2010年11月14日 9時01分

函館市電「十字街」の表示灯。

写真は昨日UPしたトロリーコンタクターの話しの中で書いた
「進行方向を示す表示灯」がこれです。
※この表示灯の“正式名称”は何て言うのでしょうか?
 ご存知の方は教えてください。

この表示灯は、「函館駅前」方面から「谷地頭」
「函館どつく前」方面行きに乗車した場合、
「十字街」に到着する電車の停車位置の左側、
道路を挟んだ歩道上の電柱に取り付けられています。

『系統確認』と書かれたボードの右上の表示灯が
如何にも“左”折の雰囲気がありありですが
この表示が出ているときに電車のパンタグラフが
トロリーコンタクターを叩くと
ポイントが切り替わり、
電車は「谷地頭」方面に回っていくことになります。

参考までに右側の表示灯が何となく「直線」なのが
分かっていただけますでしょうか?
この表示灯がONとなれば「函館どつく前」方面に
進むことになります。

ただそれだけのことを何故今回書いたのか?

その理由は『系統確認』と書かれたボードの
右側には、上下2段に同じ表示があります。
ところが私が見ていたのが短い時間だったので
単に私の思い込みかも知れませんが
下段の2つの表示灯は点灯しませんでした。

このブログをお読みの方でこの辺りの事情に詳しい方、
是非、コメントへの書き込みをお願いします。

2010年11月13日 17時58分

「操車塔」から「トロリーコンタクター」へ。

「操車塔」に取って代わったのが「トロリーコンタクター」と
言ってもあながち間違いではないはず。
今や全国、どこの路面電車でも見られます。
●写真は函館市電の「十字街」停留所にあるもの。
 「函館駅前」方面から「谷地頭」「函館どつく前」方面への
 分岐に使用されています。

ここの“トロコン”(以下、略させてください)の扱いですが、
電車は「十字街」到着時、左側のトロコンの更に左側に停車し、
乗降が終わると左側のトロコンをまずたたきます。
その上で、歩道上の電柱に設置された
進行方向を示す表示灯を確認し、
例えば「谷地頭」行きならば、『左折』表示がでたら
少し前に進んで右側のトロコンをたたきます。
そうすると道路信号のタイミングでポイントが切り替わり
「谷地頭」方面に進行することとなります。
(多分合っているはず)

ただそれだけのことですが、この一連の動作を見ているのは
意外と飽きません。

名古屋駅の様な大駅の複雑な信号とポイントの動きは
それはそれで魅力的ですが、間近に見ることが出来ません。
でもトロコンのシンプルさは目の前の出来事です。

函館でなくても結構ですので、
まだトロコンをちゃんと見たことが無い方は
一度観察してください。
病み付きになること請け合いです。

2010年11月13日 8時28分

「十字街」停留所に今も残る操車塔。

函館市電「十字街」停留所に今も残る『操車塔』です。

「操車塔とは?」と言って説明するのも
釈迦に説法かもしれませんが、市電の信号所にあたるもので、
分岐する路線のある停留所で
到着する電車の系統・行き先を確認しながら
ポイントの切り替えなどをしていました。
昭和の時代、日本中の至る所にあったはずです。
大体は大きな交差点の全方向が見渡せる場所に
この写真の様な「塔」がすっくと立っていました。
※今時「すっくと」という表現は死語ですね。

この「十字街」の操車塔は、昭和14年に建てられ
平成7年まで使われたのち、同年現在地に移動した上で
形態保存しているとの事。
函館市による案内板では「現存する国内最古」とされており、
私は、「国内最古」よりも「現存する」という言葉に
未だ「操車塔」が函館市電以外にもあるということが
驚きでした。それにしてもどこ?

それはそれとして、この写真を撮影している時に
思わぬ事態が…。
というほどのことでは無いかもしれませんが
「鉄」ではない観光客の方たちがこの「操車塔」の写真を
撮っているのです。勿論中高年以上の方たちで
“懐かしいね”“こんなのあったよね”という言葉とともに
でしたが…。確かに「ノスタルジー」の対象なんですね。

ところで「操車塔」で私に馴染みがあったのは
高校通学で毎日乗降していた名古屋市電の「桜山」停留所。
先週、『名古屋レール・アーカイブス』の方たちと
この「操車塔」話しをしていたのですが、
名古屋市内では、「桜山」の他に「今池」「高辻」「沢上」
「笹島」などなど“あったよね”と盛り上がりました。
※高校生の頃は「操車塔」という名称を知りませんでしたが…。

2010年11月12日 18時00分

「函館市電」と言えば、やっぱり『らっくる』号。

函館市電のエースと言えば、今や「9600型」。

アルナ車両製で純国産、日本『初』の2連接型LRVです。
まだ2編成しかないので出会えれば“めっけ物”と
思っていたら、「函館駅前」で遭遇。
とはいうものの、JR函館駅の外形写真を撮影している最中に
気がつき、あわててダッシュで「函館駅前」まで行き
交差点を回っていく「らっくる」号(「湯の川」行き)に
ギリギリで追いつきました。

よってこの写真、このサイズでは多分ばれないと思いますが
手振れを起こしておりトリミングには堪えられません。
※手振れ補正も流石に追いついていない。

ということで私はこの車両に乗っていませんので
車内の様子はわかりませんが、
平成14年に登場した部分低床電車「8101」号は
たった1両しかないにも係わらず今回、何と2度も乗っており
その経験で言いますと、特にベビーカーの乗客には
低床電車は便利な足となっていました。
ただその場合、「8101」号の乗車ドアから乗り降り
することになるため、運賃の収受は、
乗車ドアからの下車後に、運転士さんのいる降車ドアまで
乗客が移動した上で行っていました。
「らっくる」号では、その辺りは改善されたとのことで
多分、スムースに乗降が行われているものと思われます。

函館市電は、市民のみならず“観光客”の足としても
定着しており、高齢の観光客の利用も多く見られたことから
今後、9600型が増備されれば
より利用しやすい交通機関としての
ポジションを確立できると感じました。

頑張れ!!函館市電!

2010年11月12日 8時33分

函館市電で「撮り鉄」に挑戦!

写真の撮影場所は、宝来・谷地頭線の「青柳町」停留所です。
ここからは、「箱館ハイカラ號」の話しから次に移します。

丁度ここが宝来町から来ても、
谷地頭から来ても坂の頂点にあり、
SLなら“峠越え”とか言って、給気運転から
絶気運転への変わり目ということで大騒ぎするのでしょうが、
路面電車では大したことはありません。
(給気とか絶気ってこんな使い方で良かったっけ?)

ただ車両の背景を殆ど空にできる場所は、
路面電車ではあまり多くはないのでは?と、
勝手に思いながら撮影していました。
所詮コンデジで、三脚も使っていないのでこの程度で
お許し下さい。

ところで写真の716号ですが、『函館競輪場』ラッピングの
「りんりん号」です。
正面の愛嬌のある顔は、正直言って“秀逸”と思っています。

競輪場そのものは、市電で行くには
ちょっと不便な場所にありますが
以前、“日本最北”の競輪場と聞きました。

たまたま私が商業テレビ放送の会社に勤務していて
なおかつこの電車を撮影したからですが
各地のラッピング車両、実は全国規模のスポンサーではなく
ローカルのスポンサーが主体となるので地域性が見られ
面白いものが多いのです。
※7月6日にUPした長良川鉄道然り。

この「りんりん号」も、『日本最北の競輪場』の
広告ラッピングだと思うと…、どうです?
少し見方が変わりませんか?

えっ!!変わらない!そりゃそうですよね・・・。

2010年11月11日 18時00分

「箱館ハイカラ號」谷地頭近くにて。

「函館どつく前」を9:54に出た「箱館ハイカラ號」は
「駒場車庫前」着10:35。
少し時間を置いて今度は「駒場車庫前」発11:05、
「谷地頭」着11:44のスジに入ってきます。
※写真は、折り返し「谷地頭」11:53出発直後。
 (「駒場車庫前」行き)
 電車の後方に「谷地頭」停留所が見えている。

その間、私は函館駅前の「WAKO」に開館した
『北海道鉄道博物館』に行ったりしながら
11:40頃、残りの「十字街」~「谷地頭」間を乗り終え
2度目の「函館市電」完乗を果たしました。

この時間になったのは、どうせなら「ハイカラ号」の
走行写真でも撮ろうと思ったからですが、
函館市電の撮影の名所といえば「函館どつく前」方面の
『坂』と『市電』と『海』の取り合わせ。
私は“乗り鉄”のついでということで
「山」をバックにしてみました。(お手軽コースですね)

【ここで書くのも何ですが…】
日本路面電車同好会の方を始め
路面電車マニアの方には「今更」と言われそうですが
「函館どつく前」の「どつく」の「つ」は大文字で
小さい「っ」では無いんですね。
※「1日乗車券」の路線図で“大文字”だと発見しました。
 なお、電車の「行き先表示」はどうみても「小文字」に
 見えますが気のせいでしょうか?
※国土交通省鉄道局監修の「鉄道要覧」では「小文字」です。

それと以前は、「函館ドック前」だったのが
いつ平仮名に変わったんだろうとか…。
※両方とも理由は改めて書くのもなんですが、
 旧「函館ドック」の社名変更によるとのことでした。

まあ、こっちに来て改めて発見することはあるもんですね。

「箱館ハイカラ號」の話しは今回まで。
雪が溶ける来年春、ブリル台車の『39号』は
再び元気に函館の町を闊歩していると思います。
『観光鉄道』の一つの在り方として、このハイカラ号は
まだまだ目の離せない存在です。

さて、函館市電の話しはまだまだ続きます。

2010年11月11日 8時58分

閑話休題、車掌鞄“萌え”。

「箱館ハイカラ號」は1回お休み。
私の車掌鞄(かばん)“萌え”話しです。
と、言っても持っているのは写真の2つのみ。

左側は、名古屋市電で実際に車掌さんが使用していたもので
記憶間違いでなければ、昭和49年の市電全廃後に
名古屋市が市電の備品を販売したことがあり、
そこで購入したはず。
※少なくとも今のようにマニア向け「鉄道用品」販売店は
 名古屋に無かった。

画面では確認できないと思いますが
真ん中に型押しされた名古屋市の市章がついています。

で、この車掌鞄を私は暫く使っていたのですが
元々ボロボロだったため勿体無くなってお蔵入り。
その時、“使える”車掌鞄が欲しいものだと思いました。

次に右側の車掌鞄ですが、プロ向けではなく、
一般の人向けに販売していたものを購入したもの。
既に何時何処で購入したのかも忘れてしまっていたのですが
何となく「仙台」で買った記憶が蘇ってきました。

そうであれば、今から17年前の平成5年2月12日、
仙台市営地下鉄の「八乙女」~「泉中央」間の延長区間を
乗りに行った時しか考えられません。
何故なら、車掌鞄を買う目的だけで
仙台に行くなど考えられないませんし、
一方で平成12年4月5日にもJR仙石線の
「仙台」~「あおば通」の延長区間を乗りに
行っているのですがそんなに最近ではないはず。

そして…、書いていて段々思い出してきました。
確か、仙台市で“本物”の「車掌鞄」を作っていた
『かばん屋さん』(今もあるのかな?)が、
その後も「車掌鞄」が欲しいというニーズに応え、
少量ではあるものの作っているという雑誌の記事を読み、
いつかは行ってみたいと思いつつこの日を迎えた…。
そしてその店を探し出し、
いつも在庫がある訳ではないとの説明も記事にあったのですが、
運よくこの「布」タイプの在庫があり購入した。
というのが顛末です。
※申し訳ありませんが店名を思い出せません。
 鞄には店の名前を記したタグもついていません。

何れにしろこの『車掌鞄』は2つとも私の宝物。
布製の方は“いつも”とは言いませんが時々、使っています。
(中には仕切りがいくつかあってさすがに実用的です)

2010年11月10日 17時58分

「箱館ハイカラ號」の車掌さん。

こちらが「箱館ハイカラ號」の車掌さんです。
(ブログへのUPの承諾を得て掲載しています)

今時、車掌さんが乗っている市電は
広島電鉄のグリーンムーバー他あることはありますが
極めて希少価値が高い存在です。

そんなことはさておきこの車掌さん、結構大変そうです。
まあ揺れる車内の立ち仕事というのは当然のこととして、
1)乗客が乗ると全員に下車停留所を聞いて、乗車券の発行。
  函館市電の乗車料金は『対キロ区間制』のため
  当然の事ながら均一制に比べ発券に手間がかかる。
  また観光客が多いのでその点も要注意。
2)案内放送は全て地声。
3)降車ボタンが無いため、乗客が下車する停留所を
  一応覚えていると見受けられた。
4)運転士さん側の出入り口は乗車専用で
  車掌さん側が下車専用のため、
  下車終了時には合図を運転士さんに送る。
5)途中の停留所で下車する人がいない場合は
  その旨の合図を運転士さんに送る。
6)観光客との記念写真撮影。
  ※乗客のかなりの人が、この写真の様な単独ではなく
   一緒に写っていました。
   『函館へようこそ』のプレートは車内に用意してあり
   必ずそれを持って記念写真に写っていました。
   まるで「函館」の観光大使ですね。
7)函館市内の観光案内。
  乗客から市電を降りてからの経路や、
  電車の時刻等の質問にも対応していました。

何もなれけば、車内と運転台を仕切る扉は閉まっているので
吹きさらしの今写っている場所にいるのですが、
乗客が少し動くだけで「用事があるのかな」と
直ぐに扉を開けるなどの反応をしていました。
※地厚のコートを着ていますが、それがなければ
 10月であってもとても耐えられません。
 運転士さんも同様にコートを着ていました。

参考までに私の“萌え”ポイントは、
昔ながらの『車掌鞄(かばん)』でした。

2010年11月10日 9時08分

「箱館ハイカラ號」の乗車券

平成22年10月31日(土)、
函館市電に乗った際に購入した2種類の乗車券です。

上は「市電1日乗車券」で、
下が「箱館ハイカラ號」の車内だけで発行される乗車券です。

お恥ずかしい話し、「箱館ハイカラ號」専用乗車券の存在を
私は知らず、観光客の方が購入しているのを見て、
『1日乗車券』購入後に、「箱館ハイカラ號」の乗車券を
車掌さんから購入しました。
※あくまでもハイカラ号専用で、他の市電には乗れません。

この日、私は「湯の川」発9:06に乗り、
そのまま「函館どつく前」(着時間9:50)まで乗り通し、
後は、後続の電車で「十字街」まで行き
更に「谷地頭」まで乗って、昭和53年9月2日以来の
「函館市電」完乗を目指していました。
そのため、先に1日乗車券を購入したもので
まあ、結果からいえばどちらにしても両方購入する
運命にはあった訳です。
※1日乗車券は、ワンマンなら運転士さんが、
 「箱館ハイカラ號」なら車掌さんが発券してくれますが
 日付が手書きのため少々時間がかかります。

因みに「箱館ハイカラ號」の乗車券のイラストは
函館市電のHPによれば
「みぶなつき」さんがデザインしたもので
『鉄道むすめ 柏木ゆの』という名前があり
「柏木町」「湯の川」の電停名からとっているそうです。

以前から「鉄」と「アイドル」系の親和性は
高いといわれていますがその典型の一つでしょうか。

えっ、私ですか?この年でなんですが「“萌え”ます」という
オチでよろしいでしょうか…。

2010年11月09日 18時05分

「箱館ハイカラ號」ブリル台車の乗り心地

生まれて100年、そして大正7年からこの函館の町を
走り続けている米国「ブリル社」製台車(ブリル21E-1)。
「箱館ハイカラ號」で唯一“作り物”ではない部分です。
※とはいうものの、車内も17年の年月が
 適度にいい味を出し始めており、
 磨き上げた100年モノという雰囲気が無きにしも非ずです。

さてそのブリル台車の乗り心地の話しです。
単車ゆえの“揺れ”の問題はさておき、その乗り心地を
上手く表現できないのがもどかしいですが、
レールの上を行く車輪の硬さは直接体に響く感じなのですが
一方、車輪と車体の間では、
思ったよりも柔らかい感じで
それも「フワっ」とした印象でした。
※表現に矛盾と無理がある、どうしよう…。

函館市電で私が乗った他の形式と比較するなら
3000形や8100形が大人の乗り心地とするなら
『39号』は、駄々っ子と言えばニュアンスが
伝わりませんでしょうか?
(やっぱり無理ですね)

結局、一言で言えば、単車なので横「揺れ」は
如何ともしがたいが、縦「揺れ」は思ったよりも
『ばね』が吸収してくれているかなといったところです。
あくまでも私の感想です。悪しからず。

それにしても100年前の機械が現役で動くのは
鉄道ならでは。
やはり私が愛するだけのことはあります。

◆写真は、「函館どつく前」~「大町」間。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!