列車の1時間の旅を楽しみ、鎌瀬駅まで折り返すことにした次第。

1231Dがやっと顔を見せました。私以外に一人だけ乗客あり。その方は次の葉木駅で降りて行かれました。

ここで1228Dと交換。

扇風機に網がかかっている。何故?

鎌瀬駅で15:03に1231Dを下車し、そのまま球磨川第一橋梁を渡る同列車の撮影。

2017年11月26日 15時58分

かわせみ やませみ(3)観光列車の楽しみ。

車窓の球磨川。ラフティングはどこでも良いので一度は体験したいと思いつつ未体験。

急峻な山裾を走る肥薩線。土砂崩の跡らしき所があります。実は今回乗車した日の前日、10月7日(土)も鎌瀬~瀬戸石間で土砂崩れがあり、始発から午後4時過ぎまで運転を見合わせており、この日に肥薩線に乗れるかどうかが心配だったほど。ただこの写真の場所だったかどうかまでは不明。

坂本駅には14:13着。私はここで下車。

車両のおでこの「かわせみ やませみ」。右の一回り大きいのが「やませみ」で左が「わかせみ」でしょうか?

坂本駅には藁(わら)で作った造形物が下げられています。面白い。それに気が付いた方たちが写真を撮っていました。

特急「かわせみ やませみ4号」とはここでお別れ。

車内で押した記念スタンプ。最近はこうしたお洒落な台紙が目を惹きます。ちゃんと「かわせみ」「やませみ」の2種類あり。スタンプが斜めなのはご愛嬌。いやいや単に私の押し方がアバウトだっただけです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!