2011年12月17日 18時33分

三陸鉄道復興支援証明書。

平成26年4月の全線での運転再開を目指している三陸鉄道への支援の輪が
広がっています。

例えば近江鉄道では今年の4月から「三陸鉄道グッズ」を販売
(このブログでは5月4日・5日に紹介)するとともに、
2011年11月11日には『近江鉄道×三陸鉄道「がんばろう!
三陸鉄道応援乗車券」』が発売され、近江鉄道と三陸鉄道の乗車券が
セット販売されるというこれまでにはない新しい発想の支援も
行われています。
(1セット1100円で、通信販売もされています。是非近江鉄道のHPを
ご覧ください)

そして今日の写真は、私が行ったささやかな三陸鉄道への復興支援の
証明書です。

これはとある会社が呼びかけた『三陸鉄道支援プログラム~枕木に名前を残そう~』に私が賛同したことによるもので、北リアス線「陸中野田」~「野田玉川」の2.5キロ区間に設置される枕木約8000本の支援に参加すると、支援した人の名前が刻印されたプレートを枕木に設置するというものです。
と言っても設置されたプレートは、当然のことながら開通したら見られない訳ですし、そもそもとても探しきれません。そんなことはともかく私としては、何がしかの支援で出来ないかと丁度思っていた矢先でのこの呼び掛けだったので、思わず参加した次第です。

三陸鉄道への支援は、現地に出向かなくとも例えば「三陸鉄道オンラインショッピング」のグッズ購入であったり、何がしかのことは出来そうです。
※私の手元には、近江鉄道ミュージアムで出会った『久慈ありす』がいたりしています。(普段の私なら絶対に購入しない・・・)

今日は極めて私的な報告で恐縮です。

2011年04月06日 18時09分

三陸鉄道社長からのメッセージ。

写真は、昭和59年9月2日、三陸鉄道南リアス線に乗車した時、
釜石駅で撮影したものです。

三陸鉄道は東日本大震災で大きな被害が出ており、
この南リアス線では、未だ復旧した区間はありません。
その三陸鉄道のHPで4月4日、
『三陸鉄道社長からのメッセージ「三陸鉄道の復旧に向けて」』が
出されました。

要約しますと、
『これまで不眠不休で「久慈~陸中野田」及び「宮古~小本」間までは
開通させたものの、自力復旧できるのは“ここまで”で、
残りは国などの支援がないとできない』という悲痛なものでした。
また、『全面復旧には莫大な経費と長い時間が必要』とありました。

三陸鉄道の被災状況の写真は「いすみ鉄道」
社長ブログ(3月28日更新分)にも出ているのですが、
筆舌に尽くし難いものがあり、三陸鉄道の社長のメッセージは、
その通りであろうという以外の言葉が見つかりません。
(被災状況は、Googleマップの航空写真でも確認できます)

それでも最後に
『三陸鉄道の復旧が三陸沿岸地域の明日への希望であることを信じています』
という力強いメッセージもありました。

ただでさえ厳しい地方交通の経営に更に追い討ちをかけた
今回の地震と津波です。
多少視点はずれるのかも知れませんが、
これまで「地方交通」は『地元主体で…』と、
国はその在り方から一歩引いたところで傍観してきたような感があり、
そんな中、以前、三陸鉄道は岩手県の強い意思で運営されていると
聞いたことがあります。

これは「地元の事」は「地元」でということで一見正しいように見えますが、
補助金等々も含め、国が“公共交通の在り方”について指針(方向性)を出し、
それに県(地方自治体)が呼応し進めるべきだと私は思っていました。
今回の大地震の交通機関の復旧はJR東日本に目が行きがちですが、
自力復旧に限界がある「三陸」・「ひたちなか海浜」等々の鉄道会社は、
最終的には『国が主体』となって再生する手段を考えるべきと思いますが、
皆さんは如何お考えになられるでしょうか?

まずは、生活を運ぶ鉄道としての復旧、
次のステップとして
『三陸の絶景をこの気動車から眺めることが出来る』日が、
一日も早く訪れてくれることを切に願っています。

2010年12月21日 9時07分

秋田駅の「無効」印。

大鰐温泉から2時間超の難行苦行を終え
秋田駅で乗車券を記念にもらいました。

青森県とは違って昔懐かしい「無効」印。
※「昔懐かしい」と思わず書いてしまいましたが、
 他のJR各社の「無効」印は相変わらずこれのはずなので
 この言葉は取り消します。
一方、大鰐温泉の改札印はこれまで「新青森」等で
見たものと同じ。

今月9日に「乗車記念」という名の「無効」印の話しを
UPしましたが、ここに来てやや“ガッカリ”しつつも
一方で「ホッ」としました。
『やっぱりこれでなくっちゃ「切符を収集」した気分が
出ない』というのが本音ですね。

ひょっとして「青森県」はJR東日本内の担当分けでは
「盛岡支社」で、「秋田県」は「秋田支社」という
影響からこの違いがあるのでしょうか。
つまり盛岡支社管内と秋田支社管内で
改札印・無効印(乗車記念印)が異なるのではと言うのが
私の推理です。

誰か知っている人はいませんか?

ということで「東北新幹線全線開業記念」東北ツアー終了です。

2010年12月20日 18時09分

大鰐温泉から701系で秋田へ。

大鰐温泉から秋田へ701系に揺られて向かいました。
1664M「大鰐温泉」発15:06。「秋田」着17:25。

悪名高いというか、評判の悪さでピカイチの
ロングシート長距離普通電車に敢えて“挑戦”しました。
しかし“挑戦”などするものではないと直ぐに後悔しました。
それでもこの1664Mなどはまだ考えようによってはましで
同じ奥羽本線の650Mなど青森~秋田間を3時間超えの
ロングシートは考えれません。

この1664Mは「大舘」までワンマンで、
そこからは通学列車で込み合うため車掌さんのいる
ツーマン電車となります。
それにしてもそもそもワンマンの長距離列車も信じられません。
※ワンマンからツーマンに変身する電車への乗車は
 初めての経験でこれは「成程」でしたが…。

そのワンマン区間の「津軽湯の沢」~「陣場」間の
青森・秋田県境はほんの数人しかお客がおらず
だだっ広く、見通しの良すぎる車内は寂寞感が漂っていました。

一方、大舘から秋田までは断続的に高校生が乗り降りし、
座席に座りきれず秋田到着時も立っている乗客がいました。
客車列車の時代なら、採算性は悪いとは思うものの
多分4両以上は繋いでいたはずで、
立っている乗客はそんなにはいなかったのではないでしょうか?

結論…701系で長距離を乗り通すものではない。
ロングシートでは居場所が無く落ち着かない。
トイレに行くのも少々…。同じ701系でもセミクロスなら…。
もう笑っちゃうしかなかったですね。

しかし、驚いたことに私以外にサラリーマン風の方が1人、
大鰐温泉よりも前から乗車し、秋田まで乗り通していました。
私のような『モノ好き』で無いことだけは確かそうでした。

昭和52年頃は単線区間も多く、優等列車・貨物列車との
交換で時間はかかったものの、息抜きの時間はありました。
今や複線の多いこの線を突っ走る電車にはそんな余裕すらなく
ただただ乗り続ける“修行の場”でしかありませんでした。

まあ、元々長距離鈍行客車列車の多い路線だったことが
私の印象を作っていることは否定しませんが…。

2010年12月20日 8時56分

大鰐温泉駅のモニュメント。

最近、駅頭にその地に因んだモニュメントが作られることが
結構あります。

「大鰐温泉」駅では、大きなピンクの『ワニ』がお出迎え。
可愛くって面白くってなかなか良い感じです。
でも「作れば良いってもんじゃないでしょう」と
言いたくなるのがこのピンクの『ワニ』。(笑)

普通は何かしら「地元」に所縁(ゆかり)があるものが
多いのですが、ここのは地名「大鰐」と『ワニ』は
単なる語呂合わせとしか思えない。
そこで「大鰐」の地名がこの『ワニ』と関係するはずは無いと
感じた私は「大鰐町」の“町名の由来”を調べてみました。

ありました。大鰐町役場のHPに“町名の由来”が。
●そもそもはるか昔、大きな阿弥陀如来があった。
 これが大阿弥陀(おおあみだ)と呼ばれていた。
●その「おおあみ」が「おおあね」に変化。
●最終的に、『山椒魚=鰐(わに)』の大きなモノが
 棲んでいた伝説から『大鰐』の地名になった。
●江戸時代からこの「大鰐」の地名がある。
要約するこんな感じでした。

『どうせだったら「大きな山椒魚」のモニュメントしたら
良かったのに』というのは簡単ですが、
写真の様な“愛らしい”形状にすることは難しかったでしょう。

まあ、ご愛嬌ということで・・・。

2010年12月19日 18時00分

弘南鉄道の駅名票。

弘南鉄道大鰐線「石川駅」の駅名票です。
実はこの中にある矛盾が隠されています。

などと大仰に言う必要はないのかもしれませんが
「いしかわ」のローマ字表記は『ISHIKAWA』。
次駅の「いしかわぷーるまえ」の「ローマ字表記」は
『ISIKAWA・・・』。
「いしかわ」駅の『し』は“ヘボン式”表記の「SHI」、
そして何故か「いしかわぷーるまえ」駅の『し』は
“日本式(訓令式)”表記の「SI」なのです。

最近は、パスポートやクレジットカードのローマ字表記を
“ヘボン式”で書いたり、JRや大手私鉄の駅名表記、
また固有名詞もいわゆる英語の発音に近い“ヘボン式”が
使われることが多く、“日本式”は
「最近見かけなくなったなあ」と思っていたのですが、
ここ津軽の地でお目にかかるとは少々驚き!

別段“日本式”表記が『誤り』ということではありません。
私が驚いたのは“日本式”と“ヘボン式”の併用で
会社としての統一性(一貫性)が全く無いことにです。

因みに「いしかわぷーるまえ」駅の駅名票の「し」の字の表記は
「いしかわぷーるまえ」も次駅の「いしかわ」・「さばいし」も
全て「SI」です。
そもそもこれに気付いたのは「ちとせ」駅の「ち」の字の
ローマ字表記が「TI」になっていたからで
『珍しいなあ』と思ったのがきっかけだったのですが
普段何気なく見ている“駅名票”も『奥が深い』と
感じた1件でした。
※そもそも漢字表記の無い駅名票も十分珍しいのですが…。

2010年12月19日 9時00分

弘南鉄道大鰐線に久しぶりに乗りました。

平成22年12月6日、
「いったい何年振りなんだろう」と思った弘南鉄道乗車です。
弘南線は昭和52年8月31日、大鰐線は昭和52年9月1日に
乗っています。今回は時間の関係で、大鰐線だけ乗りました。

写真の「中央弘前駅」は、
「何でこんなところに駅があるのだろう」と
確か33年前にも思った記憶が蘇りましたが
今回も同様の感想を持ってしまいました。
どうしてもターミナルは「国鉄~JR」の駅や
単独立地なら西日本鉄道の「西鉄福岡」の様な商業の中心地に
構えるというのが私のイメージなのですが、
ここはそのどちらにも当てはまらない気がします。
同様の例をあげれば「北陸鉄道」の『野町』や
「熊本電鉄」の『藤崎宮前』でしょうか?
まあ、川沿いの立地はそれなりに風情はありますが…。

車両は様変わりで、すっかり「東急」の支線みたいな
感じになっています。
写真は元東急の7000系で、本当ならば6000系に
乗りたかったのですが、もうあまり走ることは無いようです。

(参考)
昭和52年に乗った列車。
●中央弘前発6:40 弘南大鰐着7:11
今回乗った列車。
●中央弘前発14:30 大鰐着14:58
JRが「大鰐」から「大鰐温泉」に改称したのは有名ですが
弘南鉄道の「弘南大鰐」が「大鰐」に改称されたのは
あまり知られていないんだろうなあ・・・。

2010年12月18日 17時46分

弘南鉄道の入場券。

弘前ということで昭和52年に弘南鉄道に乗った当時の
入場券です。
私は「弘南黒石」と「中央弘前」で購入しています。
※今回は入場券を購入していません。

長く「乗り鉄」を続けていると『運賃変更』の押印は
そんなに珍しいものではありませんが、
さすがに『駅名』が押印という入場券は
私のコレクションでもこれ一枚です。

入場券を集めている方は多いと思いますので
もしもこうした事例をご存知の方がいらっしゃいましたら
教えてほしいのですが相当な珍品ではないでしょうか?

この存在は、多分、弘南鉄道の駅で入場券を
発行すること自体があまりにも少ないので
都度対応するための方策として生まれたのでしょうが
「国鉄~JR」のみならず、地方の小私鉄でも
有人駅で発行する入場券を含む乗車券類は印刷物だったので
「ここまで合理化するか!」という気持ちはさておき、
当時既に、止むに止まれぬ状況だったのかもしれません。
因みに裏面の発行「No.」は“0974”でしたので
それなりにこれが使われていたことがわかります。
※軟券乗車券で、発駅の部分がスタンプの事例は
 あったと思いますが…。

ひょっとして以前の入場券が無くなり、
新料金の入場券の印刷が間に合っていないための
緊急避難だったかもしれませんが…。

2010年12月18日 9時17分

閑話休題、弘前駅にて。

平成22年12月6日、津軽鉄道の「ストーブ列車」乗車後、
弘前駅に来たら、こんな可愛い模型が出迎えてくれました。
HB-E300系「リゾートしらかみ 青池」です。

横の看板に『リゾートしらかみ 青池ハイブリッド
12月4日DEBUT!』とありましたから
随分前から展示されていたものと思われます。

ちゃんと線路まで引いてあり、なかなかの力作です。
JRが作ったのか、それとも弘前市なり市民の方が
作ったかまでは残念ながら分かりませんでしたが
誰が作ったにしろ、この車両にかける地元の熱意を
感じずにはいられませんでした。
もう一つ言えば、「東北新幹線 新青森開業」への
期待感の表れかも知れませんね。
特に、模型もさることながら看板の“花”が
『青池』カラーというのも芸が細かくて好感が持てました。

私は車両(模型)だけを撮影しましたが、
『青池』と一緒に撮影している観光客の姿も見られ
ちょっとした名物状態でした。

弘前の町は、もともと津軽の中心地だったのですが
弘前県が青森県になりその中心は青森市に移っています。
しかし、青森県の国立大学は「弘前大学」だったりして
それなりに存在感はあるのですが、今一歩の印象は否めません。
こと交通に関しても、昭和の時代に地方都市と
東京を初めて結んだ夜行高速バス「ノクターン」号の
大成功が話題になりましたが、鉄道は地元の足ではあるものの
長距離の移動手段としての影は薄かったと言わざるを得ず
旅をする人にとって決して存在感がある町とは言い切れません。

それだけに今回の「リゾートしらかみ 青池ハイブリッド」は
鉄道活性化への“地元期待の星”かもしれませんね。

2010年12月16日 9時01分

津軽鉄道「ワム5」のこと。そして…。

津軽鉄道のラストは、「ワム5」。
『ワム』の上の「津軽」の「軽」の字が旧字体なのが
時代を感じさせますが、昭和5年の『津軽鉄道』開業時からの
生き残りと聞いています。

ところでこの「ワム5」、いつから4番線ホームで
“掲示板”になったのでしょう?
真ん中の縦長に見えるブロックは上から
●「ここにふるさとがある」の文字等
●駅のスタンプ風の観光案内 ●津軽鉄道の路線図
●時刻表

左のブロックに移り、
●上段…太宰治著「津軽」から『芦野公園』の一説。
●下段右から…普通旅客運賃表、「AED」表示、禁煙マーク。
「AED」と「禁煙マーク」はきっと最近付けたのでしょう。
平成、しかもここ数年のトレンドを感じさせます。

ところでこの掲示板、「ストーブ列車」の観光客を始め
乗り合わせた「鉄」の方の注目もあまり集めていませんでした。
少し淋しい。

ホームから「ワム5」を見ると、まあこんな感じですが
これを車庫側から見たら、右側の自動販売機も隠れ
時代がかったホームにポツンと佇む“古い貨車”という
ノスタルジーな写真が撮れそうです。
でもホームから降りての撮影は禁止されています。
残念ならぬ断念!

それはそれとして、貨物を運べない身になったとしても、
何かしらの役に立っているということはありがたい事ですね。
※自分の将来と重ね合わせています。悪しからず。

「津鉄」の最後に…。
「津鉄」で、とあるチラシを見つけました。
●津軽鉄道サポーターズクラブ主催「年越しストーブ列車!」。
定員は64名なので今から申し込んで間に合うかどうかは
分かりませんが、集合時間が12月31日23時30分
津軽中里まで行き、津軽五所川原着は元旦1時40分頃。
“頃”というのが如何にも「津鉄」。
【問合せの電話番号…0173-34-9022】
「ストーブ列車」で津軽三味線を楽しみ、飲んで食べて年越し。
はっきり言ってそそります。(今年の新企画だそうです)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!