7月26日の話が終わりましたので平成26年(2014年)6月1日(日)に戻ります。
大船渡市の宿泊施設はこの5月時点では予約が取り難く、一般的なホテル予約サイトで空きがあることは稀と言うか私が探した限りでは皆無でした。
今回宿泊した大船渡プラザホテルですが、個別にホテルのサイトでも確認し、その上で大船渡での宿泊を一旦は諦めていました。
でも「ひょっとして」と思い出かける2週間前にアクセスしたら奇跡的に1室が空いており予約することが出来ました。地元のタクシーの運転手さんの話でも最近は宿泊施設が増えてはいるもののまだまだ足りておらず「よく取れましたね」とのことでした。
さてこれが大船渡プラザホテル。2階まで浸水したとの事ですが、ここ大船渡にあって一早く営業を再開し、地元の復興に貢献したと聞いています。
そうして宿泊したホテルからの眺望。“復興”という2文字の遠さをここでも実感しました。
同じくホテルから撮影したJRのBRT。
朝、ホテル周辺を散歩していたら直ぐの場所に、BRT「大船渡駅」を見つけました。ここにJR大船渡駅があったのだそうです。
三陸鉄道南リアス線「三陸駅」。運転再開を祝う横断幕がありました。
恋し浜駅(元の小石浜駅)は、以前私がこの線を乗ったときはまだ無かった駅です。
ところでこの駅には、AKB48のメンバーが書いた絵馬があったのですが、私が乗った直前の5月23日にそれがなくなっていることが分かったことで思わぬ形で有名になりました。
19:01に盛駅着。日の長い時期とはいえ夕闇に包まれ始めていました。
到着ホームからは跨線橋を渡らず、その先にあるJR大船渡線(BRT)盛駅の構内踏切(?)を通って駅舎に向かいました。事情が呑み込めなかったものの他の乗客の方の後をついていったのですが、これが正式に認められたものなのか、便宜的なものなのかは今も分かっていません。
駅にあった大船渡線発車時刻。
でも鉄道ではなく、バス(BRT)なんですね。
1984年(昭和59年)9月2日の盛駅。これほどまでに車が駅前を占めているこの姿は今はありません。
宮古駅前から15:15発の「岩手県北バス」田の浜行きに乗り、まずは陸中山田(バス停の名前は「みちの駅やまだ」)を目指します。東日本大震災でストップしているJR線には代行バスがあってもよいはずなのですが、宮古~釜石間はもともと山田線沿いに路線バスがあったということで代行バスはなく、その路線バス(岩手県北バス・岩手県交通)を乗り継がなければ先に進めません。ここ三陸を公共交通機関で横断するのは大変なことなのです。しかもそれなりに大きな荷物もありますしなどと愚痴を言ったところで何ともなりません。それぞれの地元にそれぞれの事情があるわけですのでこれは従うことが旅人のマナーです。
山田線津軽石駅の現状です。
バスの車窓には悲しいほどまでに美しい海が続きます。
「道の駅やまだ」に16:15の定時到着。ここで乗換えです。岩手県北バスはこの先にもまだ路線が続いていますが、岩手県交通はここが始発となります。
16:40発に乗車ですが、ここからも所謂路線バスタイプで『旅』気分とはほど遠い感じでした。
そんな車窓からこんな道路標識を見つけました。(JR吉里吉里駅近く)
初めてこの道路を通る人でもいざという時の地震~津波の際にどこまで逃げれば安全なのかの目安となりますが、1キロを越える距離は珍しいものではなく今回の津波被害の甚大さが改めて窺い知れました。
お座敷列車から降りたので今日からタイトルを「三陸鉄道1日乗車券の旅」に戻します。
さて宮古駅に30年ぶりに降り立ちました。それにしても「30年ぶり」という言葉を一口に言っている自分は何者と一人突っ込みをしてしまいました。
昭和の宮古駅とは建物の色の違いを除けば建屋自体に大きな変化はなそうですが、周りの風景は隔世の感があります。
宮古駅を出て直ぐの場所にはAKB48の顔出し看板がありました。総選挙1位のまゆゆの隣で撮影できるのは嬉しいかもしれませんが、ええ年こいたおっさんがここから顔を出して、通りがかった人に写真を撮ってもらう勇気などあるはずもなく、これが私の限界でした。
駅周辺の探索を追え、もう一度駅舎の中に戻りお土産品を見ていました。そこにはこんな寄せ書きがあり、感無量になりました。
さあこれからバスを乗り継ぎ、JR山田線沿いに釜石に向かいます。
田老駅で交換。36-207の単行の車内は思ったより乗客の方がいましたが、地元客というより観光客が多いように見受けられ、鉄ちゃんらしき姿も確認できました。
三陸鉄道田老~宮古間は、国鉄宮古線の時代の昭和53年(1978年)8月29日に乗りました。その後、三陸鉄道になり、北リアス線となって開業した昭和59年(1984年)にも乗っているのでこの区間は3度目の乗車となりました。
13:54、宮古駅着。
(余談)考えてみればもっと早く気付くべきでした。
いつもはワンマン運転が多い三陸鉄道ですが、この列車は3両編成で車掌が乗務している!!ということは車内券がある!
実は車掌さんがいるのは分かっていた(お話しもしていいますし…)のですが、車内券の販売をしているとは…。
車掌さんが途中駅から乗られた方に車内券を発行しているのに気付き、慌てて買いました。と言ってもタイミングの問題で、宮古駅に到着後に他の乗客の方が改札を出てからの発行となりました。それにしても東京までの乗車券を買う方はいるのでしょうか?
こうして“北三陸鉄道”の「じぇじぇじぇ」な旅は終わりました。
プレート設置区間の撮影を終えたのでゆっくり昼食です。予約しておいた「ウニあわび弁当」の包装紙を外すとそこには三陸ワールドが広がっていました。
お味の方はGOODです。何より車内、しかもお座敷で食べているというシチュエーションも楽しいです。
堀内(ほりない)駅から海を臨む。
ここ堀内駅は「あまちゃん」では『袖ヶ浜』駅でした。ここでレトロ車両の団体さんが数組下車し、狭いホームがごった返していました。
田野畑駅近くも津波被害を受けています。初めて見る方にとっては、これが最初からの風景だと思われるかもしれませんがそんな事はありません。
三陸鉄道の車両と同じ塗装の平井賀川の水門は往時のままの姿でした。車内でも多くの方がこの風景を撮影されていました。