2011年06月09日 9時02分

長崎電軌(20)街の足はやっぱり路面電車に限る!

「長崎路面電車博物館」の入る『長崎西洋館』のテラスから撮影した
“長崎電軌”と長崎の街並みです。
(下の電停は「浜口町」)
この辺りはビジネス街と見紛うほどビルが立ち並び、
そこを専用線と併用軌道で走り抜ける電車の姿が、
如何にも“都市の基幹交通”“ダウンタウン(ビジネスの中心地)の足”
という感じがしましたので、長崎電軌の最後の一枚に選びました。
※本当のダウンタウンがここかについては責任が持てません。
 あくまでもビル群から来るイメージです。

1乗車が120円(この値段で“のりつぎ券”もある)と、
民営鉄道では信じがたい安さですが、この値段になったのもつい2年前のこと。
1日乗車券が500円と“格安”ですが、この元を取ろうとすると
5回も乗らなければならず、私なんぞは毎度毎度の支払いの
手間軽減という観点で1日乗車券を購入しました。
そんな中、外国からの観光客が『長崎スマートカード』
(ICカード乗車券、長崎県内のバスと共用)を使っているのを見かけ、
長崎市内を効率的にかつ“安く”回るには確かにこちらの方が
便利な気もしました。
それはともかく、そんな光景を見かけるほど長崎電軌が市民・観光客の足として
定着しているということです。
何せ日中、1号系統は5分間隔、間隔の開く4・5号系統でも8分間隔で
次の電車を“待つ”という感じはありません。

『動く電車博物館』として、鉄道が好きな方達の期待に応え、
一方で「5000形」が更に増備され、ますます便利で弱者に優しい鉄道としての
存在感が高まることを期待します。
(通り一遍で申し訳ありません)

(余談)
平成4年から貸切電車の運用を始めております。
大人は1回片道8,640円で電車1 両を貸切にすることができます。
(車両指定可。条件は長崎電軌HPで確認を)
この値段なら一度は貸し切ってみたい!

2011年06月08日 18時26分

長崎電軌(19)長崎路面電車資料館の中。

資料館そのものは上段写真のようにさほど広くはありません。
正面真ん中に鎮座していますのは顔出しモックアップで、
この写真を撮影したときは誰もいませんが、身を乗り出す子供達の写真を
撮影する家族連れは多かったです。
この車体番号「1号」は、多分、大正4年の開業に投入した「1形」を
模したものと思われ、方向幕は「長崎駅前」となっており救助網も
しっかりありました。因みに内側にはコントローラーやブレーキなどもちゃんとあります。

下段左側の写真は、『ビューゲル』です。
6月1日に「明治電車」をUPした際、『ハンドルさん』から、
『明治電車に乗った際に、ビューゲルの向きが変わるのを
初めてみました。(要約)』というコメントをいただきましたが、
確かに若い世代の方には「ビューゲル」は馴染みがないのは当たり前で、
それもあるのか、わざわざ説明付きで「ビューゲル」が展示されているのには、
理由があった訳ですね。
実はこの資料館でこの「ビューゲル」を見た時に何で「ビューゲル」が
あるのだろうと思ったのですが、やはりそういう時代ということなのでしょう。

一方、右側は「ローレル賞」の受賞記念盾です。
「ブルーリボン賞」にしろ「ローレル賞」にしろ、受賞記念の銘板が
その対象のトップナンバーの車両に取り付けられているのは
何度も目にしていますが、こうした「盾」があるのを私は始めてしりました。

2011年06月08日 8時01分

長崎電軌(18)長崎路面電車資料館。

では、日本で唯一の“トンネル”はどこにあるのでしょう?
それが今回の写真です。
長崎路面電車資料館の入る「長崎西洋館」の中というか下と言うか、
兎にも角にもそこにあります。
上段写真で言えば長崎西洋館のビルのどてっ腹にあいた大きな
『穴』がそれで、中は下段写真のようになっています。
“トンネル”に見えなくも無いですが、乗車している気分としては、
「ビルの中を通り抜けている」が実感です。

それはともかく、「長崎路面電車資料館」の話しを少し。
開館時間は11:00~17:00と言うことで、てっきりこういた
『資料館』によくある10時開館かと思っていったら開いておらず、
開館まで少し待つことになってしまいました。
(行かれる方はHPでご確認下さい)

「博物館」と銘打たず、「資料館」という謙虚さが好ましく、実際、
資料館と言うレベルですが、「動く電車博物館」とセットで考えれば、
長崎電軌の歴史がよくわかります。

一般的な観光地ではありませんが、「鉄」の方には長崎電軌訪問の
“ついでに”行くところとしてお勧めします。
じっくり見るならともかく、『成程』レベルなら30分もあれば十分だと
思います。

2011年06月07日 18時48分

長崎電軌(17)電車がいる風景。

上段写真は「築町」~「出島」間を行く『1702号』。
下段写真は「公会堂前」~「桜町」間を行く『504号』です。

このお題(電車がいる風景)でこの2枚を選んだ理由ですが、
まず上段写真は併用軌道というにはあまりにも道路を鉄道が占拠する割合が
大きいという点で、昭和の路面電車全盛時代でもここまで極端な例は
あまりなかったのでは思っています。
これで道路(線路)の両側に商店が並べば、ヨーロッパのトランジットモール
そのものですね。またセンターポール化されていることで、
すっきりした街並みに見えることも高ポイントです。

一方下段写真は、トンネルの存在に尽きます。
と言ってもこれは正式にはトンネルではないとのことで“立体交差”だ
そうですが、気分は併用軌道の“トンネル”で、ちょっと不思議な感覚が
味わえます。

といいつつ、実は長崎電軌には、横浜市電全廃後、日本で唯一の路面電車の
トンネルが存在します。
それは「意外なところにありました」などというより、
明らかに長崎市民も含め、誰もトンネルとは思っていないと思われます。
(詳しくは次回UPします)

なお、日本唯一の存在を解く鍵は、HP「旅する長崎学」2008年8月6日
更新の「長崎は路面電車の走る街~長崎チンチン電車物語」の中で、
長崎電軌の方へのインタビューにありました。

話しが写真とずれてしまいましたが、桜町の『立体交差』は
“トンネル”としてのインパクトは大です。一度お試しあれ!

2011年06月07日 8時06分

長崎電軌(16)昭和の「正覚寺下」の風景。

昭和55年の「正覚寺下」電停停車中の360形「362号」です。

今回、この「正覚寺下」には時間の都合で行っていないのですが、
別に「正覚寺下」をないがしろにしたということではないと
知っていただきたく、せめてもの償いに
昭和の写真をUPすることにしました。
実は、ここと「とあるところ」2箇所を天秤にかけ「とあるところ」に
行くことを優先しました。
もっともあと1時間早起きすれば十分に行けたのですが、
最近はすっかり欲がなくなってきました。
年のせいでしょうか?いやっ単なる怠慢です。

その電停の構造は、写真で見る限り走ってきた道路からいきなり民家の前に
突っ込むスタイルで、見ようによっては何とも大胆な止まり方ですが、
何とかつかつの1両分の長さしかありません。
今は多分2両分位の長さに伸ばされているのではないでしょうか?
(少なくとも3000形・5000形は止まれる)

また背景に写っている街並みも随分変わったことでしょう。

今日の余談…もしもお時間のある方は「Google マップ」で長崎電軌の線路を
探してください。何と線名が「長崎電鉄」になっています。
確かに「Wikipedia」の「長崎電軌」の項を検索すると、そこには
通称「長崎電鉄」とはありますが、やはり地図にその名称を使うのは
如何でしょう・・・。

2011年06月06日 18時14分

長崎電軌(15)「石橋」電停の新旧比較。

長崎電軌で唯一の単線区間の終点、「石橋」電停の『新』『旧』です。
『旧』の電車は302号、『新』の電車は1502号で、
残念ながら私がこの電停にいたときに“5000”形は来ませんでした。

『新』『旧』での一番大きな違いは、電停の形状で、『旧』は1面1線ですが、
『新』では2面1線となっています。
「Wikipedia」によれば、『旧』の時代は、この電停の形状の関係で、
電車の扉が前後の車両に限定されていて、中扉のタイプは使用されて
いなかったとありました。それゆえ『旧』の写真が“300形”というのも
納得できますし、こうした限定運用は確かにさもありなんというところでした。

もう一つ、変わったというか変わっていないというか、電車の左側にある
スーパーの名前が「アサヒ」から「ジョイフルサン」に変わっています。
看板から名称変更なのか運営会社が変わったかまでは判りかねますが、
未だに地場(だと勝手に思っています)の小さなスーパーが地元の暮らしを
支えている姿には何かホッとさせられました。

●昭和55年5月24日の足取り(2)
3)「蛍茶屋」16:17~「石橋」16:38
4)「石橋」16:40~「築町」16:47
5)「築町」16:49~「正覚寺下」16:55
6)「正覚寺下」16:58~「長崎駅前」17:09
以上で、長崎電軌を完乗!
2時間足らずの行程でした。

この日はこのまま長崎に1泊。25日は午前中、長崎観光+移動日で、
26日に西日本鉄道に乗り残し区間に行き、その時点での九州島内を
完乗しました。(除く、ケーブルカー)

2011年06月06日 8時43分

長崎電軌(14)「蛍茶屋」電停の新旧比較。

続いて昭和55年と平成23年の「蛍茶屋」です。

『旧』の電車は紛れもなく700形。ただ車体番号が今一つ
はっきりしません。ネガが見つかれば間違いなく車両は特定できると
思われますが、プリントではやはり確定にはいたりませんでした。
(多分、703です…)

『新』の方は前の電車が「303号」で、後ろの電車も「300形」ですが
番号は不明です。因みに『ロイヤルホスト』の看板の下に止まっている電車は
左が「206号」、右が「212号」で、
昭和30年製の700形が1両を除いて現役を退き、
昭和20年代生まれの「202形」「211形」「300形」が
冷房改造され現役なのは、時代の皮肉としか言えません。

ところで『新』『旧』の一番大きな違いは
『新』では「ロイヤルホスト」の中に車庫があるということ・・・では決してありません。
それは電停が2面2線の相対式から、1面2線の島式に変わったことです。

●昭和55年5月24日の足取り(1)
1)「浦上駅前」発15:23~「赤迫」15:40
2)「赤迫」15:43~「蛍茶屋」16:14
※時間は、自分の時計によるもので正規のダイヤではありません。

2011年06月05日 22時00分

長崎電軌(13)「赤迫」電停新旧比較。

上段写真は昭和55年5月24日の長崎電軌の「赤迫」電停です。
そして下段が平成23年3月26日の「赤迫」電停です。
30年以上の年月が流れ、変わっているものと変わらないものがあります。

変わっていないのは、新旧とも電停の長さが長く、
写真ではそれぞれ2両ずつ停車していますが、さらにもう1両分の余裕が
あります。
また小さくて見にくいですが電停ホーム端の「赤迫」の名前を書いた表示が
同じ形で、ちょっと違うといえば(写真で見る限り)文字の地の色が
『旧』が“黄土色”、『新』が“白”という点でしょか・・・。
良く見ると電停の屋根も昭和の時代から変わっていないようです。

また、『新』の方の左端に「江藤動物病院」の看板が見えますが、
『旧』の方にも同じ場所に色は異なるものの同じ形のビルがあり、
その看板には「江藤家・・」の文字が見えますので、多分、以前も同じ場所で
動物病院を開業していたものと推察されます。
※「動物病院」=「家畜病院」と考えられます。

変わったのは電車でしょうか?
『旧』の前の電車は、方向幕の大きさな、3枚ガラスの全面窓のバランス及び乗降ドアの前に窓が一枚あることからおそらく
旧都電の「700形」と思いますが、今も701号が残されているものの、
定期運用には入っていないようです。この電車が「700形」であれば、その現役時代を伝えるものですが、ここまで車がかぶっていては
あまり価値はないですね。

2011年06月05日 8時03分

長崎電軌(12)1200形のシート。

「浜口町」電停の近くに『長崎路面電車資料館』(後の機会に紹介します)があります。
その見学を終えた後、「浜口町」から「蛍茶屋」に向うため乗った電車が
上段写真の「1200形」(1203号)でした。
そして座ったシートに下段写真の可愛らしい絵を見付けました。
『長崎くんち』の「龍踊(じゃおどり)」です。

昨年の7月20日に京成の「アクセス特急」について書いた際、
「飛行機の図柄のシート・・・」(写真はUPしていません)という話しを
書きましたが、それと絵の種類こそ違うものの同様ですね。
電車が市民の足、そして観光客の足であるだけになかなか素敵な
アイデアです。
でも、私の見た限りですが、この図柄のシートはこの電車だけでした。
何故???

さて『長崎くんち』についてはあまりに有名な祭りであり、
国の重要無形民俗文化財にしてされている位なので今更説明することは
ありませんが、今年は10月7・8・9日がその日程となっています。

もしも『長崎くんち』に合わせて長崎電軌を訪問予定の方は、
是非、1200形に乗って、より『長崎くんち』気分を盛り上げてください。

それにしても「龍踊」がどうしてサル・パンダ・ウサギなのでしょう?
謎です。

2011年06月04日 18時52分

長崎電軌(11)専用線区間の踏切。

長崎電軌の専用線区間には路面電車らしからぬ“本格的”な踏切があります。
上段写真は「松山町」電停のところにある踏切で、「踏切注意」の吊り看板が
目を引きますが、警報機・遮断機があるわけではなく、その代わり、
下段写真の「電車に注意」の看板の上の回転灯が作動するようになっています。
その回る姿は、ビル内の駐車場の入り口に設置され、車の出入り時に回る
回転灯がごときの体でした。
果たしてこの回転灯は「警報機」なのでしょうか?
私には“謎”の出来事でした。

ところで、上段写真で仰々しい『鋼鉄』のアーチに「制限高3.8M」
「けたに注意」の看板がついていますが、最初にこれを見た時は、
一瞬、『注意』するのは電車の架線の高さかと勘違いしてしまったのですが、
よく読めば『けた』と書いてあり、この制限高3.8メートルについて言えば、
架線の高さではなく、その後ろのJR長崎本線の“橋桁”の高さのようでした。

都電荒川線は幹線道路との踏切もあり、それと長崎電軌を比べるべくもありませんが、専用線ならではの光景ということで、車を待たせて電車が通り過ぎる様には少しワクワクしてしまいました。

●回転灯を見ているだけでも結構飽きないものです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!