このレトラム。ゴールデンウィーク中はズーっと整備中で運行されておらず、10日・11日の運転も直前に取り止めがHPに発表されました。一方で、この11日の運転は突然だったこともあり、もっとも最終便だったからかは分かりませんが撮り鉄さんも乗り鉄さんもその姿はほんの数人だけでした。
おかげで乗ったレトラムはご覧の状況で、福井鉄道(福井県・福井市)にとってはきっと残念な結果だったでしょうが、私は短い時間ながらノンビリと乗り鉄を楽しむことができました。
座席は意外と乗り心地がよく、私の乗車時間13分(内、仁愛女子高校での5分停車を含む)はゆったりと時間が過ぎていきました。
車内にはシュツットガルトと思われる路線図が残されており、意外とドイツ気分を楽しむことも出来ました。
今回の北陸地方の路面電車探訪ですが、5月10日(土)は福井鉄道に乗車後、富山県の高岡市に移動し万葉線に乗車。そして11日(日)は富山地方鉄道のセントラム~レトロ電車に乗り、〆は富山ライトレールの予定でした。が、その10日の深夜、思わぬ情報が私のスマホに届きました。それは福井鉄道のレトラムが11日(日)は運行できるようになったという報告。
あわてて福井鉄道のHPで再確認しました。
そこで11日は、初期の目的を大急ぎで終え、富山発13:06のしらさぎ10号で福井に向かうことにしました。そして出会えました。レトラム(735号)です。
※場所は「市役所前」です。
ドイツ南西部の街、シュツットガルトで活躍し、その後高知県の土佐電気鐵道株式会社に渡り、縁あってここ福井でレトラムとして復活したのは4月12日でした。
しらさぎの福井駅到着が14:33ということで、田原町(たわらまち)を14:49に出て、福井駅前着15:06の電車の走る姿をカメラに収め、福井駅前を折り返し15:08に出発する田原町行きに市役所前から乗車することにし、まずは走る姿を撮影しました。本当は田原町に向うレトラムを撮影したかったのですが、まずは上り・下りの最終便に間に合っただけでは良しとしました。
●いつもなら日程順にこのブログではUPしていますが、今回は話題性もあるのでレトラムを先に書くことにしました。なおレトラムはその後、順調に動いているようで、私の「鉄友」の方々も撮影に行かれています。何よりです。
何せ古い電車なので整備が大変かと思いますが、この日の「1日でも早く運行」にかける福井鉄道の整備のスタッフの方々の頑張りに敬意を表するとともに、これからの努力にエールを送ります。
北府駅から乗った電車から赤十字前駅で下車(10:30)。
越前武生駅からここ『赤十字前』駅の少し先までが「鉄道線」で、そこから「軌道線」(路面電車)となり、次に停車する『木田四ツ辻』は所謂“電停”となります。
ここで下車した目的はこの除雪に使われる電気機関車(11号)をカメラに収めること。1923年(大正12年)製というほぼ90年前の車両が今も現役であるということに驚きを隠せません。
さて、ここから越前武生方面に一旦折り返すことにしました。目的はF1000形/FUKUAM(フクラム)に乗車すること。
ところでこのF1000形/FUKUAMは2014年ローレル賞を受賞しました。まずはおめでとうございます。私がお邪魔した5月11日(土)段階では勿論、それはまだ発表されておらず、でも賞に値する車両であることは「乗った」からこそ納得しています。
話しを戻して5月11日(土)、何故この日の運用が私に分かっていたのでしょうか?種明かしをすれば、この電車は越前武生9:08発の電車の折り返しだからです。JR武生駅から越前武生駅に向かう途中、この電車が走り去るのを見ていたので、時刻表から計算してここで出会えると確信していました。
車内は思ったより広くゆったりしていました。もともと鉄道線サイズの電車が走っていたからこのサイズが実現したのかもしれませんね。
2011年に新規開業した清明駅で下車。そこから少し歩いて麦畑越しの電車撮影に挑みました。清清しい風景で、それにしても福井県が麦の産地とは知りませんでした。流石に時期的に麦秋とまではなりませんでしたが、それでも「良し」と自己満足しています。
※水が張られた田の水鏡狙いも一瞬頭をよぎったのですが、その場所はもっと越前武生よりで、今回はその後のスケジュールの関係で少々お手軽にこんなところで狙ってみました。
ところでこの写真を撮影した後は街中に移動し、こんな写真を撮っていました。
先週の水曜日(4月16日)にUPした「名古屋市電のサヨナラ電車時刻表」の後日談。その時は時刻表の全体像がUPできませんでしたが…。
私が知らなかっただけかもしれないのですが、コンビニのコピー機の機能が進化しており、何とスキャンしてUSBメモリーに保存できるようになっていました。(驚)
たまたま名古屋レール・アーカイブスの展示会用参考資料としてこの時刻表(B4サイズ)をカラーコピーしようとして見つけたもので、早速400dpiでスキャンしました、お代は30円也。家ではA4が限界なのですがコンビニはA3対応。これからは重宝しそうです。
ところでこの資料は昭和49年3月31日の名古屋市電・サヨナラ電車の時刻表(青焼き)というところまでは先日書いた通りなのですが、名古屋レール・アーカイブスの名古屋市電に精通している会員さんにこの資料について聞いたのですが初見とのことで、市電の最後の最後を記した貴重な資料ということがわかりました。思わぬ展開に驚いています。
●昭和町~開橋間にて撮影。
今回、名古屋市電の思い出を綴っていて、名古屋市電に「撮り鉄」スポットが意外に多かったことを改めて知ることになりました。それとやはり市電は「街と共にある」ことも感じました。
もう40年なのか、まだ40年なのか、、、やはりもう40年なのでしょうが、そんな過去を懐かしむばかりではなく、名古屋市民いや名古屋の街を移動する人にとって市電がもう一度登場する時期が到来したと思っています。今、都心部でのLRT導入が取り沙汰されていますが、それだけではなく、例えば今池~大曽根間であったり、桜本町~名鉄/道徳~東海通~あおなみ線/名古屋競馬場前とかもあったら便利と思える区間です。
交通信号の公共交通優先化などを導入したりして、今や世界で建設が進められています。そのような近代化された路面交通の拡充を期待しつつ名古屋市電廃止40年の纏めにします。
(追伸)私が公共交通(特に路面交通)に拘る訳…今から5年ほど前ですが、足を痛め数か月間にわたり杖を頼りにする生活をしました。右足だったため車の運転もできず、通勤のみならずどこに出かけるにも公共交通が頼りでした。その時、名古屋は車『だけ』社会だと改めて思いました。地下鉄沿線以外ははっきり言って不便です。
その地下鉄ですが地上と地下の垂直移動は思いの他大変です。特に階段は、上るよりも下るのが大変だと思い知りました。上りは一段ずつ一歩一歩進めばいいのですが、一方、階段を下る怖さ(転げ落ちそうな感覚)は何とも言えませんでした。エスカレーターは上りより下りにしてくれよ!とか勝手に思っていたらお年寄りの方も上り(階段は疲れるけど怖くない)より下りが欲しいという人が結構いたのには驚かされました。さてエレベーターはと言えば、八事日赤のように使い勝手が良い駅とそうではない駅の差がはっきりあり、エレベーターに辿り着くまでに疲れてしまいそうな駅もあり、それまではあるだけましとか思っていましたが、ベビーカーや車椅子の方たちの大変さも少し理解できました。その後、ドイツ・フランスのトラムを何か所か利用し、本当に利用しやすい都市交通とは何かを知った気がしました。追伸が長くなり申し訳ありません。ご精読ありがとうございました。
ここからは廃止の年の1974年(昭和49年)に撮影したのは間違いないものの、撮影月日が書いてなかったネガからのスキャン写真です。まずは「金山橋」駅。
ここは「瑞穂通三丁目」。私が物心ついた頃はそういう電停名でしたがその後、「瑞穂区役所」に改称されました。右側に市場が写っていますが、当時、電停があるところには市場ありと言っても良いほど市場が多くありました。今思えばとにかくそこに行けば食品から衣料品まで何でも揃う便利な存在でした。
桜本町一丁目の電停のすぐ北側にあったいつも通院していた耳鼻科の入っていたビルから撮影した一枚。さりげない風景ですが、市電が街とともにあったということを実感させてくれます。
ふと目を西に向けたら名鉄電車が目に入りました。おまけの一枚ですが、これがパノラマカーでないのが意外と味噌かもしれません。
地下鉄「桜山」駅には壁画として名古屋市電の姿が残されています。(このブログでも2012年8月9日にUP)
ここ桜山だけの風景ではないのですが、やはり市電とは切っても切れない街だったことが伺えます。
これらの壁画群の存在は、残念ながら知る人ぞ知る存在のようですが、市電廃止40年にあたり一度みに行かれては如何でしょうか?
因みに市電よりもずーっと昔に廃止されたトロリーバスの壁画もあります。もっとも60歳の私が生まれる前の話です。