2019年05月09日 22時23分

会津磐梯山と富士山。

会津磐梯山。正式な名前は磐梯山で、私にとって馴染み深い「会津磐梯山」は民謡の曲名のようです。

宝の山の山容はどっしりと安定した感じ。磐越西線の電車に乗っているといたるところで見ることが出来ます。

会津若松11:08発の郡山行き。4両編成かと思ったら郡山方に繋がれていた2両が切り離され、よもやの2両編成。私は運良く座れたものの、始発の会津若松で既に立っている人あり。

この後順調に乗客は増え続け、郡山到着時はまるでラッシュ時並み。とにかく2両編成はあり得ない。

郡山着12:12。

郡山駅でネーミングの妙に魅かれ「だて正夢おにぎり弁当」を購入。これが仙台なら、「いいね!」になりますが、郡山ですので「まあね!」というところでしょうか。

そして郡山発12;30のつばさ138号の車内で昼食。

東京着13;48。直ぐに14:03発のひかり475号に乗車。

それにしても2月の富士山に雪が殆どない。

2019年05月07日 21時55分

2月の只見川第一橋梁(1)路線バスの旅。

平成31年(2019年)2月24日の会津若松駅。

城下町らしい佇まい(たたずまい)。

青空の駅前にはすっくと立つ白虎隊士の像。朝一番にこの像と出会うことにより、会津若松の歴史を辿る旅に相応しい第一歩を刻むことが出来た。

ということは私の辞書には全くない。鉄道という目的があっての旅であれば、そこに誰しもが旅の目的とする魅力的な観光地があったとしても、そこはただの通過点。実に勿体なく、贅沢な旅であることは間違いない。

会津若松駅7:30発の会津バス只見川線の路線バスに乗車。今回はこのバスがあったからここまで来ました。何せこのバスは1月1日から2月28日までの期間限定運転。それにしてもこのバスの乗客約20人のうち、日本人は何人いるのだろう?と、書きたくなるほどの状況。(驚)

2019年05月06日 22時24分

郡山駅の駅弁「驛」。

仙台発17:25のやまびこ152号。

仙台駅12番線のホームの電光掲示板。東京行きの次にこのホームに入るのは盛岡行きなのですが、乗り間違いがありそうで怖い。このホームから出る電車に乗る時は大体3回程度は乗車券と電光掲示板の列車番号、電車の行き先表示を確認します。とか書きながら最近思ったのは、私に鉄道の知識が若干でもあるから起きうるミスの回避であって、知識が無ければ素直に案内のまま電車に乗るのでしょう。きっと。

今や新幹線でしかみられない電車内の公衆電話。

テレホンカード専用のため、その販売機があるのですが、「新紙幣使えます」って、どんな紙幣?

E5系の登場は2011年。現行のお札は2000円を除き2004年にデザインが変更されており、思わず唸ってしまった次第。

郡山駅で磐越西線に乗換え。その際に買った駅弁、その名も「驛」。

泉谷しげる氏プロデューサーの福島応援弁当で、福島の産品にこだわったというところが売りで、食べた感想としては、素直に美味しかったと思っています。

2019年05月05日 21時30分

古川駅。リゾートみのり⇒はやぶさ110号。

三河安城駅と言ったら信じそうな人がきっといるであろう写真。

ここはリゾートみのりからはやぶさへの乗換駅の「古川駅」。停まっているのは宮城交通バスで名鉄グループの会社ゆえこの色です。

駅前にある黄金に輝くポストはその名も「豊穣の黄金ポスト」。宮城県大崎市の名物のようで2016年からここにいるそうです。

ところで黄金ポストのことは、ここ古川駅構内のこの顔出し看板を見るまで全く知りませんでした。好奇心に火が付き、駅外までダッシュ!

そんな無理をしなくて良いのですが、知った以上は見たい!

古川駅着16:43、同発17:06。普通ならば23分の余裕の乗継ですが、何せ黄金のポストに気付いたのは16:56。まあ何とか間に合いました。

2019年05月04日 22時55分

リゾートみのり(2)最上駅と陸羽東線。

陸羽東線を行く「リゾートみのり」の暖かな車内から雪原を見る。

酒田で買ったパン。優しい甘さが口の中で溶けていく至福の時間。決して特別な事ではないのですが、こうした時間を持てることが幸せだと心から思えるようになったのは何時からでしょうか?働き盛りの30代、40代の頃は同じことをしていたとしても、多分、お腹を膨らませるという生きるための儀式だったような気がしています。

最上駅で下り列車と交換。と書きつつ、私の記憶の中に「最上駅」が無い。ここではそれ以上追及するのは諦め、名古屋に戻り再調査。羽前向町駅が最上駅と名を変えたのは1999年(平成11年)で、何となく感じていた違和感が以外にも合っていたのには驚き。

かつて陸羽東線には急行列車が走っていました。その路線を今も走る優等列車は不定期の快速列車であるこの「リゾートみのり」1本のみ。しかもこの日の列車は本来の3両編成ではなく2両編成。

まあそんな路線だということですが、一抹の寂しさを感じずにはいられませんでした。

2019年05月03日 22時03分

リゾートみのり(1)新庄駅。

新庄駅。多分1977年9月5日以来の利用。40年の月日の流れはその景色をすっかり変えています。

よもや東京に直通する新幹線の起点になるとは思いも寄らなかったのでこの風景は私にとって事件です!

キハ48形の改造車なので、先入観としては「まあね」というところはありますが、車内はゆったり作られており、のんびりとした旅を楽しみことが出来ます。

車内に置かれたこけし。愛らしい姿に思わず心がホッコリします。

15:01に新庄を出たリゾートみのりは暫く奥羽本線(山形新幹線)と並走します。

これでつばさとすれ違ってくれれば(趣味者としては)最高(のひと時)ですが、そんなダイヤにはなっていないので、万が一にでもそんなことがあれば一大事です。

2019年05月02日 22時02分

2019年2月23日の乗車券、後半戦。

E4系MAXとき~現美新幹線~きらきらうえつと乗り継いだ今年の2月23日の乗り鉄前半戦。

昨年末から考えていたんですよね、このルート。それも冬の日本海沿いをひた走りたいと思っており、退職する日を待ち続けてやっと実現させました。それがよもやの穏やかで麗らかな日和の旅になったのはある意味、想定外。何せ、目的地にたどり着けないこともあると覚悟の旅だったので…。

それはそれとして、この日の後半戦は酒田から羽越線~陸羽西線~陸羽東線と乗り継ぎ古川下車。

東北新幹線に乗り換え、郡山からは磐越西線で会津若松まで向かいます。

酒田~新庄間の快速最上川は自由席しかないので手元に乗車を証明するものは残っていません。

新庄に14:52着。わずか9分の乗り継ぎでリゾートみのりに乗車。

3枚目の乗車券は東北新幹線ですが、仙台駅で乗り換えがあります。これが要注意ポイント。はやぶさ110号は13番線着でやまびこ152号は12番線発。これが同一ホームならともかくそうではなく隣のホーム。階段を下って上ってとかするには、乗降客でごった返す夕方の大駅では、精神衛生上あまり良いとは言えません。

観光列車リゾートみのりは昨年の10月、登場してから10年の節目を迎えました。

ところできらきらうえつからこのリゾートみのりまで、同じ列車を乗り歩いている人がいました。見間違えてはいないと思います。

2019年04月24日 22時57分

陸羽西線 快速「最上川」。

2019年2月23日の酒田駅。きらきらうえつを12:51に下車し、14:00発の陸羽西線直通快速「最上川」に乗車。

雪の全くない羽越線を離れ、雪が残る最上川沿いに走る。その時、何だかホッとしている自分がいました。だって2月の東北で雪が無いなんて信じられない。地球温暖化の影響とか言うのは簡単なことかもしれませんが、そういう言葉では片付けたくない事態。

古口駅で下り列車と交換。冬の東北の風景。やっと本来の冬景色。

そして新庄駅には14:52着。それにしてもこの列車激混み。酒田駅を出るときにすでに立っているお客さんがいたのですが、余目、狩川、古口と停車するごとに順調にお客は増え続けました。

新庄駅で東京行きのつばさ号への乗り継いだお客も多かったように見受けられたので帰宅後に調べると、酒田~東京間で言えば、新潟経由と比べれば少し時間はかかるものの「快速列車」ということで乗車券代では優位にたっており、そんなことも込み合う理由かもしれません。

2019年04月22日 18時42分

485系「きらきらうえつ」(4)酒田駅前。

JR酒田駅。私がこの駅を降りたったのは4回目ですが、3回目までは全て国鉄の時代。

最初)1973年(昭和48年)9月10日

2回目)1974年(昭和49年)9月18日

3回目)1975年(昭和50年)5月3日

3回目は酒田港から船に乗り「飛島」に出かけています。当時、離島ブームというのがあり、それに影響されて比較的行きやすい『本物の離島』を目指したものです。それにしても上野発23:04の急行出羽に乗って出かけたのですが、酒田駅に翌日の8:06に到着するまで確か座れなかった記憶があります。まあゴールデンウィークの最中で、唯でさえも混んでいるのですが、一方で指定席をあらかじめ予約するという発想は全くありませんでした。

駅前の呑み屋さん街。昼間だから閑散としているのかそれとも昨今はそもそも閑散としているかはともかく、昭和の時代の駅前にはこうしたネオン街がほぼあり、地元の行きつけのお客さんだけではなく、夜行列車を待つ人もつかの間の時間を楽しんでいたのではと思います。かくいう私は、学生時代であっても居酒屋さんには入っていました。もっともスナックは入っていません。

懐かしい、と言いたいところですが、かつて歩いたものの記憶にない道を歩く。

一軒のパン屋さんを見つけ、入ってみる。

店内で残っていたパン。お店の方の話では早朝から開けており、昼過ぎにはほぼこんな感じだそうです。私はあんバターとフレッシュバターを買い、その後に乗った列車の中でデザートとして食す。

こういう表現は何ですが、このお店は昭和の時代からメニューが変わっていない気がしました。でもこれってとても大事なことで、名古屋人には定番の「サンドロール 小倉&ネオマーガリン」のような超長寿商品は滅多に誕生しないのです。で、このお店のパンの味ですが、どこか懐かしい気がしました。

これも旅の楽しみ。

 

2019年04月21日 22時01分

485系「きらきらうえつ」(3)ピンクのE653系。

車窓に鳥海山が見えると終点の酒田はもうすぐ。

ということで酒田到着。

きらきらうえつは、羽越線を代表する列車。なのですね。

酒田まできてやっと編成写真を撮影。私の知っている485系の姿はそこにはありません。

酒田駅で見かけた電車。

名古屋では絶対に見かけないE653系。しかもピンク色。と思ったらハマナス色だそうです。

■ハマナス色(U107 編成・12 月中旬出場) 「ハマナス」は羽越本線沿線の海岸線に 自生し、沿線を彩る象徴的な植物です。 その花色は日本海に沈む夕陽の海面に映 りこむ色彩にも通じ、沿線風景を象徴する カラーリングです。

JR東日本 新潟支社 2017年10月13日日付のプレスリリースから転載。

酒田駅で見かけた気動車。

キハ47 1514。駅で見かけて「おっ!」と反応。鉄道誌などで**系が国鉄急行色化という記事が出ていても、正直あまり食指が動くわけではないのですが、こうしてそれを見るとやはりいいもんですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!