2012年03月25日 18時47分

「ドクターイエロー」な日々(2)。

『見ると幸せになる』と言う言葉からして、私が写真を撮影していたホームの17番線に電車が入っていなかった(来なかった…)のは“幸せ”な出来事と言えるでしょう。

18番線では撮影できず、17番線サイドからなら撮影できるものに、下段写真の「軌道検測用台車」があります。まあ、『他の台車とは明らかに形状が異なる』ことは分かるものの、それぞれの部分にどういった役割があるかは私には残念ながら分かりません。

話しは前後しますが、ドクターイエローの“ドクターイエロー”たる点は、単に色だけではありません。上段写真は、これまで私は雑誌や単行本の写真で見ていただけのヘッドライト下の前前方監視カメラ部です。また架線状態監視用の観測ドームもやはり面白い存在で、今回、写真は撮影しましたがUPはまた機会があればといたいと思います。その“ドーム”も17番線側だからこそ見えたと思いますが、18番線では恐らく見づらかったものと思います。

ところで17番線を使用する電車ですが、11:47着の「こだま638号」で、当然のことながらその少し前には入線してきますので、17番線で撮影できるのは11:45までと考えた方が無難です。(自身の安全のためであり、JRに絶対に迷惑をかけない為)

●「ドクターイエロー」923形について、皆さんはよくご存知でしょうし、また私には詳しく説明する資料がないため割愛させて頂きます。ご了承ください。

2012年03月24日 18時45分

「ドクターイエロー」な日々(1)。

平成24年3月18日(日)、私は東京へ出張でした。

その前日、たまたま「ドクターイエロー」を検索していたところ、「3月18日」に『のぞみ検測走行』が“運転されるかも、、、?”というのを見つけ、半信半疑というか駄目で元々とばかり、確信の無いまま『東京駅』で「ドクターイエロー」を待ち受けることにしました。

と言っても、東京駅へは今回の出張同行者の乗車した「のぞみ」より2本先行させてもらっただけで、これ以上時間のずれがあればこの写真はなかったものと思います。仕事ついでの「鉄」はこれ位が程良いところでしょう。

さて、16・17番線ホームで待つこと暫し。
何とかドクターイエローの大井車両基地からの東京駅18番線入線を捕らえる事が出来ました。(上段写真)
時間は11:26。実は私の周りは結構な人だかりで、その人出はおそらく、16・17番線ホームと18・19番線ホームを合わせれば70~80人を下っていなかったと思いました。私同様、やっぱりHP情報を見て集まってきたのでしょうか?
平成24年3月17日のダイヤ改正後、初のドクターイエローは臨時「のぞみ339号」(東京発11:47)のスジで運転されるため、折り返しの時間は20分強あり、撮影の時間はそこそこあったのですが、何せそもそもこのドクターイエロー目当ての人にプラス時間に余裕のある乗降客も加わり、久しぶりに人混みに紛れての撮影となりました。
駅員さんの注意を促す「柵にもたれかからないでください」と言ったアナウンスが2つのホームで響く中、家族連れで記念写真を撮影していた方にお願いし、念願の記念写真(下段写真)を撮影してもらいました。

私にとって今回が、初めての「ドクターイエロー」体験となりましたが、『見ると幸せになる』との言葉通り、私は『幸せ』になるのでしょうか?でもそれは結局、私の心がけ次第でしょうね。

2012年03月23日 19時03分

大量のサントリーコーヒーボス。

これもきっと『食玩』の範疇でしょう。食品のおまけの「玩具」から『食玩』という名がありますが、そうした“おまけ”のフィギュアを収集している知人がいるのを思い出しました。

で、サントリーコーヒーボス「ゼロの頂点」を買い占めました。「JAPAN SL COLLECTION」と名付けられたシリーズでは、上段写真前列の1本に1個ついているプルバックカー(中段写真、説明は後で)と、後列の2本セットにはミニチュアモデルが1個もれなく付いていました。

このコレクションは、コンビニのホットドリンクのコーナーで販売されており、普段、コンビニでホットドリンクを買う習慣のない私が、このコレクションに気付いたのは発売されてから随分経っており、もっとも“随分…”というよりはコンビニの店頭からほぼ消えかけていた時です。それゆえ、私一人の力では、何ともならず、非「鉄」の知人の力も借りてやっとここまで集まりました。(会社近くのコンビニはほぼ全滅で、その結果、自力で買えたのはほんの一部でした)
ここ一週間、どのコンビニでも見かけませんので恐らく完売したと思われます。

さて中段写真のプルバックカーは、大井川鐵道の『C10 8』です。で、プルバックの実力ですが、中身の入った缶コーヒーを楽々動かしました。
下段写真は、JR九州の『58654』。両方ともなかなかのスタイルで、個人的にはこのデフォルメはOKです。
残念ながら全セットが揃っているわけではなく、プルバックカーでは全9種の内、JR西日本の『C56 160』が、ミニチュアモデルでは、全6種の内、プルバックカーでは手元にある大井川鐵道の『C10 8』が欠番です。

因みに私の投資額は、1本120円×18=2160円です。(上段写真は17本しか写っていませんが、1本は飲んだ後です)手頃な投資額で結構楽しませてもらっています。

もっともそのおかげで、普段コーヒーを飲まない私が、毎日1本ずつ消費しています。

2012年03月16日 21時39分

さよなら「300系」(4)引退記念入場券。

今朝、行って来ました「300系引退記念入場券」(上段写真)を買いに名古屋駅へ。
皆さんには誠に申し訳ありませんが、「是が非でも」と思って出かけたというより、朝、起きることが出来たら「行こうかな?」というレベル(それは本心だろうか…?)だったのですが、やはり目はちゃんと覚めました。ただ少々出遅れ、名古屋駅コンコースにできた大行列の最後尾に着いたのは午前7時50分頃で、買えるかどうかが心配でしたが、駅員さんが平然としていたので「ホッ」としました。

で、8時から販売が開始され、「いつ私の順番が来るかな?」などと考えつつ歩みを始めたのですが、最低でも30分、恐らく40分程度はかかるだろうと読んではみたものの、もうちょっとかかって結局8時50分過ぎに販売窓口に到着し、やっと2セットを手に入れました。その後は、ダッシュで東山線のホームに向かい、会社の始業時間には何とか間に合いました。

もっとも並んでいる時には、「駄目(時間切れで買えない)かもしれない」という言葉が頭を何度もよぎり、窓口到着があと5分遅ければアウト!でした。「この状態では予約した新幹線の時間に間に合わない」と、時刻表を調べる人(幸い間に合ったようでした)もいたりで、まあこればかりは致し方ないですね。

ところで中京テレビの今夕の「news every.」では『300系ラストラン』特集を“記者リポート”+“浜名湖から名古屋までヘリコプター併走”という力の入れ方で放送しており、「社会現象」となった「300系引退」でした。

さて、私は今、やっと自宅に帰り、下段写真の「300系引退記念缶ビール」をゆったりとした気分で飲んでいます。

こうして私の平成24年3月16日は終わっていきました。

2012年03月12日 18時42分

JR北海道と台湾鉄路管理局(2)。

1日おいての続きの話しです。今日、「SL冬の湿原号」と台湾の蒸気機関車牽引列車の『姉妹列車提携文書交換式』は無時行われたようです。

その台湾側の蒸気機関車の1両が今回の写真の『CK124号機』です。平成22年3月10日にUPした写真と同じ平成20年8月24日の撮影ですが、台湾鉄路局集集線の終着駅「車てい駅」で撮影したものです。
※「車ていえき(しゃていえき)」は現地での読み方ではなく、日本語での読み方です。「てい」の字は「土」偏の右側に「口」とその下に「壬」がついた字です。「しゃていえき」で検索すればWikipedia等で確認できます。文字化けの可能性があり、こうした表現にしました。ご了承ください。

台湾ではこの『CK124号機』と『CK101号機』の重連が牽引する列車が運転されたはずです。
その列車が走ったのは台北からほど近い内湾線で、先回書いた「新竹駅」から終点の「内湾駅」の間です。

私事で恐縮ですが、台湾の鉄道は地下鉄も含め、一般の営業路線はほぼ乗っているのですが、数少ない未乗区間の一つが今回、記念列車が走る「内湾線」で、乗っていない理由は、昨年の秋まで工事のため4年半ほど区間運休をしており、乗りたくても乗れなかったためです。

(参考;JR北海道のプレスリリース資料から)台湾の『CK124号機』は日本の『C12形』と同形です。一方、『CK101号機』は台湾オリジナル形のタンク機で大正6年製のオールドタイマーで、写真で見る限り絵に描いたような“古豪”でした。

ところで今回の写真を見て、線路の際というか、日本では絶対に入ることが許されない位置に人が写っていますが、この周りにも人が一杯いて台湾での蒸気機関車熱(鉄道ブーム)をこの時に初めて実感する一方、列車が徐行することも警笛を鳴らすことも無く平然として入線した事は驚きでした。古き良き昭和の時代の日本でも、ここまでは許されていませんでした。
もっとも、4年の歳月を経て、多少の変化はあるかもしれませんが…。

また言うまでもなく、平成20年の列車の車内は当然ながら満席で、私が当日予約で乗車できたのは“奇跡”と言っても過言ではない状況であることを乗ってから実感しました。
よって今日、3月12日は、台湾側の内湾線沿線でも日本同様、人で溢れる事態があったかも?です。また4年前は台湾では「撮り鉄」さんを殆ど見なかった記憶ですが、今回は日本からではなく、地元の“撮り鉄”さんの姿も見られたかもしれません。

それにつけてもこうした姉妹列車提携は素晴らしいことだと思います。

2012年03月11日 16時58分

東日本大震災から1年。

平成23年3月11日(金)の東日本大震災から1年が経ちました。
インフラの一つであるはずの鉄道は、未だそのネットワークを復活させる目処がたっていません。

私は震災後に被災地に足を踏み入れておらず、今回の震災に対しての自身の考えをこのブログで語る言葉を今は持ちません。勿論、様々な視点からその実態を伝えるメディアからの情報はあるものの、自分の目で確かめ、そこで暮らす人々の言葉を噛みしめてこそ、人に伝える自分の言葉を持ちうると思っています。

それでもやはり今日と言う日に一言だけ・・・。

私が東北地方に初めて足を踏み入れたのは昭和48年9月7日でした。(名古屋を出発したのは9月5日)
当時、国鉄には名古屋発で13日間、東北地区の国鉄(国鉄バスを含む)乗り放題の東北周遊券(均一周遊券)があり、それを利用しての大学夏休みの“観光”旅行でした。
その頃の東北地方の鉄道は、今の秋田内陸縦貫鉄道である「鷹ノ巣」~「角館」間は全通しておらず、また宮城県・岩手県の太平洋岸を繋ぐルートも“線”ではなく、“鉄道ネットワーク”とは言い難い状況でした。そんな不完全な状況ながら、バスも繋いでの“インフラ”は一応成立していたことからこの周遊券は存在しえたと思っています。

もしもこの『東北周遊券』が今もあったとして、それをフルに活用できる日はいつかくるのでしょうか?それとも・・・。
この東北周遊券の裏面には地図があります。
“復興”とは地図を作り直すことではないかとも思っています。

今日は1個人の考えと言うことでお許し下さい。

2012年03月09日 19時17分

さよなら「300系」(4)『名古屋』でお別れ。

車内は空いていましたが、新大阪では数人のカメラを持った方に見送られ、名古屋でも同様の出迎えを受けました。
上段写真は、名古屋駅に着いてから先頭車まで急ぎ、撮影したのですが、お隣の16番線(左側のN700系)に入ってきつつあるのは「のぞみ53号」(東京発博多行き)。名古屋着は18:34ですので恐らく名古屋に少し早着で、「ひかり482号」の名古屋発18:33が少し遅れた偶然の産物からこの「300系」と「N700系」の揃い踏みが撮影できたのではないかと思っています。(確証はありませんが…)

下段写真は、「ひかり482号」を見送りつつ撮影したもので、テールランプがやがて見えなくなり、こうして私の「300系」乗り納めは終わりました。

今日現在、まだ走っている「300系」ですので、これからも暫く『見に出かける』ことは可能でしょうが、流石に乗ることまでは難しいと判断し、この日、敢えてこの「ひかり482号」を選びました。
理由は、まあ、大阪からの帰りの時間を少し遅くすれば乗れたということもありますが、何より「ひかり」とはいえ京都~名古屋間は無停車で、「新大阪」~「名古屋」の所要時間52分は700系、N700系と遜色なく、「300系」がまさに「のぞみ」の先駆者であったことを実感させてくれると思ったからです。

余談:日の出前や夕方、というか今回の様な『夜』の写真を手持ちかつノーフラッシュで撮影できるのは“デジタルカメラ”のおかげですね。フィルムカメラの手持ち撮影では決してこうはクッキリと撮影出来ていなかったでしょう。好みの問題は有るでしょうが・・・。
実はテールランプどころか結構なスピードで動いている車体がピタッと止まっている写真を見て、「テールランプを見ている心は揺れているのに・・・」等と贅沢な感想を持っていました。

一足早いですがこのブログでは今回、書かせて頂きます。『さようなら「300系」。』

2012年03月08日 19時42分

さよなら「300系」(3)『新大阪』にて。

「300系」と言えば『のぞみ』。『のぞみ』と言えば「300系」ですね。
平成4年の登場時、下りの『のぞみ』は東京駅6:00発の“301号”と21:18発の“303号”の2本しかなく隔世の感があります。また“301号”は名古屋駅に停車せず、それが「のぞみ」の「のぞみ」たる所以(ゆえん)なのでしょうが、名古屋では「社会問題とまだ発展した」とここで書いても決して大袈裟とも思えない状況で、私の周りにも『名古屋駅を通過する新幹線』見物に出掛けた人がいた記憶が薄らですが確かにあります。
※上りは新大阪6:12発の“302号”と21:18発の“304号”です。
最高時速270キロで東京~新大阪間の所要時間の2時間30分が知られている『のぞみ』登場でしたが、東京~名古屋間の1時間36~7分も名古屋人としては結構、センセーショナルでした。

さてやっと写真の話しですが、先月(2月)の22日(水曜日)、所用で大阪に出掛けた際、帰りに「300系」の乗り納めをすることにしました。
乗ったのは「ひかり482号」(上段写真)で、新大阪発17:40、名古屋着18:32。指定席は15号車(喫煙者)8番E席。普段は禁煙車しか乗らないのですが、まあ、最後の最後に“喫煙”マークの入ったEX-ICの利用票をコレクションするのも『まあありかな?』と思った次第です。

思いの外というか思った通りと言うか車内は空いており、“引退間近”といえども平日の夕方、新大阪を発車する列車の車内は、岡山始発にも関わらず下段写真の状況でした。

ところでこの座席は私には決して近い存在ではありませんでした。300系「のぞみ」の登場当時、「のぞみ」の本数が少なかったことと、「のぞみ」料金がかかったこともあって『出張時』に利用することはなく、まともに「のぞみ」に乗ったのは翌平成5年5月8日、福岡市営地下鉄が『博多』~『福岡空港』間の延伸区間を乗りに行ったときです。
この年、山陽新幹線のキャッチフレーズの「ひかりは西へ」ならぬ「のぞみは“西へ”」と博多まで走るようになりました。当時、全車指定席ということも含め正に日本のフラッグシップ列車でした。多分、こう思ったのは私だけでは無いはずです。

2012年03月07日 19時00分

さよなら「300系」(2)“引退記念弁当”の中身。

お弁当の蓋を開けると、何と蓋の内側に色々な記載がありました。右上には「弁当紹介」があり、『この記念弁当は、300系「のぞみ」が全盛期であった当時、車内販売で最も人気のあった幕の内弁当のメニューをベースに、当時の味を再現しました。』(全文転載)とあり、その下に“お品書き”(内容)が書いてあったのですが、この写真では、それは確認できません。
なぜならその位置には、先に紹介した「300系引退記念カード」の裏面(“300系”の諸元表)が見た目では逆さまに顔を出しているからです。

まあ、“お品書き”に書かれた品々は写真で見ていただいた通りですので、ここでの転載は控えますが、目を引くのはやはり左側に大きなスペースをとって書かれている文章です。
このブロックは『パーサーから300系「のぞみ」へのメッセージ』と題され、「1992年3月14日、早朝6時、東京駅14番線・・・のぞみ301号・・・全車指定席・・・」と、当時が懐かしく思い出される正に“パーサー”さんからのメッセージが綴られており、最後に「そよさら300系、そして、ありがとう300系」の言葉で終わっていました。
※1992年=平成4年です。

私は弁当に手をつける前に、思わずこの全文を読んでしまい、そして「おかず」に目をやり、『300系』と焼き印の付けられた玉子焼きに妙に哀愁を感じてしまいました。

そんな感情を自らぶち壊して皆様には申し訳ないのですが、多分どころか間違いなく20年前にこの弁当を食べているとは思うものの、その再現の程度が私には見当がつきませんでした。無念の一言です。
あっ、お弁当の1100円は私にとっては味も含めて価値ありでした。参考までに。

2012年03月06日 18時59分

さよなら「300系」(1)“引退記念弁当”。

3月5日の日曜日、知人(「鉄」ではありません)から『お土産があります』と連絡が入り、ということで我が家にやってきたのは、「ありがとう300系引退記念メンチカツサンド」(上段写真.500円)と、「ありがとう300系引退記念弁当」(下段写真.1100円)×2個でした。

いよいよ来週金曜日(3月16日)に300系のラストランが迫ってきましたが、この2つの記念商品が、こんな形で手に入り、それを食することになるとは思いもよりませんでした。因みにこの“弁当”は遠路はるばる「東京駅」からのお出ましで、これを『奇縁』と言わずして何と言うのでしょうか?

さて、これらとの“面会”に当たり、「相好を崩す」瞬間を覚られまいとは取り繕ったものの、居合わせた家族にはあっさりと見破られてしまいました。致し方ありません。

ところでメンチカツサンドは「300系」の雄姿もりりしいパッケージが魅力的で、値段も手頃です。小腹が空いている時か、大食漢の方は明日紹介します「弁当」とセットにすれば『大満足』間違い無さそうです。

また下段のお弁当ですが、皆様もご存じとは思いますが、「300系引退記念カード」がついています。
写真の外箱の300系の右上側、6人並んだパーサーさんの左側にチラッと顔を出しているのがそれです。
今回私の手元には“×2”がきましたので、その結果カード②と④が揃いました。
因みに②は弁当の外箱の写真に近い絵柄で、④は車庫でズラリ並んだ『300系』です。
と、ここまで書いたところで知人から再度連絡があり。自宅用に買った弁当には①と③が入っていたので「後日持っていきます」とのこと。
感謝感謝です。

私が出会った「鉄」の方に『駅弁』の包装紙を集めている方がいましたが、こういう場合、カードが揃う4個を買うのでしょうか?聞いてみたいところですが4枚揃うと分かったら何となく嬉しい自分がいます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!