2010年12月10日 17時58分

HB-E300系の運転台。

奥羽本線川部駅停車中に撮影した「HB-E300系」の
運転台です。

真ん中にあるタッチパネル式のモニターで
車両全体の各種機器の動作の確認や電気系統のチェックなどの
コントロールをしているようです。

実はこの列車、何らかのトラブルを抱えながらの運転で
JRの電気関係の技師らしき方が2名、
運転席他で作業されていました。
最初は何事か分からなかったのですが
たまたま1号車のトイレの見学に行った時、
正面というか便座の上にあるボックスの蓋が開いており、
中の電気系統の機器が剥き出し。
かつ蓋がブラブラしていたので利用者に“危険”ではないかと
思って車掌さんに伝えたところ、
「走行や車内設備に影響はないのですが、電気系統のトラブルで
蓋の鍵を開けて作業をしています。ご迷惑をかけます」
とのことでした。
※運転席のモニターをたまたま見ていたら
 3号車のトイレに「故障」の表示が…。
 実際に故障していた雰囲気はなかったのですが。
 それより、「こんな風に表示されるんだ…」という方が
 個人的には興味津々でした。

車掌さんの話しやJRの方達の動きから
どうやら、タッチパネル式モニターに
『故障がないのに表示』の現象があったのではと
推察されました。

何れにしろ、「新青森」~「弘前」間で解決したようです。
※写真のモニターに「故障」の表示はありません。

新製車両にありがちな初期不良かもしれませんが
「ハイブリッド」は既に小海線で走っており、
「HB-E300系」をとっても長野で10月から走っており、
何が原因でどんな故障だったのでしょう?

12月3日の「シドニー路面電車博物館」の話しの時にも
書きましたが、電子機器の扱いはやはり難しそうです。

2010年12月10日 8時55分

HB-E300系の展望室からの眺め。

HB-E300系展望室からの前面パノラマです。
私は、平成16年8月8日にキハ48形の
「リゾートしらかみ」に乗車し、前面展望を楽しんでいますが
それに比べ、乗務員室の前面ガラスの下端が広がり、
その眺望の良さは「一日の長あり」でした。

写真は8:34頃、「新青森」駅のお隣「津軽新城」駅での
EF81104号機の牽く『トワイライトエクスプレス』との
「交換」です・・・。
と、書いていたら社内の「鉄」の方がこの写真を見て一言。
『「日本海」ですね。最近、トワイライト色のEF81が
「日本海」を牽く事が多いみたいですよ。
ピンクの“81”の方が珍しいという話しもあります。
このサイズでもヘッドマークで分かりますよね。』と
言われてしまいました。その通りです。ハイッ。
※この話しを自分の言葉で書くつもりだったのですが
 言われてしまったので事実をそのまま書いています。残念。

もともとこの写真は最初から狙っていたわけではなく
たまたま「新青森」駅の下り列車の電光表示に
「日本海」が出ていて、到着時間から逆算で「津軽新城」で
交換だろうと思い、待ち構えていたものです。

とはいうもののこの場所でこの写真を撮っていたのは
何故か私だけ。皆さん、こういう「交換」には興味が無い?
さて私の座っている場所は、展望室の乗務員室の直ぐ後ろで
私の右側にもう一人座っていました。
その方の迷惑にならないように注意しつつパチリ。
この表現で、展望室の雰囲気が何となく
伝わりましたでしょうか。

2010年12月09日 18時27分

HB-E300系気動車に乗車!

平成22年12月6日(月)、
この日、「東北新幹線」に続く2つ目の目的である
「HB-E300系」の『リゾートしらかみ2号』に乗車。
「新青森」発8:28、目的地は「五所川原」(9:44着)。
※「五所川原」で下車ということで、3番目の目的も
 既にバレバレですね…。
※『リゾートしらかみ2号』というより『青池』編成と
 言った方がしっくりきますが、指定席券に『青池』の
 文字はありません。

私が乗ったのは1号車、最後尾の車両で車内はガラガラ。
もっともこの列車、新幹線からの接続が
東京からの「はやて」ではなく盛岡からの「はやて」なので
そもそも乗り継ぎ客は『対象外』で、
青森周辺に宿泊した方たちがターゲットと思われます。
※この1号車の乗客は多分、全員がこの列車目当ての「鉄」と
 思われたが、絶対に気のせいではない!自信あり。

さてハイブリッドシステムの「HB-E300系」については
既に雑誌等で詳しく紹介されていますので
あくまでも私の乗車時の印象を少しだけ。
①座席はシートも良いのですが、なにより広大なスペースが
 足元に広がっており、前の席の方がリクライニングを
 倒していても窓側から通路に簡単に出られそうです。
②エンジン音は静かで電車に乗っている気分ですが
 出発時にディーゼルの“音”と“振動”が無いのは
 正直寂しい。
 「キハ85系」の音真似が得意なホリプロの南田さんだったら
 どんな風に表現するかが楽しみです。
③一方、思わぬところでディーゼルエンジンが回ったりで
 少々慣れない。(加速時だけではないような気がした)
 その時、車内に微妙な振動が伝わり、
 それはちょっと“嬉しい”。

2010年12月09日 8時56分

使用済み乗車券を貰(もら)いました!

平成22年12月6日(月)、
五所川原駅では「大宮」~「五所川原」間の乗車券を。
新青森駅では「八戸」~「新青森」間の特急券を
『乗車記念』ということで貰いました。

写真の説明をする前に、そもそも私はJR東日本の駅で、
乗車券・特急券を貰ったことがありません。
その理由は、旧国鉄時代に遡りますが
「東京(北・南・西)鉄道管理局」管内の駅では、
当時、乗車券類は『有価証券』であるという建前から
改札を出る時に必ず没収されていました。
そのため、手元に残すため目的駅より手前で“途中下車”をし
最終目的地までの乗車券を購入するなどの工夫をしていました。

ということもあって、JR発足後もその“トラウマ”から
「JR東日本」の駅だけは、自分が使用した乗車券の収集は
すっかり諦めていました。(他社は国鉄時代から勿論OK!)

それが今回、あっさりと手元に乗車券・特急券が戻って来たのは
正直“驚き!”であり、「聞いてみるものだ」と
妙な所で感心しました。
●いつから乗車券が貰えるようになったか知りたいところですが
 きっと「今更ですか?」と言われるのがオチですね。

さて写真の説明です。
今まで乗車券類を貰う場合、国鉄時代から『無効』印を
駅員さんが押して私に戻してくれるのが通常でした
今回、乗車券の押印は「ありがとうございます JR東日本
乗車記念 五所川原駅」という丸判。
一方、「はやて」の特急券の押印は「乗車記念 使用済」。
私の心にビビッときたのは、両方共通の『乗車記念』の文言。
単なる『無効』のどちらかと言えば単なる「モノ」から
《思い出の「品」》への昇華を感じずにはいられませんでした。
そうっ!一枚の切符も手元に残せば『大切な思い出』。
ただ、「やり過ぎ」の感は無きにしも非ずですが…。

2010年12月08日 18時14分

祝!!東北新幹線全線開業!新青森駅。

「新青森」駅の到着直後にパチリ。
ホームドアの中と言うか外と言うかはともかく
駅員さんの了解を取って撮影しました。
東海道新幹線では考えられませんが、
まあ、開業直後の「新青森」であるが故の柔軟対応?

この『東北新幹線全線開業』の地元の熱気は
既に報道されている通りで物凄い状況になっており、
青森市に本社のある新聞社「東奥日報」は全20ページ、
弘前市にある「陸奥新報」でも全16ページの
開業特集版を発行しているほど。
「県民の夢乗せ発進」などの大見出しに心惹かれました。
※「弘前」駅の改札内に山積みされていたので
 思わず持ち帰ってしまいました。

ところでこれ以前に“鉄道”で青森に来たのは
何時だったのだろうかと思って調べてみたら
昭和55年3月30日(日)でした。
【この日の行動】
1)常磐線「日暮里」発5:12 451M
  常磐線「平」着8:40
2)常磐線「平」発8:44 241レ(客車)
  東北本線「仙台」着12:09
3)東北本線「仙台」発13:18 1533レ(客車)
  東北本線「青森」着22:37
当時の普通列車は、3列車乗り継げば、
東京から青森まで行けたんですね。隔世の感ありです。

さてさてこの行動、実は取材でした。
この時、“レイルウェイ・ライター”の『種村直樹』さんが
読者の方と日本最西端の駅(平戸口)から
最東端の駅(東根室)まで普通列車だけを乗り継いで向かう旅を
続けており、その全行程を「日本テレビ」の
ドキュメンタリー班が密着取材。
その中で上記の区間のカメラを私が担当していたのです。

それにしても最速列車で「3時間20分」時代が来るとは
その頃は考えもしませんでした。

2010年12月08日 8時05分

祝!!東北新幹線全線開業!八戸駅。

12月4日(土)、東北新幹線が遂に全線開業しました。
初日は『強風』でダイヤが乱れましたが、
これからは『順風』であってほしいと切に願っております。
●この開業の話題は様々なメディアで報じられているので
 今回は私の個人的な「東北新幹線全線開業」話しを。

ということで、早速12月6日(月)に新規開業区間の
「八戸」~「新青森」間を乗ってきました。
乗り込んだのは『はやて93号』、「盛岡」発「新青森」行き。
その列車に「八戸」駅から乗り込みました。
※写真は、「八戸」駅に入線する『はやて93号』。
 この列車は『はやて』ではただ一本の“普通車全車自由席”。
※「八戸」に来たのは平成15年3月2日、
 東北新幹線「盛岡」~「八戸」間を乗車して以来。

私は先頭車の写真を撮った都合でそのまま“10号車”に
乗り込みましたが、「盛岡」始発にも係わらず列車はガラガラ。
写真では乗客が並んで待っていますが、
実質、「八戸」始発と言っても過言ではない状況でした。

そして『はやて93号』は「八戸」を7:28定時出発。
「新青森」には7:56定時到着。
“複線断面”の『地上トンネル』では
世界最長の八甲田トンネル(全長26,455メートル)は
正直言って「とにかく長い!」の一言。
「いつ出るのだろう?」と窓外をズーっと眺めていました。

ところで何で「八戸」から?
実は前日の12月5日(日)、大宮の「鉄道博物館」に
“初”乗り入れをしており、そのまま『はやて』乗車だと
新線区間が日没後になってしまうため、
「八戸」で一泊という選択をしたのです。
それと、この日のこの後のスケジュールもこの選択の
重要なポイントでした。(この話しはまた後日)

2010年10月23日 9時01分

津軽今別駅に到着。

津軽海峡線「津軽今別駅」に10:00定時到着。
●途中の「吉岡海底駅」通過時には目を凝らしましたが
 どんなアクシデントだったかは分かりませんでした。

「津軽今別駅」はJR東日本の津軽線「津軽二股駅」と
隣接しているのは情報として知っていたので、
時間があれば津軽線で三厩まで行き、
そこから青函トンネル記念館を目指すのですが、
さすがにそんな時間は無く
泣く泣くこの駅からタクシーで行くことにしました。
※『青函トンネル竜飛斜坑線』に乗ることが最優先。
※タクシー代は聞かないで下さい。
 「タクシー代<もう一度ここに来るための時間と費用」
 というのが私の結論でした。トホホ。

ところで「津軽今別駅」は思いっきり殺風景な駅で
一方、お隣の「津軽二股駅」は、もうちょっとマシで
実のところ、私は地元のタクシー会社を捜して
この日の朝、予約を入れていたのですが
何と、駅前には客待ちのタクシーが待機しており
結果として予約などする必要が無かったのには驚きました。

それにしてもこの2つの駅、以前から語られてはいましたが
私も訪れてみて、「何故同じ駅名にしなかったのだろう?」と
やはり思ってしまいました。

2010年09月27日 17時49分

国鉄只見線の入場券

昭和53年7月17日に購入した只見線の入場券です。

423Dが途中で列車交換のため長めに停車した全ての駅で
買っています。
これらの入場券を購入した駅も無人化され
今や入場券が買えない駅も多くなりましたが
これは時代の流れということで致し方のないところでしょう。

ところで写真の入場券で注目してほしいのはその料金!
実は只見線に乗った直前の7月8日に国鉄運賃が改定され
入場券もそれまでの60円から80円に値上げされました。

で、会津坂下・会津柳津は60円の額面のままですが
会津宮下・大白川・小出の各駅の入場券には
それぞれ「料金変更」「運賃変更」の印が見えます。
一方で越後須原は80円になっています。
ただ発行No.は“00016”で、
新しく印刷された入場券としては何と16枚目という
私の持っている入場券の中では『快挙』とも言える
若いNo.でした。

今や硬券の入場券は「化石」の様な存在ですが
当時はこれが当たり前。
但し、乗車券の方が深刻ですが
運賃改定の際にすぐに新しい切符を用意せず
旧運賃や「運賃変更」の印で“しのいでいた”ということは
私の記憶の中に今も残っています。

2010年09月27日 9時02分

国鉄只見線「越後須原」駅

昭和53年7月17日、
国鉄只見線の423Dは、『会津坂下』(422D)・
『会津柳津』(急行いなわしろ1号)・
『会津宮下』(424D)・『会津川口』(426D)と
全て『会津』の冠付きの駅で交換しながら
写真の新潟県『“越後”須原』では428Dと交換しました。
●5時間近く乗って5本の列車と交換は少ない?

沿線の車窓については、今更書くまでもないので
あえて触れませんが、飛びっきりであったと断言できます。

さて、途中の「会津宮下」での停車時間が長く、
駅前に出た記憶がありますが、出たというだけで
何があったかという記憶はなく、
その後、ガラガラの車内の自席に戻り
全開の窓に手を付き、その上に顔を置いて
ただ「ボーっ」としながら夏を感じていたと思います。
何故ここまで具体的に書けるのか?
実は、この駅のトイレに行ったのを覚えているのです。
車内にもトイレはあるのですが
長時間停車ゆえ「背に腹は代えられない」状況に追い込まれ
止むを得ず…。
当時、停車中の車内トイレの使用はご法度でした。
以上、写真と全然つながらない話しで申し訳ありません。

ところで鉄道ピクトリアル11月号に、
只見線全駅の写真が出ていましたが
「越後須原」は30年以上前と全く変わっておらず
違うとすれば駅舎の前(駅名の直下)に
「鉄道で送る小荷物」らしきものが写っていること。
それだけは今は絶対にないと言えます。

2010年09月26日 20時09分

国鉄只見線は昭和53年に乗車

今、発売中の「鉄道ピクトリアル11月号」の特集は
『只見線』です。

その最初の特集記事を執筆された岩成政和氏は
『只見線』を他のローカル線と比して
「単独で特集となりうる路線」とされていますが、
その通りであると私も思います。

私が只見線に乗ったのは昭和53年7月17日、
会津若松発5:22、小出着10:14の423Dでした。
写真の『南東北周遊乗車券』を使い、
7月15日に名古屋を出発。
16日に国鉄長井線・左沢線、福島交通、更に会津線を乗り
17日早朝に会津若松駅を後にしました。
※『南東北周遊乗車券』と言うより、
 『みなみ東北ワイド周遊券』と言った方が
 きっと馴染みがあるのでは?
※周遊券に駅名の「印」が一杯ありますが
 これは「途中下車印」です。
 本来ならこの「印」は途中下車時に
 必ず押さなければならなかったはずですが
 実際には駅員さんにお願いして押してもらっていました。
 また、1枚の切符に押された数が多いほど
 マニアの中では「勇者」として扱ってもらえました。

当時、地方都市の駅前にはビジネスホテルなどはなく
ご存知の方は年齢がバレますが
その代わりに「商人宿」という旅館がちょっとした町なら
必ず駅前にあり、私も会津若松ではそこに泊まっていたと
思われます。
また朝が早いのは「乗りつぶし」の旅のいつもの
パターンで、特に夏場は日も上がっており
大して気にもしていませんでした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!