2010年11月11日 8時58分

閑話休題、車掌鞄“萌え”。

「箱館ハイカラ號」は1回お休み。
私の車掌鞄(かばん)“萌え”話しです。
と、言っても持っているのは写真の2つのみ。

左側は、名古屋市電で実際に車掌さんが使用していたもので
記憶間違いでなければ、昭和49年の市電全廃後に
名古屋市が市電の備品を販売したことがあり、
そこで購入したはず。
※少なくとも今のようにマニア向け「鉄道用品」販売店は
 名古屋に無かった。

画面では確認できないと思いますが
真ん中に型押しされた名古屋市の市章がついています。

で、この車掌鞄を私は暫く使っていたのですが
元々ボロボロだったため勿体無くなってお蔵入り。
その時、“使える”車掌鞄が欲しいものだと思いました。

次に右側の車掌鞄ですが、プロ向けではなく、
一般の人向けに販売していたものを購入したもの。
既に何時何処で購入したのかも忘れてしまっていたのですが
何となく「仙台」で買った記憶が蘇ってきました。

そうであれば、今から17年前の平成5年2月12日、
仙台市営地下鉄の「八乙女」~「泉中央」間の延長区間を
乗りに行った時しか考えられません。
何故なら、車掌鞄を買う目的だけで
仙台に行くなど考えられないませんし、
一方で平成12年4月5日にもJR仙石線の
「仙台」~「あおば通」の延長区間を乗りに
行っているのですがそんなに最近ではないはず。

そして…、書いていて段々思い出してきました。
確か、仙台市で“本物”の「車掌鞄」を作っていた
『かばん屋さん』(今もあるのかな?)が、
その後も「車掌鞄」が欲しいというニーズに応え、
少量ではあるものの作っているという雑誌の記事を読み、
いつかは行ってみたいと思いつつこの日を迎えた…。
そしてその店を探し出し、
いつも在庫がある訳ではないとの説明も記事にあったのですが、
運よくこの「布」タイプの在庫があり購入した。
というのが顛末です。
※申し訳ありませんが店名を思い出せません。
 鞄には店の名前を記したタグもついていません。

何れにしろこの『車掌鞄』は2つとも私の宝物。
布製の方は“いつも”とは言いませんが時々、使っています。
(中には仕切りがいくつかあってさすがに実用的です)

2010年11月10日 17時58分

「箱館ハイカラ號」の車掌さん。

こちらが「箱館ハイカラ號」の車掌さんです。
(ブログへのUPの承諾を得て掲載しています)

今時、車掌さんが乗っている市電は
広島電鉄のグリーンムーバー他あることはありますが
極めて希少価値が高い存在です。

そんなことはさておきこの車掌さん、結構大変そうです。
まあ揺れる車内の立ち仕事というのは当然のこととして、
1)乗客が乗ると全員に下車停留所を聞いて、乗車券の発行。
  函館市電の乗車料金は『対キロ区間制』のため
  当然の事ながら均一制に比べ発券に手間がかかる。
  また観光客が多いのでその点も要注意。
2)案内放送は全て地声。
3)降車ボタンが無いため、乗客が下車する停留所を
  一応覚えていると見受けられた。
4)運転士さん側の出入り口は乗車専用で
  車掌さん側が下車専用のため、
  下車終了時には合図を運転士さんに送る。
5)途中の停留所で下車する人がいない場合は
  その旨の合図を運転士さんに送る。
6)観光客との記念写真撮影。
  ※乗客のかなりの人が、この写真の様な単独ではなく
   一緒に写っていました。
   『函館へようこそ』のプレートは車内に用意してあり
   必ずそれを持って記念写真に写っていました。
   まるで「函館」の観光大使ですね。
7)函館市内の観光案内。
  乗客から市電を降りてからの経路や、
  電車の時刻等の質問にも対応していました。

何もなれけば、車内と運転台を仕切る扉は閉まっているので
吹きさらしの今写っている場所にいるのですが、
乗客が少し動くだけで「用事があるのかな」と
直ぐに扉を開けるなどの反応をしていました。
※地厚のコートを着ていますが、それがなければ
 10月であってもとても耐えられません。
 運転士さんも同様にコートを着ていました。

参考までに私の“萌え”ポイントは、
昔ながらの『車掌鞄(かばん)』でした。

2010年11月10日 9時08分

「箱館ハイカラ號」の乗車券

平成22年10月31日(土)、
函館市電に乗った際に購入した2種類の乗車券です。

上は「市電1日乗車券」で、
下が「箱館ハイカラ號」の車内だけで発行される乗車券です。

お恥ずかしい話し、「箱館ハイカラ號」専用乗車券の存在を
私は知らず、観光客の方が購入しているのを見て、
『1日乗車券』購入後に、「箱館ハイカラ號」の乗車券を
車掌さんから購入しました。
※あくまでもハイカラ号専用で、他の市電には乗れません。

この日、私は「湯の川」発9:06に乗り、
そのまま「函館どつく前」(着時間9:50)まで乗り通し、
後は、後続の電車で「十字街」まで行き
更に「谷地頭」まで乗って、昭和53年9月2日以来の
「函館市電」完乗を目指していました。
そのため、先に1日乗車券を購入したもので
まあ、結果からいえばどちらにしても両方購入する
運命にはあった訳です。
※1日乗車券は、ワンマンなら運転士さんが、
 「箱館ハイカラ號」なら車掌さんが発券してくれますが
 日付が手書きのため少々時間がかかります。

因みに「箱館ハイカラ號」の乗車券のイラストは
函館市電のHPによれば
「みぶなつき」さんがデザインしたもので
『鉄道むすめ 柏木ゆの』という名前があり
「柏木町」「湯の川」の電停名からとっているそうです。

以前から「鉄」と「アイドル」系の親和性は
高いといわれていますがその典型の一つでしょうか。

えっ、私ですか?この年でなんですが「“萌え”ます」という
オチでよろしいでしょうか…。

2010年11月09日 18時05分

「箱館ハイカラ號」ブリル台車の乗り心地

生まれて100年、そして大正7年からこの函館の町を
走り続けている米国「ブリル社」製台車(ブリル21E-1)。
「箱館ハイカラ號」で唯一“作り物”ではない部分です。
※とはいうものの、車内も17年の年月が
 適度にいい味を出し始めており、
 磨き上げた100年モノという雰囲気が無きにしも非ずです。

さてそのブリル台車の乗り心地の話しです。
単車ゆえの“揺れ”の問題はさておき、その乗り心地を
上手く表現できないのがもどかしいですが、
レールの上を行く車輪の硬さは直接体に響く感じなのですが
一方、車輪と車体の間では、
思ったよりも柔らかい感じで
それも「フワっ」とした印象でした。
※表現に矛盾と無理がある、どうしよう…。

函館市電で私が乗った他の形式と比較するなら
3000形や8100形が大人の乗り心地とするなら
『39号』は、駄々っ子と言えばニュアンスが
伝わりませんでしょうか?
(やっぱり無理ですね)

結局、一言で言えば、単車なので横「揺れ」は
如何ともしがたいが、縦「揺れ」は思ったよりも
『ばね』が吸収してくれているかなといったところです。
あくまでも私の感想です。悪しからず。

それにしても100年前の機械が現役で動くのは
鉄道ならでは。
やはり私が愛するだけのことはあります。

◆写真は、「函館どつく前」~「大町」間。

2010年11月09日 8時06分

「箱館ハイカラ號」湯の川停留所で出発準備。

「湯の川」停留所で出発を待つ「箱館ハイカラ号」です。

函館市電のHPでは、この「箱館ハイカラ號」の
「湯の川」到着は9:03、
「函館どつく前」行き出発は9:06となっており、
一見、余裕はありそうに見えますが、
実態は停留所到着~降車(この便の下車客はゼロ)~
運転士さんと車掌さんの前後交代~乗車~出発は
結構慌しく、カツカツの時間でした。
かくして、ハイカラ号の細部の写真を撮ることも無く
私はハイカラ号の乗客となりました。

明治43年(1910年)生まれのこの電車、
今年は生誕100周年のおめでたい年です。

ところで、鉄道誌や旅のガイドなどで何度も
この電車を見ているのですが、実物を見て初めて
「ダブルポール」だったんだと気付きました。
(「今更?」と言わないで下さい)
平成5年に車体が復元された際に、
往時の姿を忠実に再現されているそうですから
ダブルポールが主流だった時代に現役だったことが
窺い知れました。

実際に集電しているZパンタの陰で
あまり注目を浴びていないようでしたが
私の「鉄のツボ」にはストライクでした。
※同じ現役という意味では、
 明治村のN電は「シングルポール」なので好対照です。
 そう言えばもう何年、明治村に行っていないのだろう。

2010年11月08日 17時38分

「箱館ハイカラ號」見参。

平成22年10月31日(日)、
湯の川温泉の宿を8時40分に出て
まずは「湯の川」停留所まで歩き、
そこで「箱館ハイカラ號」(車番39号)の到着を待ちました。

暫くすると「駒場車庫前」発「湯の川」行きの
「箱館ハイカラ號」が午前9時過ぎに姿を現し、
函館市電の主力700形(715)との2ショットをパチリ。
●撮影場所は、「湯の川」停留所直近。

こうして比べると、「箱館ハイカラ號」の方が、
背が高く細面、全長も短そうでこじんまりと見えます。
●「湯の川」停留所は、電車1両分の長さしかないため、
 715号「谷地頭」行きの出発を待ち、
 この後、徐(おもむろ)に「湯の川」停留所に
 入っていきました。

(「箱館ハイカラ号」諸元表)
●定員…33人(710形の約1/3)
 ⇒やはり少ないですね。
●全長…9,706ミリ(710形の約4/5)
 ⇒単車の割にはボギー車と比べ、意外と長い印象。
●全幅…2,286ミリ(710形より56ミリ狭い)
 ⇒運転台部分が細いのですが、
  客室部分は外側に膨らんでいるためか、
  710形と少ししか違わないのは意外。
●全高…3,750ミリ(他の車両より50ミリ高い)
 ⇒2重屋根だから高く見えるのかな?

ところで1372ミリという珍しいゲージを
東京以外で楽しめるのは函館だけなのですが
「39号」を見ていて、車体幅に比して
線路が広く見えたのは気のせいでしょうか?

2010年09月04日 8時04分

都電 梶原停留所付近Ⅱ

同じく、都電荒川線「梶原」停留所付近です。
昨夕の写真は、正にこの踏切の真ん中に仁王立ちで
撮影したもので、その8800形が
やっと梶原停留所までやってきました。

この写真は、ちょっとスピード感があるような
雰囲気を狙ってみました。
実際には、遮断機の直ぐ右側が停留所なので
スピードは全然出ていません。

最新鋭の8800形はまだ乗った事が無かったので
この写真を撮影して直ぐ、踏切を渡って乗り込みました。
車内レイアウトは他の車両と変わりませんが
新形式の車両への乗車はやっぱ気分が「ウキウキ」しますね。

最新鋭の路面電車は全国どこへ行っても
ヨーロッパのトラムのように本当にお洒落になりました。
一方で、以前のように一目でどこの町を走る電車かが
わかるような個性が減っているような気もします。
(私の認識力が落ちてきた?)
それがちょっと残念です。

2010年09月03日 18時18分

都電 梶原停留所付近

『都電もなか』を買った帰り道、
ちょっと「撮り鉄」気分を出してみました。
●店を出て徒歩20秒、荒川線「梶原」停留所(早稲田方面)の
 東側にある踏切から「荒川車庫前」停留所方面を望む。

ここは平坦な直線区間が長く、架線柱の並びのシンメトリーが
なかなか面白かったです。
架線柱マニア(がいるかどうかは分かりませんが)には
たまらないのではないのでしょうか?
ただ、電車のタイミングがあるので、
本当はこの写真の逆、向かってくる電車が手前で
三ノ輪橋に向かう電車が奥にある構図を
狙ったのですが、あまりの暑さでギブアップしました。
※ひょっとして、8800形のすれ違い写真は珍しい?

私は、都電撮影の名所を知らないので
ここでも結構大満足でした。

なお、写真は踏切の真ん中に立って撮っています。
安全第一、運転士さんに不安を与えないことに
留意して撮影しました。

2010年09月03日 9時06分

「都電もなか」を知っていますか?

9月1日の続きです。
さて都電に乗って「梶原」停留所で降りた理由は、
この『都電もなか』を買うためです。

停留所から直ぐの「菓匠明美(かしょうあけみ)」さんという
和菓子屋さんが作って売っているもので
都電形の最中が、都電形のパッケージ(全5種類)に入り、
それが10個入るパッケージは、何と車庫形と言う
何とも「鉄」向きの和菓子です。
※10個入りで1450円(税込み)。

たまたま以前、新聞記事で見つけ「いつか行きたい、
食べたい」と思っていました。

皮の中は求肥(ぎゅうひ)と粒餡ぎっしりで
食べ応え十分で美味しかったです。

このお店、地元の大人気店で、お客さんは引っ切り無し。
和菓子屋さんでお客さんが多い店を
最近見かけることがあまりないだけに意外でした。
因みに売れていたのは『都電もなか』だけではありません。
◆『都電もなか』は東京土産として
 都内のデパートでも臨時出店して
 販売することもあるようです。
 とても良いみやげ物と思いました。

私はお酒を嗜みますが、甘いものも得意です。
「ぶらり都電、途中下車の旅」を堪能した半日でした。

2010年09月01日 18時15分

都電のマスコン

都電のみならず、運転士さんは普通は手袋をして
運転されていると思います。

ところで今回乗った都電の運転士さんは軍手を加工し、
マスコンにすっぽりはめて、素手で運転されていました。

このパターンは私にとっては『初』で、
興味深く運転を眺めていました。
別段これで運転のし易さや安全の度合いが変わるものでもなく
単に運転士さん本人の選択のようでした。
◆考えてみれば、軍手を手にはめるか、
 マスコンにはめるかの違いで、実質は同じでしょうか…?

まあ、深読みすれば、今年の夏は暑すぎるので
手袋を嫌ったのかも知れません。

ただ写真に撮ってみたら、結構いい味だったので
ここにUPしてみました。
(自己満足です)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!