2016年03月17日 20時34分

東日本大震災から5年!石巻線女川駅(2)「新」女川駅。

本日(3月17日)、天皇・皇后両陛下が女川町をご訪問され、町民の方たちと触れ合われるご様子をニュースで見ました。後述のシーパルピアを歩かれるお姿には本当に感動し、これをきっかけに女川に多くの人が訪れ、復興が更に進むことを願って止みません。

さて平成25年の9月28日。

浦宿駅から代行バスに乗り女川の町に到着。1時間半ほどの滞在時間の中で、かつては街並みがあった場所を歩きました。

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女川町地域医療センターから港方面の俯瞰。

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少し内陸側に目を移すとそこには震災遺構として保存することになった「女川交番」。(⇒の場所にあります)

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この2月19日に撮影した「女川交番」。その隠れ具合から盛土されたこのエリアを感じることが出来ます。

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平成25年に戻って「新」女川駅のある辺り。今は復興工事が進んでおり、町の様子が変わっています。

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さて「新」女川駅に戻ります。駅前は整備が進んでおり、3月26日(土)には「女川町復興祭」が開催されるというとこで、当日は多くの人たちで賑わうことでしょう。また多くの人に是非、足を運んで欲しいという思いもあります。

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駅舎3階の展望フロアから見た女川の街。プロムナード(遊歩道)が整備され、今見えているのはテナント型の商業施設「シーパルピア女川」(昨年の12月23日にオープン)。様々な店があり、観光バスが到着すると人が行き交って良い感じ。

幟(のぼり)には「START! ONAGAW」「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。」と書かれており、復興への町の意気込みを感じさせます。

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女川名物「さんまパン」。さんまの香りはあまりないものの噛んでいると口の中で少しだけ海が広がります。賞味期限が意外と長く、家に持ち帰るつもりで買ったものの、東京に到着する前に私のお腹に納まってしまいました。

2016年03月16日 20時33分

東日本大震災から5年!石巻線女川駅(1)女川駅に到着。

石巻発12:23の女川行きに乗車。

2013_09_28浦宿駅 2013 03 16復旧

女川駅まで石巻線が全線復旧したのは平成27年(2015年)3月21日。それまでの間の終点、浦宿駅。この写真はその当時の平成25年(2013年)9月28日撮影です。

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こちらが今回の平成28年(2016年)2月19日の浦宿駅。ホームの先からが復旧区間です。

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終点間近の女川トンネル。この出口付近まで津波の影響がありました。

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旧女川駅から200メートルほど手前(内陸側)の嵩上げされた場所に作られた新しい女川駅。女川温泉ゆぽっぽも併設された温泉駅でもあります。

2016年03月15日 20時31分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(5)石巻駅。

人口およそ16万人、仙台市に次ぐ宮城県第2の都市である石巻市。

人口は名古屋で言えば名東区や千種区とほぼ同じと言ってもかえって分かりづらいかもしれませんね。ただ宮城県内の立ち位置で言えば岡崎とか豊橋ということかな?などと一人合点。

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11:47、石巻駅到着。

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宮城県出身で石巻市とも縁のある漫画家石ノ森章太郎氏の世界が広がる石巻駅。

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駅舎を見てもそこかしこにオブジェがあります。

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駅の玄関上も注目!

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石巻駅でのもう一つの注目ポイントは貨物列車。日本製紙石巻工場で生産された紙製品を運ぶコンテナ列車が設定されています。

私が着いた時も1本停車中でした。

2016年03月14日 20時22分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(4)鳴瀬川橋梁。

野蒜駅で待つこと暫し。

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11:21発の上り快速仙台行きが先に到着。

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それから下りの11:21発石巻行きが入線です。

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野蒜を出て新線区間を走ります。かつての仙石線はちょうどこの写真の辺りを通っていたと思われます。

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鳴瀬川橋梁が見えてきました。この成瀬川は、津波で建物ごと流されたご夫妻が、川を逆流する津波に7キロも流されつつ九死に一生を得た場所で、その時JRのこの橋にもぶつかったとのことで、そのお話しをご本人の口から聞きつつ津波の力の強さを感じていました。

2013_09_28石巻線・仙石線・常磐線_190

もっとも今は穏やかな風景の中に、2001年土木学会デザイン賞を受賞したフィンバック形式(この形をそう言うそうです)の美しい橋がそこにあるだけです。

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昨年5月まで石巻との間でキハ110形が役目を果たしていた陸前小野。

2013_09_28陸前小野 2012年3月17日復旧

平成25年9月28日時点では、復旧工事は進められていたものの、まだまだ先の見えない状況が続いていました。

2016年03月13日 20時19分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(3)野蒜駅。

陸前大塚~鳴瀬川橋梁(陸前小野の手前にある)の間は高台に移設されています。

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この写真は陸前大塚を出て少し走った先の地点。

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以前は眼下の風景の中に仙石線はあったはずです。

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野蒜で下車。ここで後続の11:21発の石巻行きに乗りかえています。その目的は高台移転で駅前の整備をしているとのことでしたのでそれを見る為。

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ホームから駅舎に向かう階段から見た野蒜の街方面。かつての状況を知らない私が軽々に語るのは憚られますのでここは実景写真ということで。

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現在の野蒜駅。駅前では復興工事が行われています。

2013_09_28旧野蒜駅

かつての野蒜駅(平成25年撮影)。当時は現東松島市の施設「奥松島観光情報センター」と併設されており、今は1階にコンビニが入っているそうです。

2016年03月12日 19時16分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(2)高城町駅。

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信号で一時停止して仙石線に入ります。

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ここからは旧宮城電気鉄道が作った路線で電気は東北本線の交流から直流に変わりますが、ハイブリッド気動車は何事も無くそのまま進みます。ただ電化された路線を繋ぐ線路上に架線が無いのは不思議な感じ。

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仙石線に入り高城町を目指します。

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高城町駅は東日本大震災の被災後、平成23年の5月28日にあおば通と繋がりました。そしてこの先、陸前小野まで開通したのは去年の5月30日でそれほど以前の話しではありません。

2013_09_28高城町 2011年5月28日復旧

平成25年9月28日の高城町駅。

この頃の代行バスは松島海岸~矢本間で運転されていましたが、石巻から仙石線に乗った私は矢本ではなく、列車の仮終点であった陸前小野で乗り換え、また松島海岸まで行かずに手前の高城町で電車に乗り換えています。その時、右側に停車中である電車の先端の真下まで草が生え、所謂終点の駅でもそこまでも荒れることは無かろうと思いつつ、それを刈るよりもまずは不通区間を減らすことに注力するのは当然の帰結と感じていました。

2016年03月11日 20時36分

東日本大震災から5年!仙石東北ライン(1)HB-E210系気動車。

平成23年(2011年)3月11日金曜日。正に5年前の今日、東日本大震災が発生しました。その被害についてであったり復興についてはなかなか語りつくせるものではありませんが、5年という節目に辺り私としては3度目となる被災地訪問をしました。

最初は平成25年(2013年)9月に東松島市~南三陸町~石巻市~女川町~常磐線を訪ね、2度目は平成26年(2014年)5月末に久慈市~宮古市~釜石市~大船渡市と廻りました。平成25年の時はメディアの一員として地元新聞社の協力の下、実際に被害に会われた方達の生の声を聞く機会もあり、東日本大震災を「忘れない」、そして私が見聞きした経験をどう役立てていくかを考えていくことは、個人の趣味のブログとはいえ会社の公式サイトで書いている者としての役割と思っています。今回行けたのは時間の関係で仙石東北ライン~石巻線だけではありますが暫しお付き合い下さい。

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平成28年(2016年)2月19日。昨年の5月30日に開通した仙石東北ラインからスタートです。震災の復興事業として東北本線と仙石線を短絡線で結び、仙台と石巻方面の速達化で注目されたこの線ですが、写真のハイブリッド気動車が誕生時に比べ格段の進歩を遂げたことがこの線の実現に大きな後押しとなったと聞いています。

*仙台駅発10:14

*野蒜着10:53

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電車に乗って直ぐに目に飛び込んできた「津波警報が発表された場合のお願い」「津波警報発表時に車外に出る場合」。思わず目を凝らして読んでしまいました。今は日本語だけですが、将来的には英語等の他言語での表記もあると良いですね。

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10:40頃上りの仙石東北ラインの快速5526Dとすれ違い。

今から6年前の平成22年(2010年)12月6日に「HB-E300系」の『リゾートしらかみ2号』、昨年の6月14日に同じく『リゾートビューふるさと』に乗っているのでハイブリッド気動車に乗る“感覚”は掴んでいつもりでしたが、交流~直流区間という異なる方式の電化区間を直通するのにこの気動車を使うということは、発想の展開という意味で良い選択肢が増えたと感じました。

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塩釜駅を出て直ぐに分岐があるのかと思いきや結構走って松島駅まであと一歩という地点で仙石線に入ります。

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実にゆっくりと転線。

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直ぐに仙石線が近づいてきました。たったこれだけというのは簡単ですが、大きな意味のある新線区間です。

2016年03月10日 20時32分

惜別!夜行急行「はまなす」(10)あおおり倉石牛VS海鮮御三家対決弁当。

新青森駅7:43発「はやぶさ120号」が入線。

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あと少しで北海道新幹線開業ということで、その後もこの駅の賑わいが続くことを祈るばかり。私がいた朝7時代は盛岡からの始発の到着前の時間なので、純粋に青森から仙台・東京方面へのお客さんしかいないのですが、この時間以降の昼間帯は影響を受けるでしょうね。

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「はやぶさ」のエンブレムはやはりカッコいい。

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朝食はあおもり倉石牛VS海鮮御三家対決弁当。1250円と少々値段は張りますが、そこはそれささやかですが「はまなす」完乗祝い。

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牛肉、うに、かに、いくらと朝から豪快だ!

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好天に恵まれたこの日、1号車6番E席から窓外を見ていたら鼻の長いE5系を象徴するような影が防護壁に映っていました。で、1枚。シャッタースピードの関係で影よりも壁が凄いことになっていました。

2016年03月09日 20時30分

惜別!夜行急行「はまなす」(9)485系のラスト乗車。

青森からは仙台に移動。

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ひょっとしたら人生最後の青森駅。

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7時15分発の新青森行きは485系!!!

新青森から折り返し「白鳥93号」となる列車で得した気分というか485系も姿を消すのですね。

カメラを向けていたのは私ともう1人だけ。「はまなす」に乗ってきた乗客は新青森発6:49に乗るべく6:28発の新青森行きに乗り換えた人が結構いたのは覚えていますが、青森駅からの回送を見送った人も少なからずいました。皆さんどこに行ったのでしょう?青森駅界隈でゆったりして在来線としての青函トンネルの名残乗車でしょうか?それなら485系「白鳥」に乗車ということで合点がいきます。

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新青森駅では7:43発の「はやぶさ120号」まで20分強の時間があったので構内を一巡り。青森らしい演出が出迎えてくれます。

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「青森ねぶた祭」は一度は本物のお祭りを見てみたいものだと思いつつ未だ実現しておらず、こうした展示を見ていると興味をそそられます。

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棟方志功もやはり青森の象徴ですね。「鉄」と「鉄」の間の旅気分。

2016年02月18日 20時12分

私的昭和の鉄道/東北(3)阿武隈急行②。

東北本線との宮城県側の連絡駅/槻木発が7:53。福島到着は9:16。

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人だかりはここ福島に来て初めてあったという記憶あり。

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JR福島駅の表側も特に祝賀を感じさせません。

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電車のりば(阿武隈急行、福島交通)の案内でやっと祝賀ムードを感じました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!