2010年03月28日 10時06分

今日は日曜日なので
朝からゆったりとカクテルの話し。
バー銀座パノラマは、
本物(というのも何ですが…)のバーですので
オリジナル『鉄道』カクテルが充実しています。
※『鉄道』というのが味噌です。
写真は、満鉄あじあカクテル「スカーレット」。
満鉄あじあは言うまでもなく、
満州鉄道を代表する特急列車の名前。
とくとご賞味あれ。
(美味しいですが、アルコール度数は高めです。)
今日は日曜日なので
朝からゆったりとカクテルの話し。
バー銀座パノラマは、
本物(というのも何ですが…)のバーですので
オリジナル『鉄道』カクテルが充実しています。
※『鉄道』というのが味噌です。
写真は、満鉄あじあカクテル「スカーレット」。
満鉄あじあは言うまでもなく、
満州鉄道を代表する特急列車の名前。
とくとご賞味あれ。
(美味しいですが、アルコール度数は高めです。)
東京出張の楽しみに、
夜の『鉄』活動があります。
最近はほとんど日帰りですが
たまには泊まりもあります。
バー銀座パノラマは、
「鉄」の方の名所。
行くのは年に1回程度ですが、私にとって
東京で一番落ち着ける場所です。
名前の由来は、以前名古屋市緑区出身の
オーナーとお会いした時、
『パノラマカー』が身近だったからと
おっしゃっていました。
以前に比べ、客層は「鉄分」の濃い方中心から
幅が広がってきたと感じています。
1970年(昭和45年)から
国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが
始まり、一大旅行ブームが巻き起こりました。
(と言っても、知らない人の方が多いかな)
冊子「でいすかばあ・じやぱん」が
どれ位の期間、配布されていたか
覚えていませんが、
私はNo.2からNo.5までを持っています。
ただ、この冊子があること自体
あまり知られていなかったのでは?
「いさぶろう・しんぺい」のことを
書いていて思い出しました。
鉄道が、旅行の主役だった時代が
あったことを。
「チャレンジ20000キロ」の
始まる10年前の話しです。
中京テレビ「おもいッきりDON!」(NTV系列)の
ローカルコーナー(朝11:10~11:20)に
本日、太田プロのお笑いコンビ「ダーリンハニー」が
入線しました。
ダーリンハニーの吉川正洋さん
(写真右側、左側が長嶋智彦さん、真ん中が私)といえば
『ダーリンハニー吉川の全国縦断鉄博巡り』
(メタモル出版)を出すほどの存在。
※この本を私は出て直ぐ買いました。
最近の「鉄」本の中では秀逸と思っています。
「鉄ネタ」を交えながらのトークは
笑えました。
なお、吉川さんが持っているのは携帯電話。
153系と思しきデザインで手製だそうです。
模携帯というか、女の子たちのデコ電の
「鉄」バージョンというか、
それとも正に「デコ電」かもしれません。
我が家には、時に思いがけないものがあります。
※家族にとってはいい迷惑…。かな?
例えば地下鉄の主幹制御器(通称、マスコン)。
多分、名古屋市営地下鉄東山線の
300系のものではなかったかと記憶していますが
今から17~8年前(?)、
地下鉄藤が丘工場で売りに出されたものを
購入したものです。
値段は忘れてしまいましたが
そんなに高くは無かったと思います。
当時、工場の一角に陳列棚があり、
「これとこれを下さい」と言った覚えがあります。
(ということは他にも“お宝”がある)
因みにノッチを入れても電車は動きませんが
私の心は動きます。
PS.20キロくらいの重さがあり
これを運ぼうとして
ぎっくり腰になったことを
思い出しました。
報道ステーションを見ながら
このブログを書いています。
金沢駅を、先ほど急行「能登」が出発し、
今、特急「北陸」が出発していきました。
何度も繰り返されてきたダイヤ改正。
最近は、やむを得ないとはいえ
寂しい改正が多すぎます。
写真左側は、1967年(昭和42年)10月号。
世界で初めてのオール寝台電車「月光」が
登場したダイヤ改正号です。
中央本線(西線)にも高山本線にも
特急は走っておらず、
「速達」「便利」が進化していた時代で
毎回のダイヤ改正をワクワクしながら待っていたと
思い出されます。
※この号は創刊500号。
それまでより一回り大きい
B5版の大きさになったトピックな号です。
この本を知っている方は
私くらいの年代でも、
かなりの「通」の方でしょう。
「時刻表名探偵」(著者:石野哲)
昭和54年3月10日初版発行
日本交通公社から出版されたもので
石野さんは、当時、日本交通公社の時刻表編集部という
我々からみれば、垂涎の的のところに勤務されており
この本の中で、今でいう「乗り鉄」について書かれています。
※当時は「完乗」「乗りつぶし」「全線走破」とか
言っていたかと思いますが…。
いわば「乗り鉄」の存在が
『まさに白日の下(もと)に晒(さら)された」
わけです。
この本をきっかけに私は
「全部乗る」「新線開通はフォローする」と
固く心に誓い、未だに続いているわけです。
実は宮脇俊三氏のかの有名な「時刻表2万キロ」の
出版の方が早く、世間的にはこちらが
全線完乗の『本家』と言えるのでしょうが
『マニアック』度は「時刻表名探偵」の方がはるかに高く、
私の人生を変えた一冊と言えます。
(家族のつぶやき)
きっと「そんなことで人生を変えるな!」でしょうか。
すべては1枚の切符から。
昭和44年8月28日の日付の
名古屋市内から長野までの切符。
名古屋発23:55の815レ、
「きそ8号」に乗車しました。
当時、夜行の「きそ」は客車でした。
当然ですが、ボックスシートの自由席。
高校1年生の夏休みでした。
この列車から私の乗車記録が残っています。
というか、この列車から乗った記録を
残し始めました。
国鉄全線に乗ろうなどとは当時、露とも思わず
本格的に乗ろうと思ったのは大学4年生。
国鉄2万キロキャンペーンが始まる前で、
「乗り鉄」という言葉などあるはずもなく、
今思えば、どちらかと言えば、「さすらいの旅」を
気取った“鼻もちならない”タイプだったのでは…。
因みにこれ以前にも乗った線区はあったのですが
記録が残っていないため、カウントはしていません。
思い出という記録は取ってありますが…。
私は「乗り鉄」と言っていますが
どんな「乗り鉄」かの自己紹介です。
「乗り鉄」の達人の中には、
『各駅停車』『太陽が出ている時間』
『先頭車でかぶりつき』
『起点駅と終点駅は下車』といった
求道者も多くいるようです。
一方私は、どんな種別でも
どんな時間帯でも、
乗ってしまえばそれでOk。
条件的には随分ゆるい運用をしています。
その結果が写真の列車ですが、
阪神なんば線開業の際も
三宮から奈良までの直通電車に乗りたくて
快速急行に乗りました。
実質は、なんば線内は各駅に停車するのですが…。
ちょっとこだわったのは阪神車で近鉄線を
乗りたかったということです。
写真はこのブログの私の似顔絵の横のモノを
トリミングしたものです。
釧網本線で撮影したもので
キハ54の右後ろの釣竿の列は
秋の網走の風物詩「鮭の一本釣り」。
このサイズなら何となくわかりますよね。
写真のフレームサイズの決定は
本当に永遠のテーマです。
今回はその話しはさておき、
昨日に続いてテレビの話しです。
見た方はごく少数でしょうが
『行き過ぎた「撮り鉄」の行動』という話題を
3月4日(木)中京テレビ(日本テレビ系列)の
「スッキリ」(朝8:00~)で15分にわたって
特集していました。
500系ラストランの東京駅のドタバタや
関西線で「撮り鉄」が電車を止めた話し。
さらに様々な問題行動の映像が
紹介されていました。
30年以上前の、蒸気機関車の終焉の時も
当時の「撮り鉄」のごく一部の人が撮影の名所で
バトルを繰り広げ、
他人の土地に無断で入ったり、
畑を踏み荒らしたりで
随分、批判を受けた記憶があります。
昨今の「とんでも人間」の行動に
良識ある知り合いの「撮り鉄」さんたちも
結構、迷惑を被った事例を持っています。
番組でテリー伊藤さんはそれを
「サッカーでいうフーリガン」と言っていました。
言い得て妙です。
最初の写真の話しに戻りますが
要は毎回つきまとう写真のサイズの悩みは
自分だけの問題です。
でも撮影ポイント選択の悩みは、
実は、毎回自分だけの問題ではないのです。
ところで「携帯電話」のカメラで
“イベント”撮影している人をも
「撮り鉄」と呼ぶのに違和感があるのは私だけ?