2017年09月09日 20時23分

昭和53年の伊予鉄道郊外電車

昭和53年(1978年)4月13日の伊予鉄道の高浜線、横河原線、郡中線に乗車。

この日、市内電車に乗車後、郊外電車を制覇しました。

最初に向かった高浜駅。折り返し時間が2分なのでこれが限界だったのでしょう。

なぜか伊予鉄道の郊外電車の写真は1枚も残っていない。多分、撮っていない。でも駅舎の写真だけはかろうじてある。横河原駅の写真はバスを楽しんで下さい。3分で折り返し。トホホ。

郡中港も3分折り返しゲーム感覚でただ乗るだけのある意味修行時代の私です。映画のポスターが懐かしいけど、このポスターに反応できるのは多分アラカン世代以上の方でしょう。

電車がかろうじて、しかもチラッとだけ写っている松山市駅。この写真はフィルスキャンを始めたころにデジタル化したモノで、何せスキャナーの性能に限界がありこれが精一杯で、何卒それを含みつつご覧いただきたいのですが、実は時刻表に松山から各地への航路の時刻表も掲出されています。その中には今は運航されていない岩国や尾道の名前を見られます。改めて時間の経過を感じます。

時間の経過と言えば、広島と松山の間に船ならぬ飛行機が飛んでいた時代があったのを知っている人ももうほとんどいないかも。

2017年09月08日 20時22分

伊予鉄道(12)松山観光港。ターミナルでランチ。

高浜駅からは連絡バスで松山観光港に移動。

その前に少しだけ駅の撮影。もっとも電車からバスに乗り換える最後のお客さんがバスに乗り込むほんの1~2分が私に許された時間。

足早にバスに乗車。

バスから見た高浜駅。

松山観光港が近づいてきました。この日、私は松山からは船で広島に向かいます。

13:00発の船に乗り込む前に昼食。ターミナル2階テラスにてゆったりとした気分で私には不似合いなお洒落な『ランチ』を味わう。たまにはそういったこともあり。

フェリーが出入りするのを見ていると何だか鳥羽にいる気分。でもここは四国松山。

2017年09月07日 20時20分

伊予鉄道(11)目指すは高浜。

古町からは高浜線高浜駅を目指します。電車は11:34発でほんの少しの時間を使って車庫ウォッチング。

古町に11:16に到着した坊っちゃん列車は方向転換を終えて11:47の出発までしばしの休憩。

11:27に古町を出発し平面交差を渡る2101号。

郊外電車の車庫は京王電車のオンパレード。

11:34発の電車到着で車庫撮影タイム終了。いよいよ四国から旅立つ時間が近づいてきました。

穏やかな伊予灘にこれからの旅が平穏である予感。

高浜駅11:51の定時着。ちゃんと時間通りに列車が運行される日本の鉄道の日常がそこにあります。

2017年08月28日 16時50分

昭和53年(1978年)の伊予鉄道市内電車。

昭和53年4月13日の伊予鉄道市内電車。

写真のような感じで乗りつぶし。

何故かこの時の訪問で撮影した1枚目の写真。環状線(城北線)から乗り始めたからでしょうがよりによって電車内からの撮影。当時は「乗った証拠」を手元に残す発想が無かったので、まあこんなところでしょう。

道後温泉駅。国鉄駅前から環状線(大手町線、城北線)、城南線を乗り継ぎ10:18頃に到着。ここでの滞在時間は4分。

その間に留置線も撮影。

当時の路線図。松山城に登城するロープウェイが『駕籠(かご)』風なのがご愛嬌。なお今回のブログの線名はこの路線図に依っています。

多分本町6丁目。

11:05に松山市駅について市内線全線乗車。それから約40年が経ちましたがこの写真に写っている電車が今も現役なのは、ちょっと嬉しい。

2017年08月27日 9時48分

伊予鉄道(2)鉄道の見えるホテル。

24時間テレビのスタッフに入らなくなって早2年。四国の旅を続けます。

5月30日(火)の晩御飯。居酒屋さんか寿司屋さんで瀬戸内三昧!に出撃する余力はなく定食。もっとも内容的には十分。

ホテルの部屋はトレインビュー。シャッター速度は1/40。ISO=6400。デジタルカメラならではですね。

煌々(こうこう)と輝く「電車のりば」の看板。市電の走る街。

このホテルの部屋にはヘルメットが常備されており、これには驚かされました。過去、旅館、ホテル、ユースホステル、民宿等々宿泊施設に何泊したか数え切れませんが、さすがに部屋の中のヘルメットは初めての体験です。意外性もありますが、宿泊者の安全対策としてはユニークな発想であると感心した次第。因みに会社の事務所には人数分のヘルメットの用意があります。

2017年08月26日 16時46分

伊予鉄道(1)大手町に参上。

18:27に松山駅に到着。

駅を出て目の前が伊予鉄道のJR松山駅前。JR以前は「国鉄駅前」。でもこの雰囲気も電車も昭和から変わっていない。多分。

振り向けばJRの松山駅。「松山駅」の「駅」が「驛」だったりしてレトロ感がたっぷりです。

2105号。この2100形もデビューして早15年で、低床電車もすっかり街の風景に溶け込んでいます。

取り敢えずやってきました大手町。松山に来たらまずはここにご挨拶に伺うのは鉄道趣味も持つ者の礼儀かも。

54号と700系(元京王5000系、新塗装)の出会い。

54号と700系(元京王5000系、旧塗装)の出会い。京王5000系は私の大好きなデザインの一つ。

18:50。夕闇が迫りこれにて一旦撮影終了。先の2105号の戻り。

2017年08月25日 16時45分

瀬戸内海に沈む夕日@しおかぜ17号。

1日おいて四国の続編。

実はあまり深く考えずに取った「しおかぜ17号」の指定席。

17:21の入線。

窓外には夕景。旅をしている実感はこういう時に感じたりもする。17:32の出来事。

この後今治駅(17:44着、17:45発)に着いてびっくり。自由席の乗車位置に長蛇の列。私の身近なところで言えば、特急しなので「塩尻」~「松本」~「長野」間のお客さんが多いのと同じなのでしょう。

18時を過ぎ、瀬戸内海沿いにひた走る。もうすぐ伊予北条に停車。そしてそこから10数分で今日の宿泊地、松山到着。この日の旅も間もなく終了です。

心の塵(ちり)が濾(こ)されていきます。3日前にUPした話を力技でここに書くようでは、私の「チリコシ」は機能していないようです。トホホ。でも夕日は本当にきれい。

2017年08月23日 16時43分

鉄道歴史パークin SAIJO(3)ぽっぽ橋。

動き始めた電車の後ろの橋が鉄道歴史パークin SAIJOの北館と南館を結ぶ「ぽっぽ橋」。

渡っている時、足元にこんなイラストを発見。

芸が細かい。

こうした小さな積み重ねをしているところがこの施設の愛される理由の一つでしょう。

伊予西条駅でも足元に何かがあった。

見上げればそこにはツバメの雛たちの姿。前々日に高知で見た雛たちより一回り育っている感じ。そう言えば最近、名古屋ではツバメたちを見かけない。いつからそんな状態なのだろう。

2017年08月22日 16時39分

鉄道歴史パークin SAIJO(2)機関車の部品の名称の勉強。

こちらは南館。

C57とキハ65の2ショット。

キハ65には栓抜き(センヌキ)がある。昭和ですね。でも当時、瓶はちゃんとリサイクルされていたのでしょうか?もう一つ、センヌキってどうしてカタカナ表示だったのでしょう?

平成29年にして昭和に疑問を持つ。

DE10もこうした施設で展示されるようになる日が来るとは思わなかったというのが本音の感想。私にとってDE10とはドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」で知られるようになった校閲者と似ている存在だと思う今日この頃。

ここの展示で私のツボにはまった展示が信号機のあれこれ。

そして各部品の名称を教えてくれる表示。「ラジアスロッド」「スライドバー」など初めて知る名前が続出。

「チリコシ」って何?語感で何となくイメージできますが、私の汚れた心の塵(ちり)は濾(こ)してくれないでしょう。

2017年08月21日 16時37分

鉄道歴史パーク in SAIJO(1)0系の運転席に座る。

愛媛県総合科学博物館を15:51に出るバスに乗り、西条駅前に16時10分頃に到着。

伊予西条駅からは電車で松山に移動です。17:22発のしおかぜ17号をまずは予約。

1時間強の時間を使い、「鉄道歴史パークin SAIJO」を見学。四国に来てここを見ずして帰る事はあり得ません。

携帯電話のカメラのレンズに外付けする魚眼レンズでの撮影。

まずは機関士気分。DF50の運転台は見るのも入るのも初めて。

新幹線の運転士気分。

0系の運転台も初めて。こうしてみると時速210キロの世界は随分アナログな感じ。そりゃそうか?50年以上前の電車です。

ここの施設については下調べをせずに来たので何でも新鮮で、そもそもこうした内部公開をしていることすら知りませんでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!